名探偵?
青ノリは、何処についても恥ずかしい。
射るような視線、というのは慣用句とか比喩の表現でしかないと思っていた。
人数が多くなったリビングの様々な生活音で、たった今目を覚ました俺は、鷹の様に鋭く光る大きなタレ目に捉えられており、兎だったら絶体絶命といった状況だ。
「おはよう・・・誠士くん。洗濯物、乾いてたから畳んであるよ!
・・・風邪ひいちゃうから、早く着替えた方がいいかも。」
ソファーの前に座っている朱莉は、意外にも大人しくそう呟いた。
しかし、小さな両手はしっかりと毛布を掴んでいて、色々な疑問を無理に飲み込んで堪えているのが良く分かる。
「お、おはよう・・・今は、16時か。朱莉はお昼ちゃんと食べた?」
なるべく自然な言葉を選んで、顔の横に置いておいた携帯で時間を確認する。
「杏花さんに焼きそば作ってもらったの!今は香苗さんも食べてるよー!」
「・・・本当だ。襟元に青海苔ついてる。」
美味しさを思い出したかのように笑顔を見せた朱莉の、鎖骨の辺りについた海苔を俺は指で払った。
うわずった声で彼女が真っ赤になってジタバタするので、こっちも気まずい。
取り敢えずソファーから降りてバスルームへ向かうことにする。
「よぉー色男!おはよー♪結構エロい身体してんねー・・・ゴリゴリな樫井とはまた違った意味で良い感じ!細マッチョの腹見たいー!バスローブはがしたーい!」
食卓で遅めの昼食を摂っていた香苗は、俺が通り過ぎるのを呼び止めて茶化す。
「・・・何言ってんだよ。香苗も頬に海苔付いてるよ。」
香苗のおふざけにも慣れてきた俺は適当に受け流した後で、キッチンの杏花さんに御礼を伝えてから脱衣所へ入る。
「私のは取ってくれないのー王子さまー!」
「香苗さん・・・物凄ーーい、残念な咬ませ犬感です・・・。
あ!もうこんな時間!?ほらほらー早く食べてバイト行かないと遅刻ですよー!」
扉を隔ててからも騒いで俺を呼ぶ香苗を、杏花さんがたしなめて急がせていた。
ふかふかに乾いた着替えは不器用な朱莉が頑張って畳んだらしく、崩れている。
薄いシャツの上には、杏花さんが来客用の歯ブラシセットを用意してくれていた。
手早く身支度を済ませ、ダイニングへ戻る。
香苗は自分の食器をキッチンで洗っていて、テーブルには朱莉と杏花さんが並んで座っていた。
「杏花さん、色々ありがとうございました!朱莉も洗濯物ありがとね。」
「いえいえ、松宮さんもそっちに座って紅茶どうぞー!」
杏花さんに言われるまま、俺は朱莉の対面の席に座って紅茶を受け取る。
朱莉はチラッとこっちを見て微笑んだが、すぐに視線をカップに戻した。
「ほら!これが描いた似顔絵だよ!」
洗面所で歯磨きを済ませたらしい香苗は、良い香りを纏わせている。
彼女は2枚の画用紙を持ってきてテーブルに並べた。
どちらもデフォルメされた良くある似顔絵というよりは、写真をそのまま絵画にしたような、
いわゆるスーパーリアリズムと言われている画風だ。
色鉛筆で描いたとは思えない出来に、一瞬息をするのを忘れて見入ってしまう。
「これが、黒い服の少年。コッチが踏切の少女。年は違うけど・・・二重と長いまつげは優性遺伝だよ。襟足のくせ毛の位置も似てるねー。」
香苗は俺の席の横に前屈みになり、似顔絵を指で叩きながら俺の顔を覗きこむ。
白いブラウスのボタンを2つも開けていて、大きな胸が見えてしまいそうだった。
「た、確かに似てるね・・・ねぇ香苗、また鈴木さんみたいな人にセクハラされちゃうから、
あんまりそういう服着ない方が良いんじゃ・・・」
俺がそう言って前に目を逸らすと、なぜか酷く不機嫌な顔の朱莉と目が合った。
「誠士くん、それは問題発言だよ・・・痴漢されるのを女の子の服のせいにして良いのかな?
香苗さんはマジメに絵を見せただけなのに、勝手に変なとこ見た誠士くんが悪いと思うよ!」
『・・・。』
弁明の余地もなく、慌てて杏花さんの方を見たが『あ!お茶が冷めたから温めないと!』と彼女はキッチンへ行ってしまう。
香苗は朱莉に顔を見せない様に後ろを向いて、こっそりニヤニヤと笑っていた。
「ありがとー朱莉たん・・・私ってよく誤解されちゃうんだよねー。
誠士もきっと心配してくれただけだから、そんなに責めないであげてねー!
じゃー私はバイト行ってくるね♪あとは名探偵たちに任せるわー!」
そう言い残した香苗が颯爽と出かけた後も、朱莉は口を尖らせている。
「あの・・・朱莉さん?」
「というのは一般的な女子の意見で・・・。あんまり香苗さんのおっぱい見て欲しくなかっただけー!」
朱莉は小さな声でそう言うと、ソファで丸くなっている御影の元へフワリと飛んで行ってしまった。
御影は朱莉の膝に乗りながら俺の顔を見たが、大あくびをしてまた瞼を閉じる。
「これ、温めたお茶です・・・あの、パソコンも持ってきたんで・・・手がかり探し始めましょう!」
「あーー俺・・・今、意外とやる気あります。」
「今のは凄い破壊力でした。私も見習いたい・・・可愛さが止まりませんね!」
杏花さんはチラッと時計を見ながら、パソコンを食卓にセッティングしていく。
「そういえばアメとウカはどこに?」
「香苗さんが夜遅いの心配なんで、石に入ってもらって一緒に通勤させてます。
・・・あ、私も一緒に調べたいんですけど、ご飯の準備があるのでお願いして良いですか?」
「・・・そっか。突然脅かされて、普通の日常が送れなくなるなんてやっぱりおかしいよな。
早く解決しよう!杏花さんの事、凄く心配してる人の為にもね。」
俺がそう言って彼女に笑顔を向けると、杏花さんは『え?何を急にそんな・・・』と顔を真っ赤にしてキッチンへ向かった。
杏花さんが忙しく夕食の準備を始めたのと同時に、玄関のインターホンが鳴る。
酷く眠そうな樫井さんを家主の代わりに招き入れた時、彼は急に怪訝な顔をして俺の顔をじっと見た。
「みんなで夕食済ませたら、俺はまたバイト行きます。今日も朱莉は泊まらせてもらえるみたいですけど。」
「そ、そうか。こういう時はなるべく普段通りに過ごすのが一番だしな。うん。」
樫井さんには珍しく薄い反応だった。彼はスーツのジャケットを脱ぎながらリビングへ向かうと、
すぐに杏花さんの顔色をチェックしにキッチンへ入る。
「杏花さん・・・昨日は大丈夫だった?」
「樫井さん!凄くお疲れですね・・・あなたこそ大丈夫ですか?」
杏花さんはすぐに駆け寄ってジャケットを受け取ると、ハンガーへ掛けに廊下のクローゼットへ向かう。
「あ、ありがとう。・・・このパソコンと絵、どうしたの?」
樫井さんは定位置の席に座ると、目の前の現状を尋ねた。
「香苗さんが原紙の方を見せてくれたので、私たちでも探せないかなって思って、松宮さんに色々調べるの手伝ってもらおうとしてたんですー!」
急いで帰って来た杏花さんは、カウンターキッチンの奥から樫井さんに答える。
樫井さんは少し暗い顔をしたが、すぐに『そっかー!ごめんねー俺の力不足で。
こっちは昨日の事故の被害者の名前がやっと分かったとこだよー!』と俺に笑いかけてきた。
差し出がましい事をして申し訳ない気持ちになりつつ、俺も彼の隣に座る。
「踏切の子の証言通り、この二人は顔の特徴がよく似てるので・・・兄妹で間違いなさそうだと香苗がさっき教えてくれました。」
「そうなんだ・・・。俺はこの近所の中高生の事件記録や補導歴を調べてみたけど、この少年の顔と一致する人物は出てこなかったよ。」
樫井さんは目を擦りながら少年の方の絵を持って、じっと見つめている。
「少年はひきこもりだって自分で言ってました。表立った悪事をした訳じゃないんでしょうね・・・。コッチの少女から探してみるのはどうでしょうか?」
俺はそう提案しながらパソコンに【宮坂 踏切事故 子供】と入力して検索した。
関係ない情報にだいぶ埋まっていたが、3ページ目まで探した時『冬休み直前の惨事。8歳少女が踏切で事故死』という見出しを見つける。
『樫井さん!出ました!』俺がそう伝えると、驚いた表情の彼も見出しのネットニュースの転載記事を一緒に覗き込んだ。
その内容は様々な憶測が入り混じったもので、写真すらなかった。
しかし少女が先天性の失語症だったこと、真冬の出来事だった事実、ランドセルを背負った下校途中の事故だったという事が書かれており、あの踏切にいた少女の記事だという事に疑う余地はなくなった。
「事故があったのは確かですけど・・・少年との接点がこれじゃ分かりません。」
そう呟いて俺が悩んでいると、不穏な空気を察した朱莉がフワフワとソファから飛んできて同じ画面を覗き込んだ。
「松宮君、この下の怪しい噂ってなにかな?ちょっと押してみて!?」
樫井さんの指示通り、俺は関連記事のリンクをクリックする。
『事故死の少女、自殺の可能性!親がハマった怪しい宗教団体の罠。虐待に耐えかねたか?』
『摂食障害、ひきこもり、失語症・・・何でも治せると断言し、多額の寄付を要求する善命会の手口と被害者の証言!』
「これは・・・。」
衝撃的な展開についていけない俺の脳が思考停止しそうになった。
リンク先の【善命会】ホームページに辿り着くと、そこには沢山の子供たちが和室で正座して、
変な衣装を纏った宗教家の説法を聞いている場面の写真が大きく使われている。
その中の前列の端に座っていたのは、あの踏切の少女に間違いなかった。
「・・・松宮君、幽霊の方もアタリかな?この子似てるね。」
「はい。あの子に間違いないですね!・・・?え、幽霊の方って?」
樫井さんはすぐには答えず、携帯の画面を色々チェックしてから語りだす。
「昨日、事故で死んだ被害者・・・川島聖道は、この男だ。」
両手を広げて子供たちに語りかける、画面の中の宗教家を指して彼は呟く。
俺が息を飲むのと同時に、朱莉の小さな悲鳴が耳元で聞こえた。
只事ではない雰囲気に、杏花さんも夕飯作りの手を止めてテーブルに近づく。
「・・・それって、同じ場所で接点のある人物が半年で2人死んだって事ですか?」
樫井さんは俺の問いに黙って頷くと、急いで帰る準備を始めた。
「・・・松宮君のおかげで凄い新事実が分かったよ。本当に君は名探偵だねー!
俺はまた署に戻って色々頑張るよ!杏花さん・・・戸締まり気を付けてね。」
「・・・あ、あの!少し休んだ方が・・・。」
嵐の様に去ろうとする彼の後姿を追って、杏花さんが玄関までついていく。
俺も引き留めようと廊下まで行った所で、2人の会話が聞こえてきた。
すぐに部屋へ戻ろうとしたが、自分の名が聞こえて意図せず足が止まってしまう。
「松宮君、朝から来てくれてたんだね。俺なかなか来れないから安心したよ!」
「・・・そうですか。安心・・・。そうですね!私もみんなが良く来てくれて嬉しいです。
お仕事、頑張ってくださいね!」
ドアが閉まる音がしたので慌ててリビングに戻った俺は、ドアの前付近に来ていた朱莉と目が合う。
「盗み聞きしちゃったの?」
「え・・・いやー別に。なんというか。」
朱莉は溜息交じりに腕を組んだが、それ以上は何も話さなかった。
しばらくしてリビングに戻ってきた杏花さんは目が真っ赤だった。
朱莉が心配そうな表情でそっと近付き、優しく背中を撫でる。
「誠士くんと、樫井さんは・・・すっごい頭良くてドラマの名探偵みたいだね。
事件に夢中なのも、頑張って早く解決してくれようとしてるからなんだよね?
でもさ、人の気持ちに関しては迷探偵だね。・・・迷子の方の。」
朱莉がそう呟くと、杏花さんはポロポロ泣き出してしまった。
どうしたものかと立ち尽くす俺の足元を、御影が体当たりして通り過ぎる。
そんな上手い事言われましても、人の気持ちなんて分かる方が怖いのだ。
変に誤解されないようにと、俺から樫井さんに色々言えばよかったのか?
そっちの方が余計に怪しいし・・・繊細な乙女心の理解など不可能に近い。
俺はコンビニの近くにあるネットカフェで時間を潰すことに決め、そそくさと帰り支度を始める。
彼女たちのジト目を見る限り、今夜の女子のみのディナーは想像するのも恐ろしい会になりそうだった。
女は察して欲しがり、男は説明してもらいたがる。




