26話
神官の腕がカリの首に巻き付き、ぎゅうぎゅうと締め上げてくる。
カリは急激に意識が遠のきそうになるが、意地で失神を堪えた。それと同時に、いつまでも耐えては居られないとも感じた。
だからカリは魔法を使うことにした。
魔法使いは、望めばなんだってできる。
首を絞められて呼吸や血流を塞き止められてしまっても、魔法の力でどうにかすることだってできると、カリは感じた。
事実、魔法が発動すると、締められている喉を通さずに呼吸ができるようになり、頭への血流も回復する。
どういう魔法でそうなっているのか、カリには仕組みはわからない。
ただ魔法使いが望んだからと、魔法が望みを実現してくれたということだけは分かった。
ともあれ、これで窒息から失神することはなくなった。
カリは余裕を取り戻したことで、カリは神官の腕の中から脱出することを決断した。
池から神殿まで歩く際にあると感じた、一瞬で移動できる魔法。
それをこの場で発動させることにした。
ただし、その魔法を対象とするのは、自分ではなく神官にだ。
「やれ!」
カリが号令を放った瞬間、神官の姿が一瞬にして消え、そして次の瞬間にベッドの上に出現した。
瞬間移動の魔法など、流石に神官でも食らったことはないのだろう。
一瞬にして居場所を転移させられたことを理解できていない顔で、神官はベッドに落下した。
しかし神官は、ベッドに落ちた瞬間に体を起こし、傍らにある机へ。その引き出しを開けて、その中にある刃物を取り出そうとする。
「そうはさせないよ」
カリは、神官が動けなくなる魔法を使った。
神官の周囲の空間が固定され、一切の身動きが取れなくなった。
「ぐっ。本当に、魔法使いになっているようだ。他の人ならまだしも、カリ君は決して慣れないはずなのに、どうして」
神官が口惜しそうに放った言葉を受けて、カリは自分が神官の顔周辺の空間を固めていなかったこと――神官と話がしたいと無意識に思っていたことを自覚した。
危害を与えてきた相手だからと、カリは敬いの心を捨てて神官に質問する。
「さっきも言っていたけど、どうして僕が魔法使いになれないと考えていたんだ?」
「それはカリ君が、戦士になるに相応しいほど、魔術が巧みになったからですよ」
「魔術が巧みになるのと、魔法使いになれないというのが繋がんないんだけど?」
「ふふっ。魔法使いになったからには理解しているはずですよ。魔央の真実に」
神官の言い分に、カリは疑問を募らせる。
魔央が粉々になって周囲に散ったことで、カリは魔法使いになった。
だから神官の言う魔央の真実とは、このことを指しているのだと、カリは理解できた。
しかし、魔央が粉々になることと、魔術が巧みになると魔法使いになれないという間が繋がらない。
どういうことだろうと頭を捻り続けると、カリの頭に別の事実が浮かび上がった。
「神官が人々に魔術を教えてくれたのって、貴族以外の人を魔法使いにしないためなのか」
「分かったようですね。魔央は、魔術を使えば使うほど、強固になるのです。だからカリ君が、どうやって魔法使いになったのかが分かりません」
この神官の言葉で、カリは魔央に魔力を溜めた際に、あれだけの激痛が走った理屈がわかった。
魔術の使いすぎで魔央がとても強固な状態だったからこそ、多大な量の魔力を体に詰め込まなければいけなくなって、その無茶なやり方が激痛として現れていたのだと。
そして逆に貴族は、魔術を一度も使っていない頃――幼児とか赤ん坊のときに魔力を体に溢れるほど集めることで、痛みが少ないか全くないかの状況で魔央を破裂させることができるのだと。
でもそうなると、カリに一つ疑問が浮かんだ。
「魔央に魔力を集めすぎると体が破裂して死ぬって言っていたよね。あれは嘘なのか?」
魔央の破裂が魔法使いになる条件なら、人が体内に魔力を集めることを止めることが一番だ。
だから神官のあの教えは、それを食い止めるもの。
そうカリは思ったのだが、それは違ったようだ。
「いいえ、あの教えは本当です。魔術を使った者が魔力を大量に体に集めると、体が破裂して死ぬ。このことは、昔に魔法使いになろうとした神官が実証しています」
その神官の言い分を、カリは信じられなかった。
なにせカリ自身が魔法使いになれているのだから。
でも神官がカリが魔法使いになれないと考えていた理由は、理解できた。
「攻撃魔術まで魔術を修めた人は、魔央が固くなるから魔法使いになれない。魔法使いになろうと体に魔力を集めても、体が破裂して死ぬから魔法使いになれない。そう思っていたわけだ」
「そうです。なのにどうして、カリ君は魔法使いになれているんですか!」
神官の怒声に近い大声には、カリが魔法使いになれたことに対する嫉妬が含まれているように感じられた。
ここでカリは考えた。
事情はどうあれ、この神官は今までカリを手助けしてくれた事実があるkとおには変わらない。
その恩を返しつつ、先ほど首を絞められたお返しも出来る、そんな方法をやってみようと。
無理矢理神官の体に魔力を注入して、魔法使いに変えてやろうと。
「そういえば、僕がどうやって魔法使いになれたのか知りたかったんだよね」
カリはニッコリ笑顔を浮かべながら、空間固定されて動けない神官の体に触れた。そしてその触れた部分から魔力を注入していく。
その途端、神官が悲鳴を上げ始めた。
「痛い! 痛い痛い痛い! なにをする!」
「その体に魔力を入れているんだよ。僕が魔法使いになったようにね。ほら痛みに耐えて頑張れば、魔法使いになれるからさ」
「そんなわけが――いぎゃあああああああ!」
カリが魔法使いになった際に体験した、魔央が破裂するまでの痛みは三段階あった。
一段階ずつ進む度に、痛む度合は上がっていく。
攻撃魔術まで修めたとはいえ、カリはまだ十歳の子供。魔央が固くなっていたとしても、その程度は低かったことだろう。
一方で神官は、カリよりも大分年上で、なおかつ多数の魔術を修めているうえに、子供に魔術を教えるために何度も魔術を使ってきた。魔央はとても堅固なものになっているだろう。
なら神官が体感する痛みは何段階まであるのか、その痛みの上限はどこにあるのか。
カリは悲鳴を上げ続ける神官に、遠慮なく魔力を注入していく。
これは甚振って楽しんでいるのではない。早く魔法使いになれるほどの魔力を入れることが、痛みを早く終わらせる秘訣だという親切心からの行動だ。
「いぐうういいいいいい! おげっ! おぼぼろろ!」
あまりの痛みに神官の体が体が痙攣を起こし、それに連動して嘔吐を始める。
しかしカリの魔法によって体を固定されているため、神官は頭を振って魔力注入を嫌がることしかできない。
「耐えて。そうすれば魔法使いになれるから」
「うぎ、うぎぎっ! ううぅ、うぅえぇぇぇぇ!」
とうとう神官は痛みに心が折れて泣き始めてしまった。
でもカリは、ここで魔力注入を止めることはできない。ここで止めてしまったら、神官は一生魔法使いになれないという直感があったからだ。
だからカリは魔力注入を止めない。
そんなカリの頑張りは、神官の行いで無駄に終わることになる。
「うぅ、ぐす――『水の神よ。その御体に纏う水衣を、お貸しください』!」
体に詰め込まれた魔力を少しでも逃がそうというつもりで、神官が魔術の呪文を唱えた。
魔央が悲鳴を上げるほどに体にパンパンに魔力が詰まった状態で、魔術を使うとどうなるのか。
その結果は、神官が身をもって示してくれた。
呪文の完成と共に、体を固定されている神官の手の先に飲み水の魔術が出現した。その直後、その飲み水の魔術が出た手が裂け始めた。
「ぎいやああああ! なん、なんで!?」
神官が悲鳴を上げるが、腕の裂け目は肘を超えて肩まで上ってくる。そして肩から胸元へと裂け目が通った瞬間、一気に神官の胴体が縦に破裂した。
カリは呆然としながら、神官の体の裂け目から体に閉じ込めていた魔力が噴き出しているのが感覚的に理解できた。
「……なるほど。神官の言葉も本当だったわけだ。けど真実は、痛みに負けて魔術を使ってしと体が破裂するってことだろうけど。あと多分だけど、痛みに負けて気絶しても、体が破裂するかもね」
新しい知見を得たことは喜ばしいものの、神官は体が裂けて死んでしまった。そして神官の私室も、裂けた体から出た血潮で汚れてしまっている。
「うーん、どうしよう?」
神官の死体をこのままにすれば、カリが一番に疑われることになるのは避けられないだろう。人の体を縦に裂くような真似が出来るのは、カリ以外なら攻撃魔術を使える戦士に限られている。その戦士たち全員が家族や戦士仲間と居てアリバイが確定していると、カリの村を覆っている魔法使いの感覚で理解できるからだ。
では魔法で神官の死体と血糊を消してしまえばどうか。
その場合でも、神官が失踪した理由を探られる。そして失踪の原因として槍玉にあげられるのは、カリだろう。失踪理由がわからなかったとしても、村人たちから孤立しているし、そして昨日村長の説得を拒否したからこそ、カリが犯人として裁かれると方々にとって都合が良いのだから。
「まあ、魔法でどうにでもできるし、流れに身を任せてみるのもありかな」
カリは神官の死体と血を魔法で土に変換すると、明り取り用の窓から外へと風の魔法で撒き散らし、証拠を隠滅した。




