逆さの自転車
私は、自分が空っぽになるのが怖かった。
夜の公園、街灯が湿ったアスファルトを白く照らしている。私はベンチの端、彼女のすぐ隣に座っていた。彼女――放課後の教室でいつも窓の外を見ていた彼女は、今は黙ってたまごサンドを口に運んでいる。コンビニの袋がカサリと鳴るたび、私の心臓が震えるような気がした。
足元には、夕刻の雨が作った大きな水たまりがある。そこには、彼女が乱暴に止めた自転車が映り込んでいた。水の中の、逆さの自転車。スポークの一本一本までが鮮明に、けれど現実よりもずっと美しく透き通って見える。もしあっちの世界に行けたなら、私はもっと自由で、光り輝く存在になれるだろうか。
ふいに、熱を帯びた指先が私の肩に触れた。彼女はため息をつきながら私にそっと、その唇を寄せる。
「……少し、減ったね」
彼女が呟く。私の内側にあった冷たい熱情が、彼女の中へと吸い込まれていく。満たされていたものが失われる喪失感と、彼女の一部になれる充足感。体が軽くなるにつれ、私は自分がどんどん透明になっていくのを感じた。
その時、水たまりの中を白い光が横切った。
「あ、流れ星」
彼女が顔を上げる。私の透明な体を通した視界の中で、星の光がプリズムのように乱反射した。逆さまの世界でも、本物の夜空でも、光は同じように儚く、強い。
「行こう」
彼女は短く言うと、私を掴んで立ち上がった。次の瞬間、視界が激しく揺れた。私は自転車の前カゴに、無造作に放り込まれる。
ガシャン、と硬い網に打ち付けられた。カゴの底でラベルが剥がれ、むき出しの肌が冷たい金属と擦れる。彼女が勢いよくペダルを漕ぎ出すたび、私の内側に残ったわずかな雫が、行ったり来たりと頼りない音を立てた。
自分の足で走ることも、星に願う声も持たない。けれど、カゴの隙間から高速で流れていく夜景を見上げながら、私はこの振動を誇らしく感じていた。
彼女が私を飲み干し、どこかに放り捨てるその時まで。私はこの空っぽな透明さで、彼女の孤独を映し続けていたい。
――ゴミ箱に捨てられるその瞬間まで




