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少女冤罪~魔神に飼われた少女たち~  作者: 軌条
正義が死んだ日
3/6

裁判官殺害事件




 朔望月さくぼうづきミカは独房に逆戻りだった。大禍時おおまがときせいが彼女を殺そうとしたがそれは許可されなかった。

 その代わり朔望月の移送には最高戦力がつぎ込まれることになる。礼賛派のトップ3――夜綱よづな雷虎、跋文ばつぶん遊夢呼ゆめこ琴柱ことじ仁香にかの三名が勢揃いした。他に武闘派のメンバーが二十名、たかだか一人の新人魔法使いの移送のために集結し、車列を成した。


 朔望月は一切暴れなかった。先刻までのものより痛くて苦しい非人道的な拘束具を着けられるときも無抵抗だった。大人しい犯罪者には拘束具を緩めてやるのが常だったが今回は容赦しなかった。

 この街の頭脳であり、三派閥それぞれが頼りにする絶対的な中立戦力である柴扉さいひ真古刀まことが負傷したことは、一瞬で街の住民に知れ渡った。


 いったい誰がそんなことを?

 どうやって?

 負傷の具合は? 復帰できるのか?

 ニュースを聞いた住民はそれぞれ思うところはあったにせよ、共通の見解を持っていた。

 柴扉真古刀を傷つけた犯人は極悪人だ。あんないい人を傷つける理由は分からないが、きっと邪悪な動機に違いない。悪の中でもたがの外れた大悪党だ。


 犯人の名前は朔望月ミカというらしい。

 三か月前、新人百名を爆殺し、礼賛派の新エース一明いちみょうあかりをも撃破したらしい。

 真古刀を倒したとき、あの変態メガネも一緒にいたらしいぞ。


 そんな噂が、朔望月が独房に辿り着くまでにほとんどの住民の共有するところとなった。





 独房に入れられた朔望月は床に転がされていた。

 くつわのせいで喋ることができない。ざらざらとした革の感触と苦さと臭いで吐きそうだった。しかし今吐くと窒息しそうだったのでぐっと我慢した。よだれを飲むと轡の革の臭いで気分が悪くなるので口の端からだらだらとよだれを垂れ流した。

 拘束具で手足を封じられまともに体を動かすことができない。裁判所に連れて行かれたときの拘束具と違って今回のは全身の自由がなかった。尿意を催したらこのまま垂れ流すしかないのかと気づき絶望する。しかしよく考えると大禍時に全身を切り刻まれたとき、治療の過程で下の世話もしてもらったはずだ。今更な気もする。


 独房には窓がない。照明もない。暗闇の中、朔望月は孤独と痛みに苦しんでいた。もちろん時計もなかったので時間の経過が分からない。

 空腹になる前に訪問者がいたので、それほど長い時間ではなかったはずだが、それでも朔望月には永遠とも思えるほど長い時間、独りだった。


「酷い待遇だ。今、拘束具を外すよ」


 独房前に現れ、そう朔望月に呼びかけたのは、他ならぬ柴扉真古刀だった。世間では朔望月ミカに襲われて負傷したとされている、この街唯一の裁判官が、小さなランプを手に持ってそこにいる。

 朔望月には信じられない光景だった。独房の扉を開き入って来た真古刀は、拘束具を慣れた手で外した。轡が取れた朔望月は、声を出すより前に深呼吸した。そして咳き込む。


「落ち着いて。ね? 痛かったろう」

「真古、刀……、さん! どうして、あなたが……」


 今でも血を吐いて倒れた真古刀の姿が脳裏に焼き付いて、消えてくれない。真古刀は気まずそうに苦笑した。


「変装して潜入してきた。ツテがあってね。しかし、多少危ない橋を渡ってしまったかな。このことが知られたら私もタダでは済まないだろう」


 彼女は変装で使ったと思われる人の皮っぽいものを取り出す。映画でしか見たことがなかったが実在するのか。それとも魔法の一種?


「ど、どうしてそんなことを……」

「どうして? きみが無実であることを知っているからだ。きみがこのままひどい扱いを受けているのを座視しているわけにはいかないよ」


 信じられない言葉だった。そして、朔望月が一番欲しかった言葉でもあった。


「無実……。私が……。信じてくれるんですか?」

「当然だ。私は真実魔法の使い手。きみは鉄道爆破事件の犯人ではないし、私を傷つけてもいない。全て分かっているよ」


 朔望月はそれを聞いて、視界が潤んだ。よだれまみれの彼女の顔は別の種類の液体でベトベトになった。長時間拘束されて強張こわばった躰が震えた。真古刀が差しだしたハンカチをすぐにぐしょぐしょに汚してしまった。


「泣き過ぎだ。もう大丈夫だから」

「う、嬉しいんです……。誰にも信じてもらえなかったから……」

「そうか。ただ、とんでもない冤罪を吹っ掛けられているわりには、きみは冷静だったね」


 確かに泣き叫ぶことも、何十回も無実を叫ぶようなことはなかった。一応裁判所で拘束される前に抗議はしたが、数回やってもう諦めた。


「慣れているので……」

「慣れている?」

「ずっと前から……。子供の頃から、ずっとずっとずっと、何度も何度も何度も……。身に覚えのないことで犯人にされてきましたから」


 ほう、と真古刀は息を漏らして、その場に胡坐で座り込んだ。屈託のない笑顔で朔望月を安堵させた。彼女には、魔法なんかなくとも、人の心を開かせる力があった。


「良かったら、話してごらんよ。その様子だと、誰にも信じてもらえなかったんだろう。きみのその境遇……」


 真実魔法でさっさと情報を取らなかったのは、彼女の気遣いだろう。今まで誰にも信じてもらえなかった話を直接話す。心の傷を癒すのに重要なプロセスだからだろうか。


「はい。ありがとうございます……」


 朔望月はこれまでの十五年の人生で溜め込んで来た悲哀、怒り、絶望の全てを、最初はたどたどしく、やがて滑らかに話し始めた。


 朔望月ミカ。某県某市の生まれ。

 魔法の素質があると判断されたのは八歳のとき。何か具体的な魔法を発現したわけではなかったが、成人男性を軽々と持ち上げるその怪力は、魔法由来のものであると判断された。実際、魔力判定で陽性が出て、一五歳の春に魔神街へ向かうことがこのとき決定される。

 魔法の素質のある少年少女は、一五歳になるまで政府の監視下で生活する。と言っても表向きは普通の子供と同じような生活が許されるが、問題行動を頻発するようなら特殊な施設に送られる。一五歳未満で魔神街に送り込めない理由は幾つかあるが、一番は魔神が選り好みしているからだ。魔神は幼子の魔力を嫌う。青臭くてとても耐えられないそうだ。男の魔力と女の魔力は味わいが違うらしく、男女別々の場所に街を設け、気分によってどちらの魔力を吸うか決めているそうだ。


 朔望月ミカは魔法使いではあったが、異常な身体能力を除けば、普通の子と一緒。魔法を使って周囲に危害を加える少女ではなかった。しかし魔法とは別の問題行動を頻繁に起こした。

 殴る蹴るなどの傷害。万引きやクラスメイトのモノを隠して捨てるなどの窃盗行為。汚言。妄言。中学生になってからは淫靡卑猥な噂も絶えなかった。

 彼女に親切にする者をも等しく傷つけたので常に孤立していた。魔法という不相応な力を得て調子に乗っている。心身のバランスを崩して暴走している。そのように見做され、親も彼女を持て余し、彼女の更生を願って転校を繰り返したが無意味だった。新しい場所で彼女はすぐに悪さをする。

 反省する素振りはない。自分はやっていないと見え透いた嘘をつく。ときに泣き、ときに怒り、ときに嘆きながら、自分の無実を主張する。しかし周囲の人間からすれば、彼女が犯人であることは分かり切っていた。


「小学生の頃は、とにかく喚いていました。やってもいないことで謝れと言われても、謝れません。話したこともない誰かを殴っただろうと叱られても、そんな人名前も知らないと言うしかないじゃないですか。反省がない、言うことをきかない、嘘しかつかない……。親も含めて、大人からの評判はそんな感じで、最悪でした」


 それは想像を絶する苦しみだった。何年経ってもフラッシュバックしてくるほどのトラウマ体験を毎日のようにしていた。


「辛かったね。不登校になったりしなかった?」

「いえ、頑固な子どもだったので……。それは今もですけど。中学生になってからは何度も警察のお世話になりました。スーパーやコンビニに行くと、低確率ではありますけど、万引きの犯人にされることがあったので、怖くて行けなくなりました。道を歩いているとよく分からない因縁をつけられることもありました。幸いケンカはめっぽう強かったのでそれ自体は問題なかったのですが、ろくに反撃はできないし、分別がついてからは逃げてばかりでした。細かいところで言うと、教室にゴミが落ちていたら例外なく私がそこに捨てたということになりました。他のクラスに落ちているゴミも私が機を狙って投げ込んでいると言われたこともあります。私と関係ない生徒同士の喧嘩なのに、元凶が私ということになっているのもしょっちゅうでした」


 真古刀はしばらく絶句していた。そしてうーんと唸る。

 ここで挙げた例はほんの一部で、他にも数えきれないほどの冤罪を朔望月はかぶってきた。それが真古刀にも分かったのだろう。苦しそうな顔になる。


「理不尽だね。うん……、可哀想過ぎる」

「ろくに友人もいませんでしたが、でも、一番つらかったのは、最初私に優しくしてくれた人が、すぐに離れていくことです。私から離れるときは、裏切られた人の眼をしているんです。私は何もしていないのに、いつのまにかひどいことをしたことになっている。父からは毎日のように怒鳴られていました。昨日はあの人から、今日はこの人から、苦情を貰ったぞ。毎日毎日悪さをするために学校に行っているのか。もう学校に行くな。施設に入れるぞ。そんなことを毎日」

「味方はいなかったんだ」


 朔望月は小さく首を振った。ひときわ顔が歪む。


「母が、いました……。最初は父と同じように、私を叱るだけだったのですが、たまたま風邪をひいて学校を休んだ日も苦情が舞い込んで、どう考えても娘の仕業ではないことでも犯人にされているのを目の当たりにして……」

「きみを信じてくれた?」

「その一件だけは。でも……」

「でも?」


 朔望月ミカの母はその件についてだけは、苦情に対して真っ向から戦った。娘はその件に関しては無実です。確かに娘はとんでもない非行少女です。人様に迷惑をかけてばかりのどうしようもない子です。でもやってもいないことで謝る筋合いはありません。完璧なアリバイがあるんです。私はその日仕事を休んで一日中彼女の看病をしていました。だから間違いありません。


 それでも疑いは晴れなかった。母は理路整然と冤罪に対し戦ったが周囲の理解も得られなかった。父も周囲と同調して母を責めた。娘を信じたい気持ちも分かるが親として間違っていることは間違っていると諭すべきだ。どう考えてもミカが犯人だ。冷静になれ。親の私情を持ちだしてもますますミカが孤立するだけだ。


「母は日に日にやつれていきました。私は心配しましたが、ある日突然、母は私が犯人であると言い出しました。それ以外考えられない。私の記憶違いだったみたい。そんなことを言いだして、それまでの擁護の反動とばかりにとんでもない勢いで私を責め始めたのです」

「うーん……、やはり味方はいないわけか」


 人間の記憶はあやふやだ。過剰なストレスを浴びた母は認識が歪められてしまったのだろう。母を責める気持ちは今はない。しかし当時の絶望は深かった。やっと味方ができたと喜んでいたからなおさらだった。

 朔望月は頭を抱えた。思い出しただけで怒りと悲しみが湧いてくる。


「でも。私が真に恐ろしかったのは。私自身、これが私の犯行だったのではないかと弱気になることがあったことです。そんなわけないのに。誰かのモノを盗んだことはないのに。自衛以外で誰かを殴ったこともない。大それた嘘をつくこともない。自分が都合よく忘れているだけで、本当は私が犯人なのでは? そんな風に自分を信じられなくなることがありました」

「普通はそうなるさ。無理もない」


 そのとき朔望月は姿勢を正した。落ち着いた声で、真古刀に訴えかける。


「そのとき、私は思ったんです。周りからは非行少女だと思われている。親からも信じてもらえない。どうあがいても冤罪を晴らすのが無理でも、自分自身にまで疑われたらおしまいだ。だから、潔癖に生きると」

「……え?」


 意外な言葉に真古刀は目を見開いた。


「私は二度と嘘をつかない。誰かを傷つけることはない。正しいと思ったことだけをやる。自分を甘やかすことはない。人のために生きる。誰よりも正しく生きる。きっとこれからも悪人の烙印を押されて非難され続ける。それは仕方ない。でも、自分だけは自分を信じられるように、清く正しく生きる。そう、決めたんです」


 その悲壮な決意に、真古刀は気圧された。長時間の拘束で縮こまっていた朔望月の背筋がぴんと張っている。いつの間にか精気がみなぎり、目に強い意志が宿っている。

 筆舌に尽くしがたい悲壮な覚悟だった。いつ心が折れ、非行に走ってもおかしくない状況の中、孤独のまま戦うことを決めた彼女の強さは称賛に値する。


「それは……。なんと強い……。きみは……。そういうことか。この街に来て冤罪をかけられても、堂々と振る舞っていたのは」

「本当は悔しいし、苛立たしいです。けど、私だけは、私が正しいことを知っています。今はそれだけでいい。それさえもなくなったら、きっと私は本当の意味で悪党になる」


 独房の中で彼女の姿は凛々しく見えた。誰よりも気高い存在。他人の手によって穢されることのない高潔な魂。

 真古刀は真実魔法で彼女の決意が本物であることを知っていた。こんな人間は見たことがなかった。性根がねじ曲がってもおかしくない幼少期の劣悪な環境が、彼女を潔癖な少女へと成長させていた。


「……大丈夫だ。朔望月さん。きみのそんな日々は今日でおしまいだ」


 ここでようやく決心がついた真古刀はそう言った。朔望月の力になりたい一心だった。


「え?」

「きみが持って生まれた魔法、固有魔法の名は“冤罪魔法”だ。自分の周囲で発生した悪事、あるいは特定の誰かにとって都合の悪いことが発生した場合、その犯人が全てきみだということになる。誰かの罪をきみが代わりにかぶる。そういう魔法だね」


 真古刀はゆっくりと説明する。朔望月は一つひとつの単語を咀嚼するように聞いていた。


「……魔法……。そんな魔法があるんですね。つまり、私が魔法の修行をして、冤罪魔法とやらを使いこなせるようになれば、こんなふざけた日常からは脱却できると――」

「いや。残念だが、きみの魔法は常時発動型だ。きみの冤罪体質が改善されることはないだろう」


 朔望月は露骨にがっかりした目をした。


「……え……」

「私の真実魔法はきみの魔法の特性をつまびらかに解析した。きみが魔法を極めれば極めるほど、むしろ冤罪範囲が拡大し、より多くの罪をかぶることになるだろう」

「それじゃあ……」


 どうすればいいのか。そんな感情を隠し切れない朔望月を安心させるべく、真古刀は微笑みを絶やさない。


「一番簡単な方法は、きみの魔力を全て魔神に吸ってもらうことだ。そうすればきみは普通の人間に戻れる。冤罪体質も完璧になくなるだろう」

「な、なるほど。そうですね。それしかないのなら……」


 朔望月はぎこちなく笑った。しかし彼女自身、腑に落ちない点があるのだろう。空笑いをするその姿が痛々しかった。

 真古刀は彼女の手を握る。汗で湿って、冷たい手だった。


「もう一つ選択肢がある。きみの魔法の特性を、この街の住民全てに周知することだ」

「え? でも、そんなことをしても、私の母のように、いずれは……」


 最初はぎこちなく、やがては縋るように、朔望月が真古刀の手を握る。彼女の体は小刻みに震えていた。


「自分で言うのもなんだけど、私はこの街の住民からの信頼が絶大でね。きみのお母さんが冤罪魔法に屈したのは、魔法そのものだけではなく、夫や周囲の人間からの圧力で気が弱ってしまったことが原因だろう。つまり住民全員に私のほうから説明をし、朔望月ミカの無実が知れ渡れば、冤罪魔法に抗えるのではないかと思うんだ」


 これまで強い覚悟によって保たれていた朔望月の感情のダムが、決壊しかける。これで解決するのかという期待が、彼女の目を潤ませていた。


「そんな……。ことが……。夢のようです」

「魔力を全て失って普通の人間に戻るのもいいだろう。けど、きみのその反骨精神には目を見張るものがある。外の世界に帰るのは、一度冤罪魔法を理性の力で粉砕し、潔白を証明してからでも遅くはないのではないかな? そして礼賛派からのひどい扱いについて、謝罪してもらおう」


 朔望月はしかし戸惑い目を泳がせた。


「いえ、謝罪なんて……。私の魔法が原因なわけですし。……でも、確かにやられっぱなしで終わるのも、悔しいですね。是非、お願いしたいです」


 真古刀は朔望月の背中をぽんぽんと叩いた。


「よく言った。いやあ、きみが哀れで仕方なくってね。それじゃあ早速、知り合いのインフルエンサーにこの事実を拡散してもらおう。私の署名付きでね」

「行動が早いですね」


 朔望月が笑った。さきほどまでとは表情の明るさが雲泥の差だった。今まで巨大過ぎるストレスが彼女を圧し潰していたことがよく分かる。


 真古刀がスマホで連絡、段取りをつける。

 朔望月はそれを見てワクワクしていた。彼女の人生は敗北の連続だった。自分が正しいと思ったことでも、事実を歪められて糾弾された。思い当たることのない悪事の犯人ということにされ、何度涙したことか。

 独房の中をそわそわと歩き回り、どれくらいで効果が出るだろうかと気が気ではなかった。


 非行少女だというレッテルが外れたことはなかった。見ず知らずの大人から説教を食らうこともよくあった。いかがわしい噂を立てられ、下心で近づいてくる男から逃げ続けていた。もし身体能力が超人的でなければ、捕まって取り返しのつかないことになっていたかもしれない。

 いわれのない罪に苛まれて涙した夜は無数。悔しさと怒りで心臓が早鐘のように鳴り、このまま心臓が破裂して死んでしまえばいいのにと本気で思ったこともあった。きちんと歯を磨いていたほうだと思うが、過剰なストレスのせいか虫歯ができやすかった。髪がごそっと抜けたこともある。苦しくて、どこにも逃げ場がなくて、それでも学校に通い続けたのは、それが正しい行いだと自分を律していたからだ。


「おっ。早速反応があったよ」


 真古刀が嬉しそうにスマホ画面を見ている。牢屋の入り口がドタバタと騒がしい。真古刀が監獄内部に潜り込んだことも同時にばれたようだ。間もなくここに人が来る。

 これで冤罪魔法に苦しめられることもなくなるのだ。朔望月は思わず笑みがこぼれた。こんなに幸せでいいんだろうか、と思ってしまうくらいうれしかった。マイナスがゼロに戻るだけだ。そう分かってはいたが、小躍りしたくなるくらい浮かれていた。


 しかし、朔望月はこのとき恐ろしい事実に気づいた。ステップを踏みかけていた足を止め、スマホを操作する真古刀を見る。


「……あの、真古刀さん」

「なんだい、皆の反応が気になる? この街で私の言葉を信じない者はいないよ」

「いえ、それは素晴らしいのですが……。鉄道爆破事件の真犯人は誰なんでしょう?」

「なんだ、そんなことか」


 真古刀は微笑む。


「時間は多少かかるが、犯行可能な人間を全員裁判所に呼びつけて一人ずつ私が見て行けば、犯人が分かるよ。大丈夫」


 しかしその言葉だけでは安心できなかった。嫌な予感が頭について離れない。


「では、裁判所内で真古刀さんに血を吐かせた人間は? あのとき、近くには私と大禍時さんしかいませんでした」


 真古刀は顎に手をやった。彼女自身、すぐには答えを出せないようだった。


「ふむ。確かにそっちのほうが難題だな。大禍時は私に惚れている。私の貞操を奪う為なら暴走する可能性はあるが、傷つける動機がない。きみも犯人ではない。となると遠隔魔法で誰かが私をピンポイントに攻撃したことになるが、容疑者が全く絞れないな」

「でも……、なんだか不可解です」


 朔望月は恐ろしい予感に苛まされながらも言う。


「というと?」

「皆さんの慌てっぷりを見ると、真古刀さんが負傷することって相当珍しいんじゃないですか?」

「まあね。夜綱さんに一撃でぶちのめされたとき、戦技亭ルルアのチームに敗北し海底に沈められたとき、それ以来だから、三度目かな」

「そんな珍しいことが、冤罪体質の私の目の前で起こるなんて……」


 真古刀は朔望月の言葉を遮った。再び朔望月が震え始めたのを見て、本気で心配している。


「何が言いたいんだい? やっぱりきみが犯人だとでも?」

「まさか。でも、私が罪を誘発しているのではないかと」


 真古刀は自身の頭を叩く。様々な可能性を考慮すると、嫌な現実が見えてくるかもしれない。


「ふむ? きみは普段から、自分が罪をかぶり過ぎていると考えていたってことかな」

「さすが、おっしゃる通りです。私の冤罪魔法が、ちょっとした悪意を持った人たちに一線を越えさせているのではないか、と」


 自分から獲物を探して盗みを働くのと、目の前に金品をちらつかされて衝動的に盗みを働くのとでは、事情が違う。冤罪魔法が、本来犯罪に手を染めることのなかった人間をそそのかし、事件を起こしているのではないか……。冤罪魔法が犯罪件数そのものを増やしているのではないか。もしそうなら朔望月は諸悪の根源ということになる。朔望月は不安で仕方なかった。


「きみの幼少期を知らないからこれは私の推測だがね。本来明るみに出るはずのなかったちょっとした犯罪やイタズラがきみの冤罪魔法で表に出てきている。そういうことはあるかもね」


 真古刀の冷静な言葉に、朔望月は少しだけ落ち着いた。誰も知るはずのなかった犯罪が表に出てきている……。それならかなりマシだ。自分を責めずにいられる。


「……その発想はありませんでした」

「だからある意味で、きみは自分を犠牲にして世の中の本来見過ごされるはずだった悪を浮かび上がらせていると言えるね。なるほど潔癖な生き方をしているきみの性分に沿っていると言えなくもない」


 良い解釈だった。良いところなんて一つもないと思っていた魔法だが、もしかしたら使い道があるのでは? そんな気にさせてくれる言葉だ。


「仮にそうだとして……。それでも、真古刀さんが襲撃されたのは、やはり異常なことですよね」

「うーん、そうだね。きみが悩むようなことではない気もするが、確かに気になる……」


 そのとき真古刀は目を見開いた。何かに気づいた顔だった。

 朔望月のほうを見て硬直する。スマホを取り落とし、自身の頬を激しくたたく。


「え!? 真古刀さん!?」


 真古刀はスマホを拾おうとして、動きを止めた。老婆のように腰を曲げた状態で、呻き声を漏らす。


「……なんてことだ。考えが甘かった。そうか、そういうことか……。どうも自分の真実魔法の威力にあぐらをかいて、おごっていたようだ。真実魔法が冤罪魔法を凌駕すると、勝手に決めつけていた……」

「真古刀さん、どうしたんですか? 顔色が悪いような……」


 がくりと真古刀が膝から崩れ落ちた。まともに受け身も取れずに床に倒れ込む。

 そのタイミングで看守が現れた。通路の照明が灯され、明かりが独房まで入り込む。血泡を吹いて倒れた真古刀を発見する。看守は朔望月をさんざんいじめた一明いちみょうあかりだった。


「柴扉さん! どうしてこんな……」


 一明灯は顔面蒼白だった。倒れてなおもがく真古刀を起こそうとするが吐血が酷く下手に動かせない。

 その吐血量は前回の比ではなかった。全身の血液を絞り出しているのではないかというほど大量に吐血する。それが止まる気配がない。


「柴扉さん! ぐっ、この……!」


 一明灯が朔望月に掴みかかる。朔望月は唖然として動けなかった。床に倒れ込み首をぐいぐいと腕で押し付けられた。息が止まる。朔望月は超人的な身体能力を持っていたが、それは一般人と比較した場合のみ。一明灯の膂力は朔望月を圧倒していた。


「朔望月ミカぁ……! 今すぐ柴扉さんへの攻撃を止めろ! お前がやっているんだろぉ!」


 朔望月は声を絞り出す。


「わ、私は何もやってない! 何がなんだか……」

「見え透いた嘘をつくな! 他に誰がいる! お前から邪悪な魔力をひしひしと感じる! 間違いない!」

「そ、そんなことを言ったって……」


 一明灯が叫んでいる間にも真古刀は血を吐き、苦しみ続けている。ガクガクと体が震え、死にかけている。朔望月は一明灯に何度も殴られたが、もちろん心当たりがない。どうすることもできない。硬い床に何度も頭を打ち付けられてそのたびに視界が歪んだ。


 殴られ過ぎて意識が朦朧とし始めた。すると一明灯が朔望月の胸にしがみついてすすり泣き始めた。


「頼む……。朔望月……! なんでもするから、柴扉さんだけは助けてくれ……! 彼女はこの腐った街の数少ない希望なんだ……! 彼女だけは、失うわけにはいかないんだ……!」


 頼む。助けてくれ。一明灯の懇願。朔望月は涙を流していた。

 どうしてこうなっているのかまるで意味が分からない。

 どんなに懇願されても朔望月には無理だった。

 真古刀の吐血がやんだ。動きが止まる。一明灯の体がバネでもついているかのように跳ね上がり、真古刀の体に覆いかぶさった。


「柴扉さん! どうして!? 死なないでくれ! 死なないでよ!」


 牢獄に一明灯の叫びが響き渡る。朔望月は耳を塞ぎたかった。全て幻だと否定したかった。

 これまでに何度も味わった絶望だった。自分はけして理解されないという諦めと、確かにそこに存在する犯罪のおぞましさと、その犯人だと疑われている悔しさと。


 真古刀の体が跳ねる。そして止まる。再生と死が何度も繰り返されているのだろう。魔力が枯渇するまでこの地獄のような状況が続くと思われる。朔望月は独房の奥まで這い、目と耳を塞いでうずくまった。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめん……」


 念仏のように唱えた。一明灯の叫び声にそれはかき消され、牢獄に血の匂いと悲哀が充満した。



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