彼とあたしと、はじめての出逢い(1)
ダーリンとハニーの出逢いの物語です。
残虐性、官能性、まったく皆無です。
ほのぼの?純愛物語。
残虐性、その他もろもろをお求めの方、飛ばしていただいてもまったく差し支えありません。
純愛ものなんていらねぇよ、という方、どうぞ安心してターンして下さい(笑)
たまには純愛もいいよね、ダーリンとハニーの出逢い、超気になるーという心お優しい御方はどうぞどうぞ、お目汚しとなりますが、先へとお進み下さい。
これは、彼とあたしの物語である。
そしてこの物語には一切、あたしの名前も彼の名前も出てこないのです。
なぜならば、彼がダーリンで、あたしがハニーだからです。
『ダーリン』と『ハニー』以外の何者でもなければ、互いが互いをダーリンとハニーと認識していれば名前などいらないのです。
だからこの物語にはあたし達の名前など、ほんの砂漠の砂粒ほども出てこないのです。
そしてこの物語はあたし達が初めて出逢った時から始まる最高にして無比である、それはそれは素敵な猟奇的な愛の物語―――――
が始まるほんの少し前のなんでもない出逢いの物語。
彼は最初から普通ではなかった。
初めて出逢った時から、彼はとても普通でいて、普通ではなかった。
彼は誰もがそうであるような、傲慢で我が儘で自己中心的な一面、というものを持ってはいなかった。
今時のファッションに身をつつみ、明るく染めた髪をワックスで逆立て、モテる(と信じている)仕草を行い、ばか丸出しの口調と会話で女の子の気を引こうとする男たちの中で、彼はとても異彩を放っていた。服装といえば、白いシャツに深緑のVネックカットソーを重ね、ダークブラウンのスラリとしたパンツを履いただけだったし、髪は自然のままの色で、周りが餌を求める雛のようにピーチクパーチクと忙しなく口を開く中で、彼はただの一言も話さなかった。
だけどもその簡素な服装は、彼の日焼けの知らない白い手首や首筋を否応なしに魅力的にしていたし、黒い髪はとても艶やかで、そこから微かに見える耳がとても色っぽかった。そして、口を開かなくても、彼の声はきっと蜂蜜をかけたバニラアイスのように甘い響きをもっているのだろうということは、容易に想像できた。きっと私は彼が何を話そうと、その彼の発する音の、声の虜になってしまうのだろうと、そう確信した。
初めて会ったというのに、隣で無遠慮に人の髪を触りながら、何人もの女の子に言ってきたのであろう軟派な言葉をしきりなしに話す男を相手にすることもなく、あたしはただひたすら目の前で微笑む彼に目を奪われた。ただそこにいるだけなのに、あたしを魅了して離さない彼に、あたしは一目で何かが崩れるのを感じた。こんなにも人を惹きつけてしまう人がいるのかと、衝撃と歓喜が血管という血管に沁み渡ったのを覚えている。
けれど、後から友人たちが、集まった男たちの吟味をしている中で彼の名前が挙がらなかったことにあたしはひどく驚いた。どうして、あれほどまでに印象の強い人が彼女たちの、誰ひとりの眼にもとまらなかったのだろうと。だけども、彼女たちの求む男性は、飾り立てた己を出し惜しみすることなく甘い言葉の称賛を浴びさせてくれる男たちであって、ただ黙ってその集団に溶け込もうともしない男ではなかったのだ。例え身目形が良くとも、ただの一言も自分たちと会話に参加しようともしない男に彼女たちの白羽の矢は立たなかったのだ。ただそれだけのことだ。
それでも、あたしは、彼の微笑みが忘れられなった。彼は何も話さなくても良かったのだ。話す必要などなかったのだ。彼はただそこにいて、微笑むだけで良かった。だから、彼女たちが彼の話を一言もしないことに苛立った。彼は本当に『良かった』のだ。何が良かったのか分からない。けれど、あたしが辞書並みの豊富な語彙をもっていたとしてもきっと彼のことを『良かった』の一言で済ませてしまっただろう。それ以外の言葉など必要なかった。あたしは、どうにかして彼の良さを彼女たちに知ってほしかった。だからあたしは言った。
「あの人、・・・・笑ってたね・・・・、」
情けないことにこれ以上の言葉は言えなかった。だってあまりに彼を褒め立てて、彼女たちが彼を気にしてしまうと、嫌だったから。彼の良さを知ってほしいのに、集まった人たちの中で一番素敵だと知ってほしかったのに。けれども彼の良さを彼女たちが知ってそれに共感して興味をもつのが嫌だった。矛盾。あぁ、あたしはいったいどうしたいのだろう。
「すごく、・・・・」
これ以上言葉の紡げないあたしをみんなは可笑しげに笑い、こう言った。
「何言ってるの?笑ってなんかなかったじゃん。ずっと無表情。綺麗な顔してたけどさ、何考えてんのか分かんないからちょっと怖かったなぁ。能面かと思っちゃったー」
一瞬、彼女たちが何を言っているのか処理できなかった。なんで?彼はずっと微笑んでいたのに。無表情?能面?違う。全然違う。変なの。可笑しいの。みんな・・・変なの。
「もう、あんた全然しゃべんないんだからー。変なの」
何、緊張してたの?とけらけら笑う友人たちにあたしは曖昧な笑みを浮かべてその場をやり過ごした。
違う。変なのはみんなの方なのに。けれど彼女たちからすれば変なのはあたしの方だった。
「いい人いた?」
あたしの隣にいた彼女にそう聞かれた。彼女はみんながあたしの発言に声を挙げて笑う中、嬉しそうに唇を笑みの形にしただけだった。そんな彼女の言葉にあたしは胸をつかれたような気がしたけれど、あたしははっきりとは答えず、彼の笑みを思い浮かべて、同じように笑った。けれどそれは失敗に終わった。彼の微笑みを真似することなどできなかった。
そんなあたしを見て彼女は目を細めて笑った。
そしてあたしはなぜ彼らと話すことになったのかを考えて、友人のいらぬお節介に内心苦笑した。
最初はただ偶然かと思ったけれど、それはいつまでたっても男っ気のないあたしに彼女たちがほんの少しの潤いを与えてくれようと考えた上での『懇親会』という名の合コンだった。といっても、ご飯もお酒もカラオケもなかったけれど。
男を紹介されるのも、合コンに参加するのもいつも断るあたしに、彼女達は作戦と呼ぶにも幼い『偶然』をつくったのだった。大学のラウンジで『偶然』講義のないあたし達は、『偶然』友人の所属するサークル仲間に出会った。彼らもまた『偶然』時間を持て余していたから、暇をつぶすためにあたし達は彼らと話しをして時間をつぶすことにした。すべてが偶然の産物。けれどもそれは笑ってしまうほど見え見えのお節介。彼女たちは演技が上手ではなかった。
放っておいてくれても良いのに、彼女たちはとても良い子たちだから、あたしにも幸せになってもらいたいと、いつも愚痴をこぼす。彼氏をもつことが、恋をすることが、必ずしも幸せになるとは限らないのに。そう信じて疑わない彼女たちは自分を飾り立て、一生懸命に恋をする。その姿はとても可愛くて、あたしは大好きだった。だから、彼女たちのお節介に文句を言うことはないし、それで彼女たちを嫌いになることなどなかった。ただ、やっぱり合コンなんかは性に合わないから遠慮はさせてもらうけれど。あたしが彼女たちの誘いを断っても彼女たちは決してあたしを除け者にはしない。
「ごめんね」
「なにが?」
だから、こうして騙すように男たちの集団に飛び込んだことに対して、あたしが嫌な思いをしているのではないかと、心配して、やりすぎたのではないか、と素直に謝ってくれる彼女たちが大好きだから、だからあたしは知らないふりをして、とぼけて、にっこり笑う。そんなあたしの笑顔に彼女は一瞬驚いた顔をしたけど、すぐにふにゃりと女の子らしい可愛い笑顔で笑った。彼女は「彼が笑った」と言ったあたしを、他の子と同じようにけらけらと声を挙げて否定せずに嬉しそうに笑った子。
「よかったね」
何も言わなくても、あたしが彼に恋をしたことに気が付いた彼女は、それ以上何も言わずに、ただあたしの静かな恋を喜んでくれた。彼女にはっきりと彼への恋心を話すつもりはなかったし、他の子たちにも言うつもりはなかった。あたしのことを心配してくれている彼女達を蔑ろにしているわけではなかったし、たとえ騙した形であっても彼に引き合わせてくれた彼女達には感謝している。けれども、彼への想いは、誰にも言わず、ただひっそりと大切に大切にしておきたかった。唯一あたしの変化に気づいた彼女は、あたしに対して何かを言うわけでも詮索するわけでもなく、静かにあたしの幼い恋心を見守ってくれた。
そんな彼女があたしは大好きだ。
きっと彼女があれやこれやと詮索するような子だったら、あたしは即座にその恋を否定し、捨て去ってしまっていただろう。だから、この物語は彼女なくしては始まっていなかったかもしれない。だからあたしが彼女を『親友』と呼ぶには何の躊躇いもなかった。