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リコール ~ re:call ~  作者: 鈴花 夢路
第十一章 カウントダウン
88/89

きっかけ

 台風の後のフェーン現象というものらしいが、10月最初の週末も相変わらず蒸し暑い風が吹いていた。

朝っぱらから電話で叩き起こされた俺の『夜からバイトなんですけど』という普通なら受け入れてもらえる断り文句は、『いいから来い!』の一言で却下される。

どうせ相手も遅れて来るだろうと思い、仕方なく11時丁度に豪徳寺駅に向かうと、

待ち合わせ場所にすでに立っていたくだんの人物は、物凄い苛立ちを隠さずにナンパに勤しむ大学生を追い払っている所だった。


――― 10月2日 土曜日 南風が吹いている秋晴れの朝


「誠士遅いー!駅で待たせるからナンパがうるさい!5分前行動しなさいよねー!」

「ごめんね・・・いきなり誘って来たから正直、どうせ遅れてくると思ったよ。」

俺の顔を見るなり駆け寄って来てお説教を始めた香苗は、言い訳をすると更に口を尖らせた。

大人しい色合いのチェックのチノパンを履いているが、首元の開いた白いニットはピタッとしたサイズで大きな胸を際立たせており、ワインレッドの長いカーディガンが目を引く着こなしだ。

「香苗がおしゃれだからナンパされるんじゃない?話したら逃げ出すとしても。」

「どういう意味!?・・・あんたはいつも通りザ・フリーターね。

最近、樫井の方がよっぽどオシャレよー?朱莉たんの為に見習えばー?」

「・・・。」


 パーカーにジーンズをバカにしたら、世の中の大半の男がダサい事になる。

大体、樫井さんが群馬のアウトレットで大量に買ったという服を選んだのは、絶対に杏花さんだ。

「杏花さんと・・・朱莉は元気?」

俺が最近の西嶋家について軽く探りを入れると、香苗は何かを思い出したかの様に一人で笑い転げ始める。

「アハハ!・・・きょ、杏花はねー・・・延長戦が響いたのか、旅行から帰ったら暫く歩き辛そうだったなー!朱莉たんは相変わらず毎日ふわふわと、名探偵ごっこして頑張ってるよ!

聞き込み先が近所の地縛霊だから進展ないんだけど・・・。」


「延長・・・?群馬で怪我でもしたの?そっかぁ・・・朱莉も手掛かりなしか。」


「・・・誠士、それ本気で言ってる? まぁ朱莉たんの件は、ちょっと私に考えがあるからさー。

とりあえず暑い所はもう無理・・・カフェでも行って話そうー!」

俺が杏花さんについて聞き返した事を、なぜか呆れたように鼻で笑った香苗は近くのコーヒーチェーン店へと歩き始めた。

 

 開店して間もない店内はガラガラで、レジに並んでいる客も二組だけだった。

香苗は迷わずアイスコーヒーを注文するので、俺も同じものを頼む。

会計を待つ間に辺りを見回すと『季節のフローズンラテ・スペシャルモンブラン』という、黒板に手書きされた見るからに甘ったるそうなメニューが目に留まる。

「・・・今、あの子が頼みそうって考えてたでしょ?」

「えっ・・・まぁ。そんなとこ。」

「いいなぁーーみんな愛されてて・・・。

あ、ここは誘った側が払うから、誠士は奥の席にもう座ってて!」

少し拗ねた様に視線を伏せながら、香苗は俺の背中をソファ席の方へ押し出した。


 グラスの水滴を紙ナプキンで吸い取りながら、ストローでクルクルとアイスコーヒーをかき混ぜて頬杖をつく香苗を前に、俺は何を話すべきか迷っていた。

「あの・・・コーヒーありがとう。えっと、今日はどうしたのかな?」


「みんな、たった一年で凄い変わったと思わない?・・・少なくとも私はそう。

去年の今頃は酷い環境だったな。常に男の家を転々として、悪事を手伝ってた。

樫井に捕まって、冬には病院の中。

それが今では週五で真面目に働いてるし、杏花のおかげで家事も覚えた。

しかもね、初めて一人暮らしをしようかな?なんて考えてるの・・・。」


「・・・そっか。確かに凄い変化だ!良く頑張ったと思うよ。香苗は偉いね。」

心から彼女の成長を嬉しく思った俺は、意外にも照れずに人を褒める事が出来た。

香苗も素直に『ありがと。みんなのおかげだね!』と言って笑う。

「まだ物件は決めてないけど、バイト先の近くで良いかなって。

最初はお金を貯めながら生活するのに必死だろうけど、2年経って執行猶予が終わったら正社員の仕事を探したいし、資格の勉強とかも始めないとなーって思ってね。

・・・一人きりだとまた甘えそうだから、杏花が許してくれればアメとウカも連れて行きたいな。・・・杏花も、もう寂しくはならないだろうしね。」


「一人で住んでいても、いつでも集まれる仲間がいると思えばきっと頑張れるよね。俺も応援してるよ!勉強会という名のランチ会とか出来たらいいよな。

・・・俺も、自分がこんなセリフ言える人間だって知らなかったよ。

やっぱり変わったよね。確かに1年でこれは凄いな・・・。」

俺が自分でも驚く様に一人で呟いていると、香苗も頷いて純粋な笑顔を見せた。


 人が少しずつ増えて来て、ランチを兼ねたカップルも何組か来店し始める。

「お腹空かない?なんか買ってこようか?」

「私はツナサンドがいいー!」

席を立った俺に500円玉を手渡して短い髪をかき上げた香苗を、暇つぶしをしている数人のサラリーマンが振り返った。

俺が自分の注文したホットサンドが焼けるのを待ち、暫くしてから席に戻ると香苗の前には3枚も名刺が置かれている。

「・・・相変わらずモテるね。誰も俺のこと見えてないのかな?」

「自分の好きな子に愛される方が、何億倍もの価値があるんじゃない?

・・・誠士や朱莉たんより、私のほうがよっぽど透明人間だよ。」

香苗はそう呟くと、短く切りそろえた爪をじっと眺めた。


「晴見さんと健司さんも、ホントの香苗を見てくれてない?いつかの香苗の言葉を借りるなら、『本当は繊細で優しい香苗の事だから、仕事に迷惑が掛かるなとか、過去に引くんじゃないかな?とか考えてるんだろうけど、それはただ怖がってるだけだ。』と思うよ。・・・やっと自由に生きられるんだ。

俺は香苗に後悔して欲しくないな。 俺も最後まで諦めないから。」


「なんとなく、誠士ならそう言うかな?って思った。本当に格好良くなったね。

ありがと。・・・食べよっか。」

そう言いながら真っ赤な顔でツナサンドを齧る香苗を見て、ガラにもないセリフを吐いた方の俺もだんだんと恥ずかしくなっていく。

男女の友情というのは、非常に微妙なバランスで均衡が保たれているらしい。

深い部分を理解し合えてしまっている分、何かのきっかけで好きになってしまったとしても何も不思議な事ではない気がした。


 黙々とサンドイッチを食べていた香苗が不意に、口の端についたマヨネーズを紙ナプキンで押さえた。

秋らしいオレンジ色の口紅が取れてしまい、慌てて窓に顔を映して付け直す。

生霊である朱莉がする事はなかった新鮮なその動作に、いつの間にか俺は見惚れてしまっていた。

「・・・今、したいって思ったでしょ。」

「えっ!?」

意外そうな顔をした香苗が見つめ返しているのにも気付かず、そう問われてやっと俺は意識を取り戻す。

「すみません。思いました・・・。」

「アハハ! 試すー?練習台になってあげようか?」

「いや・・・もうほんと、何ていうか・・・勘弁して。」

もう自分でも何を言ってるのか分からなくなりながら、必死で火照る顔を隠して取り繕うしかなかった。


「でも、クソ真面目な誠士に興味持ってもらえるなんて嬉しいなー!

朱莉たんが誠士の事、変えたんだね。いい意味で、人間好きになれたんじゃない?

・・・今改めて思うけど、あの子がいなければ何も変わらなかったかも。

誠士がオカルトと無縁のままだったら、杏花の事を樫井が信じたとは思えないし、私のも杏花の事件も解決しないままだった。うちらが就職とか恋愛とかさ、人生に真剣に向き合えるようになったのは全部、

朱莉と誠士が出会ったことが始まりだったのに・・・あの子は、肝心の自分の人生は失ったままなのよね。」


「・・・朱莉だけが取り残されているって分かってるのに、俺は何もできない。」

見えない振りをしていた現実を改めて他者に語られると、いかに自分が不甲斐ないかが浮き彫りになって胸が締め付けられた。

「これ見て。」

香苗はそう言うと、ショルダーバッグからノートを出してテーブルに置く。


 ノートをパラパラと捲ると、沢山のスケッチと似顔絵が出て来た。

最後の方へ来ると、板前の健司や晴見、樫井さんと杏花さんなど知ってる人物たちが登場し始める。

――その時、確実に俺の脈拍は狂ったと思う。

手が止まって動かせなくなったページに描かれていた朱莉は、いつも目にしていた年相応の可憐な少女に違いなかった。しかし、切ないような微笑みを湛えて、涙を少し瞼に溜めながらじっとこちらを見据える瞳から、俺は目を逸らせないでいた。


「・・・好きな人の事、思い浮かべてこっちを見て。

私がそう頼んだら、そんな顔するんだもん。描いてる時、ずっと胸が痛かった。」

「・・・どうしてこれを?」

俺も息苦しさで詰まる胸を押さえながら、香苗にこの絵を描いた理由を問う。


「引っ越し資金の為に、似顔絵描きのバイトも続けてたの。

出会ったお客さん全員に『この子見た事ないですか?』って聞くために描いた。

・・・ある予備校の近くで営業してた時、『見た事ある!』って子に当たったの。

その子は18歳で、小学校の時の修学旅行で偶然出会った他校の女の子と、少しだけ会話したのを憶えてた。タレ目をふにゃふにゃとつぶってるのに、向日葵みたいに弾ける笑顔だったのが忘れられなかったんだって。」

「そ、それって・・・。」

混乱する頭をなんとか整理しながら、俺は香苗の話の続きを待った。


「今日、この後13時からもう一度、駅の近くの予備校前で会う事になってる。

12歳位にアレンジした、朱莉がいつもの笑い方してるタイプの絵も描いてきた。

・・・あんたも会いたいと思って誘ったの。辛いならここで待っててもいいよ。」

「俺も行く!・・・行かなきゃいけないんだ。」

陰で協力してくれていた事への御礼も言わずに、前のめりになって同行を願い出る俺の頭を香苗はくしゃくしゃと撫でて笑う。

「誠士なら・・・そう言うと思ってたよ。」



 難関校を目指すための予備校は、土曜日でも沢山の生徒で溢れている。

眼鏡をかけた三つ編みのぽっちゃりした女の子は、香苗の姿を見つけるとすぐに駆け寄ってきた。 

「香苗さんお待たせしました!あっ、この前の似顔絵は無事に渡せましたよ!

就職で引っ越す友達もめっちゃ喜んでくれて、私もホッとしましたー♪」


「優菜ちゃん、お疲れ様。そうーそれは良かったー!写真と彼女の好きな物組み合わせただけなんだけど、新天地で頑張れ!ってメッセージが伝わったならいいな♪

あ、この人は私の友達でついて来ただけだから気にしないでね。」

「あっ・・・松宮です。すみません突然お邪魔して。」

怪訝な顔で俺を見ている優菜に香苗が慌てて説明して、俺も短い挨拶を交わす。

「優菜ちゃん勉強疲れたでしょー?カフェでワッフル買って来たから、公園でお茶にしよー!

この先に日陰のベンチがある公園があるんだー!」

香苗が甘い匂いのする紙袋を見せると、健康そうな女子高生は丸い顔いっぱいに嬉しさを滲ませた。


 人通りの少ないビル横の公園は、ランチを終えた会社員が丁度引き上げて行く所だった。

空いたばかりの屋根のついたベンチに座ると、降り注ぐ日差しの影響を受けていない、涼しい秋の風がスーッと通り抜けていく。

「さっそくなんだけど・・・山梨の林間学校で会った子ってこんな感じだった?」

ワッフルシュガーで口元をテカテカにした優菜に、香苗はノートを開いて見せる。

「むぐっ・・・すみません。・・・うん!間違いないです!このひまわり畑にいるタヌキのような可愛さ! 名前は・・・えっと、あかねちゃん?だっけ?

あけみちゃん?うーーーーん・・・あーーー・・・」


「あかり?」

もどかしさに耐えきれなくなった俺がそう聞くと、優菜は両手をポン!と叩いて『そうそう!それです!』と感心したように頷き、またワッフルを齧った。

「あかりちゃんは他校の帽子を被ってたんだけど、ハイキングのチームについて行けず、林道でバテていた私を優しく介抱して先生の所まで連れて行ってくれたの。

その時に励ます様に色々な話をしてくれて、6年も前でも凄く印象に残ってる。」


「そうなんだー・・・学校名とかは聞いてない?」

そんな香苗の問いに『うーん・・・』と俯いて考え込んでいた優菜は、何かを思い出したかのように突然目を見開いた。

「名前は思い出せないんだけど、意外とウチの近所の学校でビックリしたの思い出した!

年も同じで、また遊びたいなーって思ってたんだけど、あの頃は携帯とかなくて、結局は連絡出来ないままになっちゃったなー・・・。それに・・・」

「それに・・・?」

少し暗い顔になった優菜の次の言葉を急かす様に、俺はそう問いかけた。


「あかりちゃん、ママが病気だから大変って言ってた。でもね、そのおかげで小さい頃から夢は看護師になるって決めてるから、頑張りがいがある!って笑ってた。

クラスメイトも気付かなかった私の体調の変化に気付いて、自分の列をはみ出して迷わず助けてくれたんだもん、絶対叶うよ!って本気で思ったなー。

ママの看護があるから中学は家の近くにするけど、高校は5年制?の専門的な所に行きたい!とかめっちゃ大人みたいな事言うから、私すっごい尊敬しちゃってさー、

思いっきり影響されて・・・医者になりたくなったの。それでこの瓶底眼鏡!」

優菜はそう言って眼鏡をくいっと持ち上げて見せ、重たそうな医大受験の参考書を誇らしげに胸に抱いた。


 優菜の話が終わっても、俺と香苗は暫く何も話せなかった。

もうすぐ次の授業が始まる!と慌てて席を立つ彼女に、心からの感謝を伝えると『あかりちゃんに私もまた会いたいな!』と言って優菜は笑顔で帰っていく。


「・・・本当に朱莉はこの街に居たんだ。小さい頃から、ずっと。」


「矢ガラスが前ね・・・人や霊にはえにしっていう赤い糸的な物があるって言ってた。

朱莉は山下駅から松原駅の間のどこかに住み、学生だった。

誠士が働いてるのは山下と梅ヶ丘の間のコンビニ、三軒茶屋のコールセンター。

絶対にあの子に繋がる糸口が、このキーワードのどこかにあるんだと思うなー!」


 俺が放心状態で初めての手掛かりを噛み締めている間も、香苗は一生懸命に素晴らしい頭脳をフル活用してくれている。

今日の出来事のきっかけとなった才能溢れる絵の上手さも含め、俺は香苗に何も敵わない気がして歯痒い思いがした。

「・・・ありがとう。俺、香苗になにもしてあげれないのに・・・ここまでしてくれて、なんて御礼をしたらいいか分からない。」

「誠士、それ本気で言ってる? ・・・あんたは私が化け物だった時からずっと、助けようとしてくれてたじゃん。あんたが動き始めなければ、朱莉もあんなに強くはならなかった。

杏花も樫井も、他人のままだった。

人が勇気を出して動き出せば、どんどん何かが変わっていく。

この物語のきっかけを作ったのは・・・誠士、あんたなんだよ・・・だから」

香苗が熱を込めて話している途中で、俺は思わず彼女を抱きしめていた。

その意味が感謝なのか、自分を認めて貰えた嬉しさなのか、強い意志を秘めた切れ長の瞳の美しさのせいで頭がおかしくなったからなのかは、良く分からない。

柔らかい胸の奥で鳴る鼓動を感じると、背中に回した手に妙に力が籠ってしまう。


「・・・あんたが今、一番欲しい物ってなに?」

「朱莉が欲しい。」

「ふふっ・・・最低だね。」

無意識に抱きしめている対象とは別の名前を答えた俺の頭を撫でて、香苗は苦笑いしながら当然の評価を下した。

手を離して俯いている俺の横で、香苗は何やらノートを捲って作業をしている。

「来週の日曜はバイト入れないで空けといてね!西嶋家に集合だから!」

「え・・・なんで」

「うるさい!来ないと私に発情したこと朱莉にチクるよ!」

「行きます・・・。」


 訳も分からないまま同意した俺に、ベンチから立ち上がった香苗がクリアファイルを手渡した。

「また手掛かり見つけたら誘うから、その時はしっかり天才ぶり発揮しなさいよ?

今日みたいな只のエロポンコツだったら許さないから!」

そう笑いながら、香苗は一人で駅の方へ去っていく。

取り残された俺は、手持ち無沙汰にクリアファイルを開けた。

中身は折り畳まれたノート数枚で、『あんたの欲しい物。』と走り書きがある。

丁寧にノートの折り目を伸ばして開くと、沢山の笑顔の朱莉が描かれていた。

美味しそうにケーキを頬張り、膝に御影を乗せたまま居眠りをし、ゲームで杏花さんに負けて口を尖らせている姿もある。


 他人から見たら、少女の絵を抱きしめてベンチで号泣している男なんて、気持ち悪さ100%だろう。

でも、そんなことはどうでもいいのだ。

沢山の人の愛情と優しさに支えられ、ただ一人を大切に想えるこの瞬間は間違いなく、俺にとってはかけがえのない宝物だったのだから。

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