その十八 選択的緘黙
新人戦が終わってしまうと、翌年まで大会は無かった。
練習は相変わらずだった。
また信仰告白を強要され、またまた私は何も言えなかった。
その時は、顧問は帰らずに練習を続けた。私と富樫は、校庭のコートの脇に立たされた。後で、練習に戻ることを許された。
この症状には、しっかりと名前が付いている。
DSM-5の『不安障害/不安症候群』には、『選択的緘黙』という項目が存在する。特定の状況において、話せなくなるという症状である。
詳細は以下の通り。
『選択的緘黙(Selective Mutism)』
A.他の状況で話しているにもかかわらず、話すことが期待されている特定の社会的状況(例:学校)において、話すことが一貫してできない.
B.その障害が、学業上、職業上の成績、または対人的コミュニケーションを妨げている.
C.その障害の持続期間は、少なくとも一カ月(学校の最初の1カ月だけに限定されない)である.
D.話すことができないことは、その社会的状況で要求されている話し言葉の知識、または話すことに関する楽しさが不足していることによるものではない.
E.その障害は、コミュニケーション症(例:小児期発症流暢症)ではうまく説明されず、また自閉スペクトラム症、統合失調症、または他の精神病性障害の経過中にのみ起こるものではない.
米国精神医学会(APA)高橋三郎 大野裕監訳『DSM-5 精神疾患の分類と診断の手引』医学書院(2014)
そして、何かのきっかけで、また練習を放棄して帰った。
その度に、どうするどうすると臨時ミーティングになった。部長さんが追いかけるも、赤いサニーを運転してとっとと帰宅してしまった。後で彼が職員室を尋ね、お怒りを解いて、練習に来てもらった。
しかし、キレる理由がよくわからなかった。声が出ていない、やる気が感じられない、態度が気に食わないといったところらしいが、具体的に何を要求しているのか、見当がつかなかった。とにかく『やる気』らしきものをアピールするしか考えつかなかった。ところがそれは、私の最も不得意とするところだった。
その内に、ボールを触っているより、ミーティングという名の雑談をしている時間の方が長くなってきた。