帰還
猫!
人付き合いが苦手なのに、無理して色々な説明をしようとしている人特有の、
杏花さんの焦った話し方と、良く分からない表現力のおかげで・・・俺の杏花さんに対する暴行容疑が
晴れるのにはかなりの時間がかかった。
杏花さんが『大丈夫ですからー!』と騒ぎ立てるのを無視して、彼女の頭をすっぽり覆ってしまう程大きな手で頬を触り、顔を思いっきり近付けて、鼻の骨に異常がないかを念入りに調べる樫井さんのイケメンっぷりには、こっちまで照れてしまいそうになる。
このまま見ていてはいけない気もするし、朱莉まで顔を真っ赤にしてるのも気に入らないし・・・ひとまず退散しよう。
「アメ、ウカ・・・一緒に居たくない訳じゃないんだけど、俺はバイトで殆ど家に居ないし、君たちにお祈りもしてあげられないし、家を幽霊アパートにする訳にもいかないから。ここは適材適所ということで、この家に住まわせてもらってね。」
「えーーー!!そんなぁー誠士さぁん・・・後生ですからなのぉおおぅーーー!」
俺が虹色の石を杏花さんのテーブルに置いたまま帰り仕度を始めると、ウカの絶望に満ちた悲鳴が部屋に響き渡る。
「えー!良いんですか松宮さん!?わぁー嬉しい♪どんなお洋服着せようかなぁ!
お庭に立派な祠建ててあげますっ!・・・となれば早速業者に連絡ですっ!」
杏花さんは『グフッ・・・えへへっ!』と変な声を漏らしながら興奮して携帯をいじっている。
「・・・松宮君、いったいこの家に何が住むからあんなに喜んでるの?」
何も聞こえない樫井さんは怪訝な顔で俺に尋ねてくる。
「杏花さんの鼻血の原因です。アニメキャラの様な美少年の神様ですよー。」
イライラしていた俺は興味の無さそうな言い方でそう答えた。
「・・・俺は杏花さんが心配だよ。」
樫井さんは真剣に悩みながらも、慣れた様子でダイニングテーブルのイスに座る。
やっぱり良くここへ来ているようだ。
「朱莉!お邪魔だから今日は帰ろー!また今度みんなで遊びなね。」
部屋から出て俺が呼びかけると、朱莉はアメと話すのを切り上げて玄関へとついてきた。
「えっ!もう帰っちゃうんですか?お土産の食材がたくさんあるし、今日はみんなで鍋パーティーでも
しようと思って、明け非番の樫井さんも呼んだんですよー!」
「えっ!?鍋パーティー!?参加したい!」
杏花さんが話し終わるよりも前に、目を輝かせた朱莉が食い付いてしまったので、
完全に参加するモードになってしまう。
「樫井さんは、眠いと思うのでまたソファーで寝てて下さいね!
足りない食材を買ってくるので!お留守番宜しくです!」
杏花さんはそう言うと、手慣れた様子で毛布を持って来た。
そして樫井さんの手を引き、ソファーへ座らせて毛布を掛けながら『じゃあ松宮さんと朱莉ちゃん!
スーパーまでレッツゴー!』と張り切って手を上げた。
(・・・また寝ててとか言った!)
玄関へ向かう途中で振り返ると、アメは部屋中を飛びながら神学関連の本やグッズを見学し、ウカは項垂れる様に石に吸い込まれて入って行く所だった。樫井さんは当たり前のように毛布を被って、すでにウトウトし始めていた。
大きな家を出て数分歩くと、緑に溢れた小川が流れる遊歩道が見えてきた。
『スーパーはこの先にあるからちょっと遠いんです。』
杏花さんはそう言いながらも、景観の良い散歩道を割と気に入っているようで、
車道のガードレールの上から携帯で写真を撮ったりして歩いている。
「松宮さん今週まで夜勤はお休みですよね?今日はゆっくりして行って下さいね♪」
杏花さんはそう言って少し振り返る。
曇り空の隙間から真昼の直射日光が差して、彼女の色素の薄いふわふわの茶髪を黄金色に染める。
俺より4つ年上なのを全く感じない童顔に、透き通るような白い肌の長い手足、ピンク色のドレスが似合うスラリとして柔らかい体の線は、まるでアニメ映画に出てくるお姫様のようだ。
思わず見惚れて会話を返せないでいると、『か、樫井さんに悪いから鍋パーティー終わったらすぐ帰りますっ!』と朱莉が俺の前に出て来て口を挟む。
杏花さんは『はぃ・・・なぜ樫井さん?』と首を傾げながら不思議そうに頷いた。
そして、また前を向いて進もうとした杏花さんの足が急に止まる。
「お前がそうなった原因を教えろ。どうせこの辺のガキなのだろう?
放っておいては大変な事になる。往々にして動物では物足りなくなるもなのだ。」
聞き覚えがある、深くて優しい大人の女性の声だった。
朱莉と俺も、慌てて杏花さんの隣へと駆けつける。ガードレールの上から1m下の遊歩道を覗き込むと、人工の水路と歩道を繋ぐ石畳の上に小さな猫の姿があった。
赤錆色の毛並み、薄緑の輝く瞳・・・尻尾は2又ではなく短めの1本ではあるが、
深みのある特徴的な女性の声は、絶対に聞き間違えることはない。
70年以上現世を彷徨って、先日やっと生き別れだった飼い主【幸】に再会でき、
無事に浄化されて天に召された、化け猫の御影の面影そのものだった。
朱莉は何秒か固まった後、すぐに柵を飛び越えフワリと子猫の隣へ舞い降りる。
俺もガードレールを跨ぐと、杏花さんに手を貸した。ヒールの彼女が土手を転げ落ちない様に腕を組むようにして遊歩道へと降りる。
錆色の子猫はこちらをチラッと見遣ると、すぐに視線を目の前にいる今までの会話の相手へと戻す。
「はぁ・・・この上ない幸せな楽園で過ごせたのはたったの3日。輪廻の神が最適な場所を用意したと言うから信じてみればまたもや猫。せめて陰ながら見守ろうと決めて僅か10日で見つかるとは・・・。
お前のせいだぞ矢ガラス。」
「はっ。知るかよそんなもん。それがお前の運命ってやつなんだろ!
・・・俺の事なんて見ないフリしときゃ良かったんだ。
はぁーあんたら、恐ろしい位の【縁】を感じるぜ・・・。
気持ち悪いったらありゃしねえーな。さすが愛玩動物ってやつだなーーまったくよぉー。」
俺達は呆気に取られながらも、矢ガラスと呼ばれた、猫の視線の先にいる生き物に目を向けた。
それは一見、普通のカラスの様だった。
しかし、背中から胸にかけて貫通したボウガンの矢が、どう見ても致命傷な筈なのに動いている点と、
喧嘩中のチンピラの様な濁声で流暢な人語を話す時点で・・・
彼はもう、生きている動物ではないのだろう。
「・・・お前は、生きている猫なのか?なぜ話せるんだ!?これは一体・・・?」
俺は朱莉の傍に駆け寄りながら、彼女の足元の子猫にそう尋ねた。
「いかにも。今はただの生きている猫だ・・・名前はまだないがな。」
「ミカゲちゃん!!お帰りなさい!」
朱莉は膝をついて子猫を抱きしめると、笑顔でそう名を呼びかける。
「名はたった今、付けられた様だ。元気そうだな誠士、杏花・・・。
むぐうっ・・・あ、朱莉・・・は、放せ・・・。」
御影は少し苦しそうに目を細めながら、そう言って俺と杏花さんを見つめた。
矢ガラスは呆れたように後ろを向くと、何も言わず静かに飛び去っていった様だ。
春の野草の花々が風に揺れ、流れの殆ど無い小川に微かな波紋が広がる。
穏やかな風景の遊歩道には、宙に浮いて苦しそうに暴れる子猫と、それを見つめる男女が2人・・・。
他人から見たら異様な光景になっている事に、冷静になってきた頭が気付く。
取り敢えず・・・朱莉から御影を解放し、感動の涙を拭くことも忘れた杏花さんにポケットティッシュを渡さなければ。
これから、色々ありそうだな・・・そんな予感はしたが、不思議と嫌な気持ちはしない。
キラキラとした水面の波紋は、輪廻の奇跡を連想させる煌めきだった。
遊歩道が好きです




