予習の成果
海編ー!
湾岸線を通り過ぎて浮島料金所を通過した青いミニバンは、トンネルの下り坂を飛ぶようにスピードを上げていった。
「ま、松宮君・・・首都高では遅すぎるって言ったけど、今度はちょっと早いんじゃない?」
「えー・・・流れに乗って前に着いて行けって、言ったじゃないですかーー!
大体、教習所以来ペーパーなのに・・・首都高とアクアライン運転させるってどんだけですか!
うわぁー後ろのトラック怖いー。んなっ・・・全員早すぎだよっ!」
前のめりな姿勢で運転に必死な俺を見て、樫井さんは緊張した面持ちで腕を組む。
「誠士、運転すると良く喋るんだねーー!ウケるー!」
「香苗さん!頑張ってくれてるのに失礼ですよ!」
真ん中のシートの右側の香苗は、時々俺を覗き込むようにして楽しんでおり、その隣の席の杏花さんは香苗をたしなめたり、樫井さんに飲み物を渡したりして世話を焼くのに忙しい。
朱莉は(諸事情により夜更かしした為)三列目の座席でゆったりと爆睡中だ。
朝早く電話で叩き起こされ『財布に免許証入れて三軒茶屋来て!』と樫井さんに
言われた瞬間から感じていた、嫌な予感はこうして的中していた。
『俺が疲れた時に、田舎道走ってくれるだけで良いから』と笑顔で大嘘をついた、
助手席に座るこの人は一応・・・警察官だ。
「松宮君・・・煽られても早くしなくて大丈夫だよ。初心者マーク付けてるんだし、相手が諦めてくれるから。・・・うん。・・・海ほたるで交代します。」
「アハハ!誠士、クビじゃーん!ま、ハジメテにしては・・・悪くなかったぞ♪」
「香苗、その言い方やめなさい・・・。」
(・・・もうやだ。帰りたい。)
やっと無謀な挑戦を諦めてくれた樫井さんは、終始笑い転げている香苗に呆れる様に溜息をついた。
――― 8月28日 土曜日 夏の終わりの良く晴れた朝
初めて来た巨大な木更津にある巨大な人工島は、なかなか気温が下がらない夏の終わりにしては、爽やかな風が吹き抜ける景色の良い場所だった。
「ねー!樫井ーアイス食べたいー!買って♪」
「香苗・・・健司さんにお給料多めに貰ったんでしょ?そろそろ自立しなさい。
それにさー、晴見が香苗の様子どう?って煩いから自分でちゃんと説明して!」
「フフッ・・・そこまで来たか。陥落まであと少し・・・。」
展望デッキにて休憩中の間も、ずっと香苗のテンションは高かった。
先程から振り回されている樫井さんは、苦笑いしながらも楽しそうだ。
「香苗って本当はあんなに良く笑うんですね・・・旅行好きなのかな?
そう言えば、御影のお世話は大丈夫なんですか?」
海を眺めている杏花さんを見つけた俺は、肩を軽く叩いてそう問いかける。
「私の家族は・・・みんな旅好きでした。海やキャンプも数えきれない程行って。
香苗さんが退院して来た日、彼女は私の古いアルバムを見たいと言いました。
夜中までずっと一人で見ていましたが、私の部屋に入って来てベッドに潜り込むと、初めて私の前で大声を上げて泣きじゃくり、『私の家族になってくれる?』と尋ねて来ました。・・・もちろん『私の方こそぜひお願いします』と答え、夜明けまで皆でしてみたい事を色々話し続けて、いつの間にか一緒に眠っていました。」
緩く結んだフワフワのポニーテールを揺らして振り返った彼女は、切ない微笑みを湛えながら静かにそう語った。
「・・・。」
『この服もあの子が選んでくれたんですよー!』花柄の黄色いワンピースに白いカーディガンを羽織った杏花さんは、突然そう言ってクルっと回って見せる。
以前のような少し儚げな表情の中にも、家族が出来た喜びが滲み出ている様だ。
「ミーちゃんのお世話はアメがする!って張り切ってましたけど・・・たぶん、
結局ミーちゃんが二人のお世話をして、お留守番頑張ってくれると思います♪」
「なんか・・・帰ったら部屋めちゃくちゃ荒れてそうですね。」
ドタバタと騒ぎながら留守番を務める、双子の神としっかり者の猫を想像して杏花さんと俺は笑い合う。
人が増えて賑やかになってきた海ほたるは、少しずつ気温が上がっていった。
青い海は降り注ぐ朝日を乱反射して、キラキラとしたさざ波を立てている。
時々強く吹き抜ける南風に乗って、カモメがふわふわと漂う様に空中散歩を楽しんでいた。
そんな優雅な景色を作り出していた海鳥たちが、突然ギャーと鋭く鳴いて大空高くに舞い上がって行った原因は・・・青空に良く映える純白のワンピースを纏った、天使に追いかけられたせいだろう。
「朱莉ー!あんまり遠くに行ったら迷子になるよ!」
俺はデッキの手すりから身を乗り出す様に、遠くの空で鳥達と戯れる生霊を呼ぶ。
「ねぇ・・・お兄ちゃん、あのカモメの飼い主なの!?」
急にズボンの裾を引っ張られて下を見ると、6歳位の小さな女の子が不思議そうな顔をしながら尋ねてきていた。
隣にいた杏花さんは、クスクスと笑って女の子に目線を合わせる様にしゃがみ、
『お兄さんにしか見えない秘密のお姫様を呼んでるの♪』と答えて俺を見上げる。
「そ・・・そうだね。」
丁度、朱莉がふわりと通路に着地して『ただいまー!』と笑いかけて来たので、
恥ずかしくなった俺は適当に相槌をうって話を終えようとした。
「えー?お兄ちゃんの好きなお姫様はお姉さんじゃないの?」
女の子は怪訝な顔をして杏花さんを指差す。
「このお姉さんは、俺が好きなお姫様なんだよ。・・・どうした?ママ見えなくなったかー?」
俺たちの後ろから現れた樫井さんは杏花さんの隣へしゃがみ、女の子の頭を撫でながらそう話した。
おませな女の子はポッと頬を染めると、『ゆいのママはジュース買ってくるの。』と言って、乳歯の欠けた前歯を見せない様に口に手を当てて笑う。
「す、すみません・・・支払いの時に走って行ってしまって。
ご心配ありがとうございます・・・。」
すぐに駆け付けた母親は、紙コップに入ったジュースをゆいちゃんに渡しながら、
俺たちを見回して頭を下げた。
「いえいえ。迷子じゃなくて安心しました!」
そう笑顔で答えた樫井さんに少し見惚れた様に微笑む母親は、ゆいちゃんの手をしっかりと握って歩いていく。
「ママー、あのお兄さん王子様みたいだね!」
「・・・そうね、ライダー8の俳優さんに似てるわー!」
風に乗って聞こえてくるそんな会話に、樫井さんが照れて頭を掻いている。
すぐそれに気付いた杏花さんが、しっかりと彼の後頭部を睨んでいた。
女性の感の鋭さを再確認して震え上がった俺は、そっと横に居る朱莉の方を見る。
朱莉はなぜか、とても苦しそうな表情で目の前の樫井さんと杏花さんのやり取りを眺めていた。
俺の視線に気付いて顔を上げた彼女は、すぐにいつも通りのご機嫌な笑顔に戻る。
『どうしたの?』と聞けたらスマートなんだろうが、なぜか怖くて聞けなかった。
車に戻ることになったので、すぐ近くの建物の日陰でアイスを食べていた香苗にも声を掛ける。
香苗はじっと俺の顔を見て、『頑張れー!』と小さく呟くと軽く背中を叩いた。
「うわぁーーこれがアクアラインの橋?お空に飛び立てそうな位いい景色だね♪
あっ!カモメも同じ高さに並んで飛んでるよ!すごーい・・・海が青くて綺麗!」
「お姫様は毎日どっかに飛び立ってんじゃん!カモメ捕まえて来なよ。」
「生霊はそんな早く飛べませんよ!香苗さん知ってるでしょ・・・。
あ、朱莉ちゃん・・・夢中になりすぎて窓からすり抜けない様に気を付けて!」
「うおぉ・・・半分顔出てたかも!」
「アハハ!生霊見える人が隣走ってたら事故るわーー顔半分出てるとかヤバい!」
「わ、笑い事じゃないですよ!すり抜けバイクに鼻ちょん切られたら・・・」
「何それ、めっちゃグロいわ!杏花ってさー、優等生ぶってても想像がヤバい時あるよねー。
『バイオレンス・パニック』一人でやってる時、目がイッてるし。」
女子が集まるとお喋りは止まらない様で、飽きもせずにひたすら話し続けていた。
圏央道を抜け、大多喜街道をひたすら進む。道の両脇は手付かずの自然が残り、暫く長閑な風景が続く。急に市街地が見えてきたと思いながら曲がりくねった道を進むと、唐突に青くて澄んだ海が目の前に広がった。
後部座席の煩さは全く気にならないのか、樫井さんは落ち着いて運転しながら俺にスピードの出し方、車線変更について教えてくれている。
「もう勝浦着いたから、また旅館までの道はこんな感じで頑張ってみよう!
きっと段々分かって来るよ!松宮君、何でもすぐ覚えるタイプだしねー♪」
「本当にありがとうございます!帰りまでに絶対覚えます!」
彼は本当に人を安心させ、やる気にさせる天才だ。
確かに、こんな素晴らしい景色が自由に見れるなら、怖がらずドライブに行けた方が楽しいだろう。
『もうすぐ着くよ』と声を掛けようとして後ろを振り返る。
喋り疲れてウトウトしだした大人2名とは対照的に、子供の様に目を輝かせた朱莉は窓ガラスに掌とおでこをくっ付けて、遥かな地平線を眺めていた。
8月最後の週末という事もあり、勝浦の小さな海岸はとても空いていた。
湘南の様な有名なビーチでもない為、数組の家族連れの他はボディボードを楽しむ若者と、綺麗な景色の写真を撮りに来た女子たち・・・といった人々しか居ない。
「お客さん少ないから、もうバイトの子も先週で引き上げたんだよ。
悪いけど、自分たちでパラソルとかやってね。半額にしとくから。」
調理や接客で忙しそうな海の家のおじさんは、軒先に適当に積まれたビーチグッズの方を顎で指して、レンタル料を説明するとまた小走りで店内へ戻っていった。
「パラソルとイス設置しとくから、杏花さん達は着替えて来ていいよー!」
そう樫井さんが伝えると、女子たちは荷物を抱えて海の家のロッカーに向かって行った。
朱莉はどうしようか一瞬迷っている様子だったが、笑顔の杏花さんに手を引かれて一緒に着替えに向かう。
「うぅー・・・暑い。・・・結構、重労働ですねー。」
少し湿っているとはいえ、サラサラとした白い砂をシャベルで掘るのは、貧弱な俺には骨が折れる作業だった。
唸りながら額の汗を拭いて隣の樫井さんに話しかけると、彼はもう一つのパラソルを地面に突き立て終わり、畳まれたサマーベッドを広げている途中だった。
なんとか休憩スペースの設営が終わり、努力の結晶である日陰でペットボトルのお茶を飲んで寝転がる。
爽やかなそよ風が潮の匂いを運び、濡れた額をゆっくりと撫でて乾かしていく。
「ふぅー・・・アウトドアもなかなか良いですね。」
俺はうざったくなった前髪をかき上げて、隣の樫井さんに話しかけた。
「最高の景色が見れたし、頑張って良かったね。」
暑さに耐えきれず上半身裸になってレジャーシートの上でうたた寝していた彼は、
静かに顔を上げると波打ち際の方を見つめながらそう答える。
「おぉー!涼しそうじゃん♪ありがとねーイケメンたちー!」
俺も椅子から上体を起こして元気な声のする方を見ると、デニム生地の短いホットパンツに鮮やかなカナリアイエローのビキニを着た香苗が、ビーチボールを抱えて手を振っていた。
あんまり手を振ると大きな胸が面積の少ないビキニからこぼれ落ちそうで、勝手に心配になってしまう。
その隣では、白い大きなリボンのビキニにエメラルドグリーンのパレオを腰に巻いた杏花さんが恥ずかしそうに肩にタオルを巻き付けて立っている。
香苗の短い黒髪には鮮烈な黄色が良く似合っていて、整った顔立ちをさらに引き立てているし、
杏花さんの真っ白な水着は太陽の光を弾く様に輝いていた。
パレオが風に揺れる度に細くて長い脚がチラッと覗き、樫井さんはそれを恥ずかしげもなくひたすら凝視している。
「・・・確かに絶景ですけど、そんなに見たら彼女も照れるんじゃないですか?」
俺の忠告に正気を取り戻した樫井さんは、ブンブンと頭を振って苦笑いをした。
ふと、朱莉はどこに行ったのか気になって近づいてきた女子二人に尋ねてみる。
「杏花さん、香苗おかえり・・・朱莉は大丈夫?」
「あぁー・・・ちょっと水着のイメージが想像と違ってたみたいで、ショック受けてますが・・・
一応、パラソルの上にいます。」
杏花さんはパラソルの下に荷物を置くと、椅子に腰かけながら気まずそうに答え、真上を指差した。
「きょ、杏花さん・・・デフォルトにしていいですかね?」
傘の裏側から上を見ると、もぞもぞ動く黒い影の主は困り果てた声で呟いた。
「だーめーだーよぉ!せっかく海に来たんだから、全員水着だろー?
ったくもー、あんだけ自分に見合った雑誌読みなさいって教えたのにさ・・・
変な動画見るからそうなるんだよ。・・・誠士、未成年の監督不行届だよ!」
香苗は腰に手を当ててパラソルの上に向かって強く言い放ったあと、状況を把握できずに座ったままの俺に詰め寄り、Tシャツの上から胸に指を突き立てる。
「えっ!?な、なんなの?」
香苗の厳しい視線に驚いた俺は慌ててサマーベッドから飛び降りる。
「・・・。」
砂に足を取られながら顔を上げた俺は、降り注ぐ太陽を跳ね返す青と白のパラソルの上に広がる光景を見て絶句した。
朱莉は紺色のレオタード・・・というより、どう見ても『禁断の放課後』シリーズに出てくる、
きわどいスクール水着姿でパラソルの先端にしがみ付いている。
涙目で震えている様子を含めて、いろいろな事がアウトだった。
サラサラの黒髪は、ぴったりとした水着に圧迫されて際立たされた胸の、透き通るような白い肌の上で風に揺られている。
「いや・・・これはその、えっと・・・私、何も見てないよ。」
朱莉のそんな言い訳と、杏花さんから事情を聞いたであろう樫井さんの爆笑が一気に響き渡って、
ひどい耳鳴りと眩暈が襲って来た。
「・・・俺、ちょっと着替えてきますね。」
やっと絞り出すようにそう呟いて、自分の荷物を抱えて公衆トイレに向かう。
本当なら色々とフォローするのが優しさなんだろうが、ちょっと無理だ。
肝心な時に限って動きを止める俺の脳内は、もはや拷問にしか感じないこの旅行をどう乗り切るかという事でいっぱいだった。
水着のチョイス・・・




