発達障害の私が、それでも生きていける理由
私は、ADHDだ。
冒頭が、私は、から始まるありきたりな始まりは、十代の頃、誰かに普通すぎてつまらないからやめろと言われた事がある。
しかし、あえて、私はこの書き出しで私の話を始めたいと思う。何故なら、私は同い年の他人と比べて何歩も後ろを歩く人生を送ってきたからだ。
ADHDは、発達障害の一つだ。
原因は詳しくはわかってないらしく、かかりつけの医者からは一般の人と比べて脳機能に問題がある、という話を聞かされた。
主な症状としては、じっとしていることができない多動性、衝動的に動いてしまう衝動性、不注意が多く、時間管理ができない無計画さ、集中力の無さなどが挙げられる。
私も、これらの症状のいくつかに当てはまっており、これが原因で、今までの人生で何度も失敗を繰り返し、多くの人に叱責されてきた。
物心ついた時から、違和感というか、人に比べて劣っているという感覚がいくつもあった。
頻繁に宿題を忘れ、物を落とし、何かしようとすれば、やるべき事を忘れ、落ち着きがなく、気がつけばすぐに貧乏ゆすりが多かった。
勉強をしていても、すぐに落ち着かなくなって立ち上がってしまう、試験勉強をする時も、何をどう処理していくか分からず、結局何も手につかなくなってしまう。
そして、興味もない事は手もつけない。人の話を聞いていても、すぐに上の空になってしまうので、話を聞き逃してしまう。夢中になると、他の事が目に入らなくなってしまう。
こうした事から、人には集中力が足りない、鈍臭い、真面目なのに、不器用、そういった事を何度も言われてきた。
だが、この障害の厄介なところは、そうした事を除けば、一般の人と変わらない事だ。
障害者だと一目で分かれば、付き合い方もわかるだろうが、そうした少し欠陥のある一般人程度なら、人は気を使わない。むしろ、何故自分たちと同じ事ができないのだ、と叱責され、最悪村八分にされる。
私も、周囲の動きに馴染めず、団体行動が苦手で、何度も周囲にいじめられた。
そんなものだから、私は自分が他人と比べて劣っている、という劣等感を抱きながらずっと生きてきた。
だから、そんな劣等感だらけの私を、親は理解できず、それが原因となり頻繁に衝突した。
親は所謂普通の、真面目な人間だ。手堅い職業で、半世紀以上の人生を送ってきたので、習慣的に、自分と意見の合わない人間を嫌う。
つまり、私のような何もかもが雑な人間が大嫌いなのだ。一挙手一投足をつぶさに確認し、気に入らない事があればすぐに叱責をくらった。
今は、社会人となった事で、親からの干渉も緩くなったが、未成年の頃は、そうした監視の目が厳しいせいで、ずっと自分の部屋にいて、出来るだけ親と合わないようにしていた。
だが、勉強ができず、授業中も集中力が続かない私は、親に厄介にならざるを得なかったが、親が勉強熱心、いや、それ以上だったため、何度も泣かされた。
小学生なのに、深夜まで勉強させられたし、ぶたれたり、蹴られたり、煎れたばかりのコーヒーをぶっかけられた事もある。
自分の好きなゲームに出てくる警官が、世の中クソだな、という言葉を発したが、、私の場合、それ以上の地獄を味わった、といっても過言ではない。
十代の勉強期は私にとって悪夢、黒歴史だ。
じっとしていられないADHDの子供に、小学生からの受験勉強は絶対にオススメしない。だからと言って、国数社理に加え、英語も加わる高校受験も、それはそれで地獄なのだが。
早く地獄に落ちるか、後で地獄に落ちるか、非常に悩みどころだ。
話を戻す。そんな、クソ以下の人生を送ってきた私だが、唐突に自分を理解する時間が訪れた。
それは何年か前の事、ストレスの関係で胃腸炎になってしまい、病院に通院していた私だったが、ふと医者に自分の習性について話した。
飲み薬を飲む事を忘れてしまい、それ以外にも落ち着きがなく、すぐに集中力が途切れる、そんな事を話したが、医者はふと、こちらに顔を向けると、真剣な顔をしてこう言った。
「◯◯さん。それ、もしかして発達障害かもしれませんよ?」
その時、私は初めて自分自身に関する手掛かりをつかんだ。
医師から病院を紹介してもらったが、個人的に調べてみると、いくつもの資料が見つかった。そして、そこに記載されていた症状がピタリ、ピタリと自分に当てはまったのだ。
最初はまさか、と思った。
ネット全盛期の現代、インターネットでは、アスペやらそれに類似した人を小馬鹿にする言葉が溢れていたので、私もそれに関する事は知っていたが、まさか自分がそんなものに当てはまるとは思いたくなかった。
だが、もしかしてという気持ちもあった。
自分の生き方、習性だから、と諦めていた事をなんとか出来るのかもしれない。
一縷の望みをもって、精神科に向かった私は、今もかかりつけになっている医師から、自分が発達障害だという事、ADHDという病名をある事を知らされた。
私は、少しの驚きと共に、あぁ、やっぱりそうだったんだな、という思いに支配された。今までは何とか他の人に合わせようとしてうまくいかず、それが当たり前なんだ、と1人自分の無能さに腹が立っていたが、やっと自分が前向きに見えたような気がした。
いの一番にその事を伝えたのは両親だった。
自分という人間を知ってもらいたい、という気持ちもあったが、そういう人間なのだと教育熱心で指摘が厳しい祖に諦めて欲しいという思いもあった。
まぁ、分かっていたが、親からの答えは、ノー。
まず、そんな病気はない、という全否定から入り、
「お前は普通の人間だ、努力していないだけ」
「大人になりきれていないだけ」
そして、もっと頑張れ頑張れというエールとは程遠い言葉を言われ続けた。
私は、この時両親は私の事を理解することは、一生ないだろう、そう理解した。
現在も親と同居はしているものの、表面上仲良くし、親がヒートアップするような話題は避けるようにしながら付き合っている。
無理解な隣人を持ちながらも、私は今では何とか人生を歩めている。
医者に勧められた、脳をスッキリさせる薬(勿論、危ない薬ではない。ただ、チト高い)を薬局から処方されたので、それを毎晩服用しつつ、毎日何とか仕事についていっている。
確かに前に比べれば大分マシになったが、医師曰く、それだけでは仕事や勉強は上手くいかないようだ。だから、さらなる工夫が必要になる。
私が始めた工夫からいくつか紹介させてもらう。
まず、メモの取り方を工夫し始めた。メモを取る事は誰でもできるが、発達障害の持ち主はとにかく纏める事が苦手だ。だから、仕事のやり方や、失敗した事を書くためのメモ帳と、それを纏めるあんちょこ本にメモを分けた。あんちょこ本は小さなリングノートになっていて、纏め下手な私にとっては非常に便利だ。
また、説明されても分からなかったら、率直に分からない!という事だ。
昔は、何故すぐに理解できないと怒られるのが怖かったが、説明された時に分かっていなければ、後で同じ問題が起きた時、必ず対応を間違えるので、何であの時と同じ事を!と倍々で怒られてしまう。
そして、私は自分は発達障害なのだ、と意識するようになった。これは、一見少し前の自分に対する意識と同じように見えるが、実際はポジティブな開き直りである。私は、発達障害だから、こうした方がいいのではないだろうか、と相手から指摘されなくとも自分で考えるようになり、そのために必要な行動を取れるようになった。
また、何か行動を取るときは、出来るだけ責任者にお伺いをたててから動くようになった。衝動的に動いて叱責されるのはもうこりごりだからだ。
このような行動を繰り返しているうちに、私は同じ失敗を繰り返す事が少なくなっていた。
例え、対応がわからなくとも、勝手に行動せず、近くにいる上司や先輩に話を聞き、その上で行動するので、お客に対する対応間違えが劇的に少なくなった。
そうして、何とか今は、デスクワークを行いつつも、こんな自虐録を書かせてもらっている。私の拙い文章を読んだ方が、もし普通の人ならば、こんな人間もいるんだ、と思っていただければ、と思うし、もし、私が列挙した症状を見て、もしかしてと思った人がいれば、是非精神科に行ってもらいたい。
さて、今まで散々ADHDのデメリットをあげてきたが、何もマイナスな事ばかりではない。ADHDにも、実は隠されたメリットがある。それは、興味がある事に対する抜群の集中力だ。
特定分野における集中力の高さ、それは天才肌とも言えるかもしれない。ADHDの症状を持つ人の中には、何と有名人も大勢含まれている。ハリウッド俳優のトム・クルーズさん、徹子の部屋でお馴染みの黒柳徹子さんや、楽天代表取締役兼社長の三木谷浩史さんも、自身でカミングアウトしている。また、偉人を例に出すならば、チャーチルや、エジソンもADHDだった、と言われている。
私も、その例外ではなくある分野に意識を集中させていた。それは本だ。
小学生よりも前から本にはまっていた私は、多い時だと、1日1冊の本を読む期間を中高6年間繰り返した事があり、一度だけだが、読書感想文で賞をとった時もある。おかげで、学業はズタボロになったものの、これが要因となり…まぁ、この話はここまでにしておこう。他人の自慢話ほど、興味の湧かないものはない。
このように、自分がダメだダメだと思っていても、人間には優れている部分が必ずある筈なのだ。
私の親のように、無理解な大人がいるし、親心から私の子供が発達障害なんて…と思う親がいるのも確かだ。
だが、生き辛さを我慢して、他の人に劣等感を抱きながら、生きていくよりも、自分を理解して少なくともポジティブに生きていく方がよっぽど良いと私は思う。
◯◯だから、で終わらせるのではなく、◯◯だから、こうしようという思いに変えることが出来れば、人生は順風満帆とまではいかないが、大分まともになる筈である。
それに、人生案外捨てたものではないと、私は思うのだ。
1ヶ月働き、その給料を得て、次の1ヶ月を頑張る。なろうで活躍している、文章のエキスパートの皆さんのような、誰からも賞賛されるような人生ではない。かなり地味な方だ。
だが、私は少し頑張る、これを毎日続けている。働いた給料で、美味しいものを食べ、本を、漫画を買い、ゲームに興じる。ただ、これだけが何と素晴らしいことか。
なりたい仕事に就けたわかではない。だが、もう嫌だと投げ出すには、人生まだ終着点が決まったわけでもない。
例え、ハンデを抱えていても、私の人生は、まだ道半ばなのである。私と同じような生き方をしている人もそうだ。人生というものは、探せば、案外宝物が落ちているものだ。
僅か30も生きていない若造のヘタクソな言葉かもしれないが、心に留めて頂けるとありがたい。
参考文献・引用
https://adhd.co.jp/otona/shoujou/
もし心当たりがある人は、一度精神科に行ってみてください。自分を知る事も、人生を生きていく上で大切な事です。
12月16日
誤字訂正 後書き追加