彼とあたしと、赤ずきん
まだまだ引きずります、赤ずきん。呂后、そして番外編の赤ずきんネタはすべてこの話につなげるためでした。やっとこさ完成したのでさっそく更新。
「ねぇ、ダーリン。お願いがあるの」
あたしの唐突な申し出に彼は嫌な顔ひとつせず、にっこりと笑った。手には入れたてのコーヒーを二つもち、赤いカップをあたしに差し出す。オフホワイトとダークレッドのカップは別々で買ったのにまるで二つでワンセットのように自然と寄り添っている。赤はあたしで白が彼。ふわりと香るコーヒーから少し甘いにおいが鼻をくすぐった。カップを傾けて、こくりとコーヒーを咽喉に送ると、香りと同じ甘い味が口内に残った。
「あまい」
思わずほぅと息をつくと、彼は優しく笑って隣に座った。
「ホット・モカ・ジャバだよ。濃いめのコーヒーにチョコレートシロップを加え混ぜたら、ホイップした生クリームをのせて最後に削ったチョコレートを散らして完成」
ひと手間加えたコーヒーはほろ苦さと甘さがミックスされてとっても美味しい。もう一度口にして、ほっと息をつく。
「それでお願いってなぁに?」
体に温かさが染みわたるコーヒーであたしは彼へのお願いを忘れそうになっていた。そう、お願いがある。けれどそのお願いはとっても子供っぽくて、お願いというにも恥ずかしい、そんなこと。けれどずっと思っていたことで、どうしても彼にお願いしたかったこと。
「あのね、」
どうも気恥かしくてなかなか口にできないあたしに苛立つわけでもなく、うん、と頷いて気長に待ってくれる彼に、あたしはもう一度甘いコーヒーをお腹に入れて言葉にした。
「物語を、読んでほしいの。グリム童話がいい」
彼の甘い声はあたしの脳をくらくらとさせて、お腹をほわほわと熱くさせる魔法の声。あたしの大好きなグリム童話を読んでくれたらどんなにいいだろう、とずっと思ってた。きっと素敵な素敵なハッピーエンドが夢みれるはず。
「赤ずきんがいいな」
彼の声にかかれば、狼に食べられちゃう赤ずきんは、狼に恋をしてしまうはず。想像するだけでドキドキと胸が鳴る。
あぁ、読んでほしい。冒頭だけでもいいから、本を読む彼の声を聞きたい。・・・・・・やっぱり子供っぽいって思ったかな。なんだか不安と羞恥がじわじわと足元からやってきてカップを両手で包んだままチラリと上目で彼を見る。
すると彼はそんなあたしの願いを馬鹿にするわけでもなく、白いカップをテーブルに置いて、優しく微笑み、こう言った。
「あのね、童話って本当は子供向けではなくて、大人向けの残虐で性的なお話なんだよ?」
・・・・は?いやいやいや、そういうことじゃなくてね。ただ童話をね、読んでほしいだけなの。
そんなあたしの『願い』もむなしく、彼は至極楽しげにコロコロと咽を鳴らした。
「あのね、赤ずきん・・・」
あたしのつぶやきに彼は分かってる、とでも言うように頷いた。そして『赤ずきん』を物語る。
「作品として一番古くに赤ずきんが登場したのはフランスのペロー童話なんだけど、そこではおばあさんに扮した狼に一枚ずつ服を脱ぐように言われてその服を暖炉にくべた後に食べられてしまうんだ。その後に猟師は出てこないし、赤ずきんも食べられたまま。ドイツで初めて赤ずきんが登場する話を作品化したのは、ルートヴィヒ・ティークなんだけど、そこでは猟師が狼を撃ち殺すシーンが描写されているんだ。だけど、赤ずきんは殺されたままで物語はおしまい。グリム童話で初めておばあさんと赤ずきんが狼のお腹の中から救出されるという描写が登場するんだよ」
一気に巻くしあげた言葉はあたしの願い通りとろけるような甘い声で紡がれた。ただそれは両手でもったコーヒーのように甘くほろ苦かったけれど。
「いや、そういうことじゃなくて、・・・・あの、うん。もういいです」
そう?と彼は首を傾げて、あたしの髪をくるくると白い指に巻き付けた。
「赤ずきんがね、狼に出逢った時、狼は赤ずきんにこう言うんだ」
指に巻き付けた髪をツンと引っ張って、あたしの耳元でそっと囁く。
「『エプロンの下には何をもってるの?』ってね」
彼がくすくすと笑うと揺れる唇が耳朶に触れて、きゅぅっとお腹が震える。
「赤ずきんは問われた意味が分からないからバスケットの中身を答えたんだ。『ケーキとワインが入ってるの』ってね。ふふ、狼は何が言いたかったんだろうねぇ?」
少し意地悪気に問う彼。エプロンの下?エプロンの下は勿論赤ずきん自身。そう考えてあたしはぞっと背筋を凍らせた。
『エプロンの下?もちろん赤ずきん』
最後に狼は、赤ずきんをどうした?そう、食べた。・・・・いや違う、彼が言いたいのは、
「狼は赤ずきんを『喰べたかった』んだろうねぇ」
笑うと鳴る彼の咽喉があたしの聴覚を刺激する。食べると喰べる。同じようで全然違う。
「赤ずきんって何歳くらいだと思う?」
赤ずきんは、お母さんの言い付けを守ることができなかった。寄り道をしないという約束。そして狼の誘惑に負けてしまった幼い女の子。
「6、7歳くらい?」
きっと小さくてかわいらしい女の子。すると彼はするりとあたしの頬を撫でて艶麗に笑う。
「思春期前後の女の子じゃないかってされているんだ。赤ずきんは月経を迎えていたし、狼の誘惑に逃れることができなかった赤ずきんは甘い誘惑に対して自分を律することができない好奇心旺盛な思春期の女の子」
彼の言葉にあたしはなんだかハッとする。ちいさな女の子の話だと思っていたのに、実は思春期の体は大人になりかけた女の子。それだけでこの話はぐっと濃い色香を漂わせる閨の物語になる。
「おばあさんに扮した狼は、赤ずきんにエプロンを脱ぐように言うんだ。赤ずきんがエプロンを脱ぐと狼は暖炉にくべるようにと囁く。赤ずきんは愚かにも身につけているものすべて順にどうするか狼に尋ねて、その度に狼は脱いで暖炉にくべるように言うんだ。『お前にはもう必要ないからね』って」
狼に誘われるまま一枚ずつ服を脱いでいく赤ずきん。一つ一つ狼に確認して服を脱ぐ赤ずきんは、子供から大人になりかけた白くて柔らかい肌をまるでストリップのように外気に晒していく。肩や腰に少しずつ丸みを帯び、胸もふっくらと膨らみ始めた年頃だろう。可憐な顔つきに華奢な体。暖炉の火に照らされて赤く色づく頬。むき出しの肩にさす影。月のものをみるようになった少女の体から発する瑞々しさの中に隠れる艶めかしい匂い。
まるで『初めて』を男性に捧げる時の乙女のような一人と一匹の光景が、どんな官能小説よりもずっとずっと、セクシャリティ。
「赤ずきんは『おばあさん』の様子がおかしいと思いながらも、逆らうことができない。荒い息、泥臭い強烈なにおい、獲物を狙うぎょろりとした目、それらすべてが赤ずきんの心臓を高まらせる」
息、におい、目。全部が雄を隠喩する。『男は狼』っていうけれど、赤ずきんの場合、『狼は雄』だったということ。大人になりかけた魅力を控えた小さな蕾をつんでみたいと思う男の性。
「『あら、おばあさん、なんて大きな耳』、『お前の声が良く聞こえるようにだよ』」
お前の艶やかに乱れる声がよく聞こえるように。
「『あら、おばあさん、なんて太い腕』、『お前をこうして抱くためじゃないか』」
お前の白い肢体がいやらしく踊るのを閉じ込めるためじゃないか。
「『あら、おばあさん、なんて大きな口』」
歌うように流れる彼の声が止まった。けれど分かる。彼の言葉の先に続くのは、
『お前を喰べるためじゃないか』
黄ばんだ大きな歯をこすり合わせ、荒々しくも乱れた息が顔にふきかかる。執拗に撫でまわす太く毛深い腕が少女の柔肌を傷つけ、大きな体の下で白い肢体が踊るのを愉しげな表情で見つめる雄。畏怖と戸惑いと、そして期待。欲望に苛まれた哀れな少女。
「ねぇ、ハニー」
あたしを見つめる瞳は黒く澄んでいて、あたしの耳元で囁く声は甘く蕩けそうで、あたしを捕まえる腕は白くすべやかで、あたしに問いかける唇は赤く扇情的。狼に捕らわれた哀れな赤ずきん。誘惑に逆らえない罪深き乙女は、狼と言う名の享楽を求め、ふらふらと蜜に引きつけられる。
「スカートの下には何をもっているの?」
あたしのスカートの下には何がある?赤ずきんがエプロンの下に隠していたモノと同じモノを持っている?あぁ、でもほんの少し違う。赤ずきんが持っていた戸惑いはあたしにはない。あたしにあるのは、畏怖と期待と、欲望。
食べられるのはだぁれ?
赤ずきん?
いいえ、違う。食べられるのは、
あたし。
「服は全部脱いでしまえばいい」
ハニーにはもう、必要ないからね?
そうしてあたしは赤ずきんになる。
「『あら、ダーリン、なんて大きな目』」
「『ハニーの欲望にまみれた姿をしっかりと焼きつけるためだよ』」
彼の瞼にそっと息を吹きかけて。
「『あら、ダーリン、なんて綺麗な耳』」
「『ハニーが可愛らしく喘ぐ声をよく聞くためだよ』」
彼の耳をそっと舐めて。
「『あら、ダーリン、なんて逞しい腕』」
「『ハニーの艶めかしく動く躰を抱きしめるためだよ』」
彼の腕にそっと口付けを。
「『あら、ダーリン、なんて魅力的な唇』」
彼の唇に指を沿わして、挑発的に微笑むあたしの指を彼はそっと包み込み、眼を妖しく光らせる。薄く開いた口から見える真っ赤な舌がチロリと動く。
「ハニーの艶やかな唇を喰べるためだよ」
そっと重ねた唇は熱く、――――――甘かった。
快楽主義な赤ずきん。
美味しく美味しく狼に喰べられましたとさ。
おしまい。
今回の教訓
『童話?それってとってもeroticism』
やっとこさ完成しました、童話ネタ。
本当はいろんな童話を混ぜて混ぜて残虐的かつ性的にしようと思ったのですが、今回は赤ずきんだけでまとめることにしました。まぁ、完成したのをみてみると、それで正解だったかなと自己満足です。