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少女冤罪~魔神に飼われた少女たち~  作者: 軌条
正義が死んだ日
5/6

暴食事件




 誅戮派は常に礼賛派の刺客に狙われている。特に幹部クラスとなると、目の色を変えて襲ってくる。

 理由は二つあり、一つは誅戮派の排除は礼賛派の悲願であるから。

 もう一つは捕虜交換に使うためだ。現在誅戮派が保持している礼賛派の捕虜は五名いる。幹部クラスが礼賛派に捕まったときのために備えている形だ。礼賛派は仲間を取り戻すためなら手段を選ばない。クールそうに見えて甘ちゃんの夜綱よづな雷虎らいこの方針だった。


 誅戮派のアジトに案内された朔望月さくぼうづきは、いきなり幹部級の扱いを受けた。本来なら末端構成員として下働きから始まるのだが、礼賛派が今一番欲している犯罪者が朔望月だった。彼女が街をちょろちょろ歩き回っていたらあっという間に捕まるか殺されてしまう。

 それに空死そらじに真冬の直々の指名というのも大きい。街の北区には幾つも誅戮派の拠点があるが、メインのアジトにいきなり招待され、朔望月は緊張していた。


 埃まみれの廃ビルの地下にそのアジトはあった。幾つもの仕掛けの先に地下への入り口が眠っており、中は空調の利いた快適な空間だった。石造りの通路にランプが嵌め込まれて煌々と明かりを灯している。通路の脇には幹部の私室に繋がるドアがあり、「葉桜はざくらすず」だの「四顧雁しこがん風亜ふうあ」だのと名札がぶら下がっていた。

 通路の奥に作戦会議室があり、そこに誅戮派の首魁、空死が待っていた。

 巨大なソファを一人で専有する長身の女性。手元にランプを置き赤い光を浴びている。白黒のどこかの国の軍服のようなものを着用し、濡れたように輝く銀髪が光の反射でちらちら色が変わって見える。脚を組み軍靴の踵を入り口のほうに向けているその横柄な態度は、悪の親玉として相応しいものに思えた。

 朔望月はくるるにせっつかれて、空死の前まで歩かされた。そして膝をつき、正座させられる。一応クッションがあった。


 空死はぞっとするほどの白い肌をしていた。まるで生まれてこの方、外に出たことがないかのようだった。薄暗い部屋に金色の虹彩が光っている。美しくも凄みのある眼だ。


「――お前が朔望月ミカ……。思ったより普通だな」


 空死は呟く。小さな声なのに部屋にいやに響いた。朔望月は彼女の顔に見惚れていた。酷薄な唇に、猛禽類を思わせる鋭い眼――際立って美人というわけでもないのに、人を惹き付ける何かがある。気づくと彼女の一挙手一投足に注意を払ってしまう。呼吸の仕方、指のちょっとした動き、目線、そういったものに何か深遠な意味が隠されているかのようで、目が離せない。


 朔望月が硬直している間に、誅戮派の幹部が作戦室の席に着いた。朔望月が正座させられている場所を中心に半円形に席が置かれている。空死がゆったりとした動作で指差した。


「まずは自己紹介といこう。順番に挨拶」


 朔望月は指を差された方向に目をやる。最初に指名されたのは、朔望月を監獄まで攫いに来た、モデル風の女だった。


四顧雁しこがん風亜ふうあ。十九歳。主に西区の破壊活動は私が担当してる。よろしくね」

「あ……、はい」


 よろしくお願いします、と返さなかったのは仲間になる気がなかったからだ。しかし挨拶をされて返さないのも居心地が悪かったので、返事だけした。

 次は同じく四顧雁と共に監獄まで来た芋っぽい女性だった。ぎこちなくウインクしてくる。


くるる廻施かいせだよ。二十二歳。普段は北区の施設の整備が担当だけど、わりと色々やるかな」


 その後も順番に自己紹介が続く。幹部は空死を含めて六名いた。それぞれの役割と特徴をまとめると、




 首魁 空死そらじに真冬まふゆ二十二歳

 銀髪。軍服。横柄な態度。カリスマ性がある。


 西区担当 四顧雁しこがん風亜ふうあ十九歳

 長い金髪。美人。モデルみたい。自己中心的な殺人鬼。


 北区担当 くるる廻施かいせ二十二歳

 黒髪。芋っぽい。この中では優しそう。


 東区担当 九十くと鷹巳たかみ十七歳

 黒髪。浅黒い肌。仕草が男性っぽい。筋肉質。


 中央区担当 葉桜はざくらすず十七歳

 桃色の髪。可愛い。寡黙で上品。声も可愛い。


 情報屋 鳥羽絵とばえむぎ十八歳

 赤縁のメガネ。小柄。じっとしていられない人。




 恐るべきリーダー空死の前だからか、幹部たちは大人しかった。この場では彼女らの詳しい人となりを知ることは不可能だった。

 最後に、空死から自己紹介を促された。朔望月はよろよろと立ち上がり、幹部六名の視線が交差している中、


「私は朔望月ミカ。冤罪魔法の使い手で……、私は無実です。私は何もしていません。全て冤罪魔法の効果で、犯罪者ということになっただけです」


 幹部たちは顔を見合わせた。空死だけは表情を変えなかった。じっと朔望月を見据えている。

 空死は脚を組み替え、やや前傾姿勢になった。


「――どう思う、鳥羽絵?」


 鳥羽絵と呼ばれたメガネの女性は、つまらなそうに椅子の上で身をくねらせていた。ぼけーっと口を開けて朔望月を一瞥する。そしてあくびをかまして、隣の葉桜につつかれていた。


「どう思うって、嘘でしょ。信用できる筋からの情報だと、朔望月の固有魔法は爆発、もしくは呪殺、あるいは身体能力の超強化、はたまた病原菌をばらまく感じの魔法……、ということになってる」

「どれだよ。全然違うじゃん」


 そうツッコミを入れたのは九十鷹巳だった。ねえ? と朔望月に同意を求めたが、緊張していて返事できなかった。

 鳥羽絵は椅子の上でしゃがみ込み、ガタガタガタと音を立てながら、朔望月を睨みつけた。


「冤罪魔法ねえ……。実は柴扉さいひ真古刀まことから情報の拡散を依頼されて、Twixerのアカウントで彼女のメッセージを載せたんだよね。朔望月ミカの固有魔法は冤罪魔法! 彼女は無意識に周辺で起こった悪事や犯罪の犯人ということになってしまう! ってな感じの」


 監獄で真古刀が言っていた知り合いのインフルエイサーとは、彼女のことだったのか。朔望月はここでそのことに気づく。

 枢が手を挙げる。


「真古刀さんが言うってことは、それが真実だってことじゃないの?」

「脅されて言わされたんでしょ。誰かに冤罪をかぶせる魔法ならともかく、自分が冤罪をかぶる? 無理あり過ぎるでしょ、そんな嘘」


 他の幹部も同感のようだった。誰も信じてくれない。信じてくれたのは真実を見抜く魔法を持った真古刀だけ。

 朔望月は意気消沈した。悪党の彼らにも信じてもらえない。秩序を守る礼賛派からも、混沌を招く誅戮派からも、受け入れてもらえそうになかった。

 張っていた気が緩んだのか、脇腹の痛みが強く感じられるようになってきた。改めて正座しようとしたが、バランスを崩して横倒しに倒れてしまう。


「……怪我をしているな」


 空死が気づく。四顧雁がその瞬間身じろぎしたのを、誅戮派の首魁は見逃さなかった。


「四顧雁、お前か?」

「ええ。大人しくついてきてくれなかったから、一発」


 四顧雁はすぐに観念して正直に言う。空死は特に責めるわけでもなく、枢に向かって、


「部屋まで案内してやれ」


 枢はすぐに立ち上がったが、動きがフリーズした。


「あ……、でも、この間の新人が入ったおかげで空室がもうないです」

「同室でいいだろう。ちょうどいいからそいつに看病させろ。お前らが張り切ったおかげで既に調度品も揃っているはずだ」

「あー、了解でっす」


 枢が朔望月に肩を貸す。怪我が悪化して脂汗が止まらなかった。なんとか自分の足で歩く。他の幹部たちは何も言わずにそれを見送った。

 通路を進む間も枢は優しく支えてくれた。こんな人が街を破壊し人を襲っているというのが信じられなかった。どういう経緯で誅戮派に入ったのだろう。

 案内されたのは名札のついていない粗末な部屋だった。他の部屋と比べてドアそのものががたついている。


「この拠点には幹部だけ住めるんだけど、つい先日、迷子を拾ってね。一時的にここに住まわせてるんだ」

「迷子?」


 朔望月は脂汗を拭いながら聞き返す。枢はそんな新入りを気遣いながらも、


「他の派閥から見ると北区は治安が終わってるから、よほどの用が無い限り誰も立ち入らないんだけど、なぜか小さな子がこの辺をうろついててね。空死さんが気まぐれで拾って世話してあげてるんだよ」

「気まぐれで……?」


 あの仏頂面の空死には似合わない単語だった。


「しょっちゅうそういうことってあるんですか」

「ん? あんまりないかな……。そもそもこのアジトって幹部以外は入れないことになってるんだよね。生粋のワルしか誅戮派には入れないことになってるし」

「特例ですね」

「特例だね。朔望月さんと同じくらい、その子も特例」


 ドアを開くと、古いブラウン管テレビにゲームを接続してレトロゲームをプレイしているワンピースの少女の後姿が見えた。テレビの前で正座して、ちょこんと足を揃えているのが見える。朔望月が入ると、少女は振り返った。

 つい拾ってしまうのも分かる。そう思ってしまうほど可愛らしい少女だった。天使の輪っかが頭の上にないのが不思議なくらいだ。ふわふわした金髪と緑の瞳は西洋人っぽかったが魔法の影響で髪や瞳の色が変わるのはよくある。ぽけーっと朔望月を見つめた後、操作がおろそかになったことでゲームオーバーとなり、うがーっと頭を抱えた。

 それを見ていた枢が、しみじみと、


「……朔望月さん、良かったら私と部屋交換する? 私あの子に添い寝してもらいたい……」


 しかし空死の言いつけを無断で破るわけにもいかず、枢は少女に朔望月の看病をするように命じると、名残惜しそうに部屋から出て行った。

 少女はテレビを消し、朔望月を一つしかないベッドに誘導した。朔望月は傷を刺激しないようゆっくりとベッドに腰かけた。少女が手を貸してくれる。


「いてて……。ありがとう」


 少女はじっと朔望月を見つめている。パーソナルスペースが皆無なのか、至近距離で観察してくる。朔望月はベッドに寝そべりながら、苦笑した。


「……きみ、名前は? 私は朔望月ミカ。悪党扱いされてるけど、本当は無実なんだ……」


 いきなりこんなことを言っても信じてもらえないんだろうな。と思いつつ言った。枕を引き寄せて自分の頭を乗せる。オーダーメイドかと思ってしまうほど枕の高さ、柔らかさがぴったりだった。ふうと息を吐く。

 

 少女は朔望月に布団をかぶせながら、


「わたしはなぎ。朔望月ミカ……。ミカって呼んでいい?」

「うん、もちろん」


 凪は微笑んだ。その笑みは穏やかで、ざわついた心を落ち着かせてくれた。


「大変だね。冤罪魔法で、本当は無実なのに、追われてるんだ」

「うん……」


 信じてくれるのか? 朔望月は懐疑的だった。言葉だけ信じているようでも、皮肉で言っていたり、内心では見限っていたりするものだ。しかし冤罪魔法という単語を既に知っているとは。柴扉真古刀が情報を拡散させたおかげだろう。


「凪ちゃんは、こんなところで何をしてたの? 迷子って言ってたけど」

「楽しいことないかなって、街をほっつき歩いてたんだ。そうしたら拾われた……。雨の日だったからかな」

「それ、関係ある?」


 朔望月は苦笑した。でも、よく考えてみると、晴れの日よりは捨て猫を拾う確率が上がりそうだ。雨に打たれる凪を見た空死が、母性本能をくすぐられたということだろうか。

 凪は何か手に持っていた。指先でそれを転がしている。朔望月はなぜか痛みが軽減した傷のある場所をさすりながら、


「きっと外に出たら、礼賛派の人に殺されるんだろうな。どうしてこんなことになったんだろう。せっかく、真古刀さんに信じてもらえたのに、倒れてしまうなんて……」

「真古刀さんは、ミカが殺したの?」

「まさか。別の誰かにやられたんだよ。私じゃない」

「ふうん」


 今度はあんまり信じていない風に凪は言った。朔望月は少し傷ついた。こんな純真そうな少女にも信じてもらえない。

 そのとき、ドタドタと通路を駆ける足音が聞こえて来た。扉がバンと開く。

 情報屋の鳥羽絵麦が、メガネをずり落ちそうにさせながら怒鳴り込んで来た。


「おいぃ! 朔望月! いきなりやってくれたな!」

「え。何がですか」


 朔望月は驚きのあまり身を起こしながら言った。急に動いたのに傷がもう痛まなかった。再生が済んだということだろうか。

 鳥羽絵は憤激が過ぎてしばらく何も言えなかった。顔を真っ赤にしながら、部屋の中に入って来る。そして言葉を発せられるようになるまで、ベッドの周りを歩き回る。


「私が楽しみにしてたイチゴゼリーを食べただろうが! 冷蔵庫の一番奥にしまってたやつだよ!」


 きょとんとしてしまった。くだらないことで怒っているなと思ったし、そもそもこの拠点に来てから間もない朔望月には不可能な所業だった。


「私じゃないですよ、それ」

「お前はあのイチゴゼリーがどれほど貴重な品か分かってねえだろう! 月に二度の貨物列車の大半は食料と日用品! 嗜好品はほんのわずかなんだ! 私があれを入手するのにどれだけの情報と引き換えにしたか……!」


 話が通じない。いつもこうだ。うんざりしながらも辛抱強く否定する。


「それはお気の毒に。でも、本当に私では……」

「ほう。じゃあ、これはいったいなんだ?」


 鳥羽絵は既に証拠品を掴んでいた。部屋のゴミ箱から、ゼリーの空容器を、わざわざピンセットを使って拾い上げる。


「あ……?」


 朔望月は隣の凪を見た。凪は無表情で口笛を吹き始める。

 この子か。この子が犯人……! 手癖が悪い。そして誤魔化すのが下手!


 鬼の形相の鳥羽絵の怒りは相当なものだった。凪が犯人だとばれれば追い出しかねない。

 朔望月はあまり嘘をつきたくなかった。しかし凪が再び路頭に迷うことになってしまっても心が痛む。

 仕方なく、


「私が食べました。美味しかったです。すみません」

「すみませんで済むかよ! くそっ! 次やったら裸にひん剥いて吊るすからな! 鳥羽絵的大嫌いな人ランキング第三位に急浮上したぞ、朔望月ミカっ! これ以上上がらないようにな!」


 よく分からない言葉を残し、鳥羽絵はドタバタと足音を鳴らして部屋を出て行った。扉が開けっ放しだったので、凪がトコトコと歩いて閉める。

 何食わぬ顔で戻ってきた凪を、朔望月は呆れた顏で出迎えた。


「……凪ちゃんだよね。犯人」

「うん。ごめんね。だけどね、ミカ……」

「いや、これくらいの冤罪ならいいけどさ……」


 これが冤罪魔法の威力か。他に犯人候補なんていくらでもいたはずなのに、真っ先に朔望月を疑ってきた。いや、疑うというより確信していた。一度ああなってしまえば、きっと完璧なアリバイや状況証拠を提示しても、犯人だと信じて疑わないだろう。

 思えば、冤罪魔法の存在をみんなが認めてくれないのも、冤罪魔法の一環なのだろう。冤罪魔法の存在が事実ということになってしまうと、罪をかぶせるのに何かと支障が出る。底意地の悪い魔法だ。


「ねえ、ミカ」

「なに、凪ちゃん」

「これからどうするの? 誅戮派でやっていくの」


 凪は思ったよりこの組織のことに理解があるようだ。迷子だったと言っていたが、ある程度誅戮派にシンパシーを感じてここに来ていたのかもしれない。


「ああ……。ここって街を破壊したり、罪のない人を殺す集団なんだよね」

「うん。場合によっては」


 死のない街とはいえ、到底受け入れられない集団だった。善人そうに見える枢たちも、大勢の人間を苦しめてきたに違いない。


「私にはそんなことできない。なんなら止めたいくらいだから。ここにはなじめないかな……。でも、礼賛派も、遊興派も、私なんか受け入れてくれないだろうから……。野垂れ死ぬしかないかも」

「真犯人」


 凪はぽつんと言う。


「え?」

「鉄道を爆破した真犯人って、今どうしているんだろうね」

「えっと……、そうだね。うん……」


 朔望月は頷きながらも、表情が読めない凪の美しい顔を見つめていた。朔望月にまつわる事件に興味があるのだろうか。


「あの、凪ちゃん。私が犯人じゃないって信じてくれるの?」

「うん。もちろん」

「あ、ありがとね。凪ちゃんだけだよ。信じてくれるのは……」


 本当に自分の味方なのだろうか? だとしたらこんなに嬉しいことはない。凪はワンピースの裾を持ち上げた。


「どういたしまして」

「……鉄道爆破事件の犯人も気になるけど、私はどちらかというと、真古刀さんを殺した犯人が気になるかな。目の前で二度も傷つけられたわけで……」


 ここで凪は少し気まずそうに、


「真古刀さんを殺したのはミカでしょ?」

「え? 違うよ」


 朔望月は即座に否定しつつも傷ついていた。やはり信じてくれないのか。この純真そうな少女からも、人殺しの極悪人に見られていると思うと泣きそうになる。

 しかし朔望月はここで奇妙な感覚を覚える。何か重大な見落としがあるのではないかという不安。思わず凪の顔を見た。少女は試すように朔望月を見据えていた。


「……凪ちゃんは、どうして、鉄道爆破事件の犯人が私じゃないと信じてくれたのに、真古刀さんを殺したのは私だと思うの?」


 一貫性がない。何か根拠がなければこんな思考にはならない。朔望月はじっと凪の顔を見つめたが、彼女の表情からは何も読み取れなかった。


「冤罪魔法の特性だよ。話を聞いて大体分かったの。でも……、わたしがどうしてそう思ったのか、聞きたい?」

「う、うん」

「本当の、本当に? 今日はゆっくり休んだほうがいいかもよ」


 気遣ってくれている。優しくされると泣きそうになる。朔望月は自身の頬を叩いて気合いを入れた。


「凪ちゃんの考えを聞かせて」

「うん。それじゃあ……。真古刀さんの真実魔法は、全ての事実を明らかにする。ミカの冤罪魔法は、ありとあらゆる悪事を自分のせいってことにする。じゃあ、真古刀さんがミカに真実魔法を使うとどうなると思う」


 実際にそれは行われた。裁判所で。独房で。二度真古刀は朔望月の秘密を暴こうとしたはずだ。


「どうって……。真実が分かるんじゃないの」

「確かに、真古刀さんは全ての真実を理解した。ミカが無実であると分かった。けどそうなると冤罪魔法がミカを犯人に仕立てあげることができなくなる」


 冤罪魔法は事実を捻じ曲げて犯人をでっちあげる。真実を暴かれればその嘘の意味がなくなる。そして真古刀の言葉を街の住民は盲信する。彼女が冤罪魔法の存在を知った段階で、もう冤罪が発生することはなくなるはずだった。


「うん」

「だから冤罪魔法は真古刀さんを殺した。真古刀さんの存在によって、冤罪が成立しなくなるから」

「ち、ちょっと待ってよ! 冤罪魔法が真古刀さんを殺した? そんなこと……」


 朔望月が冤罪をかぶる。それだけの魔法ではないのか。人を殺す力があると?


「裁判所で真古刀さんは大禍時さんに冤罪魔法のことについて話そうとした。だから吐血してその言葉は中断された。監獄では、冤罪魔法についてSNSに載せて住民全員に事実を明らかにしようとした。だから殺してこの街から追い出すことにした。冤罪魔法の威力を覆すほどの発言力がある真古刀さんだからこそ起きた悲劇。つまり、誰が犯人かといえば、それは……」

「そんな……。そんなこと……。どうして凪ちゃんに分かるの? 私が……、私のせいで?」


 薄々自分でも気づいていたのかもしれない。周りには怪しい人間など一人もいなかった。朔望月以外に、真古刀を殺せる人間はいなかった。

 つまり冤罪ではなかった。裁判官殺人事件については、冤罪はなく、本当に朔望月が犯人だった。


 気が狂いそうだった。潔癖に生きると息巻いた結果がこれ。朔望月は頭を抱えた。この街の希望を奪ってしまった。その重大さが重くのしかかってくる。自分は潔癖であると思い込むことで、これまで不遇な扱いにも耐えられた。しかし今ではもう、その心の支えもない。どこまでも落ちてしまいそうだった。


「ミカ」


 凪が朔望月の手に触れた。暖かくて小さな手が、震える朔望月の体を優しく撫でる。


「冤罪魔法は常時発動型。術者の意思は関係ない。ミカは悪くないよ」


 全てを見通しているかのように凪は言う。朔望月はそんな彼女の言葉なら全て信じてしまいそうだった。


「でも……。でも!」

「真古刀さんも、きっとミカのことを恨んでないよ。彼女の記憶がなくなったのも、きっと冤罪魔法について不利なことを話させないようにしたってことなんだろうけど」


 冤罪魔法の存在は普通の人間には認知できないようになっている。そんな魔法があるはずないと思考を放棄してしまう。おそらくそれも冤罪魔法の性質なのだろう。しかし真実魔法のような例外はある。真古刀のような発言力のある人間が真実を流布しようとしたとき、冤罪魔法は殺人の呪いや記憶消去の呪いを発動させる……。


「私は怖いよ……。自分が嫌な目に遭うだけだと思ってた! 人を殺すなんて! もしかしたら、私を信じてくれている凪ちゃんも、いつか私の魔法が傷つけてしまうかも……」


 凪は震える朔望月を支えた。ぽんぽんと背中を叩いてくれる。


「それについては心配しなくていいよ。詳しくは話せないけど、私の固有魔法がそれをさせないから」

「……そう、なの?」

「うん。それで、改めて聞くけど、ミカはこれからどうしたい?」


 思考がまとまらない。しかし凪の微笑を間近に見ていると、少しずつ落ち着いていく。体の中をぐつぐつ煮える激しい感情が鎮まっていく。


「どうしたいって……。誰にも迷惑がかからないように生きるにはどうしたら……。やっぱりさっさとこの街から去るべきなんじゃ……」


 魔力を全て失えば冤罪魔法もなくなる。これ以外の解決策はないように思う。


「それでもいいけど、たぶんこの街にはひどいことが起きるだろうね」

「どうして」

「百人の新人魔法使いを爆殺した真犯人が、今もこの街に潜んでいる」


 真古刀を殺した犯人は朔望月だった。しかし電車を爆破させたのは別の誰かだ。それは間違いない。


「あ……」

「しかも、真犯人からすれば動きやすい状況だよ。全ての罪はミカが背負ってくれているんだから」

「そうだね……。うん、確かに……」


 新人百名を爆殺したあの事件の凶悪さに礼賛派は震撼していた。だからこそ朔望月はひどい扱いを受けた。また似たっようなことが起こるかもしれない。


「真古刀さんがこの街を去る。もしかしたら真犯人は永遠に見つからないかもね。混沌としたこの街なら、全然おかしなことじゃない。むしろそっちのほうが本来の街の姿なのかも」

「私は……」


 朔望月は、無理もないこととはいえ、自分のことしか考えていなかった。真犯人が今どうしているのか、本気で気にしていたわけではなかった。

 しかし同じ列車に乗ってこの街にやってきた新人魔法使いを爆殺した犯人は、今も街に溶け込んで次の機会を窺っている。やっていることは誅戮派の破壊活動にも通ずる。もしかすると、誅戮派に留まっていれば、向こうから犯人が顔を出すかもしれない。


 あるいは、善人面して、礼賛派や遊興派に紛れ込んでいるかも。なにせ三か月前の出来事だ。事態が二転三転していてもおかしくはない。


「ミカ。ここから出て行くのなら協力するよ。どうする?」


 凪は微笑みを湛えて朔望月を見ている。彼女の手には小石が半分に割れた小石があった。一瞬意味が分からなかったが、朔望月ははっとして脇腹に手をやった。傷が治癒している。体に食い込んだ小石をいつの間にか摘出してくれたらしい。


「凪ちゃん、あなたいったい……」

「この世界で唯一の、ミカの味方。今のところはね」


 凪の笑顔に吸い込まれそうなる。朔望月は息をすることも忘れて、彼女を抱きしめたくなった。しかしそのとき通路でドタバタと音が鳴り、ドアが勢い良く開いた。今度は九十鷹巳だった。怒張した二の腕の筋肉を見せつけながら、


「おい! あたしが楽しみにしてたチョコレートケーキ食べただろ! 入って早々手癖が悪いな大悪党!」」


 まさか……。朔望月は部屋を見渡し、ケーキを載せていたと思われる紙皿と包装ビニールをゲーム機の脇に見つけ、苦笑した。


「すみません。お腹が空いていたので」

「次やったらバリカンで頭剃るぞ! 落ち武者にしてやる! ったく……」


 九十が立ち去ると、朔望月は怒るでもなく凪に言った。


「私も凪ちゃんの味方。これでおあいこだね」


 しかし凪は少し困った顔をしていた。


「……わたしが罪を認めたとき、麦とか鷹巳がどんな反応をするか見たかったのに」

「え!? あ、冤罪魔法の効力を実験したかったの!?」


 確かに気になる。今までは冤罪をすぐに否定してくれる人間があまりいなかった。母が朔望月をかばってくれたことはあったものの、あのときより今回のほうが遥かにどうでもいい事案だ。文句を言っているほうもどうでもよくなって、もしかしたら冤罪を晴らせたかもしれない。


「これだとわたし、ただの食い意地張ったクソガキだよ。分かりやすいところに証拠も残してあったのに……」

「ご、ごめん。そっか、そうだったんだ」

「謝るのはわたしのほうだよ。ありがとう、ミカ」


 二人は笑い合った。傷も癒えて、冤罪魔法に理解を示してくれる人も得て、体が軽く感じた。味方がいるというだけでこんなにも気が軽くなるとは思ってもいなかった。


 いつこの街から去ることになってもいい。ただし鉄道爆破事件の真犯人だけは突き止めてやる。朔望月は自然とそう決意していた。

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