リンゴに気を付けろ
キャバクラ編!
6月中旬に香苗が失踪してからは、いつものメンバーで集まる事はほぼ無かった。
杏花さんには何度か『無事だから探すな』とのメッセージが届いており、命の危機はない様なのだが電話には出ず、どこに寝泊まりしているのかも教えてくれない。
杏花さんの活気は失われ、以前のようにどこか壁を感じる他人行儀な態度に戻っていた。
それでも朱莉は俺がバイトに行っている間、度々お昼ご飯を御馳走になりに家に行っていたようだし、
その朱莉の話によると・・・殆ど休暇を取らず鬼のように仕事をしている樫井さんがソファーで仮眠を取る為だけに来ていたり、たまにドライブや買い物に誘ったりもしていたらしい。
御影やアメとウカも、散歩がてらに何度も街を捜索していたそうだが、一向に香苗の消息だけは分からないまま、それぞれ形だけの平和な日々を過ごしていた。
――― 7月17日 土曜日 真夏日の気温を引きずった熱帯夜
「ねー松宮君ー。なんで最近、香苗ちゃん来てくれないの?さみしーよー。」
エアコンの無いバックヤードはひどく蒸し暑く、カップラーメンですら腐るんじゃないかな?と思うほどなので、休憩好きな鈴木さんも今日はレジで涼んでいる。
「この前も言いましたけど、急に居なくなっちゃって今探してる所なんです。」
俺は押し付けられた揚げ物係をこなしながら、何度目か分からない説明をした。
来客を知らせるメロディーが流れ、鈴木さんがやる気のない挨拶をする。
「あれ?え・・・でも、松宮君!香苗ちゃんの運転手来たよ!?」
鈴木さんに脇腹をツンツンと突かれたので、出来た唐揚げをバットに入れていた俺は慌てて挨拶をしながら振り向いた。
「樫井さん!お久しぶりです。今日は非番ですか?」
「松宮君、お疲れさん!俺さーずっと休んでなかったから、明日から2連休なんだよね!
うわ・・・肉旨そうだな。夜中だけど食おうかな・・・あ、後で買うよ。
・・・って、そんな話しに来たんじゃなかった!」
仕事終わりでだいぶ疲れ気味の樫井さんは、少し情緒不安定だった。
「すみません!ちょっと話あるから、松宮君借りて良いかな?」
樫井さんは鈴木さんのだいぶ頭上から彼を見下ろしてそう尋ねる。
その迫力に圧倒されたように、鈴木さんはコクコクと頷いた。
店奥の冷凍商品コーナー前で、樫井さんは何を話すかしばらく考えて口を開く。
「松宮君・・・あの店員さんと相談してからでいいんだけど、明日のバイト休んで俺に付き合って欲しいんだ。ちょっと夜に行きたい場所があるから。」
「香苗や杏花さんの関係ですか?・・・分かりました。お願いしてみます。」
樫井さんが真剣な表情で語るのを見て、俺は差し迫る危機を感じてそう答えた。
「そう・・・新宿のキャバクラに行かないといけないんだ。」
「・・・ちょっと何言ってるか分からないです。」
「えっ・・・ダメかな?・・・あっ!違う違う!遊びじゃないよ!」
冷たい視線にやっと気づいたらしい樫井さんは、慌てて手を横に振る。
「この前な、スカウトマン同士の傷害事件を調べに行ったついでに聞いてみたんだ。
この1ヶ月で、香苗に似た特徴の子が新しく水商売始めてないか?って。
そしたら、写真見たそいつが『見た目は全然違うけど、良く目元が似てる女が最近新宿で働き始めたばかりなのに荒稼ぎしてるって噂に聞いて、自分もスカウトしに行った。』って言ったんだ。
結局、場所が渋谷だって言った瞬間に断られたらしいんだが・・・その、・・・かなりの胸の大きさで、強く印象に残ってたらしい。」
樫井さんは胸の描写辺りで、恥ずかしそうに後ろの棚の商品を弄りながら話す。
「・・・。香苗っぽいですね。でも見た目が違うというのは、一体・・・?」
俺は特徴的な黒髪のショートカットをした香苗を思い浮かべて尋ねた。
「かなり痩せていて、色白で長い茶髪の巻き髪をしていたらしい。
なぜか胸は小さく見えるように補正下着で隠していたのが印象的だったそうだ。」
「・・・そ、それってまるで・・・。」
俺は早まる心拍を必死に落ち着かせながら、樫井さんの言葉を反芻していた。
「そう。香苗は、杏花さんの囮になって夜の街で【パペットマスター】を探しているんだ・・・誰にも頼らず、たった一人で。」
樫井さんは悔しさを噛みしめる様に俯く。
「絶対に、探し出して連れて帰りましょう!」
俺がそう断言すると、樫井さんはホッとしたように溜息をついて笑顔になる。
そして急に食欲が出て鳴ったお腹を押さえながら『唐揚げ下さい』と言った。
鈴木さんを転がすのは簡単だった。
『香苗が見つかるかも知れないから探したい』と言ったら、喜んでワンオペを引き受けてくれたのだ。
問題は朱莉だ。最近は妙に感が鋭くなり正直な話・・・色々な処理に工夫を凝らす必要があって大変だった。
彼女の好きそうな『スペシャルメロンクリームパフェ』を買って朝帰宅すると、『何かいいことあったの?』と笑顔で容赦なく聞いてくる。
「別に・・・。新作だって宣伝してるやつだからさ。あのさ、今日の夜はちょっと早くバイト行くから、ご飯1人で食べるか杏花さんの家に行ってもらえるかな?」
「うん、分かったぁー!そうするね!・・・バイト前に誰かとご飯食べるの?」
緊張で背中に汗が伝うのを感じる。
「いや、樫井さんがちょっと捜査の話聞いて欲しいって言うから・・・ほら、結構グロかったりするから朱莉は嫌だと思うし。」
「捜査情報は一般人には話しちゃいけないってドラマでやってたけど・・・そっかぁー・・・あれだね!怒られるのは覚悟で誠士くんの意見に頼るしかない程、
煮詰まってるんだね!それは絶対・・・名探偵が助けてあげなきゃね!」
変なドラマ見ててくれて助かった・・・。そう思うのと同時に、純粋な笑顔を見せられて心苦しい気持ちで一杯になる。
そのあとはゆっくり寝たり、身支度をしたりしながらも、朱莉の好きな『世界の不思議な生物』なる動画を一緒に見たりして時間を潰した。
それは単に嘘をついた罪滅ぼしではなく、これから香苗の説得に向かうという重大なプレッシャーも、
こうして朱莉と過ごすことで和らぐ気がしたからだ。
蛇の大群を見て驚き、俺に飛びついた彼女は柔らかくて温かく、良い匂いがする。
試験勉強の前なのに部屋を片付けたくなる衝動と同じような感情なのだろうか?
もっと事件について考えるべきなのに、頭の中は隣の朱莉への妄想で一杯だった。
――― 7月18日 日曜日 時刻 19:30 新宿歌舞伎町
あまりの暑さに下水道の水が腐ったのか、大都会の繁華街は酷い悪臭を放つ。
「樫井さん・・・朱莉としたいです。ダメですかね?」
しつこく追ってナンパする大学生を、キャーキャー言いながらも巧みにかわす女子高生の群れを横目に見ながら俺は呟いた。
「そんなバスケしたいノリで言うなよ・・・。別にいいと思うよ。
向こうも好意がなければ、家からいつでも出ていける状態なんだし。
・・・正確には何歳か分かんないし、無理に頼むのはダメだけどさ。」
樫井さんはスカウトマンに何度か逃げられそうになって聞き込みを続け、疲れた様子でビルの壁にもたれ掛かりながらそう答える。
「すみません。こんな時に何言ってんだって話ですよね。
・・・あの、出勤前の女の子に聞いたら分かるかも知れなくないですか?
それか、飲み屋街の近くの夜中までやってる弁当屋とか。」
「・・・いや、松宮君の気持ちは凄く分かるよ。はぁ・・・・。
あぁーそっか、それは名案だな!・・・ちょっとあの子に声かけてみるか!」
樫井さんはそう言って、コンビニから出てきて真っ直ぐ近くのキャバクラしか入ってないビルに向かう女性に駆け寄り、声を掛けた。
普通のワンピースを着ているが、ピンヒールやバッグには相当な金を使っており、どう見てもOLには見えない金髪の女性は、樫井さんが好みのタイプだったらしく笑顔で受け答えしている。
「松宮君さすがだねー!香苗、この前まであのビルに居たって!」
走って戻ってきた樫井さんは、ポケットに写真をしまって興奮気味にそう話した。
「この前まで・・・?」
「香苗は1週間くらいで荒稼ぎして、すぐ他の店に引き抜かれていくらしい。
どこの店でもリンゴって名乗ってて、そいつが来たら自分らの売上が下がるから気を付けろって女の子の間ではSNSで叩かれてるみたいだな。
・・・きっとこのやり方もネットで騒がれて犯人をおびき寄せるためだ。
今は裏通りの『Lilly』って店にいるらしい。もうすぐ開店だな・・・。」
樫井さんはそう言って高そうな腕時計を確認した。
「・・・今更なんですけど、今日大学生っぽい服で来てって樫井さんに言われたから、俺こんな格好ですけど・・・店入れるんですかね?樫井さんいつものスーツで来ると思ってたら、凄いお洒落な服だし一緒に居るの気後れするんですけど。」
俺はベンチャー企業の社長の様な格好をしている樫井さんを見て呟く。
真っ白い生地のチノパンにネイビーのサマージャケットがとても爽やかで、革靴やベルトは普通の感覚では買わない様な明るい色だった。
「ん?あーこれね、『潜入時のTPOに合わせる服の講習会』で勉強した通りに百貨店の人と相談して選んでもらったの!・・・高かったから一張羅なんだー。
松宮君は良い感じに大学生になってるね!頭の良さがダイレクトに出てるよー!」
樫井さんにそう言われて、自分のボーダーTシャツに薄いカーディガンといった格好をもう一度確認した俺は、値段の違いに溜息をついた。
「・・・今日はどういった関係の設定なんですか?」
「新しく会社を作ろうとしてる起業家と、そいつが勧誘して接待中の大学生!」
「・・・了解です。」
店の前に立っていたフロントに案内されるまま煌びやかな装飾の階段を降り、
重そうな扉をくぐって店内に入る。開店直後の店内は数名の客がもう席に座っていて、
不景気なのにだいぶ繁盛している様子が窺えた。
料金の説明は良く分からなかったが、60分で8千円がどうとか言っていた。
樫井さんが納得している所を見ると、違法なぼったくり店ではなさそうだ。
「キャストの御指名はございますか?」
湾曲した革張りのソファ席の前にひざまずいて尋ねる黒服に、樫井さんは『リンゴさんをお願いします』と答える。
「かしこまりました。」
黒服が店の奥に行った後も、どうしたらいいのか分からず緊張で手が震えていた。
ジャズの様な音楽が流れていて薄暗いので居心地は確かに良いのだが、大きな声で女の子に絡むおじさんのつまらない話が気になって仕方ない。
「写真なかったですけど、本当にリンゴさんが香苗なんでしょうか?」
気を紛らわそうと樫井さんに話しかけているうちに、さっきの黒服が戻って来た。
「ご紹介します。先日入店したばかりのリンゴさんです。」
「御指名ありがとうございます。リンゴです。」
緊張しながら樫井さんの方から後ろを振り向くと、そこには肩も胸もあまり出していない、
ピンクのドレープドレスを着た香苗が立っていた。
彼女はフワフワの長いブラウンの巻き髪をなびかせて、黒服に何かを耳打ちする。
「久しぶり!あーあ。犯人より先にあんたらに見つかったかぁー・・・。」
俺の膝に自分の太腿をくっつける位に近くに座ったリンゴさん・・・もとい香苗は、少し残念そうに微笑んでそう言った。
「・・・それで?そうやって杏花さんに成り代わって、何か情報は掴めたのか?」
樫井さんはかなり怒っている様子で、言葉少なに香苗を問い詰める。
「香苗・・・こんな事してたら危ないよ!一回顔バレてるんだよ?
早くみんなの所に戻ろう。杏花さんたちには上手く誤魔化しておくから。」
俺が目を見て必死に説得を試みると、香苗はさっと視線をグラスに移して水割りらしき酒を作り始めた。
「ふーん。考えたねー樫井。アンタがお叱り役で、王子にホスト役やらすのね。
でもね、女の城に来たんだからマナーは守りなよ。女の本音を聞きたいならさ、
①男が自分から語る。②高い酒で酔わす。・・・この2択しかないのよー?」
香苗は自分の組んだ足に頬杖をついて、斜め向かいの樫井さんを舐める様に見る。
暫くの沈黙の後で樫井さんは溜息をつくと、柔らかい表情に変わって口を開いた。
「・・・やっぱり先輩のようには上手くいかねーか。お手上げだよ香苗ーー!
元気そうで、本当に安心した。 よ、よーし再会祝いだ・・・好きなの頼め!」
樫井さんは完全降伏の姿勢を示し、香苗に微笑みかける。
彼女は勝ち誇ったようにニヤリと口角を上げ、手を挙げて黒服を呼んだ。
「えっとぉー・・・白かなー、ピンクいっちゃうかなぁー?」
「うわぁーーー!・・・す、すみません。モエシャンでお願いします。」
香苗がメニューを見て呟くのを全力で阻止した樫井さんは、そう黒服に伝えた。
ソファにぐったりと寄りかかる樫井さんを、俺は何が起きたのか分からずに呆然としながら見つめる。
クスクスと笑う香苗は『ほーんとに樫井はおバカで誠士は可愛いーね!』と言うと、ハンカチで少し涙の滲んだ目頭を押さえた。
「・・・帰る場所、まだあるかなぁ?」
「明日、迎えに行くから今日で辞めといて。住所、今この場でメールして。
二度目のおかえりだなー香苗!家主も毎日お前の部屋掃除して待ってるぞー!」
樫井さんは、今にも泣きだしそうな彼女の膝をポンポンと軽く叩いた。
そして、黒服に良く分からない名前のお酒を説明されて困り果てている俺の代わりに、
笑顔で対応してくれる。
「よーし!シャンパン来たからには、存分に話させて貰うからなー!」
「えー・・・こういう客一番めんどくさいー。」
そう言って愚痴をこぼす彼女は、心からの笑顔を見せてくれた。
シャンパンよりビール派です。




