その六 ブルマー
先にも書いたが、彼は我々の保健体育の教師でもあった。
ある日、体育の授業で、体育館に男女共に集められた。
おもむろに顧問が切り出した。
それは驚くべき内容だった。
体操着の裾を、パンツかブルマの中に入れるように、という指示だった。
顧問は言った。
「まず、運動するのに裾が出てると、邪魔になりますね。動くのにパタパタするし、お腹が見えたりしますね」
その時点からやや無理があった。しかしその後はドン引きだった。
「女子の場合、ブルマがシャツで隠れると、ブルマの部分が三角形になりますね。ちょっとエロティックですね」
早速、新しい規則に従うようにとの指示が出たが、皆最初はためらって、顔を見合わせたりした。
本当にこれをやるつもりなのか。
再度、顧問に促されると、仕方なく皆従った。
特に女子は、見栄えが果てしなく悪くなるので皆嫌がっていた。
しかし今にして思えば、彼の言ったことは全く正しかった。パーフェクトリイにライトであった。我々が三年間で、顧問に聞かされた正論じみた戯言の中で、唯一の絶対的正論だったと思う。
同年代の男子ども(だけではないかもしれないが)にとっては、女子の体操着の裾に隠れて見え隠れするブルマは、確かにエロい。エロエロだ。しかし、わざわざ敢えて問題視するようなことでもない。
恐らく彼自身の主導だったのであろう。職員室で彼が立ち上がって、言い出す。『ブルマがエロティックなので、裾を入れさせましょう』。明らかに常軌を逸している。職員室も凍り付いたことだろう。そもそも当の女子たちでさえ嫌がっていたのだ。
何故、そのような暴挙に出たのか。
理由は一様ではないだろう。
恥ずかしい格好を敢えてさせるのは、囚人服によるアイデンティティの抑圧と同じだ。誇りや尊厳を奪い去り、支配と服従を容易にする効果がある。
ブルマに対しても、ムラムラして何か言わずにはいられなかったのであろう。しかしまさか教師の立場で、『JCのブルマ最高、ヒャッハー』とは言えるはずもない。それで、あのような形で口を出すことになったのではないだろうか。
これはフロイトのいうところの、防衛機制として説明出来るような気がする。抑圧、反動形勢、代償がここではみられる。
つまり、顧問自身が欲情しないための方策だったのではないだろうか。
ゆがんだ過剰性欲と支配欲を満たし、同時にその性欲を抑え込む。かなり倒錯した高度なプレイではないだろうか。しかし生徒はともかく、教師たちの中には、何かおかしいと思った者もいただろう。いや、誰もが『こいつおかしいんじゃねえか』と思っていたと思う。そういったリスクを冒してでも、やらずにはいられなかったのだ。
パーソナリティの偏りと性的倒錯は、何か関連があるのかもしれない。これはもっと後の話だ。
体育館で、バレー部の女子部員と何か話していた。
その女子部員が何かからかうようなことを言ったらしく、顧問がヘッドロックをかました。女子生徒は喚声を上げながらその場にへたりこんだ。
まだ『セクシャルハラスメント』なる言葉も存在しない、長閑な時代の話だ。
胸に触った訳でもないので、当時なら、教師と生徒のスキンシップとして強引に押し切れるレベルではあった。『女子中学生に性的興奮なんて抱く訳ないじゃないですか』
しかし顧問は充分に楽しんだのであろう。その時の彼の表情は、どう見ても、笑いを噛み殺しているものだった。