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リコール ~ re:call ~  作者: 鈴花 夢路
第六章 出会いと別れ
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ユートピア

青春ラブストーリー

 山岳信仰という言葉もある。人は故人を思い出すのに最適な場所を、常に心のどこかで探しているのかも知れない。

樫井さんの家には玄関、廊下や和室など、様々な場所に桜山を写した写真が飾られていた。

早朝、トイレに起きて部屋に戻る途中、誰も居ない和室で朱莉あかりを目撃し、

後から俺は近付く。どうやら仏壇の前で手を合わせている様だ。

小さな遺影には、朱莉と同じくらいの年の綺麗な女の子が、はにかんだ笑顔で手を振っている写真が使われている。

きっと、樫井さんの姉か妹なのだろう。整った顔立ちがそっくりだった。

同じ年頃の生霊が、目を閉じて必死に何か語りかけている様子も相まって、余計に悲しい気持ちにさせられる。

俺は結局、朱莉に何も声をかけずに部屋へと戻り布団へ入った。


 普段は常にフワフワしていて騒がしい居候だが、こういう時の真剣な表情や、

芯の強そうな意見を述べる時の横顔は、とても美しく見える。

もっと彼女の色々な表情を見たい。自分でもこの欲求が何を意味しているのか、

正確には把握できていない。

しかし、世間がこの気持ちをなんと呼んでいるのかを知らない程、ガキでもない。

ただ今は、彼女が自分をどう思ってるかを知ることが、とても怖い。

何もこれ以上考えなくていい様に、俺はゆっくり瞼を閉じた。



――― 4月11日 日曜日 雲の隙間から光が零れる朝



「んじゃー俺たちは桜山まで行ってくるよ!

隣町へ行くバス停は、昨日通った道の左側にあったやつだかんねー?」

樫井さんはそう言うと、お父さんの車であるシルバーの軽ワゴンの運転席へ座る。

お父さんの良治さんは飲み過ぎたのと、腰を痛めているせいで顔色が優れない。

お母さんに引っ張られて後部座席へ並んだ。


「はい!ありがとうございますー!皆さん、登山お気を付けてー。」

俺は車を見送り、樫井さんに借りたリュックを背負い直した。

自分の私物のほかには、御影みかげさちさんの思い出の品、浅葱山周辺の地図、

お母さんが用意してくれた、老人ホームの職員へ渡す為の菓子折りが入っている。


 40分に一度しか来ないバス停だったが、俺達が着いた頃に丁度よくバスが来た。

ほとんど乗客のいない車内にはエンジン音が響き、舗装のひび割れの上を通る度に、

バスはガタガタと揺れる。

振動の心地良さを感じたのか、窓際に座っている朱莉はまた眠りに落ちた様だ。

真っ白いワンピースの膝の上で丸まった御影を撫でていた手が、力無くこちら側へ

流れて来る。

それはやがて、隣に座っていた俺の手の上に偶然落ちた。

そっと、包み込むように握ってみる。御影が片目をうっすら開いて、薄緑の瞳と目が合う。

御影は何も言わずにまた目を閉じた。

・・・もう少しだけ、起きないでこのままで居て欲しい。


しばらくそんな事を考えていたら、目的地を知らせるアナウンスが聞こえてきた。



 癒愛園は大きな門の外にも、中庭にも色彩豊かな花々が植えられていて、

建物から庭へ続く芝生の丘がなだらかに広がっている。

ゆったりと水鳥の泳ぐ池の水面は、キラキラと朝日で輝いていた。


「綺麗・・・前にテレビで見た、ユートピアってやつみたい。」

朱莉はそう呟くと、花びらの舞う中庭をフワフワ飛び回る。

何かの気配に驚いたカモ達が、光差す雲間へ一斉に飛び立って行く。

鳥たちを笑顔で見守った後、空から手を振る朱莉を見ていると、この幸せな光景がずっと続けばいいのに・・・とすら思えてくる。

彼女を元に戻すと約束した筈なのだが、人間の感情とは不思議で利己的なものだ。


 大声で呼ぶわけにもいかないので、俺と御影だけで西洋式の美しい建物の中へ入っていく。

受付の女性は最初にこやかに対応してくれたが、さちの事を伝えると表情が曇る。

「星野さんのご友人でお間違いないですね?」

「はい。面会できますか?」

「・・・星野さんは先月から体調を崩されてまして、今は・・・ほぼ眠っていらっしゃいます。

昨日からは昏睡状態が続いておりまして、本日は午後にもご家族がいらっしゃる予定です。」

「そうですか・・・。ご家族がいらっしゃる前には帰りますので、少し面会してもよろしいですか?」

俺が頼むと受付係は『南棟305号室です』とだけ話し、来館名簿を差し出した。

俺が名前を記入し、エレベーターホールで待っている間も、御影はそわそわして

ロビーを歩き回っていた。

朱莉が中庭からロビーへ入ってきて俺を見つけ、隣に降り立つ。

最初は笑顔だったが、御影の様子を見てすぐに真剣な表情になった。


 病院の部屋の扉の様に、305号室と記されたプレートには名前が書かれていた。

引戸を開けると、ピッピッ・・・という心電図モニターの機械音が聞こえてくる。

窓際に置かれたベッドには白髪の老人が横たわっていた。


(・・・嘘だろ・・・。)


俺が絶句し、朱莉が小さな悲鳴を上げたのは、決して人生の残り時間が少ない幸を見たからではない。


—―花瓶や写真立てが飾られた出窓の床板部分に、少女が座っている。

レースのカーテンが揺れる度、肩まである黒髪がサラサラ揺れた。

少女は花菱はなびし模様の薄紅色の短い着物と紺のもんぺを着ていて、10代前半といった見た目だ。

朱莉に雰囲気が似ているだけではなく、足の先も透けていた。


「わぁーー・・・ミーちゃん!!会いたかったよぉーーー!」

少女は立ち尽くしている俺達に気付くと、真っ直ぐに御影の元へ駆け出す。


「・・・幸。私も会いたかった・・・。」

幸はふわりとドアの前まで飛んでくると、床の御影をそっと抱き上げる。

御影は腕の中で穏やかな表情になり、再開の喜びを分かち合っていた。


「幸さん、初めまして。俺は松宮 誠士です。こっちは朱莉。

・・・東京で、御影ちゃんと出会いました。」

俺は部屋の引き戸を閉めて、部屋の中央へ向かいながら幸に自己紹介をした。


「私は富田 幸です。そこのおばあちゃんはどうやら未来の私みたいね。

沢山の家族に囲まれて、幸せそうな人。昨日遅くまでいた娘さんが、

今日も来ると約束していたよ。

全ての部屋を見てみたけど、そんな家族がいる人、他には一人もいなかった。」


「そうか・・・そうか・・・ほ、本当に良かった。幸せだったね、幸・・・。」

御影の目からはポロポロと涙がこぼれる。

動物の猫はこんなに泣くことは無い・・・しかし、長い時間沢山の人間を見て、

痛み、悲しみを共にしてきた彼女は、現代の感情の薄れた人々の誰よりも、【人】

だったのだろう。


 幸は御影を抱いたまま、フワッと窓辺に舞い戻る。

春の柔らかい陽光がカーテンの隙間から差し込み、錆色の毛並みを黄金にきらめかせていく。

御影が二本の尻尾を交互に揺らすと、幸が面白そうに触れた。

優しい時間が流れる。あまりに幸せな光景に俺まで胸の中が満たされていく。

ふと、黙ったままの朱莉が気になり隣を見る。

朱莉の頬を静かに涙が伝っていた。

気付けば俺は無意識にその涙を指で拭っていたらしい。

ハッとした表情の朱莉が俺の手をそっと掴む。そして、慌てて手を下げた俺に

向日葵の様な笑顔を見せた。


 小さな白い個室には、御影と幸の囁きと笑い声、時々鼻をすする音が響く。

1つの幸せだった人生が終わろうとしている。

しかし、悲しいことなど何もなかった。楽園は確かにここにある。

一人一人の心の中に、ユートピアはきっと存在するのだ。

いつ辿り着けるのかは、誰にも分からなくても。

猫は癒されます

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