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少女冤罪~魔神に飼われた少女たち~  作者: 軌条
正義が死んだ日
4/6

脱獄事件



 魔神礼賛派を束ねる夜綱よづな雷虎らいこは、魔神誅戮派の首魁、空死そらじに真冬まふゆと緊急に連絡を取り、休戦を申し出た。半ばテロリストである誅戮派の彼女らも、柴扉さいひ真古刀まことの脱落は予想外で、その休戦に同意した。

 街全体に張り巡らされた礼賛派のパトロール網が一時緩み、戦力が中央に集中した。名うての魔法使いが病院に集結し、柴扉真古刀の治療に手を尽くしたが、彼女の脱落は不可避だった。

 彼女の魔力が枯渇し、再生が止まった。それでもなお彼女の肉体は崩壊を続けた。そこで魔神が介入し、彼女にかけられた呪いは解除された。


「おい、魔神。真古刀を殺した魔法は、どんな呪いなんだ。犯人が口を割らないんだよ」


 泣き腫らした顔の大禍時おおまがときが魔神に向かって呼びかけるが返事はなかった。魔神が介入したと言っても、魔神が姿を現すことはない。その気配もない。条件を満たすと街に介入し、静かに消えていく。

 大禍時は舌打ちした。


「ちっ、無視かよ。しかしこれでやっと綺麗な躰に戻るな」


 柴扉真古刀の体が再生されていく。青白い顔にみるみる血色が戻る。すぐに彼女は目を覚ました。彼女を心配して押しかけた魔法使いたちを見て、彼女は困惑顔だった。病室を見渡し、見舞いの品が山のように積まれていることに驚く。


「ええと、ここは……」

「真古刀! 覚えてないか? お前の恋人の大禍時聖だよぉ……!」


 真古刀は大いに当惑し、助けを求めるように周囲に目を向けた。


「きみは大禍時。闇刀魔法の使い手で、恋人というより変人だ。太腿をさすらないでくれ。しかし……。力を失っているな。私は脱落したのか。何があった」


 真古刀は魔法を失ったが健康に問題はなさそうだった。一同は安堵しつつも、裁判所や独房で何があったのか知りたがった。


「朔望月ミカに殺されたんだ。教えてくれ。奴の魔法は何なんだ?」

「さくぼ……、誰だそれは。私はその子に敗れたのか?」


 真古刀は朔望月ミカの記憶がごっそり抜けていた。鉄道爆破事件や自分が負傷したことも。それ以外の記憶ははっきりしていた。

 魔法の力を失った女はこの街を速やかに去らなければならない。戦いに巻き込まれて死んでも魔神が治してくれるかもしれないが、前例がないので保証はない。真古刀は駅から出ている三日後の便でこの街から去ることになった。


 大禍時は病室から出ると、外で待っていた夜綱雷虎に気づいた。礼賛派最強の女は無表情ではあったが、かなり不機嫌であることが大禍時には分かった。壁にもたれて腕を組んでいる。

 夜綱は右眼を黒い眼帯で覆っている。魔法の影響で変色した長髪は綺麗な竜胆色(薄い青紫色)で、後ろで一つに束ねていた。彼女が化粧をしているところを大禍時は見たことがなかったが、彼女の肌に触れたらこちらの指が怪我をしてしまいそうな、危うげで妖艶な雰囲気を常に醸し出している。服装には無頓着で、ありきたりなジャケットの上に動きやすさ重視の無骨な外套を合わせていた。


「ボス。真古刀は記憶を失ってる。朔望月のことはすっかり忘れているみたいだ」


 夜綱は大禍時のほうをちらりとも見ずに、正面の病院の壁を睨んでいた。


「……そうか」

「朔望月の魔法について手掛かりはナシだ。いったいどんな魔法なんだろうなあ」

「これについてはどう思う」


 夜綱はスマホを取り出す。画面にはTwixerのとあるアカウントの投稿が表示されていた。大禍時は彼女がスマホをケースにも入れずに持ち運んでいることに気が散りつつ、


「ああ……。真古刀が鳥羽絵とばえに拡散させたっていう投稿か。朔望月の固有魔法は冤罪魔法。彼女に罪はない。街全体で彼女を庇護したい。そんな内容だったね」


 夜綱はスマホを仕舞った。そして腕を組んで何もない病院の廊下の壁を再び睨む。


「朔望月は冤罪魔法を使って柴扉を殺した。ということだろうか?」

「おいおい、しっかりしてくれよボス。この街でその投稿内容を信じてるお間抜けさんはいないよ? 朔望月が真古刀を脅して嘘の投稿をさせたんだろ。そもそも冤罪魔法ってなんだよ。誰かに冤罪を吹っ掛けるならともかく、自分が冤罪をかぶる魔法? 何のための魔法だよ。無理があり過ぎる」


 固有魔法には様々な種類があるが、冤罪魔法なんてものがあったらその使い手の精神はとっくに壊れている。朔望月は少し陰気ではあったが不健康そうには見えなかった。冤罪をかぶせられ続けてきた奴は、あんな堂々とした人間になれない。それが大禍時の感想だった。

 だが夜綱はそうは思わないらしい。


「魔法にメリットがあるとは限らない。デメリットしかない場合もある」

「仮に冤罪魔法ってのがあったとして、それでどうやって真古刀を殺すんだよ。ボス、拷問の許可をくれ。朔望月を徹底的にしめたい。普通に殺して一般人に戻すだけじゃ物足りないだろ」


 拷問なんてしたことはないが、朔望月には許されると思っていた。あんな悪党は、過激なテロリスト集団である誅戮派にもなかなかいない。

 夜綱は首を振る。


「拷問は許可できない。人道にもとる。それに、それで得た証言にどれだけの信憑性があるか……」

「でも、このままだと迷宮入りだぞ。この街に名探偵はいない。真実はいつも真古刀が見出してくれていた。警察の真似事でもして、捜査するかぁ?」

「彼女の能力は破格だった。それに甘えていたツケが回ってきたのかもな」


 夜綱は他人事だった。圧倒的な戦闘力と強力な統率力を持った彼女だが、複雑なことは嫌う傾向があった。弱い人間の細々(こまごま)とした意見なんて気にもかけない。小さな要望を拾い上げて街に還元していたのは他ならない柴扉真古刀だった。

 もう真古刀はいない。元々実力主義のこの街が、より弱者にとって生き辛い場所へと変わっていく。大禍時はそんな予感がしていた。


「んで、どうするの」

「朔望月が正直に話す気になるまで独房に入れておくしかない」


 あっさりと言う。大禍時はため息をついた。


「……誰が奴の相手するんだよ。真古刀を殺した奴なんかおっかなくて、誰も手を挙げないぞ」

「私がやる」

「え。ボスが!?」


 大禍時は驚いたが、それ以外にない気もしていた。


「お前でもいいが。誰もやらないというのなら私がやる」

「はー……。あんたが街を警邏けいらしてないと、誅戮派は好き勝手やるからなあ……。でも今は休戦中か。それならアリなのかな?」


 大禍時がぶつぶつ言う。正体不明の攻撃で真古刀を殺した朔望月は不気味であったが、大禍時が夜綱を心配することはなかった。夜綱を打倒できる魔法使いが想像できないからだ。毎年、恐るべき魔法を携えた新進気鋭の魔法使いが何人か登場するが、夜綱の足元にも及ばなかった。大人しく彼女の軍門に下るか、失意のあまり隠遁していく。そんな光景を大禍時は何度も見ていた。大禍時もそのようにして夜綱に屈服した人間だから、彼女の恐ろしさはよく知っている。好戦的な大禍時が夜綱には模擬戦すら挑んだことがなかった。それほどの実力差がある。


《ほ、報告っ!》


 夜綱と大禍時が持っていた無線機に声が入る。スマホで通話するより簡便で早いので礼賛派は無線機を全構成員に配り活用している。


《監獄に誅戮派が多数。襲撃を受けています。繰り返します。監獄が襲撃を受けています!》


 病室から魔法使いたちが飛び出してくる。彼らは引き攣った顔をしていた。夜綱は全く表情を動かさず、部下たちに向けて言った。


「現在、監獄に誅戮派の捕虜は一人もいない。狙いは、朔望月だろう。絶対に脱獄させるな」


 夜綱の言葉に魔法使いたちは奮起し飛び出していった。最後には夜綱と大禍時が残った。

 開けっ放しだった病室の扉を、大禍時がゆっくりと閉める。

 夜綱は壁に凭れたままだった。


「ボスは行かないのか?」

「陽動の可能性もある。私が柴扉の護衛につく」

「じゃあ、私もそうするかなあ。真古刀も寡黙なボスと二人きりだと息が詰まるだろ」


 大禍時はそう言いつつも、腑に落ちない何かを感じていた。自分でも何が気に食わないか考えてみるが、思い当たる点が一つだけある。裁判所で真古刀が倒れる直前、大禍時に何か言いかけていた。


 ――それがね、聞いてくれよ大禍時。本当に驚くぞ、彼女は――


 真古刀は何を言いかけていたのだろうか? 記憶を失った真古刀に尋ねても答えは返ってこない。

 頭使うのは疲れるんだよなあ。大禍時は病室の前に座り込み、頬杖を突いて考え込んだ。 





   ※




 街は大まかに五つの区画に分かれている。

 礼賛派の管理が行き届いた最大区画“中央区”。

 遊興派の遊び場が多数置かれた比較的平和な“東区”。

 誅戮派の隠し拠点が点在する荒廃した“北区”。

 無派閥の魔法使いが隠れ住む“西区”。

 魔神の棲む禁足地“南区”。


 礼賛派の拠点はほとんど中央区にあったが、監獄はその中でも南寄りに置かれていた。最も警戒すべき誅戮派の襲撃に備えた形である。

 襲撃する側の立場になって考えると、北区から中央区を横切って監獄へ向かうのは非現実的だった。礼賛派の主戦力と衝突する可能性がある。東区、もしくは西区を経由して中央区に入るのが普通だった。

 しかし非常事態につき普段各区に回しているパトロール部隊を中央に戻した結果、監獄周りの警備が強固になっていた。安直なルートを選べば激しい反攻に遭うのは明らかだった。


 そういうわけで空死そらじに真冬まふゆは同胞たちに南区を通るように命じた。南からの攻撃を、礼賛派は全く想定していないはずだった。


 枯れ葉と枯れ枝で地面が埋め尽くされた斜面。見たことのない青々とした植物が群生する山林の中を、くるる廻施かいせは中腰で下っていた。

 今にも倒れそうな細くて枯れかけた針葉樹の幹は、少し触れただけで皮がパリパリと捲れていく。体重を木に預けたせいで皮がずり落ちて、バランスを崩し、枢は斜面を滑り落ちた。

 数メートル先行していた四顧雁しこがん風亜ふうあにぶつかりそうになる。避けてー、と叫んだが、振り向いた四顧雁は避けずに足を振りかぶった。


「え、ちょ、待――」


 ふかふかの地面を四顧雁が蹴る。土塊が飛び、枢の顔面に跳ねる。蹴りを食らう直前に両手足を突っ張って滑落を防いだ枢は、ふーっ、ふーっ、と荒く息を吐いた。それを見た四顧雁は満足げに笑んだ。


 四顧雁風亜。誅戮派の実質的なナンバーツー。目が覚めるような輝きを放つ金髪はいつ見ても乱れることなく、仄かに風になびいている。今はラフなシャツに青の短パンという簡素な恰好だがそのプロポーションは完璧無比で、彼女が街を襲うとき被害者はその美貌に見惚れていることが多い。容姿が良いという理由だけで四顧雁のファンになった者は多いが、彼女は冷徹な殺戮者で、特に無派閥の魔法使いを狩るのを日課にしていた。過去にファンクラブが二度設立されたことがあったが二度とも会員を皆殺しにした。年齢は十九。


 四顧雁に蹴られかけた鈍臭い女は、くるる廻施かいせといい、芋臭いパーカーに中途半端な丈のズボン、真っ白なスニーカーという出で立ちで、機能性重視の恰好はダサイを通り越して滑稽だった。無造作に切った短い黒髪は自分の手によるもので、モデル然とした四顧雁の隣に立っていると彼女のちんちくりんな出で立ちがより際立つ。誅戮派のメンバーの中で重宝されている“いじられ役”であると同時に派閥最古参の二十二歳だった。


「今、蹴ろうとしたでしょ、風亜!」


 枢が土を払いながら立ち上がると、四顧雁はそっと指を口元に運んだ。所作の一つ一つに色気と気品が漂う彼女の動作と声は、自然と人々の注意を惹いた。このときも枢は怒っていた自分を忘れて彼女の形の良い唇が動くのをじっと見つめていた。舌がちらりと見えたときにどぎまぎしてしまう。


「ドジ。礼賛派にばれたらどうするの。まともに連中とやり合う気?」

「それは……、ごめんだよ。けど、蹴るのは違くない?」


 すっかり怒りを鎮めてしまった枢をじっとりとした目つきで見た四顧雁は、少し面白がるように枢を責める。


「自分で止まれるのに他人に頼ろうとした。それって甘えよね」

「いやだって、魔法を使わないように移動するって決めたから……」


 小声になった枢を上から覆いかぶさるようになじる。そんなときの四顧雁は心底幸せそうだった。


「バカ。二十二歳にもなって言い訳。情けない。今回の作戦は暴れればそれでオッケーって話じゃないの。ノロマちゃん、分かってる?」

「う、うん。監獄を襲撃し朔望月ミカの脱獄の手助けをするんだよね。このために三か月間、魔力を貯めてきたわけで……」


 ほどよく暴れ、礼賛派に不審に思われないようにしてきたが、誅戮派はこの脱獄作戦の為に準備してきた。まさか朔望月が柴扉真古刀を粉砕するとは思っていなかったが、鉄道爆破事件の一件を知ったときから、空死は朔望月を欲しがった。

 最近の新人は大人しい人間が多く、しかも街の外でどんな噂が流れているか知らないが、誅戮派への印象が最初から最悪に近かった。おかげで派閥は縮小の一途を辿っている。

 四顧雁は監獄のある方角を睨みながら、まるでシャンプーのCMかと見紛うかのような綺麗な仕草で髪をかき上げた。良い匂いが広がって思わず枢の鼻がヒクヒク動く。


「空死総大将は、朔望月を『悪のカリスマになれる』と評価してたわ。あんな熱烈なラブコールを見せつけられたらなんだか嫉妬しちゃうわね」

「風亜は空死さんから寵愛されてるほうでしょ。私なんて同い年なのにまともに会話さえしてくれないっていうか」


 二人はそろりそろりと山を下っていく。南区の禁足地は大半が山地で、普段人が出入りしていない。また、南区方面の守りはどこも手薄で、奇襲にはうってつけだった。

 ただし、南区には危険も多い。魔神が飼っている魔獣が徘徊し、魔法使いを見つけると積極的に襲ってくる。魔法の発動を敏感に察知するので、南区では魔法を使うことができない。魔獣の強さは圧倒的で、過去に魔獣とやり合って無事に帰ってこられたのは礼賛派の夜綱ただひとり。数年前、遊興派の連中が魔獣相手に力試しをしたそうだが、十人の精鋭が全滅したという。


 二人は山を無事に脱し、南区と中央区との境界まで来た。気休め程度に設置された金網フェンスがあり、二人はそれを乗り越えると同時に魔法を全開にした。二人の肉体が空中に躍り出て、凄まじい加速でもって中央区の空を駆ける。


 四顧雁風亜の固有魔法――ジェット魔法。魔力と空気を混ぜ合わせて爆発的な推進力を得る。速度を上げれば上げるほど吸気量が増え魔力の消費量と共に推進力も増大する。物体にその推進力を適用すれば小石一つが殺人兵器となる。


 本来それほどの速度で動けば風圧で息もできないはずだが、ジェット魔法の加護で二人は風になびくことさえなかった。その気になれば空を飛びながら目薬を差すことすらできる。


 二人はあっという間に監獄に接近した。さすがに警戒網に引っ掛かり、監獄の監視塔の頂上で魔法使いが身構えるのが見える。


「警報まだ出ないんだ」

「休戦が成立して気が緩んでるわね。あの様子だと部下を監督する大幹部も不在でしょ」


 少なくとも夜綱雷虎はここにいない。いれば一帯の空気がひりつき、礼賛派の魔法使いたちがきびきび動くようになる。

 

 枢が魔法を発動する。鈍臭い彼女の固有魔法――ドリル魔法。硬い岩盤も、巨大な城砦も、堅固な金庫も、そのドリルの前では中身を晒すことになる。ジェット魔法の推進力を加えれば破壊できないものはない。

 十トントラックくらいはある巨大なドリルが魔力によって生み出され、爆発的な加速度でもって監獄の防壁に衝突する。

 地が揺れ、近くの窓ガラスが衝撃で割れた。監獄の壁にひびが入りここでようやく警報が鳴る。

 着弾と同時にドリルの回転が始まっていた。掘削開始。コンクリートを破砕し鉄骨を千切り火花を上げながらあっという間に大穴を開ける。土埃にむせる礼賛派の魔法使いたち。


「襲撃だ! 誅戮派が囚人を攫いにきた!」


 迎撃の為に魔法使いが何名か飛び出してきた。四顧雁は全く躊躇することなく攻撃を開始する。

 次々と礼賛派の魔法使いの頭部が弾け飛ぶ。南区の山で拾ってきた小石をばらまき、推進力を与えるだけで、次々と処理していく。その精度は凄まじく、無駄撃ちは一発もなかった。


 休戦協定を結んでおきながらこの暴挙。間違いなく礼賛派と誅戮派の対立は激化する。礼賛派の中には誅戮派と融和するべしという穏健派もいるようだが、彼女らの立場はたちまちなくなるだろう。


 四顧雁が敵戦力を抑え込んでいる間に、枢は監獄に潜入していた。停止した巨大なドリルが徐々に消えていく。ほどけた魔力をできるだけ回収しつつ、牢獄の中を進む。

 看守が二名、騒ぎを聞きつけて現れたが、ちょうど瓦礫が邪魔になって通路を進むことができないようだった。枢は念のため更に壁を崩して瓦礫を増やしておいた。


 朔望月のいる独房も、衝撃で鉄扉が歪み、鍵があっても開かないようになっていた。

 ドリルを壁に設置する。四顧雁のジェット魔法の推進力がない場合、ドリルを枢の自前の魔力で回転させなければならないが、かなり効率が悪かった。鉄壁を火花を上げながらゆっくりと破壊していく。


「――誰ですか」


 独房の中から声がした。鉄道を爆破し、柴扉真古刀を二度殺したものだから、てっきり声も出せないほどきっちり拘束されていると思い込んでいたが、そうでもなかったようだ。枢は咳払いし、大人のお姉さんっぽい声音に寄せながら、


「朔望月ミカさん。で間違いないね? 私は誅戮派のくるる廻施かいせ。今日はスカウトに来たんだ」

「――お断りします」

「あれれ? まだろくに説明してないんだけど……」


 枢は泣きそうになりながらもドリルを回す。柴扉真古刀を殺した凶悪犯を、無理矢理連れ去ることが自分に可能だろうかと、今更ながら不安になる。


「魔神に反抗し、無差別に街の人間を殺害する、悪党集団ですよね。私があなたたちに加担することはないです」


 責めるような声。会う前から嫌われていたようだ。枢はドリルの回転に集中しつつも、


「一匹狼志向ってこと? でも一人だとできることは限られるよ? 戦闘でやられたとき回収してくれる仲間がいないと、そのまま死ぬまで地下深くに閉じ込められちゃうわけで、これからたくさん悪さをするなら、私たちの仲間になるのが一番! ってことで」

「今、閉じ込められています。私はこのまま死ぬまでじっとしています。そしてこの街を去ります」

「えー。なんか思ってたのと違うなー。もっとぎらついた子かと」


 ドリルが壁を破壊した。鉄板が熱を持って赤く発光している。断面に触れないように慎重に穴を潜り抜けると、独房の中で朔望月はうずくまっていた。拘束具は着けられていない。

 顔を覗き込むと、頬が濡れていた。目の下の隈が酷く見るに堪えなかった。


「……泣いてたんだ」


 枢が言うと、朔望月はさっと顔を伏せた。


「……はい」

「どうして泣いてたか、お姉さんに教えてもらってもいいかな。まさか勢い任せに裁判官を殺したけど、酷い仕打ちを受けて後悔してる、とか」


 朔望月は、思いのほか枢が圧のない相手で気を許したのか、顔を持ち上げた。


「いえ。私は悪くないのに――でも、もしかしたら本当は悪いのかも、と悩んでいたら涙が」

「私は悪くない、か。ふてぶてしいね」


 枢が言うと朔望月は睨みつけてきた。そしてふらふらと立ち上がる。


「私をスカウトに来たんですか。私が悪党だと思い込んで」

「実際、そうでしょ? うちのトップが惚れこんでるよ。久しぶりの大型新人だって」

「私は……、悪の道になんか……」

「悪いけど、そっちの意向は関係なく連れて行くことになってる。じゃないと私の立場がますます――」


 枢は朔望月がとんでもない悪党だと知っていた。だが今の彼女のおどおどとした態度には違和感があった。改めてまじまじと眺める。肩まで伸びた黒髪は手入れがされておらずごわごわしている。素朴な顔立ちは整っているが人に何の印象も与えない地味な造形だった。化粧をすると化けるかもしれない。四顧雁あたりに教えてもらうといいだろう。


 朔望月を見ていると、枢の中で奇妙な葛藤が生まれた。この子を味方に引き入れていいものか? 大悪党のはずだ、平気で人を殺せるはずだ、それなのに誅戮派の中でうまくやっていけるビジョンが浮かばなかった。

 さっさと連れて行くべきなのに枢は止まってしまった。監獄の外では礼賛派の怒号が飛び交っている。


「ノロマ。何やってるの」


 独房の外から顔を覗き込んできたのは四顧雁風亜だった。頬に誰かの返り血を浴びている。普通ならおぞましい姿だったが、彼女だとそれが計算され尽くしたボディペイントか何かのように感じられるから不思議である。


「え。外の連中はどうしたの」

「葉桜と九十くとが増援を率いて相手してる」


 葉桜はざくらすずと、九十くと鷹巳たかみの一七歳コンビは、いずれも誅戮派の幹部だった。部下を連れて派手に暴れているようで、外の戦闘が激化している。


「そっか。それなら安心。でもさ、風亜。この子ダメかも。うちでやっていける気がしない」


 四顧雁は呆れた様子で枢を睨んだ。頬に着いた返り血を指で拭い、それを独房の壁にこすりつける。


「そのときは礼賛派に返せばいい。空死真冬に『現場で面接を実施した結果、独断で不採用とさせていただきました』とでも報告するの? あなたは人事部長?」

「うう……、分かったよ。連れて行くよ」


 枢は朔望月の腕を掴んだ。彼女は抵抗したが、この街で七年間過ごした枢の魔法は鍛えられ、それに応じて身体能力も向上している。この街に来て三か月、しかも滞在時間の大半を治療に費やしていた朔望月など相手にならないはずだった。

 しかし意外と拮抗する。枢は本気で引っ張ったが朔望月はその場から頑として動こうとしなかった。

 四顧雁が本気で苛々した様子で、


「ノロマ。ドジ。貧乳。さっさとして。そろそろ出ないとさすがに向こうの大幹部が出てくる。跋文ばつぶん琴柱ことじ相手に、囚人連れ回しながら戦えない。夜綱が来たら逃げるしかないし」


 枢は全力で朔望月を引っ張る。向こうも向こうで必死に踏ん張っている。


「でもっ、この子っ! なんか強いっ……!」

「ちっ」


 四顧雁が小石を飛ばす。脇腹にジェット魔法の弾丸を食らった朔望月はよろめいた。そこを息も絶え絶えな枢がひょいと持ち上げた。紐でぐるぐる巻きにする。雑な拘束だったが効果覿面で、朔望月はもう抵抗することができなくなった。


 四顧雁と枢は監獄から脱出した。なんとか瓦礫を撤去して通路に来ていた看守を、四顧雁が排除する。頭が弾け倒れた看守を見て、朔望月は呻き声を発した。


「なんて、むごい……」


 顔面蒼白の朔望月を、四顧雁がくだらないとばかりに冷たい目で見た。


「むごい? 傷は最小限だから、彼女たちは三日後には退院してる。むごいのは朔望月、あなたでしょ。新人たちを全身粉々にして、全治三か月の病院暮らしにさせた。おまけに柴扉真古刀に呪いをかけて再生が追い付かない程度に殺し続けた。さすがの私たちもそこまではやらないわ」


 枢に抱えられた状態で、朔望月は四顧雁を睨みつけた。


「私じゃない……! それをしたのは、私じゃない」

「はいはい。……行くわ、ついてきて、ノロマちゃん」


 四顧雁が先行して突き進む。礼賛派の戦力も集まりつつあったが、誅戮派の襲撃に対応しきれずに、囚人を抱えた枢を捕捉することはできなかった。

 四顧雁が他の部隊と合流すると、全員が彼女のジェット魔法で一気に加速した。そのスピードについてこられる者は皆無で、礼賛派は見送るしかなかった。


 中央区を突っ切り北区へと到達する。朔望月は自分の脇腹の負傷を気にしつつも、人生でこれほど軽やかに空を飛んだことがなかったので、不覚にも景色に見惚れてしまった。

 魔神が少女たちを飼うこの街は夕闇に包まれつつあった。薄雲の向こうから橙色の光が差し込み街に濃い影を落とす。整然とした街並みに見えて、少女たちが無計画に整備したこの都市には作り物のジオラマのような白々しさが立ち込めていた。

 ジェット魔法の加護が消え、空から落下する。その風圧に負けて瞼を閉じた。朔望月を抱えている枢だけ着地が格段に下手で、他の誅戮派が無事に着地する中、二人は地面を転がってしまった。


「ご、ごめーん、朔望月さん!」


 枢が声をかけたときにはもう、朔望月は意識を失っていた。うあー、と枢が頭を抱える。


「風亜! 着地するときもっと穏やかにできないの!?」

「ジェット魔法にそんな器用な真似できるわけない。加速がこの魔法の本領だし、魔力もったいないし」


 四顧雁はそう言ってさっさとアジトへと向かってしまった。枢は意識を失った朔望月を背負い、ぶつくさ言いながら後に続く。


 稀代の大悪党、朔望月ミカはこうして拉致され、誅戮派の手の元へと渡った。礼賛派は朔望月ミカの脱獄事件を彼女の罪状に付け加え、今後は拘束・裁判・執行の手順を踏まず、現場判断で殺害することを許可することとなった。これは過去に誅戮派の首魁、空死にのみ適用された特例措置であり、街に来て三か月の新人魔法使いがこれほど礼賛派に目の敵にされるのは異例中の異例であった。


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