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消えるっていうのはね、こうやるのよ

作者: 木山花名美
掲載日:2026/04/08

 

 私が生まれた時、父は大層喜んだそうだ。

 私よりひと月早く生まれた王太子の、妃候補に丁度いいからだ。


 王太子妃に選ばれるため、幼い頃から厳しい淑女教育に明け暮れる日々。

 娘を政治の道具としてしか考えていない冷たい両親と兄の元で、私はうまく息ができなかった。


 そんな中、唯一の息抜きはかくれんぼだった。

 物心ついた頃から、私は魔法のように自分の姿を消し去ることができたのだ。

 と言っても、本当に消える訳ではない。人に気付かれないよう気配を消し、うまく隠れつつ移動して脱出する。広大な公爵家の構造を頭に叩き込み、時には最初から仕掛けを作っておくこともある。

 そのうち私は思い出した。前世では、令和の魔女と呼ばれた、有名なイリュージョニストだったことに。

 公爵令嬢として生まれたこの世界では、束の間の息抜きにしかならないが、それでもこうして成人するまで生きてこられたのは、このスキルがあったからだと思う。



 忘れもしない、十六歳の夏。

 上位貴族の令嬢たちを招待した、王室主催のお茶会──別名、お妃候補と集う会が催された日のことだ。


 予定よりだいぶ早く王宮に着いてしまった私は、お茶会までの時間を持て余していた。

 ふと散歩しようと思い立ち、庭園へ出ると──

 まだ成人前だというのに、柱の蔭で濃厚なキスをする、王太子と令嬢を目撃してしまったのだ。

 私はその令嬢をよく知っていた。とある事業で国に利益をもたらしたため、最近子爵から成り上った伯爵家の令嬢であり……王太子の恋人ではないかと、妃候補たちの間で噂されていたからだ。

 思わず茂みに隠れて耳をそばだてると、こんなやり取りが聞こえてきた。


『必ず君を妃にするから』

『嬉しいですわ。でも、他の妃候補の方々と比べたら、私は格下ですし』

『 “ 正妃 ” が本当の妃とは限らないよ』

『……まあ! もしかしてそれって!』

『ああ。お飾りの正妃と、愛される側妃。子を授からない正妃と、世継ぎを産んだ側妃。君はどちらが幸せになれると思う?』

『それは……もちろん、殿下の寵愛をいただける方ですわ』

『だろう? 正妃になろうと側妃になろうと、私が愛するのは君一人だけだ』


 再びキスを交わす二人。

 うまく隠れすぎたために全てを聞いてしまった私は、何もかもがバカらしくなっていた。

 上位貴族の娘として生まれた以上、家のために嫁ぐのが当たり前。そう覚悟していたはずなのに。


 ──逃げたい。


 それは突発的な行動だった。

 茂みから木へ、木から茂みへ。

 優秀な見張り兵の目を掻い潜り、私は何度も招かれたことのある王宮の庭をスルスルと移動した。

 順調に裏門の近くまで辿り着き、あとはどうやってあの塀を越えるかと考えていた時、ポンと肩を叩かれた。


『お嬢様、どちらへ?』


 振り返れば、私の護衛兵ティムが、にこりと微笑んでいた。


『……ちょっと、お散歩に』

『もうじきお茶会が始まります。戻りましょう』

『でも……私、もう限界なの。お願い、見逃して』

『どんなにつらくても逃げてはいけません。……()()


 ()という言葉に微かな光が見えた気がして、私は涙を堪えながら、差し伸べられた手を取った。


 ティムは私が十歳の時に公爵家に雇われた兵で、家柄とその腕を買われ、すぐに私付きの護衛となった。

 私より八歳上の彼は、剣術や武術に優れているだけではなく、ふらりと消えた私を見つけるのが得意だった。今度こそはと自信を持って姿を消しても、なぜか毎回見つかってしまうのだ。

 悔しいけれど、不思議と嫌な気はしない。友だちとかくれんぼ……いや、鬼ごっこをしているような、わくわくとした気持ちで身を潜めていた。

 いつかは絶対に、ティムからだけでなく、自分を縛る全てのことから逃げ切ってやるのだと。


 現実逃避からか、前世が影響しているためか。お茶会から逃げようとしたあの日以来、私が夢中になったのは恋愛小説だった。

 自分は愛されていないと思い込み逃げるヒロインと、それを追うヒーロー。呆気なく見つかり、話し合い、誤解を解いて愛し合う。そんな流行りの小説だ。

 イリュージョニストの自分からすると、どのヒロインもお遊びにしか思えない。どうしてもっと華麗に姿を消せないのか。こんな逃げ方では、見つけてくださいと言っているようなものではないかと、そう突っ込み続けては楽しんでいた。


 もし自分だったらどう消えるか──

 そんな妄想をすることで満足してしまい、以前のようにティムと鬼ごっこをすることはなくなった。



 数年が経ち、不運にも妃候補の令嬢たちの中から、王太子の正妃に選ばれてしまったのは私だった。

 優秀で従順で、容姿も恥ずかしくない公爵令嬢。王室と王太子が求めるつまらない条件に、一番合っただけのこと。


 そして王太子の思惑通り、側妃に選ばれたのは、かつて柱の蔭で寵愛宣言をされていたあの伯爵令嬢だった。

 国王陛下に名を呼ばれた瞬間、熱い視線を交わす二人に、どちらが本当の妃なんだかと呆れてしまう。だが、私は()()()()()()逃げたいとは思わなくなっていた。


 両親と兄は、最後まで私の気持ちに触れることはなく、ただ歓喜に震えながら私を王宮へ送り出した。多額の持参金と、父が最も信頼する、あの護衛兵ティムとともに。



 結婚式が終わり、本当に形だけの初夜を済ませた王太子は、翌日から側妃の部屋に入り浸っていた。

 万一興味本位で自分に触れようとしたら──

 そんな難しいシチュエーションからのシミュレーションもしていたが、杞憂に終わりホッとする。


 あとは王宮に滞在している客が帰り、見張り兵の人数が減る二日後、深夜の寝室で一人きり、ひっそりと消えるだけ。そう思っていたのに──


 なぜか今、王太子がはあはあと荒い息を吐きながら、夜着を纏った私をいやらしい目で舐め回している。

 私は込み上げる悪寒を逃すと、長年の淑女教育で得た仮面を顔に張り付け尋ねた。


「今夜はあちらでお休みにならないのですか?」

「……ああ。我が妃は昨日から月のものが始まってな。聞けば、今夜はそなたが “ 良い日 ” とのこと。子を成すため、務めを果たせ」


 ニタニタと笑いながら夜着に手を伸ばそうとする王太子を、私はさらりと躱す。

 やはり、難しいシチュエーションからのシミュレーションからのイリュージョンを実行する時が来たようだ。


「……ええ。殿下、喜んで」


 にこりと微笑み、そう答えた瞬間──

 もう私は寝室にはいない。

 本当はまだ家具の隙間に潜んでいるのだけど、シミュレーション通り、ふわりと広げたベッドカバーでうまく目をくらませたようだ。


 雑に捜索し、間抜けな顔で寝室を飛び出していく王太子を横目に、私は素早くバルコニーへ出る。

 わざと窓を開け放ち、紐を垂らしておけば、自然と捜索は下へ向かうだろう。

 シミュレーション通り、壁と仕掛けを伝い上へ登っていくと、何とか第一関門の王宮の屋根まで辿り着いた。あとは屋根を歩き、階段が崩れ落ちたために放置されている北の古い塔へ飛び移る。そして、誰も上がって来られない天辺の部屋で身を隠しつつ、タイミングを見計らって王宮の外へ脱出するだけ。


 ──そう思っていたのに。


 軽やかに飛び込んだ塔の天辺の部屋には、先客がいた。

 私を待ち構えていたかのように拍手をし、不敵な笑みを浮かべている。


「……ティム」


 また見つかってしまった。

 また逃げられなかった。

 だけど、もう戻りたくない。

 もう光なんて、希望なんてどこにもないの。

 私に残された脱出方法は……この暗い塔から飛び降りるだけだ。


 自分が入って来た硝子のない窓から、冷たい夜風がヒュウと吹き込む。

 イリュージョニストとして、華々しく散ろう。

 そう覚悟を決めた時──

 聞き覚えのある豪快な声が耳に響いた。


「さすがは我が魔女! よくぞ強欲な家族と愚かな王太子を欺き、脱出を図れたな! 素晴らしいイリュージョンだ!」


 “ 我が魔女 ”


 その言葉に、私はハッと顔を上げた。


「もしかして……もしかして、お師匠さまですか?」

「……やっと気付いたか。華麗な消えっぷりを見て、私はすぐに君が魔女だと気付いたが」


 ああ、それで……と、幾度も繰り返した逃走劇を振り返る。

 逃げては捕まって、捕まっては逃げて。

 それは前世で、私たちが師弟関係であり、恋人同士だったからだ。



『もう、もう危険なイリュージョニストなんか辞めたい。あなたと結婚して、普通のお嫁さんになりたいの』


『……君は僕よりも、ずっと才能があるんだよ。人を惹き付ける美貌、巧みな話術と繊細かつ大胆なテクニック。いずれ日本だけでなく、世界に名を轟かせる、素晴らしいイリュージョニストになるだろう。僕を理由にして、甘ったれた気持ちで辞めるというなら別れるしかない』


『どうして? どうしてそんなこと言うの? あなたは私が逃げ遅れて、炎に包まれてもいいの!? 溺れたり、剣や矢で串刺しにされてもいいの!?』



 そう叫んで彼の部屋を飛び出した私は、華麗なイリュージョニストでも不死身の魔女でもなかった。

 一人の男性を愛した、ただの脆い女性は、無様に逃げた先で、車に轢かれて呆気なく命を落としてしまったのだ。



「僕もあの後、君の追悼イリュージョンで失敗し、炎に巻かれて命を落としたんだ。……なぜあの時、師であることを優先してしまったのだろう。なぜ魔女ではない君でも愛していると伝えられなかったのだろうと。何度も何度も後悔しては、君の元へ逝くことばかりを考えていたから。まさか本当に、君と再会できるなんて……これぞ世紀の? いや、世紀も世界も超えたイリュージョンかもしれないな」


 師匠らしい言葉に、私は鼻腔に流れ込む涙をすんと啜った。


「……そうですね。しかも私たちのイリュージョンが、こんな形で役立つなんて」

「ああ。信じていた通り、僕が助けに行かなくても、君自ら最高のタイミングで脱出してくれた。さすが愛弟子で……最愛の恋人だ」


 にわかに騒がしくなる外は、興奮する観客席に似ている。

 私たちは派手な高揚感に包まれながら、イリュージョンのように熱く華麗なキスを交わした。




「……では、そろそろ行きましょうか、お嬢様」

「ええ、ティム。脱出ルートは……そこと、あそこと、ここ。一番安全なのは、一番危険でもあるここね。あなたはどう思う?」

「もちろん、ここでしょう。危険を乗り越えれば乗り越えるほど輝く。それがイリュージョンですから」


 私たちは顔を見合わせ、不敵に笑う。

 彼は私を背負うと、華麗に塔から舞い降り、眩しい朝日の中へさっと消えた。


ありがとうございました。

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