彼とあたしと、拷問
珍しく雪が降った。あまり雪の降らない地域だから、たまに降る雪は本当に冷たく感じる。少し大きめの牡丹雪は積もることなくただ道を濡らしているだけ。窓の傍に行くと指先がすごく冷えた。
あたしはあまり雪が好きじゃない。暖かい家の中から見る雪景色は綺麗で好きだけど、外に出るのは絶対嫌。雪が降ったからって外にでて雪を触ろうなんて全く思わない。冷たいだけでちっとも良いことなんてない。
小学生のころ、「雪が降ったから1時間目は算数の授業をやめてみんなで外で雪遊びをしましょう」なんて言った担任がいたけど、あれほどまでに算数の授業を望んだことはなかったね。元々算数は嫌いじゃないから余計に。みんなが嬉々として運動場を走り回る中、非常に冷めた目をして階段で座ってたあたし。
あぁ、つまらない思い出。
こんな雪の日は家の中で暖かい格好をして、温かいミルクを飲みながらのんびりするのがいいよね。
なのにさ、
「ねぇ、真の拷問って何か分かる?」
なーんて、目の前に座る男が言うもんだから、体だけじゃなくて心の底まで冷えて冷えてたまらない。あぁ、どんどんと降り続ける雪が憎らしい。そして、あたしの一番大っきらいな日に一番聞きたくない話をしてくる彼も憎らしい。
「あたし、拷問の真偽なんて聞きたくも考えたくもないんですけど・・・」
そもそも正しいとか間違ってるとか、拷問についてそんなこと考えてるの彼くらいだと思う。即答で否定したあたしの言葉を今度は彼が即答で否定する。
「あはは、だめだよ、ハニー」
やけに爽やかな笑顔がなんだか憎らしい。・・・なにその無駄にいい笑顔。ていうか、
「何がだめなの」
「君には聞く義務があるんだ」
義務って・・・・抗議しようとしたけれど、彼の何やら黒い笑みを見ると恐くてできない。
あぁ!!!寒い寒い寒い・・・・!!!ていうか、なんで窓開けるの!!
彼はあたしの反抗的な態度を見て外が猛吹雪に変わったにも関わらず窓を全開にした。自分だって雪嫌いなくせに、あたしの嫌がる顔を見るためにそんなことするんだから手に負えない。母親に話を聞いてもらえない駄々っ子か。あたしにお仕置きするためには嫌いなものも我慢する?そんな自己犠牲いらないから!話聞くから閉めてぇえええ!!
真っ青な顔で、でも炬燵から一切動かないあたしを見て、彼はくすくすと笑いながら窓を閉めた。・・・ふん、平気そうな顔してるけど指先が震えてるの知ってんだからね!
「聞く気になった?」
あーあ、こんなに指先冷えてまであたしに拷問の話を聞かせたいのか。まったく。なんて思ってたらあたしの頬に冷えた手を当ててきた。うぎゃ!つめた・・・っ!!
しょうがないなぁ、なんて言いながらあたしは彼の冷えた手を両手で包みこんで擦ってあげる。はぁ、と息を吹きかけて更にさすりさすり。しばらく繰り返していると温まってきたので、満足してにっこりと笑って炬燵の中に出戻り。すると彼はつまらなそうな顔をしてあたしを炬燵から引きずり出す。
ちょ、もうなんなのさ。
口をとがらせてぶーぶー言ってると、あたしの背後に座って、両手を顔の前に差し出してきた。そして「もうちょっと、」なんて拗ねたような口調で可愛く言うもんだからあたしは可笑しくなって彼の手をもう一度包み込んで優しく擦る。
しばらく会話もせずにほのぼのとした空気を楽しんでいたら、彼はおもむろに口を開き、そしてこう言った。
「あのね、そもそも拷問というものは刑罰に使用されるものだけど、それ以外にも奴隷を従わせるためだったり、人の皮膚や髪、内臓や血なんかの体の一部を収集するために拷問を用いられたりもする。これらの拷問は罰を与えたり人の体の一部を手に入れるための手段として用いられているけど、稀に目的としての拷問を行う人もいる。拷問を行うことに快感を得て、ただただ拷問をしたいという人たちだね。まぁ、快楽を得るために拷問を使用すると考えるとそれは手段としての拷問になるかもしれないけど」
あたしに有無を言わさないようにか、すらすらと言葉を紡ぐ。
・・・はぁ。またこうなるのね。
あたしが否定しようが肯定しようが彼にとっては関係ない。大切なのは、『彼』が『今』『あたし』に『その話』をしたいってことだけで、『あたし』が『聞きたくない』なんて答えは用意されていないのだから。彼が話したいと思ったら話す。それが彼のルール。
それは決してジャイアニズムによるものでなくて、『そうなっている』のだ。だからあたしは、話を聞くために、彼の手をさするのをやめて、今度はぎゅっと握る。怖いからね!うん。いや、そんな胸張っていうことじゃないけど、彼の話って本当に怖いんだもん。話の内容もだけど、彼の声が背筋をぞっと凍らせるから。こんな雪の日はとくに冷えそう。だからあたしは無理に虚勢を張るのはやめて、素直に彼の手に縋る。
そんなあたしの態度に満足したのか、彼はおもちゃを買ってもらった子供のような無邪気な笑顔をあたしに向けた。その顔だけであたしの心はノックアウト。仕方ない。付き合ってあげるか。
なーんてぜんぶ彼の手の内だけどね!たまには子供のような彼に付き合うのも一興。・・・いつも付き合ってるってのは考えないよ、うん。
「エリザベート・バートリーは処女の生き血を手に入れるために鉄の処女を使用しているから彼女の拷問は手段としてでしかない。イルゼ・コッホもエリザベートと同じく、皮膚を収集するために囚人たちに対して拷問を施していたから手段としての拷問だね」
下半身は炬燵の中、手の中は彼の両手、背後には彼。とってもとっても暖かい。
なのに、とっても冷えるのはなぜでしょう・・・。
今の状況に自己嫌悪を感じながらも、なんだか彼の話に夢中になっている自分がいる。
「阿部定はどっち?」
なんて聞いちゃうくらいには彼に毒されてきている。そんな自分の思考にぶるり、と脊髄反射のように腰から震えた。
あたしの震えを接触している体で感じた彼は、あたしを少し強めに抱きしめて、暖を与える。そしてあたしの質問に声を弾ませて答えてくれた。
「阿部定が行ったのは拷問ではないね。阿部定は愛する人の局部を切り取って所持してはいたけど、その目的は愛する人と共にありたいという願いからであって愛人を痛めつけるためではなかったし、相手が死んでからの行為だったから、彼女が行ったのはただの猟奇的な殺人」
うーん。拷問も奥深い。・・・・・いやいやそうじゃないだろ、あたし。いや、ほんとまじで彼の嗜好に流されてるよ。うぅーん、でも気になる。気になるのは仕方ない。
「目的として拷問を行った人っているの?」
「うーん、そうだねぇ、呂后なんかはそうかもしれない。夫の愛人に苦痛を与えるために切断などの拷問を行ったからね。快楽を求めるとは少し違うけれど」
そっかー。あ、雪がさっきより小ぶりになってきた。あたしが彼の話を拒否すると猛吹雪。彼の話に聞き入ってると小ぶり。・・・・いやいやいや、まさかね。彼が雪まで操ってるなんてことないでしょー。あははっは・・・は。そんな人外的な力なんて・・・ありそうで怖い。うわ、また降ってきた・・!!
そんなあたしの考えを知ってか知らずか彼は
「また強くなってきたね」
と外を見ながら少し嫌そうに言った。あたしが悪いのか!?いや、違うよ!!?
彼は今度は自分が暖をとるためにあたしにぎゅっと強く抱きついて、また話に戻す。
「手段として拷問を行っていた人たちには共通点があるんだ。何かわかる?」
共通点?うぅーん、なんだろ。
彼の手を温めながら分からない、と首を振る。彼の手はすぐ冷たくなる。夏でも冬でもひんやり。
せっせと手を動かすあたしを嬉しそうに見つめる彼。背後にいるから顔は見えてないけど、でもそういうのって雰囲気で分かるよね。あー、幸せ。会話はアレだけど。
「あのね、最初は皮膚や血を手に入れるためでしかなかった拷問に快感を得るようになるんだ。拷問を行うことに愉しみや悦びを感じるようになり、いつしか血や皮膚を収集すること以上に拷問を行うことに目的を置くようになる。最初は見ているだけだったエリザベートは次第に興奮して自ら拷問を行うようになったそうだよ。とにかく誰かを甚振りたくて仕方がない」
うわー、怖っ。
「そうそう、有名な映画にesというものがあるけどそれは知ってる?」
「知らない。なにそれ」
面白いなら見てみたいけど、なんかタイトルからして悪趣味なにおいがぷんぷん。まぁ、このタイミングで出してくるくらいだから碌でもない映画なんだろうけど。面白いの?という問いかけに、彼はうーん、と少し考えるそぶりをした。
「この映画は1971年にアメリカのスタンフォード大学で実際に行われたスタンフォード監獄実験を元にしているんだ」
監獄実験・・・・。なんかもう、すでにうすら寒い。
「映画ではね、新聞広告によって募集された男たちが、ドイツの大学地下に設置された擬似刑務所で、囚人と看守の役を2週間演じ続ける実験が行われたんだ。この実験の存在を知った主人公の男モーリッツは、取材と報酬目当てで囚人としてこの実験に参加した」
囚人と看守、ねぇ・・・。牢屋に入って、それを看守が監視みたいな感じ?ふーん。
なんかあんまり分かんないなぁ。おままごとみたいな感じ?・・・ヘビーなおままごとだ、うん。
「新聞広告に書かれてたことは、被験者求む。拘束時間2週間、報酬4000マルク、応募資格不問、実施場所は大学内模擬刑務所の5つ」
「4000マルクって日本円で何年?」
「だいたい25万円くらいかな」
へー。2週間で25万円か。結構高額。2週間囚人か看守を演じるだけで約1ヶ月働いたくらいの報酬がもらえるわけでしょ?うわー、いいな。と思わず漏れた言葉に内心苦笑。現金な女だなあたし。自分で自分を可笑しく思ってると、彼もくすくすと声とたてて笑った。
「その実験は大学の地下に作られた擬似刑務所で20人の男を「看守」と「囚人」に分けて、それぞれ与えられた役になり切り2週間生活するというものでね、タレクは、2週間で4000マルクという高報酬と、刑務所の囚人の疑似体験という実験の特殊性が良い記事になると思って、実験の様子を秘密裏に取材し、録画する為の超小型カメラを眼鏡に仕込み実験に参加した」
たしかに面白そうな実験ではあるよね。看守と囚人かぁ。疑似体験とは言ってもやるなら看守がいいよね。薄暗い監獄になんていたくないし、囚人って悪役?的だし。
「実験では、囚人達には屈辱感を与えてよりリアルに演じてもらう為にパトカーを用いて逮捕、指紋採取して、看守達の前で脱衣させて、シラミ駆除剤を彼らに散布したんだ。で、ID番号が記された白色の女性用のスモックかワンピースを下着なしで着用させる。歩く時には片足に常時南京錠が付いた金属製の鎖が巻かれた。トイレへ行くときは目隠しをさせて、看守役には表情が読まれないようサングラスを着用させたりしたんだ。囚人を午前2時に起床させる事もあったんだって」
うっわー。えげつないなぁ。でもそれだけだったら2週間くらいはいけそうな気がしないでもない?あーでも2時に起こされるのはきついなぁ。
「初日は両サイド共に何の問題も無く和やかな雰囲気で過ごしたんだ。だけどその後、些細ないざこざから看守側と囚人側が対立していくんだ。次第に、看守役は誰かに指示されるわけでもなく、自ら囚人役に罰則を与え始めてね、反抗した囚人の主犯格は、独房へ見立てた倉庫へ監禁し、その囚人役のグループにはバケツへ排便するように強制され、耐えかねた囚人役の一人は実験の中止を求めるんだけど、実験者のジンバルドーはリアリティを追求して『仮釈放の審査』を囚人役に受けさせて、そのまま実験は継続される」
ふふふ、と愉しそうに笑った彼の声が耳元で振動して、くすぐったさよりもなんだか寒気と恐怖を呼び起こす。話の内容自体は今までの拷問話よりまだ軽い方だけど、やっぱり彼が話すとどんな話もより恐ろしくなる。こうなるとあたしは彼の話の内容に対していちいちつっこんだり考えたりすることができなくなって、ただただ彼の話に飲み込まれていくだけになる。
「精神を錯乱させた囚人役が、1人実験から離脱した。さらに、精神的に追い詰められたもう一人の囚人役を、看守役は独房に見立てた倉庫へうつし、他の囚人役にその囚人に対しての非難を強制し、まもなく離脱。実験の日数が経過するにつれ日常行動が徐々に女性らしい行動へ変化した囚人も数人いたらしくてね、実験中に着用していたのが女性用の衣服だったからじゃないかと言われてるんだって」
なんて愉しそうに話すのか。炬燵の中にいるのに寒くて仕方がない。これは決して外が猛吹雪だからではなくて、間違いなく背後に座る彼のせい。ぞわぞわと這い上がる寒気に、足を抱えて身を縮こませたいのに、炬燵が邪魔でできない。体の中枢から離れたところに放りだされた足が心もとなくてもぞもぞと動かしてみる。こういう話をしているときは、絶対にあり得ないのに、誰かに足を掴まれたらどうしよう、とか後ろに誰かいたらどうしようとか思ってしまう、びびりなあたし。まぁ、背後にはその怖さの原因が間違いなくいるわけだけど・・・・。
「看守役はね、囚人役にトイレットペーパの切れ端だけでトイレ掃除をさせたりしてたんだって。それでね、ついには禁止されていた暴力が出始めた。実験を止めなければならないジンバルドーは、自分自身が実験に飲み込まれてしまって、結局6日間で中止されたんだ。だけど看守役は『話が違う』って続行を希望した」
検者が被験者の雰囲気にのみ込まれる。あってはならない実験。客観的に冷静に見なければいけないのに、自身がそこに入ってしまった。
そう、それはまるであたしのように。
「どうして看守役が続行を希望したのか。それは『権力への服従』『非個人化』が関係あると思うんだ」
彼は暖かくなった手であたしの頬を挟み、半開きになったあたしの唇を小指でさすった。
「強い権力を与えられた人間と力を持たない人間が、狭い空間で常に一緒にいると、次第に理性の歯止めが利かなくなり、暴走してしまう。そして、元々の性格とは関係なく、役割を与えられただけでそのような状態に陥ってしまうんだ。つまり看守役はより看守に、囚人役はより囚人になろうとする。看守役の被験者は囚人役に対して己は罰を与える側だから何をしてでも服従させようとする気が現れてくる。そして囚人役は何も罪を犯してはいないのにも関わらず己が悪事を働いた非道な人間だと錯覚してくる」
少しかさついた唇を彼の指がなぞる。それはゆっくりとゆっくりと口内に侵入し、薄く開いた歯の間に収まる。押しつけたり左右へ動かしたりしてあたしの舌を転がしながら遊ぶ彼の指が、まるで愛撫を施すかのように熱い。そして更にそれを誘うかのようにあたしの口はだらしなく唾液を溢れさす。彼の指があたしの口内を侵したその瞬間にあたしの体は言うことを聞かない人形のように彼に服従を誓った。彼が看守ならあたしは囚人。彼という支配者のもとであたしは有りもしない罪に懺悔し、彼に赦しを請う。そんなあたしを彼は愛おしいとでも言うかのようなうっとりとした顔で見つめる。
「ふふ、つまりね、何が言いたいかっていうと、手段として拷問を使用したエリザベートは自分が全てを支配する権力者と錯覚を起こし、自らつくった雰囲気にのみ込まれていったってこと」
君みたいにね?
もはやあたしの耳には彼の言葉は届いていない。ただ『甘い音』が耳をすべり、脳を支配する。その音によってあたしの目は熱に侵されたかのように潤み、口は締まりなく開き、熱く火照った頬は彼の手を温める。
「僕、思うんだ。真の拷問とは、相手を服従させて『愛』を与えることだってね」
彼の言う『愛』が例えその言葉の通りでなかったとしても、あたしはきっとそれを『愛』だと受け止める。彼が何をしようと、彼が何を言おうと、それはすべて『愛』。彼はあたしを愛するが故に『拷問』という言葉を口にする。愛するという『目的』のために拷問という『手段』をつかう。つまり彼の拷問は目的のための拷問。
「ねぇ、ハニー?」
いつの間にか彼の膝の上に横座りになり、目は彼の顔を見ることしか許されていない。甘さと苦さを含んだ音が鼓膜を振動させる。
「君も実験してみる?」
拘束時間2時間、応募資格はハニーのみ、実施場所は僕の腕の中。
「報酬は?」
と問うあたしの唇を、ふふ、と笑う彼の口唇が掠める。触れるか触れないかぎりぎりの距離が愛しくてもどかしい。
いつの間にかやんだ雪がきらきらと反射して部屋を照らしてまぶしい。外はきっとまだ寒い。
あぁ、なのに。
ココはとっても、
・・・アツい
こうしてあたしは彼に飲み込まれていった。
今回の教訓。
『真の拷問、それはすなわち愛なり』
映画『es』についてはウィキペディアを参考・引用してます。
『ダーリンの実験』内容はお好きなように御想像くださいませー。
猟奇的にするもよし、性的にするもよし(笑)
ちなみに報酬は言わずもがな、『だーりん』です。