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石名坂  作者: 伊達 賢治
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後編

その後、江戸末期の動乱と、その後の文明開化の流れの中で、この橋は取り壊され、それに合わせて石名の伝説も長らく忘れ去られていたのだが、そんな石名がある日ひょっこりとこの世に舞い戻ってくる。


それは、今をさかのぼることおよそ百年前、明治四十三年のことである。

  

この年、石名坂付近の道路工事を行っていた際に地中から大きな石材がごろごろと出てきた。その石材には、なにやらお経のような文字がびっしりと刻まれている。「これこそ、伝説の花魁石名の墓石に相違ない」と大騒ぎになった。


しかし、元は絶世の花魁でも今では只の石材である。お見受け先も見つからず、一時、土木工事の請負方である丹野組の方で預かることになった。


その石材を運んだ人足に車力の運三郎さんという人がいた。彼は当時、仙台市東七番丁に奥さんと子供を持って暮らしていたのだが、大正時代に入ったある日のこと、毎夜彼の夢枕に美しい花魁が現れるようになった。


彼が言うには、髪に鼈甲べっこうの櫛を刺し、美しく目が覚めるような鮮やかな裲襠うちかけを身に纏った天女のような別嬪べっぴんさんが、場所はちょうど石名坂にある円福寺の門前に、ぱっと火焔かえんが立って、その中から朦朧もうろうと姿を現すのだという。


このような不思議な出来事が一週間ばかり続いたので、運三郎さんはすっかり蒼くなってしまった。


この運三郎さんの奥さんをきよのさんという。このきよのさんはめっぽう気が強く、勝ち気な性格の人であった。運三郎さんが、毎夜毎夜となりで「うーん、うーん」とうなり声をあげるものだから、ある日そのイライラが爆発し、「なんだい、まったく意気地のない。夢の中に別嬪さんが現れるなんて結構なことじゃないか!」と檄を飛ばしたそうである。


それでも当の運三郎さんはおびえておろおろするばかりでまったくらちがあかない。そこで、そのきよのさん、翌日に大量の赤飯を炊いて円福寺に行き、住職に事の次第を話し、お礼参りがてら、丁重に供養してもらったのだそうだ。


それっきり、運三郎さんのもとに石名が現れることはなくなった。


この石名の墓と600巻の大般若教は、今でも仙台市若林区石名坂にある円福寺で大切にまつられている。


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