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リコール ~ re:call ~  作者: 鈴花 夢路
第十章 平穏
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それぞれの矢印

ほんわか編

 いつも自分の不運さの愚痴を肴に深酒をしている人は、大抵はずっとそのまま歳を取っていくのだろう。

しかし、自分でも予想だにしていない場所からのバタフライエフェクトが、時として想像を超える未来をもたらす事もあるらしい。

俺の場合はあの日、朱莉の呼ぶ声に気付いた時・・・もっと遡れば、適当に目を瞑っていれば良かった万引き犯を取り押さえて、樫井さんと仲良くなった時が変化の始まりだったのかも知れない。


「ランチタイムなのに貸し切りにしていいなんて、本当にいいお店だよねぇ♪

楽しみー!コロッケでしょ、唐揚げでしょ、ポテトでしょー・・・」

朱莉は台所で顔を洗い終わった俺が振り向くと、鏡越しに笑顔で語り掛ける。

彼女は朝起きてからずっと、洗面所を占領して必要のない身支度を熱心にしながら、暗記しているメニューを呪文の様に唱えていた。


「朱莉・・・全部揚げ物じゃん。野菜食べようよ・・・。

それにさ、いつものメンバーだけじゃないんだからね?

全然うちらの事情知らない刑事さんも来るし、『てっちゃん』の料理人さんもいるホールでやるらしいから、ポルターガイストは禁止だよ・・・。」

俺は慌てて念を押す様に返事をしたが、朱莉は洋服をチェンジ出来ないかと目を閉じて、必死にイメージを膨らませる瞑想に突入していた。



――― 8月9日 月曜日 爽やかな風が吹き抜ける真夏の午後



 香苗の仕事復帰祝いと未解決事件の犯人逮捕の打ち上げを兼ねて、香苗のバイト先が昼から店を貸し切りにしてくれた。

連絡が来た日から当日の今日まで、彼女はずっとテンションが高い。

この話題のたびに、俺は他の人に生霊の存在がバレない様に忠告して来たのだが、

大事件解決の一翼を担ったと自負している朱莉は、杏花さんにパーティーに誘われたのが嬉しくて仕方がない様子だ。


「・・・じゃあ、また隠れて口に入れてくれる?」

「・・・。」

着替えが成功した朱莉はふわりと目の前に飛んでくると、俺のTシャツの裾を握って上目遣いで尋ねてきた。

薄いグリーンの半袖ブラウスに白いレースのスカートが夏らしい可憐さで、彼女の白い肌と長い黒髪にも良く映えている。

昨日、パソコンで杏花さんに教えてもらったという雑誌や、服のショップを検索しまくっていた理由がたった今分かった。


「ねぇ、この服どうかな?」

「良いと思うよ。」

またこれだ・・・。と俺は心の中に湧くモヤモヤとした感情を必死に処理する。


 杏花さんは、樫井さんと付き合う事になったらしい。

二人から直接報告を受けたわけではないし、これは俺の勝手な推測だが・・・。

実は先月の事件の後で、俺は樫井さんを目撃している。

御影の猫缶を24時間営業の薬局でじっくり選んでいた時、慌てて入って来た樫井さんを見かけた。声を掛けようと近寄ったが、酷く不機嫌な様子で避妊具コーナーに突っ立っていた為、俺はこっそり猫缶を買って退散したのだ。

その日以来、樫井さんは事件の後処理で大忙しになり、深夜のコンビニにすら来ていないので話は聞けていない。

香苗が退院して杏花さんの家に戻ってから、朱莉は何度も遊びに行ってるのだが、女子の集まりで話した内容は俺には決して言わなかった。


 何かが、確実に変わりつつある。

樫井さん達が知り合ったのは、俺と朱莉が出会ったよりも後の事だ。

そんな二人は、俺が抱えている悩みや不安を遥かに凌ぐ辛い過去を乗り越え、幸せになろうとしている。

人生で初めて得た大切な友人の幸せを前に、嬉しい気持ちになったのは確かだ。

しかし、ふと頭をよぎってから消えてくれないこの焦燥感の理由を、何も理解できなかった頃に今は戻りたいとさえ思う。


・・・これは嫉妬だ。

樫井さんに彼女が出来た事に対してではない。

いつの間にか『相手が生霊だから普通に付き合えなくても仕方ない』と最低な理由を作って、朱莉に本当の気持ちを伝えもせず逃げていた事実に気付いてしまった。

卑怯なだけの自分と、最後まで愛することを諦めなかった樫井さん・・・その違いにただひたすら嫉妬しているのだ。


 あんなに辛くて苦しい状況の中でそれぞれの恐怖に打ち勝ち、本当の気持ちを伝え合い、心を通わせたあの二人のような人間には、いつまでたっても届きそうにないと思ってしまう。

こんな弱い自分では、朱莉の過酷な運命を受け止めきれるはずもない。

それなのに・・・最近は彼女の話すことや行動すべてが愛しく思えて、心を抑えるのが限界に達している。

全てを受け入れる覚悟も出来ていないのに、あっさり欲望に負けそうになる自分の弱さが本当に嫌いで、とても気持ち悪かった。



 いつもご機嫌な客達で混み合っている店内は、広々として全く違う印象だった。

調理場とカウンターの前にパーティー用の長いテーブルが作られ、他の席はどこかに片付けられている。

「お邪魔しますー・・・。あれ?樫井さんいないのか・・・。」

「こんにちは!いらっしゃいませ!」

扉を開けた俺達に気付くと、元気に板前が挨拶をしてきた。

「誠士ー!久しぶりー!来てくれてありがとね♪」

カウンターの中では若い板前がせっせと料理を作り続け、今まで見た事のない態度の香苗がテキパキと手伝いをしながら、こっちを見て手を振っている。


「あ!松宮さんー・・・(と朱莉ちゃん)、早いですね!まだ誰も来てないですよー!松宮さん、そこ座ってゆっくりしててくださいね!」

入り口で手持ち無沙汰にしている俺に気付いたのか、朱莉がいつも着ているような真っ白いワンピースの裾をふわっとなびかせながら、食器を並べるのを手伝っていた杏花さんが走ってきた。


「杏花さん!可愛いワンピースですね♪」

「・・・ありがと。朱莉ちゃんも可愛い服だねー・・・それ新作のやつだぁ!

・・・ねぇ、反応はどんなかんじ・・・あ、こっちで話そー・・・」

板前の目を気にしてか、小声で朱莉に話しかけながら奥の個室へと入って行く。


「もうお客さん来たし後は俺がやるから、主役さんは座って話してなー。」

若い板前はそう言って、笑顔で香苗の背中を押してカウンターから出す。

背は杏花さんと同じ位だが、筋肉質でさっぱりとした見た目の優しそうな青年だ。

香苗が失踪した日に心配してた店員と同一人物だと、暫く考えて気付く。


「ありがとうございます!・・・誠士、こっち座ろー!」

駆け寄ってきた香苗に促されるまま、俺はテーブルの端に座った。

もうキャバクラのドレス姿でいる必要のなくなった香苗は、爽やかなブルーのシャツに黒いチノパンを着ている。髪もまた短く切り揃えたようで、スポーツの得意な女子高生のような見た目になっていた。


「もうすっかり元気そうだねー!傷あと残らなそうで良かった!」

「まだ咳するとアバラ痛いけどね!・・・誠士は元気ないね。

ふふっ・・・青年、悩みならお姉さんが聞くよぉー?高いけど。」

お茶を二人分持って隣に座った香苗は、椅子をずらして俺に近寄るといたずらっぽく笑う。

カウンター内の板前が様子を覗っていた様で、こちらへの視線を感じて顔をあげた俺と目が合うと、慌てて仕事に戻った。


「年齢は一緒だろ。・・・経験値が違うのは認めるけどさ。

なぁ、やっぱり樫井さんと杏花さんて・・・」

「えっ?付き合ってるけど・・・?私が病院で試合後のボクサー状態で泣いてたってのにさぁーその日が記念日とか、どんだけーって話だよね!

・・・でも、誠士が本当に気になってるのはそこじゃないよね?

あんた頭良いから、こうなる事くらい前から分かってたでしょーし。」

香苗は全てを見透かした目で奥の個室と俺の顔を交互に見て、不敵な笑みを湛えている。

「・・・。」

「私も大概、運悪い人付き合いしか出来なかったからね・・・恋愛について語れる訳でもないんだけどさ。真面目過ぎるあんたの事だから、あの完璧カップルに絶対勝てるところないわーとか、こんなんじゃお姫様を守れない・・・。

なーんて、しょーもない事考えて夜も眠れないってとこでしょ。」


「しょーもないって・・・。」

完全に悩みを言い当てられてしまい、何も言葉が出てこない。

「あの子感情ダダ漏れだしね・・・好きですビーム感じてるんでしょ?

もしかして・・・生霊って特殊な環境や体質のせいで、あんたに依存するしかないからあの子が好意を示してるだけだよなーとか、まだ本気で思ってんのー?」


「いや、さすがにそれはもうないけど。あれ?なんでそう考えてた事知ってるの?

無事に生還者リターナーになれて、いっつもモテモテな香苗には分からないだろうけど・・・そうだな、結局俺が怖がってるだけなんだよ。

ある日突然、目が覚めたら彼女が本体に戻れてて、目の前から居なくなってたら・・・とか。もっと最悪な想定とかばっかり頭に浮かんで、幸せにしてあげられる自信がない。なんだかんだ悩んでるフリしたって、きっと俺はこの平穏で楽しい現状に甘えて逃げてるんだ・・・そんな覚悟で好きとか言えないだろ!?」

核心を突かれた悔しさで、最後は少し声を荒げてしまった。

「・・・。」

「・・・ご、ごめんなさい。八つ当たりです。聞いてくれてありがとね!」

心配そうに板前がこっちを見たのと、個室の引き戸が少し開いて杏花さんがチラッと覗いたので、俺は慌てて話題を終わらせようとする。


「・・・いいなぁ。怖いくらい、本気で人を好きになれて。

私もいつかそんな風に思って貰えたら、迷わずその人を信じてみたい。

例えその先に終わりがあるのだとしても、構わないって思う。」

そう呟いた香苗は、悲しそうな瞳にうっすら涙を浮かべていた。


 またやってしまった。自分を心配してくれた友達を傷つけるなんて、最低だ。

片思いをしていた香苗がどんな気持ちで二人を祝福したのか、少し考えれば分かった事なのに・・・。

大切な人が消えてしまう恐怖を誰よりも味わって来たのは、香苗なんだ。


「か、香苗の事を・・・本気で大切に想ってる人は、絶対にいる!」

気付いたら俺は、お茶の湯呑ゆのみを包んでいた彼女の手を取り、両手で握りしめてそう言っていた。

ガタッ・・・と何かが落ちる音がして周りを見渡す。

唖然とした顔の板前が、寿司下駄を落としたままこっちを睨んだようだ。

もう一つの視線を感じて後ろを振り返ると、半分開いた個室の引き戸に手を掛けたまま、ホラー映画の幽霊の様な表情の朱莉が覗いていた。

思考停止してしまった俺はそのままの体勢で固まっていたらしい。

ガラガラと入り口の扉が開いた音と、樫井さんの挨拶が遠く聞こえた。


「ま・・・松宮君・・・?香苗どうしたの・・・」

そう呼ばれて、ようやく顔を向ける事が出来た。

そこには状況を整理できずに混乱中の樫井さんと、もう一人の若い刑事が立ち尽くしている。

お洒落なオフホワイトのスーツ姿で俳優の様な見た目の若い刑事は、手を掴まれて涙目の香苗と何も言わず固まったままの俺を見比べて、不機嫌に口元を歪めた。


 慌てて手を離そうとする俺の顔を見た香苗は、そのままの姿勢で席から立つ。

「ふぅー・・・ありがと誠士。立ち上がるの手伝ってくれて!

樫井ー!久しぶりだねー!・・・晴見さんもお忙しいのに来れたんですね!

またお会いできて嬉しいですー!」


「お・・・おう!大丈夫か?・・・ごめんなー見舞いにも行けなくて。」

「香苗さん、まだ椅子に座るの辛いですか?あまり無理しない方が良いですよ?

僕もあの後は色々あったんですけど、今日は超特急で仕事終わらせて来ました!」

まだ少し気まずそうに苦笑いする樫井さんの横で、名指しで歓迎されたことが嬉しくて仕方なさそうな晴見刑事は、照れ笑いしながらスーツを整えていた。


「こんにちは・・・樫井さんお久しぶりです。は、晴見さん初めまして。

いつも樫井さん達にお世話になっている、松宮です。宜しくお願いします。」

呆然としながら席を立った俺は、刑事二人に出来るだけ丁寧な挨拶を心掛けた。

「あぁーあなたが松宮さん?大学生みたいですね。よろしくお願いしまーす。」

晴見はチラッと俺の顔を見ると、全く興味なさそうに軽く頭を下げる。

俺は一刻も早くこの場から帰りたい気持ちを必死で抑え、小上がりの個室へ向かおうと視線を移した。


 朱莉はギロチンの処刑台に寝かされた囚人の様に、ふすまの枠をすり抜けかけて首だけ出た格好で項垂れている。

香苗の話し方の様な上手い切り返しや、相手を信じさせるテクニックが欲しいとこれほど思った事はない。

杏花さんに引っ張られてズブズブと個室内に戻っていく朱莉を見て、どうしようかと狼狽える俺の背を、香苗が他の人たちに見えない様にきつくつねったようだ。

『うひゃぁ!?』と言いながら一人で個室に駆け出した俺を見る皆の視線は、このままずっと想像しないでおく事にした。

正妻のホラー感

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