その十一 笹井さん
月が変わると、早速笹井さんが朝礼に参加してきた。
「では、笹井さん、何かありますか」
前田さんが言った。
「いや、まだ何もわからないんで」
それが、笹井さんの最初の挨拶だった。
身長は成見くらいだったが、メタボではなかった。やはり自前の眼鏡をかけている。顎には無精髭を生やし、よく通る声で丁寧な話し方をした。年齢は、私より少し上だったようだ。
中組は、梱包ヤードの通路を挟んだ向かい側だった。笹井さんは、事務所に出入りしてはいたが話したことはなかった。成見は社員どもに同化していたので、既に知っているようだった。昼休みには、電気を消した事務所で、笹井さんが足を伸ばして寝ている後ろで、成見がPCに向かって作業をしているのを見たことがある。さぞかしうざかろうと思ったが、実際彼が何を考えていたかはわからない。
前田さんと一緒に実験Z棟にも来たが、何せ最初は中組と行ったり来たりで、私の方もずっとダイレクトにいたため、あまり話す機会はなかった。
ある日、UCにいる時にセクションのことを聞かれた。
当たり障りのないことを言っておいた。
小迫さんは頭のネジがぶっ飛んでおり、松井さんは頭のネジが抜け落ちている。他の連中は知らん。
しかし笹井さんはリア充っぽくて、前田さんのような繊細さには欠けているような気がした。私とは違い、年齢相応にしっかりしていた。前田さんのような、リア充に対するルサンチマンとか心の闇は感じなかった。
本当にイカれているのは誰か、理解出来る日が来るとは思えなかった。
その時も、彼はいなかった。
まだ月初めで、ブツの上りが悪かった。昼間には、私が防錆した75RXが製造に持って行かれた。
残業時間は、UCヤードでラベル切りになった。何故か新海君だけが残っていて一緒だった。一時間で終了となり、帰ろうとした。成見が新海君を呼び、何やら説教を始めた。すぐに終わるだろうと思って、ロッカーの前でフラフラとしていたが、一向に終わる気配がなかった。別に私が消えても誰も気にしなかっただろうが、サブという立場上、新海君より先に帰るのは憚られた。
前田さんと伴野さんがやってきた。
「愛がないよ、これじゃあ」
伴野さんが言った。
どうも、JITカンバンのデザインがわかりにくいと言っているようだった。
「帰れば」
一人うだうだとしている私を見て、前田さんが言った。前田さんも、成見と新海君に気付いたようだった。お言葉に甘えて帰った。
「愛がないよ、愛が」
伴野さんが言った。
確かに、終業後に十分以上も拘束するのは、愛が足りなかった。
あまりダイレクトには来なかったので、新海君の普段の様子は、あまりわからなかった。しかし成見は不満だったのであろう。新海君に対してプレッシャーをかけ続けた。
ある日、私がUCに戻ると、成見が新海君の肩を掴んで揺さぶった。
「明日も頼むよ」
激励に見せかけた、ちょっとした恫喝だった。
下には睨みを利かせると同時に、上の連中に恩を売るのも忘れていなかった。
次の土曜日には、前田さんと成見が、二人揃って工場とのソフトボールの試合に参加した。笹井さんは休出してくれたが、ラベル切りすら教わっていなかった。UCは浦田がみてくれたので、私はダイレクトで適当に作業をこなし、適当に切り上げた。翌週に何か言われるかもしれないと思ったが、何も言われなかった。三時まではやったので、うだうだと言われる筋合いもなかった。
更に、その翌週の土曜日のことだった。
タスクの遅れを取り戻すべく、大量に部品が届く予定となっていたが不発に終わり、珍しく午前中で終了となった。
事務所に入ると、成見に聞かれた。
「市民会館って、どうやって行けばいいんですかね」
私は地元だったので、よく知っていた。
「そこの国道をまっすぐ行って、ガソリンスタンドの交差点を左折して……」
説明を試みたが、よくよく考えてみると、スマホのマップで検索でもすれば一発だった。
「ちょっと、書いてもらっていいですか」
釈然としないまま道順を書いてあげた。ところが言い出した。
「駅から歩いて行きたいんですけど」
「え、歩き。車じゃなくて」
言うまでもなく、彼は軽トラで通勤していた。
話をよく聞くと、その日の夜に市民会館で、とある演歌歌手のコンサートが開かれるらしかった。その演歌歌手とは、加藤さんの行きつけのスナックのママが応援しており、そのスナックとは、忘年会でここの連中が連れていかれた、あのスナックらしかった。
どうも、加藤さんが持っているチケットで一緒に応援に行き、その後に、そのスナックで打ち上げか何かをやる予定らしかった。そのため、車ではなく電車を使いたいらしかった。しかし、駅からだと道が複雑だった。
結局、道順の説明は有耶無耶になった。どうも、私の説明能力に問題があると思われているようだった。第三の男を思い出した。