シ愛
― 間もなく、夕から夜に変わる境目の時。
ひび割れ、ホコリを溝に貯めた窓ガラスから差し込む微かな温もりを帯びた陽光が。
この処刑台で座り込む私を、悲劇のヒロインを映し出すスポットライトのように照らす。
― バシャン―ッ....!ガタンッ...カラ....。
聞き慣れた、投げ捨てられたバケツの転がる音。
何回も体に染み込んだ、嫌でもどこか安心してしまうような、頭皮から脳みそまで浸透してくるみたいな、冷たくて微かな、カルキの香りを含んだ液体。
タイル製のどこかカビたような湿気を含む床が、さらに液体としての湿で浸されていく。
風化して、役割を気休め程度にしか果たせなくなり、微かな香りしか残せなくなった芳香剤が、カルキの匂いを消せずに混ざり合い、独特な香水となる。
制服が、重い。
かけられた液体が、背筋から、じわっと流れたヌルいものと混ざりあい。
何とも言えない心地の悪さを作り出す。
それが、この閉鎖空間と最悪の調和を果たしている。
― 冷えたはずの体とは反し、私は熱の篭った何か溢れそうな眼で、自分とは対比的に清潔な制服姿の、目前で私を見て嘲笑っている女達、その真ん中に居る、黒髪のひときわ美麗な女を、私はレンズの奥から覗く瞳で見上げる。
何かを言おうと口を開く。
しかし、開けるだけで、そこから言葉が出されることは無かった。正確には、音は出ていたが、それは言語ですらなかった。
「....あ....っ....ぁ.....。」
その後も、音を紡ごうと、頭を回そうとする。しかし、先程の冷たいもののお陰で、私の思考は見事に硬直していた。
為す術も無い私の目線は、しばらくその女達の周りを巡った後に、背景となっていた、地に伏せている、先程投げられた青いバケツに留まり、固定された。
なんとか紡ぎ出した言葉は、なけなしの動作は、酷く滑稽で、意味のない逃避だっただろう。
自分でも分かっていたし、同時に、それが、目の前の断罪人達の口角をより上げて、愉悦に満たさせているのも分かっていた。
目の前の人型が、介錯人だったら、どれほど良かっただろう。
そんな願望じみた、あるわけもない幻想を、永遠に脳から発せられることが無いように、真ん中に位置する、黒髪がよく靡く、ひときわ美麗な女の、あの視線が、私を射抜く。
また...、まただ...、またその視線だ!!
何回も何回も、見飽きるほど見たその視線!
私を蔑むような、憐れむような、内に秘めた虐欲をさらけ出している視線。
なのに....それ以上の「「何か」」帯びた瞳。
― 普通はその視線に対し、辛い、痛い、怖い、冷たい、そう思うのが一般的なのかもしれない。
だけど、そんな勝手な一般論に基づかなくとも、私は、彼女は、普通じゃなかった。
それを表すように、私の目から、いよいよ耐えきれなかった熱いものが流れ落ちる、私が心の奥底で、本当は待望してたのかもしれないもの。
― その小さな奔流を見逃さないように、黒髪の女は目を、一瞬見開き――そして、微笑んだ。
両脇に居た女達と、何かを話した後、閉鎖空間には、2人だけの楽園が出来る。
黒髪の女は、私の前に屈むと、私の瞳の奥まで、覗き込むように、じっと見つめる。
しばらくその静寂が続いた後、黒髪の女は遊悦を孕んだ微笑みをさらに深め、口を私の耳元へ持ってくる。
そして――
耳元で囁くように、渦巻管まで無理やり震わせるような、待ち望んだあの声で言ってくれた。
「....ほーんと...大好きなんだね...?」
その言葉を聞いて、私の心臓が、血脈が、神経が、全て煮立っていく。
あぁ、これだ
そう、好きなんだ
これが、これだけが
私の唯一のレゾンデートル。
冷却の硬直から溶けだした私の脳はその狂熱に溶かされ、直ぐに、再び回転を始めた。
しばらく耽って固まっていると、
黒髪の女は、自分の額と、私の額とを合わせる。
毒気の含んだような、わざとらしい甘い香りの裏にある、隠しきれない粘性の黒が混ざらずに共存してる赤を。
私は額同士、唯一の繋がりから精一杯に受け取る。
一滴も落とさないよう、かつ、全ての細胞に贈り合い、受け取り合うように。
― だってそれが、この工程までが、演出までが、私達だけの、2人だけの。
2人だけに許された
「「 試 愛 」」なんだから。
初投稿です。お願いします。




