第2章【Levitation Kingdom~流星の愛を君に~】その3
反発。反発したくなる。誰しもがそう。抑圧されると反発したくなる。
例えば、親が子に言う『勉強しなさい』。親からすれば躾のつもりでも、子からすれば反発材料。
そんな反発は別段に特別なものでは無く、日々どこかしこで起こっている出来事にもならない出来事で、今日ここで反発が起こったとしても、それは何も不思議では無いのだ。
「お背中、僕が流しましょうか?」
エービィヒカイトとルーシィがリオの元を離れて地獄へと向かい、向かう時に「売春はするなよ? 絶対にするなよ!?」と念押しされ、およそ40日分の金銭を渡されてこの温泉宿に泊まらせられた。
しかしその金銭、4日経っても丸々残ったまま、少しも使われていない。何故なら……リオも、稼いでいるから。
「よい、しょ。よい、しょ」
細い三日月が一足早く紅の空に浮かび、湯けむりを透過して天然の渓谷露天風呂を照らす。
小高い崖の上に作られたそこは、すぐ隣で滝が流れ、反対側の崖を見れば夜行性の小動物が駆け回り、下を見れば滝に打たれた川魚が跳ね回る。
これでもかと溢れるマイナスイオンが疲れた心と体を癒し、例え混浴風呂しか無かったとしても、身分や種族が違うとしても、皆が気にせず広い露天風呂に浸かっていた。
と、賑やかだったのは夕刻まで。今は何と静かな事か。深夜と呼べるまで宵もくれれば、人気の温泉と言えど二人しか影を残さない。
その内の一人がリオで、もう一人が細身の女性。湯椅子に座って背を向け、時おり気持ち良さそうな声を上げながら、ただただスポンジタオルで擦られ磨かれている。
「背中が終わりましたっ。よければ前も洗うのでこっちを向いてください」
風呂桶に組んだお湯を仕上げで背中へ掛けながら、半分が終わったのを示して向きを変えるように促す。
そしてタオルも巻いてない裸のままで再びお湯を汲むと、スポンジタオルを浸して染み込ませる。女もタオルを巻いてない裸だが、言葉通りに向きを変えると不思議そうな目でリオを眺め、フッと笑った。
「上手いな……これならサービスしてやっても良いか」
笑ったのは、リオに『変化』が無かったから。「背中を流させてください」なんて台詞、普通なら下心満載で、洗ってる最中に変わりそうなものだと。
もちろんスタイルには自信が有るが、だが、だがもし変化していたら……女は殺す気でいた。
「えっ? あのっ……はい。洗うまではサービスなので、お代は頂きません」
「はっ?」
つまり、殺さない(サービスしてやった)。しかしサービスの意味は、それぞれ異なる意味を持ち、食い違う。
どちらの口からも漏れた「サービス」。その意味の違いに女はいち早く勘づき、なるほどなるほどと理解してリオを正面から抱き締める。
「あ、あの……これだと、洗えない、です」
女は自分を洗わせてやってるつもりでいて、何なら終わってから命を取るつもりでいたが、リオはあくまでも仕事として洗っていて、この続きを求められたら料金を取るつもりでいた。
数日前からこうやって日銭を稼いでいたのだ。一人で露天風呂に入って来た宿泊客を相手に声を掛け、背中を流しながらコミュニケーションを図り、気に入って貰えたら部屋にお持ち帰りされる……それが男でも女でも構わず、売春婦として何度も繰り返し、スカスカの愛で己を満たす。
これが最後だなんて、思いもしない。
「んっ、くんくん……それはそうとよ、お前、臭うぞ?」
「ご、ごめんなさい!! 臭いですか?」
女は小さく身体を震わせるとリオの胸元に顔をうずめ、ピクピクと鼻を動かして体臭を嗅ぎ始める。
しかし慌てて離れようとするのも許さずに抱き締め続け、温泉に……イオウにカモフラージュされていた中から本命を見つけ出し、また、笑った。
「いや、この宿に泊まってる奴らの中の誰か……ってのまでは感じてたが、お前か? お前から、骨董品の臭いがするぜ?」
──トンッ。
そんな音が聞こえるのと、女の言葉が終えるのは、殆ど同時だった。
「かひゅっ!? あ、ぁ、あっ」
殆ど同時。畳んだタオルの中に隠していたサイコダガーを持つと、躊躇い無くリオの腹部に突き刺した。
特別なガラスで作られた小型のナイフは、根元まで体内に入り込むと微塵に砕け散り、内臓をズタボロに傷付けて切り裂き出す。
「って事は……だ。残念だがお前を殺した後、部屋からパクらせて貰う」
リオは女の身体を突き飛ばして空気の漏れるような息を吐き出し、女は柄だけになったサイコダガーの残りを湯の中に放り投げる。
サイコダガー……内臓もそうだが、元は身体の魔力回路を破壊する、対魔術師用の武器。
「ひゅー、ひゅー、んぶっ!?」
しばらくの間、魔法を使用不可能にし、そしてマスターにすれば、召喚もできない。
リオは吐血しながらも定まらない指先で五芒星を描き、何も起きないのが分かって手がダラリと下がる。
「最後にオレの裸を見れて良かったな? アディオス、少年」
女は片手で無造作にリオの顔を掴み上げると、そのまま崖の下の川へ……滝の底へと投げ捨てたのだった。
lack lack lack スーパーラッキー。
一人になればほくそ笑む。あの臭いは……極上品だったと。ここまでにもアイスソードやフレイムタン、ルーンアックスやユニコーンヘッドなど、様々な極上品を持ち主から殺して回収して来たが、さっきのは極上の極上、超極上の品だと感じ取れた。
そんな超極上を何故あんな子供が所持していたのかは定かでは無いが、それよりもこの高揚。離ればなれになった恋人と十年越しに再開したかのようなこの高揚!!
「もしかしたら、もしかするんじゃないかコレは!?」
聖剣、または魔剣、または神具。あり得る、本気であり得る。
女は脱衣場に戻って体をタオルで拭き、インナーだけを身に付けると宿の本館へ架かる渡り廊下を歩き出した。
燃えて見える赤い灼髪を振り乱し、薄着でも気にせず堂々と。左右の手にイヤリングを一つずつ握り締め、ピンクダイヤは姿を変える。
「転身」
僅か0.05秒でレッドメタルの装備を全身に纏い、ピンクダイヤは、『赤いヴァルキュリア』は、上機嫌でリオの宿泊部屋へと向かう。
超極上品をあんな子供が一人で持っているとは考え難く、それに見合った実力者の仲間が居ると考えるのが妥当。
「来い、ニーベルンリング!! ニーベルンエクスティア!!」
と、するなら……反撃を許さない、奇襲による一撃必殺しか有るまいて。
まともに死合などしていられない。ケガなどしていられない。プライドも武士道精神も無いのだから、卑劣こそが最善の作。
「フッ。テンションを上げて行こうか……筋力上昇」
『イミテーション』
「パワーアップ」
『イミテーション』
「パワーアップ!!」
『イミテーション』
リオの臭いを思い出し、辿り、部屋までの道をひた歩く。自己強化の重ねがけで瞬く間に常識の範囲から外れ、エクスティアの切っ先を引きずって廊下に傷を付けながら、一歩、一歩、一歩。
ただ、懸念材料も有る。間違いなくリオの臭いが大きくなり、間違いなくリオの部屋へ向かってるのは確かだが、アーティファクトの臭いは逆に遠退いている。
「この部屋だな」
それを確かめるべくピンクダイヤは臭いのするドアの前で立ち止まり、エクスティアの柄を両手で掴み直した。
そして腰を捻り、真横へ人機魔剣を振りかぶり、息を大きく吸い込んで気を整える。
これに名前なんて無い。技なんて高尚なものでも無い。単純に、力任せに……凪ぎ払う!!
「くたばれ」
一瞬、遅れた。
ピンクダイヤの言葉から一瞬。エクスティアを振り切ってから更にもう一瞬。一瞬遅れて『風圧』が扇状に突き進む。
剣を振るった軌道上、約数十メートル先まで広がり、そこでようやく風が消えた。
「まっ、念には念を入れとくか……魔力爆発」
『ストリーム』
結果として剣を振るっただけのピンクダイヤは、何事も無かったようにリングとエクスティアを合わせて次の発動能力を名唱すると、左手を開きドアに向けて翳す。
周囲の大気が熱を帯びて急激に膨張し、翳した手のひらからドアに掛けての短い空間が、光を屈折させて蜃気楼を浮かび上がらせる。空間が……歪む。
「爆ぜろ」
「何をしてるんですかお客さん!? 出ていって貰いますよ!?」
しかしまさに寸前、部屋中を焼き焦がす筈だった魔力爆発は止まる。
大声を上げて駆け寄って来るスーツ姿の男に興が逸れ、寸前でマジックバーストをキャンセルした。
男はこの宿の職員で、今日は夜間の見回りも担当しており、まさかの出来事と遭遇する。
そう、まるでこれがパジャマだとでも言うように女が堂々と鎧を着て廊下を歩き、しかも剣まで振り回したのだ。見付けたからには声を掛けないで居る方が無理だろう。
ピンクダイヤは視線を男に向け、身体を男に向け、微笑みながら、再び一歩、一歩と近付く。怒りは無い。特に感情も持てない。
「んんっ? お前こそ何をしてるんだよ? とっくに……死んでるって言うのにさ」
会ったばかりの死人に対して、いったいどんな感情を持てと言うのか?
有るのは義務感だけだ。既に死んでる者に、「お前は死んでいる」と教えるだけ。
「えっ?」
──ポンッ。
男の肩を、優しく、優しく、押してやる。
それだけで終わり。それだけで男は声が出せない。それだけで……ヘソの高さ、そこから、『ズレ』た。
上と下に、二つのパーツに、男の身体が、真っ二つに別れ、ドサリと床に落ちる。
巻き戻す、エクスティアを振るう時まで。死因は衝撃波とも称せる鋭い風圧。それが余りにも鋭過ぎて、切られた側も切られたと認識できなかった。
「念はいらねぇか? 所詮こんだけ殺気を滾らせてんのに何もアクションを起こさねぇ奴だ……失礼しますよっ、と」
ピンクダイヤは肉塊を尻目に元の位置へ戻ると考えを変更してドアを蹴破り、畳の敷かれた和風を思わせる室内へと侵入する。
視線を左から右へ。上から下へ。クローゼットを開け、簡易金庫を壊し、畳を剥がし、ポットの中身をブチ蒔けた。
「やはり仲間はいなかったか……いや、いやいやいやいやいや!! どうして、何もねぇんだよ?」
そこまでしたのに誰も居ない。何もない。リオの臭いはこの部屋からするのに……と、考え、発想を露天風呂で背中を流されていた瞬間まで戻す。
ああ、そうなのだ。当初の目的はリオでは無い。それなのにいつの間にかリオの臭いを辿っていた。だからこの部屋、リオの部屋へ来たが、ここからは極上品の臭いは微かも嗅ぎ取れない。
それどころか、範囲を旅館全域に広げても同じ結果。実は男性の脱衣場なんて驚きもない。この旅館に、極上品は、無いのだ。
初めは外……
宿の前を通り掛かった時に中から臭いが届く。
客として宿泊し、より確実に嗅ぎ分けようと宿の中を歩き回ったが、何故か出所がわからない。
面倒だから全員殺そうと思い、その前にと気紛れで露天風呂に入ったらビンゴ。
リオの胸に顔をうずめ、「こいつが所持者だ」とやっと確信が持てた。故に殺した、川へ投げ捨てた。
極上品の臭いも、消えた。
まるでリオ自身が極上品だったかのように、裸だったのだからどこかへ隠せる筈もないのに。
「そうか、あのガキはマスターか……殺しちまったじゃねぇかクソがっ!!」
フラッシュバックさせるのは、そのリオの死に際。手を動かしていた、指先で何かを描こうとしていた。
思い出を手繰る。ヴァルキュリアの記憶を掘り起こす。マルコイの授業を鮮明に再生させる。そして到達した一つの答え。
リオは、マスター。
しまったとピンクダイヤは頭を抱え、ルンルン気分は醒め上がり、それでも可能性を模索する。
「しかしまぁ……死体はこの目で見てねぇし、生きてる可能性も、有るよな? 極上品の為だ……川上の町から順々に探してってやるか」
殺したくて殺したのに、生きててくれと願うこの矛盾。ピンクダイヤにしてみれば、それまでにこの臭いは『叶える為』に必要な臭いなのだ。
ディーナのヨイチに続き、発見した神具クラスはこれで二つ目。ディーナの方も下準備が終わって、後はいつでも殺れる。
ああ、なんだ……順調じゃないか?
アレはちょっとした手違い。
無理やり理由付けして自分を奮い立たせ、窓を開けて外へと空っぽの部屋を抜け出した。この宿に用は無くなってしまったのだから、この宿には亡くなって貰おう。
「ブッた切れろ」
立ち去り際。コン……と手の甲で宿の外壁をノックし、そのまま歩いて離れて行く。
そしてピンクダイヤの歩数が百を超えた頃、大きな轟音を響かせ、建物全体が崩れ落ちたのだった。