80話
「あれが、王?」
カリが室内に踏み入っても、椅子に座っている男は反応しない。
あの男の視点から見れば、不審者が入ってきて、扉の向こうには貴族の死体が沢山転がっていることが確認できるはずだ。
それなのに静かに座ったままであることに、カリは疑問を持つ。
あの男が何なのかを問いただすため、カリは更に部屋の中へと踏み込んでいく。
そうして出入口の扉から十歩ほど中に進んだところで、カリの背後から微かな物音がした。
カリが急いで振り返ると、開かれた扉の陰に隠れる形で、初老の見た目の男性が立っていた。そして、その初老の男性は、カリに向かって魔法を放とうと構えている。
カリは魔法による防御を選択し、自分と初老の男の間に、魔力の障壁を展開した。
初老の男性の手から、強烈な稲光が発生し、一瞬にしてカリが生みだした障壁に衝突した。
稲光にカリの目がくらんだ一瞬後に、本物の雷のような音が部屋の中に木霊する。
カリは目を瞑りながら頭を振ることで、くらんだ視界を元に戻した。
「やってくれたな!」
カリが反撃の魔法を放とうとすると、初老の男性は両手を上げて降参を示してきた。
「いまのを防がれてしまっては、もう儂にはどうすることもできんな。降参するから、殺さないでおくれ」
「……調子のいいことを」
カリは、危険は排除するべきだと初老の男性を殺そうとするが、寸前で思いとどまった。
「命を助けても良い。ただし、これ以上僕に攻撃しないことと、あの座っている男に関することを離してくれるならだ」
カリが指を向けて示した男性は、今まさに魔法の攻防が行われたのに、相変わらず椅子に座ったまま何も反応を返していない。
いっそ不気味に感じる存在だ。
初老の男性は、カリの要望に了承を示し、首を縦に振った。
「あの方は、間違いなく、この国の王であらせられる。ただし、名は持っておられない」
「名がない? 王なのに?」
「王であればこそだ。ああ、君は平民だったか。であれば、王の成り立ちと役目も教えねば理解できんか」
初老の男性は、腕組みしながら、カリに質問する。
「まず君に聞きたい。この国以外の国のことを知っているかね?」
「知らない。この国から出たことも、国の外にいたって人にも会ったことがない」
「では、最初の最初から、話をするしかあるまい」
初老の男性は、思い出話を語るかのように、視線を斜め上へと向ける。
「儂より三代上――曾祖父の時代。この国は他の国と戦争状態にあった。開戦の原因は、全国的に起こった食糧難だと言われている」
「王の話なんだよね? 国があるってことは、王は既にいるってことじゃない?」
「そうだな、王は存在した。ただし、今の王とは違い、普通の魔法使いであったがな」
カリが、意味が分からないと首を傾げる。
初老の男性は、話を聞けば納得できるとして、話を続けていく。
「その戦争で、この国は劣勢になりつつあった。戦乱が長引き、やがて三つの国と戦うようになったからだ。戦の要は、魔法使いの数だ。例え平民を何万といようと、魔法使いが十人もいれば倒せてしまうのだから」
しかし魔法使いの人数には限りがあり、三方面に分散してしまえば、それだけ戦力が薄まってしまう。
「魔法使いの人数を増やすことは急務であったが、赤子が生まれて魔法を十全に使えるまで成長するには何年もかかる。今日明日、戦力を増やすというわけにはいかん」
当時の話は興味深いが、それが王についての話題なのかと、カリは更に疑問を深める。
そのカリの疑問を解消しようとするように、初老の男性の言葉は続く。
「魔法使いの数を欲する中、当時の王は画期的な閃きを得たのだ。平民の中から魔法使いを生みだせばよいと。いやさ、魔法使い相手には負けるが、普通の平民には圧勝できる、そんな戦士を作ればよいと」
「戦士――人が魔術を使えるようにしたってこと?」
「その通り。人が魔術を使えるようになり、その魔術の力で三国を撃退し、自国の領土を広げた。それらの功績をもって、その当時の王は現在では魔術王と号されておる」
今までなかった魔術を作ったことは、確かにすごい。
だが、その王の功績と、あの椅子に座ったまま何の反応もしない王に、何の関係があるのか。
カリは未だに理解に至っていない。
「その魔術を使う仕組みと、あの王に何の関係が?」
「関係は大ありだとも。なにせ、人が魔術を使えるのは、魔術王以降にお生まれになった、歴代王のお陰なのだから」
意味が分からないと、カリは首を更に傾げた。
「僕は、魔法使いになる前、戦士になろうと頑張って魔術を練習していた。そのとき、あの王とやらに手伝われた記憶はないけど?」
カリが自分の努力が否定された気持ちになって苦情を言うと、初老の男性はゆるゆると頭を左右に振ってきた。
「そうではない。魔術を使えるそもそもの理由が、あの王にあると言っておるのだ」
「王がいないと、魔術が使えないってこと?」
「そうだ。そも魔術とは、王が国を覆えるほど広く展開し続けている王の魔央の下でしか使えぬものなのだからな」
そう言われて、カリはハッとした。
あの椅子に座っている男には、魔央の存在が感知できないでいた。貴族の上に立つ王――魔法使いの頂点であるはずなのに。
しかしそれが、既にカリが彼の王の魔央の内側にいるとすれば、納得できる。
日頃から空気のように王の魔央を感じているのなら、他者の魔央を感知した際に受ける違和感など感じようがないのだから。
「もしかして、正しい発音じゃないと魔術が使えないのって?」
「王が魔術を許可する判別のためのものだ」
「じゃあ魔術は、王の魔法ってこと?」
「魔術の元は半々だ。王の魔法の力と、魔術を使う者の力のな」
「王が、ああも無反応なのは?」
「常に国全体に魔術を行き渡らせるため、無私となっておられる――正しくは、自意識も感情もない存在だからこそ、王として椅子に座っていられるのだ」
「自意識も感情もない、だって?」
「王は、国全体を包むほどの広大な魔央を持たねばならぬ。その広大な魔央を身に着けるための措置を受けると、人の自意識も感情も消し飛んでしまうのだ」
「それじゃあ、あの椅子に座っている人は、国中の人が魔術を使えるための装置でしかないってこと?」
「その通り。国を安定させるための、人柱でしかない」
次々に明かされる衝撃的な事実に、カリは思考が追いつかなくなっていた。




