2月の夜の生暖かい風
終電を降り駅の階段を下ると、街はとりわけ静かな夜空に覆われていた。
2月にしては生暖かい風が、街の物音を吹き飛ばしてしまったようだった。車のクラクションの音が聴こえ居酒屋チェーンの明るい看板が目に飛び込むが、そこでは確かになにかが不足していたのだった。街の不足が背景と同化してしまっていた。まるでマッキントッシュのコンピュータのロゴマークのかじられたリンゴみたいに街は光っていた。
横浜のはずれのこの街に初めて来たとき、この不足した感じに寂しさを感じたものだった。「どうしたの?」と田舎にいたころ付き合っていた女性からメールが帰ってくる。「ううん、なんでもないよ、ちょっと寂しくなっただけ」。しばらくして、「そんなメール送ってくるなんて珍しいね。こっちにいる時はそんなコトなかったよ(笑)」と再度メールが帰ってきた。確かに、そうだったかもしれない。
「いや、遅くにごめんよ、ありがとう。おやすみ。」
「うん、おやすみ」
僕は田舎で、ひどく性愛感覚の欠如した高校生だった。アダルトビデオも見たことがないし、同年代の子が覚え始める自慰行為に興味もなかった。彼女とも、付き合っていたかどうかも分からないような関係だった。そもそもきっかけも、彼女が毎日図書室で僕の隣に毎日座りに来るうち、知らないうちに付き合うようになっていただけだったのだ。横浜に来て僕はその恋人とは別れてしまった。
きっとこんな僕にとっても、街にはその恋人の影が欠如していたのだろう。一度「君と会えなくて寂しいよ」ともメールを送ってみたが、返信はない。
しかしいつの日かそういった寂しさを感じることはなくなっていた。不足をネガティブな対象として捉えなくなった。「何が不足しているか」は僕にとって大した問題でなくなったのである。街が空っぽになるまで、僕はここの空気を吸い続けることができる。彼女の存在も遠く記憶の隅に追いやられていく。
風は生暖かく吹いた。
まるで街の全てをのせて遠くへ運んでしまうようだった。