その十七 最終日
結局、この工場には四年半いたことになる。
入社当初は派遣で、工場の社員である、長田さんと志田君の指示で仕事をしていた。
彼らは、個人的にはやや面倒くさい人々ではあったが、義務感と責任感から仕事熱心なだけで、決してブラックではなかった。彼らは人生を、この仕事に捧げてきたのだ。そして長田さんは、セクションの創設者だった。自分の作り上げたものが崩壊していくのは見たくないであろう。彼らのような人々が、工場やこの国の経済を支えているのだ。自分のことしか考えていない自己愛性ブラックとは本質的に違う。
ワークネードにしても同様で、請負という立場では、元請けに忖度せざるを得ない。加藤さんを始めとする社員どもも、一部を除いては、本当は長時間労働などそこまでしたい訳ではないのであろう。
当時から残業は多いと思っていたが、必要がなければ容赦なく切られた。おかげで土曜日は、月二回くらいは休めた。そのくらいは仕方ないだろうと思っていた。
請負になり、事態が良くなるかと期待したが逆だった。円安となったが、製造業の海外移転は止まらず、自動車工場が某国に新設され、部品の輸出量が増えた。おまけに、元請けに対する忖度で余計な残業も増えた。そして、成見が覚醒した。
厚生労働省の調査によると、月四十時間の残業が続くと、病気になるリスクが高まるという。私の場合には、まさに四年以上、その状態が続いていた。
有給を消化することも考えたが、根本的な解決が図られなければ無意味である。結局、耐えるしかなかった。
今の私は、休みの日にも何をする気にもならず、洗濯物を片付けるのがやっとで、音楽を聴いても最早何も感じず、映画のDVDを観れば疲労で寝てしまうし、午後からカメラを持って歩き回るのも、楽しいのか何なのかよくわからなくなってきた。仕事もプライベートも全てが惰性と化していた。
もう何も出来る気がしなかった。
休養が必要だった。