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消し忘れた黒板の前で  作者: 松風 雪
第一章 晩夏の憂い
3/4

3 思い出の場所

 最寄り駅に着くと、二人は裏口の改札を抜けた。

 商店街やショッピングモールで賑わう表口と反対側に位置する裏口は、駅構内から直接繋がった大きな歩道橋を抜けると、すぐに閑静な住宅街が広がり、その奥には図書館や小、中学校がある。

 華やかな表口と比べ大分静かとは言えど、通勤や通学に利用されるのは利便性に優れている裏口のほうが多く、したがって人通りも多い。今の時間帯は、ラッシュアワーの混雑までまだ時間の猶予があるため、夕飯の買い物に出かける主婦や、塾や習い事に向かう小・中学生の姿が目立った。

 

 二人の目的の場所は、住宅街を抜けた先にある。駅から歩いて20分程かかるその場所は、この街で育った二人が小さい頃から立ち寄っている、いわば行きつけのスポットだった。

 路地の突き当たりから小さな階段を上り、道の左右に並ぶ桜の木を抜けると、突如、視界に広がる光の乱反射に二人は目を細めた。眩しさに慣れると、緑色の土手の横に、ごつごつとした岩の隙間を縫って緩やかに流れる真っ青な水面が見えた。

 小規模な川だが、地域の住民に愛されて続けている憩いの場であった。休日には散歩に訪れるお年寄りや、土手でキャッチボールを楽しむ親子連れも多く見られるが、二人はなるべく人がいない平日の夕方を選んでよく立ち寄った。


「ね、最後に来たのいつだっけ?」

 広野は鞄を両手で後ろに持ちながら、園村を覗き込んだ。

 子供が自分の誕生日やクリスマスに「今日は何の日か知ってる?」と聞くような、期待に目を輝かせた甘えた笑顔だ。

「卒業式の後だろ?」

「覚えてた、よかったあ」

「当たり前だろ、つい半年前だぞ」

 園村は呆れたように肩をすくめた。

 スキップのような小走りで川面に近づくと、広野はちょこんとしゃがみ込んで水に片手を浸した。

「つめたっ」

「来て正解だったな」

 隣にしゃがみ込み、園村も同じように手を突っ込む。暑さで膨張した頭が、すっとクリアになった。もう片方の手も水に沈めると、「ああー」と言いながら、まるで体内の熱を全て川の流れに解放するかのように息を吐き出す。顔を両膝の間にうずめ、両手を突っ張る姿のまま、このままこの冷たい水の中に体を沈めてしまいたい衝動を必死に抑え込んだ。

「まだ半年なのか、もう半年なのか」

 広野が呟く。隣の丸まった背中をちらりと見やったあと、視線を目の前の川に戻した。透き通った流水の奥に、小さな魚たちが体をくねらせて泳いでいるのが見える。まるで追いかけっこをしているかのように、すばしっこい動きで岩の間を泳ぎまわるものもいれば、じっとその場に佇み水の流れに体を任せつつも、流されていかないようにぐっとこらえているようなものもいる。

 

 広野はふと半年前の出来事を思い出し、ぷっと吹き出した。

「そういえば、卒業式の日は大変だったよね。京也が後輩の子に追っかけまわされてさ」

「その話は勘弁してくれよ。笑えない」

「いや、笑えたよ。ほんと、隅に置けないねえ、君」

 そう冗談っぽく言って、園村の肩をばちばちと叩く。

「式のあと、京也のクラスに顔出したんだけどいなくてさ。適当に校舎内探しまわってたら、あんなとこにいたんだもん。笑っちゃった」

 けらけらと笑う広野に向かって「ったく」とため息をつき、園村は半年前に思いを馳せた。

                    * 

 式が終わってすぐ、教室で仲間数人と卒業アルバムを眺めていたら、名前も知らない1学年下の女の子から呼び出された。周りの冷やかしから逃れるため、そそくさと教室を出て待ち合わせの体育館裏に行ってみると、女の子が数人固まって、園村の姿を見るなりきゃあきゃあと騒ぎ出した。そのうち、真ん中の一人がもじもじしながら、赤い顔でちらちらと見てくるので「何か用?」と聞くと、引きつった笑顔を見せた後わっと泣き出した。居てもたってもいられなくなり、すぐに踵を返すと「待ってください」と何人かが後ろから追いかけてきた。

 

 「写真だけでいいんです」とか「ボタンだけでいいんです」とか色々言われたが、どちらも面倒だったのと、追いかけられたら逃げたくなるのは人間の性あるいは習慣であり、情けないと思いつつも一目散に駆け出した。

 すぐ諦めるだろうと思っていたら意外としぶとく、振り切るのは無理だと悟り、どこか教室に隠れてやり過ごそうと腹を決めた。特別教室棟で一番小さな家庭科準備室に身を滑らせると同時に、廊下の曲がり角で園村の姿を認めたらしい広野が大きな声で「あれー、京也?」と呼びながら走ってきた。

 

 あのバカ――園村は準備室からさっと手を伸ばすと、目の前まで来ていた広野を引き入れた。「きゃっ」と小さく叫ぶ広野に、人差し指を唇にあてて制しながら、ドアの外へ顎をしゃくった。タイミングよく「せんぱーい?」と言いながら数人が通り過ぎていく。

 状況を把握した広野は、こくりと頷いて口をつぐむと目を三日月形にした。他人事だと思って楽しんでやがる――生意気な頭を小突いてやりたい衝動と戦いながら、息を潜めてドアの外の様子に耳を澄ませる。

 結局、足音が聞こえなくなったところで、先に広野を追い払い、しばらく様子を見たあとでようやく自分も外に出られたのだった。

                    *

「意外と、モテるんだね」

 あの日、約束もしていないのに広野は川辺にやってきて、同じ一言を口にした。

「びっくりしちゃった。私以外の女子と話すことなんてあんまりないのに」

「ほっとけよ」

 しゃがんでいた姿勢から「よっこいしょ」と言いながら、地面に尻をつけた広野は、体育座りの膝に頬をぴたりとくつけて、小首をかしげた。

「作んないの?彼女?」

 

 向こう岸の住宅街の影に傾いた太陽が、最後の足掻きとばかりに顔を照りつけた。上流から吹く微風が体を撫でつけ、汗で濡れたワイシャツの染みが背中にひんやりとまとわりつくのを感じる。

 園村は首の後ろを人差し指で掻きながら「別に」と返した。

「めんどくさい?」

「いたことないから分かんねえよ」

 広野は小さな両膝から頬を離すと、今度は顎を乗せて目の前の川面を見つめ口をすぼめた。

「じゃあ……機会があったら出来ちゃうかも?」

「さあな」

 投げやりにそう言うと、内側から陽炎のように浮かび上がった不快さに園村は目を細めた。 

 「でも、それで学校が楽しくなる可能性があるんなら検討するかもな」

 その一言を聞くと、広野は頬を膨らませ体を前後に揺すり始めた。

「お前も作ったらいいんじゃないか?そんで、そいつに一緒に帰ってもらえよ」

 頬に溜まった息をぷしゅーと吐き出し揺すりを止めると、今度は額を両膝につけてうずくまり篭った声で「ばーか」と言った。

 

 耳をくすぐる川のせせらぎに、遠くから電車の音が重なる。対岸で散歩中の犬が近くを通った子供に向かって無邪気に吠え、土手の上を走る自転車がちゃりんとベルを鳴らした。

 ここは昔から変わらない――四季によって、土手の色や草木の匂いに違いはあれど、二人がこの場所に期待する「それ」は変わらない。実体がなく、間違って強く意識すれば、まるで元々なかったかのようにふっと消えてしまいそうで、もしかしたら本当はただの幻想だったのかもしれないと不安にすらなるのだが、この場所に来てみると「やはりあった」と確信し、そんな疑念を持ったことすら忘れてしまうほどしっかりと存在しているのだった。

 その儚さに触れるために来るのか、それともその存在を確認するために来るのか、理由は定かではなかった。ただ、園村は時折ふと「ここに来たい」と強く思い、そのタイミングは大体いつも広野と同じだった。

「帰ろっか」

 広野はすっと立ち上がると、スカートの裾を叩いて芝生を落とした。

 目の前の太陽はすっかり住宅街の影に消え、赤々とした空だけが二人を見下ろしていた。

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