鶴姫
雪が降り積もる冬の寒い日から始まるお話。
その日は雪が降り、とても冷える日だった。
町は白色に埋まっていた。
私は家に向かっていた。
会社の帰りに、居酒屋で会社の者と一杯ひっかけ、寒さも忘れて一人で心地よく帰っていたところだった。
等間隔に並ぶ街灯が眩しく、夜空の星は見えない。
鶴がいた。
こんな街中に、こんな大きな鳥がいるなんてありえないことだ。
好奇心で近づいてみると、白い羽に赤い斑紋が見えた。傷を追っていたのだ。
だからといって、私にできる事は無かった。第一、私は通勤に使う鞄しか持っていない。出血を止めることができる道具なんて持っている訳がない。
「カウ」
鶴が鳴いた。
なにやら、こっちを見ている。なんとなく、目が潤んでいる気がする。たぶん気のせいだが…
どうしたものか……
いつのまにか、酔いは覚めていた。
「ただいま。」
「おかえり。」
私には妻がいる。子供はいない。
「聞いてくれ、さっき鶴が道端にいたんだよ。」
「へ〜」
妻は興味なさそうに、テレビを眺めていた。
鍋に入っているカレーに火をいれ、温めなおす。
今の生活に不満は無かった。一般的な幸せな家庭だろう。
翌日は休みだった。
私は暇を持て余し、なんとなくテレビを眺めていた。部屋には暖房とテレビからの音しかしない。
ピンポンとインターホンが鳴る。暖房とテレビの音が少し小さくなった気がした。
若くて、綺麗な女性が立っていた。
無論、初めて見る方だ。
モニター越しで問答をする。外はきっと寒い。
問答の結果、この女性は外の雪景色に溶け入りそうな程、儚くも清楚な方だということと、私に落し物のハンカチを渡しに来たということが分かった。
私は彼女を部屋に入れていた。
外は寒い。身を切る寒さだ。
彼女の為にインスタントコーヒーを淹れた。
部屋の中は暖かい。テレビはオフにしてある。
今、私は我が家の扉の前にいる。
県営マンション。12階だての4階の真ん中の扉。
会社からまっすぐ帰ってきた。指先と足先が冷えている。きっと赤くなっているのだろうなと思う。扉を開くと、暖かい空気が解放されて、私を迎えた。
「ただいま。」
「おかえりなさい。」
白色のセーターを着た彼女が向こうから来る。儚くも清楚、そして頑張り屋な一面がある彼女は私の妻だ。
暖かい食事と暖かい空気が私を包む。
彼女は夜に家を空けることがあった。
男関係の心配はしていなかった。そういう女性ではないからだ。どちらかというと、暴漢に襲われるのではと思った。
だから、よく心配で電話をした。だけど、彼女は送り迎えはいらないと言った。いつも「明日も仕事なのだから、暖かくして寝ていて下さい」と言っていた。
彼女の話だと夜勤の仕事をしているのだとか…
なんとなく、身を切るような思いだった。冬の寒さに似ていた。
その日、私は1人で家にいた。
彼女は、私にあの台詞を置いて、仕事に行っていた。
身を切るような思いを温める為、酒を煽りに寒空に身を晒した。
その時に、彼女を見かけてしまった。2階の窓際の席。男と向きあって座っていた。暖色の柔らかい照明が二人を照らしていた。
12月も終わりそうな時期で、とても寒い日だった。
今、彼女はテーブルを挟んで向こう側にいる。
湯気が立ち昇るシチューに口をつけている。薄い赤色に染まる小さな唇が可愛らしい。私は帰ってきたばかりで、まだ体は冷えていて、手足は急な温度変化で痺れている。シチューに手が伸びない。
「少し話があるんだ」
彼女は何かを期待しているのか、目を潤ませ話を促してくる。無理もない。今日は、12月の中でも特別な日なのだ。でも、私は通勤に使う鞄しか持っていない。
思わず、手に力が入ってしまう。
あの日。鶴を見かけた日。
私はどうすることもできずに、途方に暮れていた。しかし、火照った身体に冬の夜の寒さが気持ちよくて、 鶴を保護しにくる人を待つ間、ずっと鶴に話しかけていた。主に家のこと。あいつの良いところ。悪いところ。出会い。喧嘩。仲直り。そして、好きな所。私は一般的な幸せな家庭を持っていた。
今、私は部屋に1人でいる。
彼女は私の元から飛び去った。
さっき、私はあいつに電話をした。目からは何かが零れている。
部屋は明るく、暖かだ。でも、体はまだ冷えてしまっている。暖房が私と部屋を温めようとしてくれている。テレビはついていない。
私は水で食器を洗っている。温水が出ないわけではない、なんとなく、水で洗っている。手が凍る。
私は食器を洗い終えると冷蔵庫を開いた。冷気が流れてくる。視界に入った私の手は赤かったが、気にはならない。これから、2人分の食事を作らなければならないからだ。
私は私自身に嫌悪感を覚えた。
いつのまにか、私の体は様々な感情で暑くなっていた。熱で溶け出した感情は液体になって目から溢れた。
料理は涙のせいで、上手に作れなかったが、あいつは美味しいと言ってくれた。
一部を除いてですが、よくある話だと思います。