番外編? 恥辱の樽についての考察
本編とは関係ないものです。
読まなくてもまったく差し支えございません。
興味のある方のみどうぞご覧くださいませ。
『彼とあたしと、鉄の処女』より、『彼とあたしと、復習』の中ででてきました鉄の処女の元となったと言われる『恥辱の樽』が、拷問とは思えないという意見をいただきましたので、感想をいただいた方に返信したもの、そして3月18日の活動報告に掲載したものと同じ内容をここで説明させていただきます。
恥辱の樽が拷問性をもつとは思えない、という意見をお持ちになった方、また恥辱の樽に興味をもった方、瑞雨の勝手な推測をご覧になりたい方はどうぞご覧ください。
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『恥辱の樽』
中世から近世にかけてヨーロッパで行われた「恥辱の刑」と呼ばれる、晒し刑に用いられる懲罰具として、「処女のマント」、また「恥辱の樽」と呼ばれたものがあったが、これは当時の刑罰の資料によれば、受刑者は樽から頭と足だけを出して市内の広場に立たされる、というものである。ビーレフェルト大学のヴォルフガング・シルト教授は、「鉄の処女」はこの「恥辱の樽」の内側に、19世紀になってから鉄の針を付け、頭の部分を覆うよう改造されたものであるとしている。
(ウィキペディアより抜粋)
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恥辱の樽は、調べていただくと理解していただけると思いますが、精神的苦痛を与えるものです。
拷問とは肉体的に苦痛を与えるのみではなく、精神的に苦痛を与えることも目的とされています。
というよりも、私は精神的苦痛を与えられることの方が、肉体的苦痛よりもより苦痛を与えるのではないかと考えています。
恥辱の樽は『晒す』ということで、『彼の者は罰せられるべき者である』ということを市民に知らしめ、嘲笑を集めるものです。
手足が出ていたとしても身動きをとることは困難だったと思われますし、己の住む町で己を知る者たちに自分が犯罪者であるということを知られるということは、大変な屈辱だったと思われます。また刑が終わったとしても犯罪者というレッテルは貼られたままで、その家族、親族もそういった目で見られ、大変肩身の狭い思いをすると思います。
昔は簡単に住む場所を変えることはできず、生まれた町で死ぬということが普通だったので、犯罪を犯して、肩身が狭いからといって街を移動することはできなかったと思われます。食べ物や着るものなど生活に必要なものを売ってもらえなかったでしょう。仲のよかった者たちからも避けられたでしょう。それでも移住できないのです。そこで一生を終えなければいけないのです。
石を投げられたり、嘲笑を浴びたり、何かあればその一族のせいにされたでしょう。
恥辱の刑とはその時だけのものではなく、一生を通して刑を施されるのです。
なので、その時、その瞬間に、肉体的に刑を与えられるよりも、辛い辛い刑罰なのです。
恥辱の樽は、また、暑い時期に施されていたとしたらどうでしょうか。
水を与えられず、炎天下のもとに晒されるのです。手足が出ていても、大きく膨らんだ樽で手は顔にまで届かなかったはずです。汗をぬぐうこともできない。経験されたことがあるかは存じませんが、目に汗が入るのって結構染みて痛いです。流れる汗を流しっぱなしは痒くなります。
寒い時期ではどうでしょうか。冷たい手足をさすることもできず、長時間晒されているとしもやけどころか、凍傷にまで至るかもしれません。
一見、なんともなさそうな刑罰ですが、大変な屈辱と、肉体的な苦痛も味わうのです。そしてそれは一生つきまとうのです。
恥辱の樽は拷問器具ではなく懲罰具とされていますが、私個人の考えからすると立派に拷問器具ではないかと思います。そしてそれはとても厳しい拷問の一つだったのではないかと考えています。
長くなりましたが、これらはすべて私が調べた中での私個人の考えなので、実際どのような刑だったのかは分かりません。ですが、間違いなく恥辱の樽は拷問だったということを理解していただければと思います。
今回、このような説明は話の中では流してしまい、恥辱の樽が確かに拷問だったということが伝わらなかったのは私のミスだったと思います。申し訳ありません。ここを見て理解していただけたなら嬉しいです。
もしこの説明を読んでも理解できなかったら、それは私の説明力が低いということが問題なので、大変申し訳ありませんが、折り返し私に分からないところを尋ねていただくか、ご自分で調べていただくとありがたいです。




