ヒミツの特技
誰にでも趣味はある
深夜便のトラックが帰った後も、鈴木さんは休憩室から出て来ることはない。
何処かの大企業に10年務めていた事をしつこく俺に自慢する割には、一向にコンビニバイトから転職する気配はなく、マネージャーや店長などを目指す様子も感じられなかった。たしか30代後半だったはずだが、最近は後退し始めた額の前髪を異常に気にしていて機嫌が常に悪いという状況だ。
仕方なく重い食品のカゴを1人で運び、値引きシールの作業もレジの合間に進めていた。
――― 6月13日 日曜日 客足も途絶えた深夜のコンビニ
客が居なくなったのを確認した俺は、溜息をつきながら雑貨コーナーの最下段の整理を始める。
「誠士くん、大丈夫?・・・私も手伝っていいかな?」
中腰がきつくて何度か立ち上がっていると、朱莉がふわりと横に舞い降りてそっと俺の腰を撫でた。
「うわっ!・・・びっくりした。いやぁ・・・ポルターガイストになっちゃうから手伝わなくて良いよ。もう遅いから朱莉は倉庫の椅子で寝てたら?
・・・さっきまでクラクラするって言ってたじゃん。大丈夫?」
急に背中を撫でられて、変な声が出てしまった。
正直、色々な意味で気持ち良かったので続けて欲しい気もしたが、このコーナーには避妊具などもある為、目の前で作業するのは恥ずかしい。
朱莉には速やかに立ち去ってもらいたかった。
「・・・うーん、あの・・・ウトウトしてたら、なんかあの鈴木さん?が休憩しに
来たんだけど・・・その、ちょっと雑誌読んでると思ったら、あの・・・。」
朱莉は混乱した様な顔で俯いてモゴモゴ喋っている。
頬を染める薄紅色は、次第に耳の方まで広がっていく。
(・・・鈴木さん、最低だ。)
「そ、そうだ!なにか甘いものでも食べる?」
俺は急いで雑貨を詰め込み、朱莉の手をひいてスイーツコーナーへ案内する。
手もだいぶ温かくなっていて、嬉しそうな笑顔も血色が良い。
唇に指を当てて、じーっと悩んでいる横顔を見ると心底ホッとする。
突然現れた悪意の塊のような少年、その少年を兄といった少女が亡くなっていて、その同じ場所で少年の予告通りに今日、また人が死んだ事。杏花さんを狙う悪魔のような殺人鬼が近くまで迫っている事実・・・どれを考えても胸の奥が締め付けられて苦しくなり、嫌な予感しかない。
朱莉が元気そうにしてくれる事だけが、今の俺には唯一の救いだった。
来客を知らせるチャイムがなり、外の湿った風が店内に流れ込む。
挨拶をしながらレジの方へ向かった俺は、意外な人物に驚いて立ち止まった。
「・・・お疲れー王子様。さっきぶりーー。朱莉たん元気ー?」
「香苗!どうしたのこんな夜中に!?・・・あ、バイト終わりか。」
少し疲れた様子の香苗は、『終電でココの駅まで来たー!』と言いながらスイーツに夢中の朱莉の方へ歩いていく。
「わぁー!香苗さん!あれ?杏花さんのお家に帰らなくて大丈夫なんですか??」
「大丈夫ー。心配して何度かメールしてたんだけどさ、23時くらいにねー
『ウカが震えて眠れないというので添い寝してきます♪おやすみなさい』ってキモいテンションで
返事来た。見てーースタンプめっちゃゲス顔。」
驚いて目を丸くしている朱莉に、香苗は説明しながら携帯の画面を見せて笑った。
「わぁーー!可愛いスタンプ!うさたんがくまきちを抱っこしてるの!?
『ウへへ!頂きます!』だってー!私もこれ欲しいー!」
意味の分かっていなそうな朱莉は、香苗の携帯の画面に夢中になっていた。
「・・・俺はウカが心配になってきたよ。・・・終電で来たって言うけど、香苗はこれからどうするの?
まだ始発まで4時間くらいあるよ?」
立っているのが辛そうな香苗が心配になり、俺は時計を見ながら尋ねる。
「あー・・・ちょっと座って作業したいんだけど、バックヤード借りちゃだめ?」
「俺は良いんだけど、ちょっと今は・・・おじさんが占拠してるんだよね。」
俺が朱莉をチラッとみてから小声で香苗にそう伝えると、『あぁー・・・じゃあ、
そのおっさんが了承すれば大丈夫そうね。』と香苗は不敵な笑みを浮かべた。
「私、ちょっと交渉してみるね!・・・10分もあれば十分かなー。」
「・・・。」
とんでもないバックヤード内を想像してしまい、俺は慌てて首を振る。
「あ!この店、画用紙と色鉛筆なんてあったりする?」
「・・・学生街だし、こんなので良ければ一通りはあるよ。」
自分の脳内に呆れつつ、香苗を文具コーナーに案内して画用紙を手渡す。
「誠士、これとー・・・あ、コレ買って♪じゃあ、10分後に持ってきてねぇー!」
(・・・え?・・・うそでしょ。)
3時間分の時給が飛びそうな値段の文具を手渡され、俺は呆然としていた。
その様子をじーっと見ていたらしい朱莉は、触れていた『スペシャルいちごプリンパフェ』からそっと手を離す。
俺は無言で彼女に微笑むと、パフェも掴んで自らレジへと運んだ。
念のため朱莉を扉の前で待たせたまま、俺は禁断の花園の扉に手をかける。
ノックをすると意外にも『はーい!』という2人の楽しげな声が返って来た。
「あぁー!松宮君、1人で作業させてごめんね!香苗ちゃんの話がめちゃくちゃ面白くてさー・・・
休憩、替わるよ!あっちで引き継ぎだけしちゃおーか!」
いつもの不機嫌な話し方ではなく、鈴木さんは仕事の出来る上司の様な態度だ。
彼は前髪を額に撫でつけ、パチンと指まで鳴らしてノリノリだった。
香苗はキャスター付きの椅子でクルクルと回り、俺と目が合うと軽く片目を閉じて
微笑んでくる。
二人でレジの中に入り、俺がこれまでに終わらせた作業を報告している間も、『いやー・・・あの子ホントに松宮君と同い年?あのセクシーさは人妻って言われても信じちゃうかもなー!』と鈴木さんは鼻の穴を膨らませて喋り続けていた。
「・・・という事で、あとはレジ番だけなんで・・・俺も少し休憩してきます。」
「どうぞどうぞー!・・・ねぇ、裏であの子となんかイイ事あったら教えてね♪」
鈴木さんの下品な言い方に、俺の隣に立っていた朱莉がビクッと体を震わせる。
「香苗はただの友達ですよ。・・・何か、年上のバリバリ仕事出来る人(貢いでくれる金持ち)がタイプって前言ってましたし。俺なんかより鈴木さんみたいな人が好きなんじゃないかなー。」
イライラしていた俺は、嫌味たっぷりに鈴木さんを担ぎ上げる。
「そ、そうなんだ!?彼女良い趣味してるねー!あ、俺ねーまた証券会社に戻ろっかなーって思ってるんだ!そこんとこ、香苗ちゃんに上手く言っといてね!」
「・・・分かりました。」
バックヤードに戻った俺は、香苗に文房具を渡しながら『鈴木さん、証券マンに戻るそうですー。
香苗さんたっぷり儲けちゃってどうぞー!』と、彼の望み通りに伝える。
俺は話の途中から堪えきれず、積まれた段ボールを叩きながら腹を抱えて笑った。
「・・・誠士、あんた意外と腹黒なのね。杏花といい勝負だわー。アハハッ!」
香苗はそう言いながらも、手を叩いて同じように爆笑している。
「誠士くん・・・?どうしたの?そんなに笑うの初めて見た・・・。」
朱莉は困ったような顔で、俺と香苗を見比べてオドオドしていた。
「誠士も色々溜まってんだよ。お姫様は気にしないで可愛くパフェ食べてなー♪」
『・・・。』
香苗の含みのある言い方に笑えなくなり、俺は黙って朱莉にパフェを手渡す。
「・・・で、香苗はいきなり来てそんな画用紙買って、何しようとしてるの?」
「私ね、絵が結構得意なの。『てっちゃん』のバイト受かるまでは、杏花の占いにくっ付いて歩いて、
隣で似顔絵屋してたんだけどー、これが結構売れてね。
・・・樫井には怒られるから秘密にしてたんだけど、さっき杏花が言ったらしくてさー、バイトおわって携帯見たら鬼の様にメール入ってた。」
香苗はそう言って携帯の画面を見せてきた。
『杏花さん寝てないみたいだけど大丈夫?』
『杏花さん返事ないけど大丈夫かな?』
『あー・・・深夜は俺、外に出る事になった・・・杏花さんの家行けなそう。』
『香苗、絵が上手いって聞いたんだけど、少年の絵描いて警察来れる?』
『あ!でも、もう画材店閉まってるか・・・。』
『松宮君のコンビニ、確か文房具売ってたかも。』
『明け方迎えに行けそうかも!松宮君の所で待っててくれたら家まで送れるよ!』
「なんていうか・・・香苗も大変だね。」
「でしょー。ほとんど杏花の心配と、事件の捜査に必要な似顔絵の要求なの。
・・・私の事なんて誰も心配しないのは分かってるけどさ。」
確かに、香苗が拗ねたくなるのも分かる扱いだった。
でも、男としては樫井さんの視野が狭くなってしまう気持ちも良く分かるので、
香苗になんて声を掛ければ正解なのかを悩んでしまい、言葉に詰まる。
「樫井さんはー、香苗さんの事・・・とっても頼りに出来る、大切な仲間だと思ってるんじゃないかな?・・・人に頼りにされるなんて、本当に素敵です!」
朱莉はイチゴを口一杯に頬張りながら『格好いい女性・・・羨ましい。』と目を輝かせて香苗を褒めた。
「そ・・・そうかな。よ、よーし!凄いそっくりな絵描くから待ってなさいよ!
・・・あ、なんか事故現場にいたっていう女の子の霊の似顔絵も頼まれてるから、
誠士、ちゃーんと思い出して特徴教えなさいよね!今から描くから!」
香苗は急にやる気に満ち溢れた様子で、画用紙の封を開けて色鉛筆のグレーを取り出した。
ごちゃごちゃした倉庫に鼻歌を響かせてペンを走らせ、時々真剣な顔で俺の記憶を
形にしながら、香苗は頑張ってくれている。
・・・朱莉は、天性の香苗キラーなのかも知れない。
というより、朱莉は俺にも時々ビックリする程のボディタッチをしたりするのだ。
思わず見惚れてしまう程の、扇情的な表情で見つめてくる時すらある。
俺も充分、彼女に心を掴まれている人間の一人なのは間違いなかった。
もう一度鈴木さんと休憩を替わり、俺は淡々とホットスナックの仕込みや値引き作業を進めていく。
そして空が白んで来た頃、外の駐車場に見覚えのあるグレーのセダンが到着した。
少し慌てて樫井さんが入ってきたので、俺はレジから『おはようございます!』と手を振って挨拶する。
「松宮君・・・お疲れー!香苗どこかな?」
「絵が書き上がったので、奥でコピーしてますよ!」
疲れた様子の樫井さんを、俺はトイレ近くのコピー機まで案内する。
「えー!凄いーコンビニのってこーやって使うんですね♪鈴木さんありがとう♪」
「いやいやーどういたしまして!・・・それにしても上手だねぇー美大辞めちゃったなんて勿体ないなぁー!この手先が器用なのかなぁー?」
鈴木さんは香苗の手を必要以上に触り、ニタニタしながらコピー機を操作する。
「・・・親が借金苦で学費払えなくなってしまったんです・・・。でも諦めきれなくて、夜働きながらこうやって似顔絵を練習してるの・・・。」
香苗は悲しげに瞳を揺らし、鈴木さんの制服の袖を指でなぞって答えた。
「・・・香苗、それは何の話なのかな?」
樫井さんは呆れ果てた顔で近付きながら彼女に声を掛けた。
「・・・え?誰このでっかい人?もしかして彼氏なの!?」
真剣に香苗の作り話に騙されて同情していた鈴木さんは、思わぬライバルの出現にひどく驚いて後退る。
「やだなー・・・違いますよぉ・・・。この人は、運転手です。」
「な、なーんだー!そういうことかぁ!・・・おにーさん、お宅の店こんなに可愛い子ばっかりなの!?毎日会えるなんて、あんたも役得だなぁー!」
鈴木さんは樫井さんのスーツの胸辺りをツンツンしながら笑う。
「・・・はぁ!?」
樫井さんが怖い顔で聞き返したが、すっかり上機嫌に戻った鈴木さんは構わず、
『ねぇねぇ!どこの店?』と香苗の肩に腕を回してしつこく聞く。
「えっとー、三軒茶屋のぉー・・・」
「・・・おいおい!客引きすんなよー。松宮君ありがとね!香苗もう行くぞー!」
樫井さんは俺の肩を軽く叩き、笑顔で手を振って店の出口に歩き出す。
しかし、調子に乗った鈴木さんは香苗の腕を強く掴んで離さない。
膨らんだシャツのボタンを凝視して『随分お堅い運転手だねぇー!あれじゃー効率
良く稼げないでしょ?ねぇー個人的にいくらならOKかなぁ?』などと言い出した。
腰に回した手先がそーっと、型良くふくらんだジーンズのお尻の方へ落ちていく。
――ピキッ!
樫井さんのこめかみの血管が、音を立てて青く浮き上がる。
俺は・・・鈴木さんの人生終了の危機を感じた。
「あー!ほら、今日は香苗疲れてるんだし・・・早くお家へ帰りなー!」
咄嗟にそう言って香苗の手を引き、警察手帳を今にも取り出しそうな彼の元へ連れて行く。
そして立ったままウトウトしていた朱莉も車へ行くように促し、『じゃあ、また後で迎えに行くから!
朱莉も香苗もゆっくり寝てなね!』と小声で伝える。
ニヤニヤして車に乗り込む香苗と、溜息をつきながらハンドルを握る樫井さん達を見送った後、急いで店内へ戻った。
少しづつ早朝の散歩途中の客が増えてきた店内で、鈴木さんは楽しそうに仕事をしている。
先程、痴漢で捕まる寸前だったことなど、まったく分かっていない様子だった。
「松宮君、運転手と知り合いなんだね!大人しそうな顔して結構常連なんだ!?」
「・・・まぁ、そうですかね。」
確かに、あそこの店のコロッケは美味しいので何度も行った事がある。
「ねぇねぇ!店名はなんていうの?」
ついに堪えきれなくなった俺は、初めて人の目を気にせずに大笑いした。
そして、俺の態度に驚き呆然とする鈴木さんの肩にそっと手を置く。
俺は彼の目を真っ直ぐ見て、『居酒屋てっちゃんですよ!』と答えた。
勘違い




