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消し忘れた黒板の前で  作者: 松風 雪
第一章 晩夏の憂い
1/4

1 始業式

 体育館から伸びる廊下はサウナのように蒸し暑かった。

 

 開け放たれた窓からは、夏の後半でも衰える気配のない日差しが差し込み容赦なく足元を照りつけている。耳障りなセミの声が廊下の壁に反響して暑さを一層強調する。

 園村は蜃気楼のように浮かんだ階段の奥へ目を凝らした。目的の教室までがとてつもなく長い道のりに感じる。何度拭っても滴り落ちる額の汗に顔をしかめながら、かかとにつぶれた跡がついた上履きをつま先につっかけて上った。

 前方では女子3人組が時折高い声で笑いながら、目一杯に広がって歩いている。大きな身振りやわざとらしい上目遣いは、そうすれば可愛く見えると思ってそうしているのだろうか。園村にはただただうるさくて目障りなばかりだった。


 特に面白くも無かった夏休みが過ぎ、また単調な高校生活が始まることに園村は嫌気が差していた。ほんの少し前までは信じていたのだ。全てが上手くいき、笑顔の耐えない毎日が訪れることを。入学前はさぞかし充実した3年間になるのだろうと心を躍らせていたものだ。

 新しい教室で、新しい友達を作り、少し難易度の上がった授業やテストを受ける――始めのうちこそ新鮮さはあったが、すぐに色褪せて感じるようになった。周りの喧騒から察するに、そんな冷めた目を持つのは自分だけらしかった。部活やデートといった青春話で盛り上がるクラスメート達が、自分とは違う世界の人間にすら思えて、静かに耐える苦行僧のような心持ちで毎日を過ごした。

 しかし、今日という日を迎えて、思っていたより単純で幼い自分が恨めしかった。2学期という節目を迎える今朝、玄関を出ると同時に、今度こそ何かいいことがあるのではないかという漠然とした期待に胸が膨れ上がってしまったのだ。

 ――それがどんなに甘い考えであったか、園村はつい先ほど身をもって実感した。

              *

 長たらしい校長の話が終わり、体育館の扉がぎっと音を立てて開かれたとき、園村はじっとタイミングを待っていた。茶髪やピアスをつけた姿で現れた生徒たちを待ち受ける生徒指導の目をうまくやり過ごすためだ。

 前の男子の影に隠れれば、そう難しいことではないはずだった。

 

 雑音の集合体が、ゆっくりと着実に、扉の外から差し込む光の中へ飲み込まれていく。時折、集団の平均から逸脱した固体がハイエナの牙に捕まってぽつぽつと引き抜かれたが、ペースが乱れることはない。一人また一人と扉の外へ吸い出されていった。外側に広がるその柔らかな解放の光に足を半歩ほど踏み入れたとき、園村は肩にごつごつとした大きな手の平を感じ、びくっと背筋を伸ばした。


「地毛っす」

 振り向きざまに、すでに言おうと決めていた文句を口にする。

「3組、園村っと……」

 何も聞こえなかったかのように、手元のバインダーのクラス名簿にチェックを入れると、生活指導兼学年主任の田所は「お前はあっちな」と言いながら顎をしゃくった。壁際には茶髪やパーマ、大きなピアスなど校則違反の象徴が目立つ生徒たちが、ふて腐れた顔をずらりと並べている。

 思わず何か言い返そうと振り返ると、禿げ頭はすでに背を向け、次の犠牲者の肩を掴んでいた。そして流れ作業のように、狷介な顔で顎をしゃくった。そうやって壁際の列を着々と伸ばし、最後には口一杯に唾を溜めながら生意気な輩たちに名ばかりの指導とやらをするのだ。

 もともとそこまで抵抗しようと思っていたわけでもなかったので、園村はひとつ舌打ちをして両手をポケットに突っ込むと、壁に背を預けた。これが期待に胸を膨らませて迎えた2学期の始業式だった。

               *

 前方の女子3人組が廊下の角を曲がるのを確認すると、園村は「あーあ」と声煮出してため息をついた。1学期の終業式にもこうして違反者扱いをされ、同じように地毛だと主張し、当たり前のように信じてもらえなかった。目つきが悪い、態度が悪い。そう言って教師陣から目の敵にされるのだ。

 それはなにも終業式や始業式に限ったことではない。普段、生活をしていてもすれ違いざまに小言を言われたり、職員室に呼び出されたりと散々だった。上の学年からも(特に、悪そうな見た目の先輩たちから)生意気だと噂のやつはどいつだ、とわざわざ教室まで顔を見に来られたこともある。

 

 廊下の角を曲がった先で、上級生らしき女子2人が園村の横を通った。すれ違いざまにちらりとこちらを見たあと、少し離れた先でヒソヒソと何か話しているのが聞こえる。また目つきが悪いとか怖いとか言われているのかもしれない。

 

 見た目の印象とは裏腹に、園村は一度まともに会話をする機会さえあれば人と打ち解けやすい性格だった。印象が変わった、などとご丁寧に報告してくれる人もいるほどで、友達作りに苦労したことは一度もない。人並みに冗談を言ったり、笑ったりもするし、周りにいる人間には特に気配りをかかさない。

 一般的な不良がするような、かつあげとかいじめとかそういった悪さは生まれて一度もしたことがなかった。むしろ、どちらかと言えば正義感が強かった。しいていえば、悪いものは悪いと言って、立場をわきまえず上級生や先生などに食って掛かったりすることも少なくないため、それが理由で園村のことをよく知らない人から喧嘩っ早い不良と誤解されていたに過ぎなかった。

 

 やっと辿り着いた1年3組の教室は、ドアの外まで響き渡るほど騒がしかった。園村はそろりとドアを開けると、教室内の注目を浴びないよう静かに自分の席を目指した。

「不運だったな」

 椅子に腰掛け机に突っ伏すと同時に、前の席の瀬戸一也が振り返った。

 黒縁眼鏡に手をかけて、キリッとした一重の目で園村を見下ろしている。

「ほんとだよ。地毛だって言ってるのに聞きやしない」

 口をすぼめて愚痴ると、今度は後ろから橘遼平の間延びした声が聞こえた。

「キョーは先生達に愛想がないからなあ」

 恨めしそうに振り向くと、柔和な笑顔が長めの髪を掻きあげた。

 平均より頭一つ分だけ飛び出た背丈に日本人らしくない堀の深い顔立ちで、教室内でやけに目立った存在感である。

「意味も無く偉ぶってる教師なんかに愛想よくする必要ないだろ。ってか、お前はむしろ媚びすぎなんだよ」

「確かに。それは言えてる」

 うんうんと頷く瀬戸と園村を前に、橘は「ひどいなあ」と肩を落とした。  


 瀬戸秀輔、園村京也、橘遼平の3人は50音順で席が前後というだけで、入学後すぐに打ち解けた。模範生徒の代表、瀬戸。生活態度の悪い不良、園村。女子のアイドル、橘。傍から見れば見事にばらばらな3人グループだが、なぜか馬が合う。

 

 橘は机に両肘をついて顔を園村のほうにずいと近づけた。

「問題は髪の毛じゃないんじゃない?だってそんなに茶色くないし。醸し出すオーラかな。不良っぽい」

「目つきのせいもあるだろうな」

 自分も充分鋭い眼光であることなど棚に上げて、瀬戸が言う。

「うるせえな。ほっとけよ」

 まるでずっと昔からこうしていたかのように、3人の間では歯に衣着せぬやり取りがしっくりくる。

 

 橘と瀬戸の二人は、初対面の第一声からずけずけとした物言いだった。

 入学して間もない頃、周りに気さくに話しかけようと努めた園村に対し、「見た目と違って話しやすいんだね」などと悪びれも無く笑ったのが橘で、「お前ズボンはもう少しあげたほうがいいぞ」とおせっかいな忠告をしたのが瀬戸だった。


「みんなどうだった?夏休み」

 橘が小首をかしげて満面の笑顔で聞いた。

「可もなく不可もなく。しいて言えば部活三昧だ。……ああ、勉強は捗ったから有意義だったとは言えるな」

 瀬戸が低い声でそう呟くと、橘は「うげ」と言って顔を崩した。

「セトちゃん相変わらず勉強ばっかだなあ。遊びたいって欲はないの?」

「部活は遊びのうちだろ」

「そおゆうんじゃなくてさー」と口を尖らせる。

「キョーちゃんはどうだったの?」

 園村は首を左右に振りながら、

「残念ながら、こっちも大した夏休みじゃ無かったよ。ぼーっとしてた」

「なんだか二人ともパッとしない回答だなあ」

 がっかりと言わんばかりに下を向いた頭に、仕方なく問いかける。

「そういう橘はどうだったんだよ?」

 すると、目鼻立ちの整った顔は、待ってましたと言わんばかりに得意げな笑みを浮かべ、

「もちろん充実してたよ。買い物、映画、海にバーベキューでしょ。彼女とずっと遊んでた」

 語尾に力をこめて言い切ると同時に、ピースサインまでこしらえた。

「彼女って……1組の?」

「あ、里香ちゃん?ううん、その子とは1学期で終わって、夏からは6組の遥ちゃん」

 園村は目を見開いた。

「もう2人目かよ。ペース速いな」

「そお?2学期は違う子に移ろうと思ってるけどねえ」

 爽やかに笑う橘を見て、園村と瀬戸は二人で同時に「くだらん」と呟いた。

「えー!高校生活の醍醐味でしょ。異性との交遊」

 この手の話に潔癖な瀬戸は明らかに不快だという顔をして橘を睨んだ。

「高校生活の醍醐味は勉強だ。そんなもんにうつつを抜かしてるとあっという間に置いてかれるぞ」

「ぐはあっ」

 園村は胸元を押さえて大げさにのけぞった。

「俺はそっちも嫌だね。大体何だよ、醍醐味って。何でも型にはめるな」

 頭を抱える園村に対して、橘は「うーん」と唸りながら腕を組む。

「じゃあキョーは高校生活で何を楽しみにするのさ?」

 何度となく自問したことが友人の口から発せられて、ぎくりとした。

「部活も入ってないんでしょ?3年間どうするつもり?」

「どうするもなにも、特に興味が沸くもんがないから仕方ないだろ。俺はお前らみたいに中学のときからやってるスポーツとかないし、タイミング逃しちまったしな」

 つっけんどんにそう言うと、橘は「いやいや」と言って左右に首を振った。

「サッカー部とかバスケ部とか、キョーは運動神経いいんだから結構いけるんじゃない?うちの学校はどの部も強豪ってわけじゃないから、いつでも歓迎してくれると思うよ。んでんで、きっと女の子にもモテるよ」

「おい……そんな不純な動機でバレーをやっているのか」

 瀬戸がすかさず目を細めて橘を睨んだ。図星だったのだろうが、友人の突然の気迫に驚いた橘は、両手を体の前で振った。 

「そ、そんなことはないけどさー、ほら、まあ楽しいほうがいいじゃん?3年もあるんだし」

 あたふたと取り繕う優男を尻目に、完全に気を悪くした様子の瀬戸は、眼鏡を神経質そうに直しながら前に向き直ってしまった。

 

 咳払いをして場を取り直してから、橘は体を前に乗り出して小声で聞いた。

「で、キョーは作らないの?彼女」

「まあ……出来たら出来たで別にいいけど。お前みたいに積極的にはなれないよな」

「ふーん」

 いたずらっぽい視線を向けると、橘は口を尖らせておどけた。

「不良っぽい雰囲気好きな女の子って結構多いよ。モテそうなのに、もったいないの」

 園村は眉間にしわを寄せ、ちっと舌打ちした。

「冗談だよー、もう、そーいうのが怖いんだって」

 白い歯を見せて笑うと、くっきりとした二重の目がすっと細くなった。左右均等についた両目と形の良い唇が、計算されたかのように整った笑顔を作り出す。

「まあ、気が変わったら言ってよ。女の子いつでも紹介するよ」

「お前に気がある女を紹介されてどうすんだよ。絶対頼らねえ」

 そう言い切ると同時に、担任の藤野が「席につけー」と言いながら教室に入ってきた。

 

 また始まるであろう単調な日々を憂いながら前に向き直ると、瀬戸が机の引き出しから教科書を取り出し、後ろからは「藤さん遅いよー」と橘が茶々を入れた。

 どれも1学期と何ら変わらぬ風景だった。

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