その一
それは音もなく人目にもつかずに攻めこみ、日一日とふかくくいいってくる侵略軍のようでした。だれもそれに気がつかないので、ふせぐ人もいません。
ミヒャエル・エンデ作 大島かおり訳『モモ』岩波書店(2005)
成見の第一印象は決して悪くはなかった。それどころか好感さえ抱いた。
「鬼ですよね」
ラジオ体操で、休憩が五分潰れることを評してそう言った。
またヤードの地理的条件を考慮して、休憩が二三分伸びてもいいということも教えてくれた。極めて常識的な感覚の持ち主であるとその時は思った。その時は。
休憩時間になると、いつも二人してデスクに並んで座った。私もあまり人に話しかける方でもなかったので、それほど会話も進まなかった。沈黙がその場を支配した。
「高島彩って結婚したんですよね」
「何かゆずの母親が宗教やってるんですよね」
「……」
「……」
しかし、それでも特に気まずくなるようなことはなかった。向こうも常に携帯を見ていたし、特に気にしている様子もなかったので、私もそれほどは気にしないようにした。自分のコミュ障については重々承知していたが、私もその頃には開き直って、若い頃ほど気に病まなくなっていた。今にして思えばそれも、自己愛性パーソナリティ障害のアザー・サイドだったのかもしれない。
ちなみに二人で並んで座るという行為も、彼の私に対する感情に何らかの影響を及ぼした可能性が高いと思う。
前にも書いたが、出身は岩手県だった。
「三一一はどうだったんですか」
「うちは山の方だったんで大丈夫でした」
被害はなかったとは言うが、被災県の出身であることも、多少は彼に対する同情を後押ししたのかもしれない。山の方というが、具体的な地名は聞いていない。加藤さんとどの程度近いのかもわからない。
その岩手を出て、東京近郊でリサイクルの会社に勤めていたらしい。その会社が潰れたとか何かで、独立したとか何かで、それでいまいちだったとか何かで、職を転々としたとか何かで、結局その工場に勤めることになったらしい。そのせいか、当時は軽トラに乗っていた。会社の駐車場でもすぐにわかった。ついでに言うと、私は駐車場の奥の方に停めていたが、彼は入り口に近いところにいつも停めていた。しかし誰一人そんなことは気にしないのであろう。恐らく私のような人間が、国有地払い下げ問題とか、大学新設許認可不正の問題を引き起こすのであろう。
当時は容貌も、後とは違っていた。
身長は百七十五センチくらいだったと思う。見た目はそれほど丸々とした感じではなく、腹もそれほど出ているようには見えなかった。がたいがいいといった表現に当てはまる程度だった。しかし体重は、彼自身が言っていたところによると、百キロを超えていたという。後ろから見ていると、よろよろと体を左右に揺らして、のろのろと歩いていた。『気は優しくて力持ち』というタイプに見えた。
『モモ』は名作です。
そして、現代ブラック企業小説でもあります。
マジお薦めです。