いい趣味してるね
勘違い
4人掛けのテーブルを二つ並べてゆったりめに6席が用意されたが、なぜか自分の席の隣に椅子をもう一つ引っ張ってきた俺を、とても不審な目で晴見と板前は見つめていた。
香苗と樫井さんが最大限に気を使っており、樫井さんは隣の席の晴見に話しかけ続けたり、香苗は板前の視線が俺の方へ向かない様に、一緒に飲み物を運びながら気を逸らす努力をしてくれている。
問題の原因になっている事など全く気付いていない朱莉は、『うわー!なんかいい匂いしてきたっ!』と俺の腕を突いて上機嫌だ。
さすがに全員まだ酔ってなくて誤魔化しが利かなそうなので、前菜の小鉢が並べられたが取り皿の要求はしないでおいた。
「・・・みんな飲み物回ったかな? では!香苗さんの仕事復帰祝いと事件解決の打ち上げ始めまーす! 乾杯ー!」
樫井さんの陽気な乾杯の音頭で始まった飲み会は、それぞれの自己紹介へと進む。
「えっと・・・香苗さんとルームシェアしてます。西嶋杏花です!・・・宜しくお願いします。」
左端の席の杏花さんは少し人見知り気味に、チラッと目の前の俺の顔と隣の朱莉を見ながら短く話した。
「樫井先輩と同じ班の部下の晴見 友哉です。
宮崎さんの保護を担当したご縁でお誘い頂きました。参加できて光栄です!宜しくお願い致します。」
中央の席に座った晴見は、目の前の席の香苗を見つめながら丁寧に頭を下げる。
場慣れしている様子で、自分が話し終わると『先輩どうぞ!』と笑顔を見せた。
「えーっと、晴見にいつもお世話されてる樫井です。西嶋さん、宮崎さん、松宮君とは共通の友人でこちらのお店にも良くお邪魔してますー!宜しくー!・・・松宮君どーぞ!」
「え・・・っと、松宮 誠士です。
樫井さんには2年前くらいからお世話になってます。宜しくお願いします。」
特に上手い事も言えそうに無く、助けを求める様に香苗を見ながら俺は手短に挨拶を済ませる。
香苗は、板前の持ってきた料理をテーブルに並べるのを手伝いながら、彼の肩を叩いて呼び止めた。
「・・・これで取り敢えず料理大体出ましたね! えっと、こちら今日の会場を快く用意してくれた、
私の雇い主でこのお店のオーナーの息子さんの岩澤 健司さんですー!
健司さんも座って一緒に食べましょ!」
「い・・・いや、俺は飲み物とか作るから・・・」
「今日はお客さん扱いしなくて大丈夫ですよ!さぁー座って下さい。」
健司は気後れするように香苗の隣の席に座ると、全員にペコペコと頭を下げて苦笑いした。
「修行中の身ですが・・・一応ここの調理師してます。岩澤です。
いつも香苗ちゃんには助けてもらってます。今日は大切な打ち上げに使って頂き、ありがとうございます。ご要望あれば何でもおっしゃって下さい!」
爽やかな笑顔で挨拶を終えた健司のグラスには、さりげなく笑顔の香苗がウーロン茶を注いでいる。
『ありがとー』と微笑み返す健司の様子を、じっと見ていた晴見が唐突に話題を変えた。
「でも・・・香苗さん、仕事復帰早いですね!まだ痛みとかあるのに大丈夫なんですか?」
「私・・・杏花さんに紹介してもらってここで働き始めたのに、急に姿を消す形になってしまって。
それなのに、事件のことが世間に知れ渡っちゃった後に、健司さんの方からいつでも戻って来て良いよ。
って連絡いただいて・・・。
まだ私なんか必要としてくれる場所があるんだなーって、嬉しかった。
だから・・・お医者さんがOKしたら、すぐにでも働きたかったんです!」
香苗が嬉しそうにそう話すのを見て、健司は少し頬を赤くして俯き、晴見は少し唇を噛んでから黙ってポテトサラダを食べ始めた。
杏花さんと朱莉がソワソワと目配せを交わし、小声で『いいぞーもっとやれ!』
『杏花さん・・・これが男の戦いと言うやつですね?』と囁く会話に挟まれた俺は、居た堪れない気持ちでビールを飲み始める。
目の前の樫井さんと仕事の話や三軒茶屋の治安の話題などで、健司も段々と会話を楽しみ始めた。
少しずつ慣れてきた杏花さんも、色々と晴見に刑事の仕事について質問する様になったのを見極めたように、香苗は席を立ち厨房へ向かう。
暫くして出てきた香苗はレモンを添えたコロッケの皿と、綺麗な色のカクテルを2つ持っていた。
こっそり朱莉の席の前に小皿とストローの刺さったカクテルグラスを置き、晴見に話しかけながらもう一つのグラスを手渡す。
「晴見さん、お酒嫌いだって言ってたから・・・これ、ジンジャーエールとレモンスカッシュのノンアルカクテルです!外暑かったし、疲れ取れるんで良かったら♪
お口に合えば良いなぁー。あ、晴見さんのイメージっぽく、甘さ控えめです!」
輝くような笑顔の香苗は、呆然とグラスを受け取る晴見の指先にそっと触れた。
『わぁーーきれーい!美味しそう♪』と目の前に置かれたグラスに夢中の朱莉とは対照的に、『ほぅ・・・これが・・・テクニックというやつか。』と杏花さんは呟きながら、スマホに何やらメモを始めていた。
晴見は目の前の香苗しか見ていないし、健司は樫井さんにベタ褒めされている自分の作った唐揚げを『うーん』と言いながら齧っている。
朱莉がコロッケを食べるチャンスは今しかないと思った俺は、彼女の膝を軽く叩いて目で合図を送った。
「朱莉、口開けて!もう熱くないから。」
そう小声で伝えた俺は、箸でつまんだコロッケを彼女の小さな口に入れる。
レモンをかけた一口コロッケを頬張った朱莉が、あまりに嬉しそうな顔で微笑むので、ついつい普通の声量で『美味しい?』と尋ねてしまった俺の方を、驚いた顔で晴見が振り向いた。
「うん!ほーんとに美味しいでふねぇ・・・」
明らかにたった今、口に料理を詰め込んだであろう杏花さんが、動揺を隠し切れない顔でモゴモゴしながら俺を見て相槌をうつ。
晴見は怪訝な表情をしつつも樫井さんの方を向き直すと、何か仕事の愚痴を言い始めた。
朱莉は苦しそうにお茶を飲む杏花さんに、手を合わせて『ごめんなさい!』と行動で表現している。
杏花さんは軽く首を横に振ると、朱莉と俺を見ながら楽しげに微笑んだ。
「僕は実家出てすぐ警察の寮暮らしだったんで、全然想像つかないですけど・・・女の子のルームシェアって普段どんな風に過ごしてるんですか?」
唐突に晴見が香苗と杏花さんに声を掛けて尋ねると、その話題に興味を持ったらしい健司と樫井さんも笑顔で二人を見つめた。
「・・・えっと、香苗さんは私の趣味に結構付き合ってくれてて・・・ゲームとかお料理を一緒にしてますかね。あ!最近はストーカーも居なくなったので、二人で写真を投稿するSNSも始めました。そしたら香苗さんが街で撮る猫写真が人気爆発してて、凄いフォロワーの数になったんです!」
杏花さんが嬉しそうに香苗の人気ぶりを自慢すると、香苗は照れた表情で俯く。
晴見と健司が同時に携帯で香苗のSNSを検索し始めると、『いや・・・見なくていいですから・・・』と困り果てた様子で赤い頬を手で隠した。
『私も見るーー!』と騒いで俺の携帯を覗き込む朱莉に『家のパソコンでね!』となだめる様に言い聞かせる。
「・・・でも、匿名で顔も出してないんですけど、なぜか『リンゴ』だってバレてしまったみたいで。
晴見さんがマスコミ対策しっかりしてくれてたのに、本当に申し訳ないというか・・・すみません。
そんな危ない絡まれ方はしてませんけど。」
そう言った香苗の言葉とは裏腹に、ネットの住民のラブコールは壮絶だった。
『傷跡の相談何でもして下さい!無料で診察します!』という美容外科の医師や、
『裁判の弁護はお任せ下さい。一緒に最後まで闘います!』と意気込む弁護士など
かなりハイスペックな人物たちが競うようにコメントを書き込んでいる。
(精一杯に見栄え良くした自撮りと連絡先付き)
「こ、これは凄いね・・・。大丈夫なの?」
心配になった俺が杏花さんと香苗を見て質問する言葉に被せる様に、晴見は仰々しく語り出した。
「だ、大丈夫な訳無いですよ!こういう奴等は、窓ガラスに反射した風景とかで、すぐに家まで特定するんですから!絶対に家の近所では撮影しちゃダメですよ?
・・・それに、困ってる女の子に良い顔して来る奴なんて、下心ばっかりです!」
『ね!?』と同意を求める様に俺の顔を見る晴見の後ろでは、樫井さんがふざけた表情をして親指で晴見を指し、『お前もだろー』と表現しながら俺の方へ意地悪な笑顔を向けて来た。
・・・笑いを堪えるのが限界なのでもう止めて頂きたい。
そんな俺たちの様子に気付いたらしい香苗は、邪魔すんな!とでも言いたげな厳しい視線を樫井さんへ投げかけている。
「・・・心配してくれてありがとうございます。気を付けますね!」
そう香苗が笑って、いつもと違ってしおらしく回答してるのに調子に乗ったのか、樫井さんは『そーだよなー!香苗の男運の悪さは筋金入りだもんなー!』と言って、全く空気を読まずに一人で大爆笑した。
香苗の片思いに気付いていた杏花さんと朱莉は思いっきり顔をしかめ、香苗に恋する当事者である男性二人は、今にも樫井さんに水をぶっかけそうな勢いで睨む。
俺は慌てて樫井さんの方を見て、首を横に振り『まずいです』と合図を送ったが、何にも気付かない彼は『玉の輿に乗ろーとしたら、きっとまた悪徳弁護士だったりしてー!』と完全に香苗をバカにして笑う。
本心ではもちろん心配しているだろうし、香苗の本性を知っているからこその辛口コメントなのも分かるのだが、事情を知らない者たちには完全に質の悪い酔っ払いにしか見えなくなっていた。
「・・・うるさい。」
『えっ・・・?』
香苗の絞り出すような呟きに、その場にいる全員が耳を傾けたその時だった。
「うっるさいわねーー樫井! 付き合った記念日に彼女の家でペッティングまでしといて途中で逃げ帰る男に、人の恋愛観の何が分かるってーのよ? あぁ!?」
『・・・。』
「ぶふぉっ・・・」
香苗のあまりの迫力に驚いた健司は、飲みかけのウーロン茶を盛大に噴き出した。
樫井さんは口をパクパクして言葉にならない言い訳を唱え、杏花さんは真っ赤な顔を両手で覆ってテーブルに突っ伏している。
「えー・・・先輩・・・それは無いっす。」
晴見は完全に引いており、憐れむような視線で杏花さんの後頭部と樫井さんの横顔を何往復かしたのち、大きな溜息をついた。
「ねぇーねぇー!ペッティングってなんなのーー?」
朱莉は不思議そうに俺の脇腹を突いては、純真な眼差しで見つめてくる。
「あ、朱莉は知らなくていい事だから・・・」
そう俺が小声で適当に誤魔化しながら、彼女の空になった皿に楊枝を刺した唐揚げを乗せる瞬間を、
運悪く晴見に見られたらしい。
彼は突然俺の肩を叩くと、振り向いた俺の目を真っ直ぐに見つめて『ねぇ・・・、君は何か変な薬とか飲んでるの?』と不信感に満ちた表情で問いかけた。
「・・・。」
俺が何も言葉が出なくなっているのを見た、樫井さんと杏花さんは顔を見合わせて焦り始め、
『言い訳を考えなさい!』と俺を睨むように香苗は訴えかける。
「さっきから、何にもない所見つめて話し掛けてない?・・・そんなに酔っぱらうほど、飲んでる様には見えないんだけど・・・?」
「どーしよー!ご、ごめんなさい!」
晴見の厳しい追及に、朱莉はパニック寸前になって席からふわりと宙に浮かんだ。
「・・・松宮さんは、美少女AIアプリ『あかりちゃん』にハマってるんです。」
『えっ!?』
急に解説しだした杏花さんの話が理解出来なくて、晴見と俺は同時に聞き返した。
「あ、あれ!?皆さん知りませんか?携帯のアプリ型ゲームの試作版で、
自分好みのキャラクターに名前を付けて、毎日本物の人間と接する様に話しかけていくうちに、
それはもう可愛らしい美少女へと成長して会話もきちんと覚えるそうです。
誰にも見られず、知られず、自分だけの彼女として愛でる事が出来ます!
わ、私もやってみたかったんですけど・・・テストプレイ抽選に落ちてしまって。
松宮さんはどこでも話しかけちゃう位『あかりちゃん』が大好きなんですよね♪」
「・・・。」
「えーキモっ・・・じゃなかった。お、面白そうな趣味ですねー・・・ははっ。」
晴見は薄ら笑いを隠そうともせず、俺の席からそっと距離を置いて座り直した。
杏花さんと香苗は顔を見合わせて『セーフ!』と手を動かしていたが、俺の尊厳的には完全にアウトである。
樫井さんは肩を震わせて笑いを堪えているし、健司は話を聞かなかった事にしたのか、徐に席を立って厨房へ向かうと、新しいビール瓶を持って帰ってきてそっと俺の横に置いてくれた。
それぞれの多大なる犠牲のおかげで、その後の飲み会は和やかに進行した。
今日、目に見えて傷を負わなかった晴見も・・・香苗を巡って恋愛バトルをしていれば、きっといつかは痛みや苦しみを感じるのだろうし、こういうのはお互い様だと俺は割り切ることに決めた。
飲み会を終えた後、そのまま夜のシフトに出る為に店に残る香苗は、健司と仲良さげに後片付けをして笑っている。
晴見は『新宿行ってから警察署に戻ります』と樫井さんに話しかけている間も、
ずっと店内が気になっている様子だった。
真夏の太陽が少しずつ夕陽へと変わろうとしている様な、名残惜しい哀愁を纏った若い刑事は、静かにスーツの皺を伸ばす。
「俺らは皆、世田谷線だからまた明日な。じゃーそろそろ行きますか!」
そう言って歩き出した樫井さんに、ゆっくりついて行こうとした俺を、小走りで戻ってきた晴見が呼び止める。
「あ、あの・・・実際に存在してない人が好きって、苦しくないですか?」
「・・・?はぁ。まぁそうですかね?」
彼の意図が掴めず、戸惑う俺に慌てて晴見は訂正を加える。
「す、すみません趣味をバカにしてるとか、変な意味じゃなくて。
・・・不可能に近い恋をし続ける気持ちって、どんな感じなのかな・・・って。」
少し前にいた朱莉が立ち止まった俺に気付いて振り返る。
感情を察知したのか、杏花さんも心配そうに数メートル先からこっちを見た。
オレンジ色の夕陽に照らされた朱莉の髪は、いつもの黒からチョコレートのような色に染まって見える。
触れてもいないのに甘い匂いが漂ってくるような気がして、急に胸の奥が狭くなっていく。
「・・・悪くないですよ。誰よりも愛してますから!」
「なんか・・・カッコイイですね!」
今日一番の自信を込めて答えた俺を見て、晴見は優しく微笑んだ。
フォローない




