第2章【Levitation Kingdom~流星の愛を君に~】その4
第2章 2話『雲海の黄金城』
まるで、そう──
揺りかごで揺らされているように心地よく、母親に抱き締められているように暖かい。
朦朧とした意識で視界をボヤかしていても、身体は重く動かなくても、不快も、不平も、不満も、穏やかな気持ちが宥め尽くす。
「ん、あったかい……あぅ」
目はうっすらと開けられ、見えるのは蛍光灯、白色ライトの明かり、つまりは天井。それでやっと、リオは自分が寝かされているのだと理解した。
刃物で刺され、崖から落とされて、そして、そして……
「房中術の最中に何も考えるな。助かりたければ、もう少しネンネしてるんだな……ちゅっ、ん、ふっ」
しっかりとした、けれども優しい声に誘われて、言われるがままに目を閉じる。
僅かに映ったブロンドヘア、重ねられた柔らかい唇、じんわりと体内に広がる暖かい感触。
「そう、ですっ……リラックス、しててっ、くださぃ」
次いで聞こえて来る途切れ途切れな声も、やはり心地よくて違和感なく耳に入る。
すると徐々に、徐々に、眠気が押し寄せ、徐々に、徐々に、意識が底の無い羽毛の海に沈む。
だから眠る直前、こんなにも大切にされてるから、こんなにも幸福だと思ったから、改めてリオは自分が助かったのだと悟ったのだった。
「んんっ、あ……れっ?」
次にリオが目を覚ましたのは、それから実に16時間後。
ベッドに寝かされ、ブラウンベーシックの落ち着く天井を見上げ、窓から差し込むそよ風と陽の光が回復に向かう身体を呼び起こす。
「やっと起きたか……ミーナ、水だ」
届いた声に、白衣を着た女性がピクリと耳を反応させると、机に向かっていた体制から椅子のキャスターを回転させてベッドの方を向き、体温計とカルテを持って立ち上がった。
切れ長の目にスクエアタイプの黒縁眼鏡を掛け、ブロンドヘアをポニーテールに束ねて足下までも有る白衣を纏う、歩くインテリジェント&クールビューティ。若くして科学者と教授、両面の顔を持つ女性、スワン。スワン=ブリンヒルデ。
「ふうぅぅっ……ふむ、これなら体温計はいらんな」
スワンはリオを覗きこむようにして顔色を伺うと、大きく安堵の溜め息を吐いて微笑む。
この部屋に運ばれて来た状況を考えれば信じられない程の回復スピードで、外傷だけなら病院へと連れて行ったが、一目でこの子供がエーテルを破壊されていると気付き、この場での治療を決定させた。
「はい、体がビックリしないようにちょっとだけぬるいけど……ゆっくり飲んで」
そしてもう一人、リオの背中に腕を回してゆっくりと上体を起こし、ぬるま湯の入ったコップを渡す女性、ミーナ。ミーナ=アリエス。
愛くるしさを表す大きな瞳に、ウェーブの掛かった淡い青色の髪がおっとりとした柔らかさまで醸し出させる。ロングスカートのメイド服に身を包み、リオと視線が合えばこちらもニコリと微笑んだ。
「ありがと、ございます……んくっ、んくんく」
奇跡的。発見が後一分遅ければ、判断が後一分遅ければ、治療が後一分遅ければ、どこで一分遅れていても助からなかっただろう。
それに、スワンがどこの誰でも助ける博愛主義者ならまだしも、唇を重ね、体を重ね、心を重ねる『房中術』まで施して癒したのは、房中術を施しても癒してやりたいとリオが思わせたから。
スラム街で生まれ育ち、その日を暮らす為に身売りをしていたスワンには、リオの身体に刻まれた罵詈雑言のタトゥーが見逃せなかったのだ。
だからミーナと共に、確証も経験も保険も無い、知識だけの房中術などを試した。それが成功したのだから、こうやって微笑みも零れよう。
残る問題は後一つ。この子供が、どうして腹部を刃物で刺されたのかと言う事。
エーテルを破壊されたとなればこの子供がマスターなのは確定的で、マスターが包帯でぐるぐる巻きにされる何て状態は余程のトラブル。
正しくトラブルメイカーを救ったのだから、ここにもトラブルが起きるかも知れない。だから聞かない。聞けば報告しなくてはイケない事態にも発展するから。『ケガをした理由』だけは決して問わない。
「ところで、お前はマスターだろ? 仲間に悪魔は居るか?」
「仲間にはいます……悪魔に、蛇に、蜘蛛に、百足に、ラヴィが三匹。今は召喚できないですけど」
かと言って無情報の者をとどめて置くのも自身の立場からは難しく、それならばケガをした理由に代わる『ここに居て良い理由』が欲しい。
聞き出す取っ掛かりは然り気無い会話から、ケガをした理由を中継せずに他の情報を引っ張り出す。
「じゃなくてな、しかし……と言う事は、ずいぶん悪魔と交わったようだな……お前にも僅かだが力が流れて来てるぞ? なぁ、ミーナ?」
破壊されたエーテルの『種』は再生させた。時間が経てば元の大きさまでは回復するだろう。魔力の扱いも少しずつだが可能になるだろう。
ここで気になったのは、房中術の最中について。房中術は行為を通して自らの生命力や魔力を分け与える術なのだが、ただヤれば良い訳ではなく相当な集中力を必要とする。
「は、はいっ……とても、人とは思えませんでした」
ミーナも思う所は同じだったようで、囁くほどに小さな声で返事をすると、頬を耳まで真っ赤に染めて俯いてしまう。
普段は感情を隆起させないスワンでさえ奥歯を噛み締めて堪えていたのだから、いや、スワンだから堪えれて、「貪れ」と訴えて来る本能に流されず堪えれたから房中術は成功したのだ。
低級上級は知れないが、間違いなく淫魔と呼ばれる悪魔を手札に持ち、そして淫魔の力が僅かにマスターへ流れてしまっている程には入れ込まれている。
この子供は、マスター。子供で、マスター。子供だけど、マスター。子供だけどマスターだから……
「で……ここからが本題だ。君には仕事を頼みたい」
子供だけど、マスターだから、ここに居て良い理由になる。
スワンはベッドに腰掛けると空になったコップを受け取ってミーナに渡し、それからマスターの顔を真剣に見つめ、添えるように優しく肩を掴む。
「なに簡単だよ。とある少女の、身の回りの世話をしてくれれば良い。女装して、メイドとして……だがな。それまでは体力を回復させながら、ミーナに作法を教わっててくれ……どうだ? 助けた礼にしたら安いと思うが、やってくれないか?」
嘘だ。正確には身の回りの世話も任せるつもりだが、メインは警護。恐らく20日も後に、少女を殺しに来る者から、少女の命を救う事。
しかし少女に、「命を狙われている」と気付かせてはならない。20日後までは穏やかな心で過ごして欲しい。
そうしたら少年に、「全力で命を守れ」と重圧を掛けてはいけない。20日後までは穏やかに過ごす手助けをして欲しい。故の嘘。
「あのっ……はい、わかりました。僕で良ければやらせてください」
そんな優しい嘘を鵜呑みにして、リオは一度視線を下げて自分の腹部を見ると、大きく首を縦に振って治療費を了承するのだった。
包帯で巻かれている為に傷口は確認できないが、こうやって喋れる。動ける。死んだと思っていたのに、まだ生きてる。ここで恩返しできるならそれに越した事は無い。
「うむ、よい子だ。化粧も変声機も必要なさそうだから、仕草と言葉遣いだけ教えて貰え……ふむふむ」
スワンは決意の籠った返事を聞くと再び表情を綻ばせて微笑み、肌の質を確かめるように興味深くリオの頬を撫で始める。
艶も張りも有って、性別は男性のはずなのに咽頭の膨らみが無ければ首から下の体毛も無い。骨格すらどちらかと定まらず、少女か少年かも服を着ていたら判断不可能。
「よろしくね……えっと、名前は何て言うの?」
「ふぇっ? あ、リオです。リオ、ストナー」
ミーナは身体をペタペタと触られ不思議がるリオに慌てて声を繋げると、スワンを後ろから引き剥がして二人の間へと自分が腰掛ける。
そしてリオ、リオ、と宣言された名前を何度か口ずさみ、完全に顔と名前を一致させた。
「私はメイドのミーナで、こちらがスワン教授よ。よろしくね……リオ、ちゃん♪」
これから長い付き合いになるのだから、できるだけ、良い関係を築けますように。