裁判官傷害事件
この街に墓はない。
死人は病院で生き返る。
病院という場所は大したもので、全身爆散した少女を数か月後には元気に走り回れるくらいに回復させてしまう。退院後味の好みが変わっていたり身長が10センチくらい縮んでいたり生年月日が変わっていたりするが些細な問題だ。
しかしその奇跡は病院以外でも起こる。
凶悪犯はそれぞれの組織の牢獄にて治療を行う。魔法使いは不死身なので、野放しにすると危険だ。
ゆえに病院から医師を派遣してもらって、牢獄で治療を行う。ちょっとした怪我なら即日治るが、大禍時は鉄道爆破事件の犯人を切り刻んでバラバラにしてしまった。おかげで完治まで三か月かかった。
三か月牢獄に通い詰めていた担当医師は、治療最後の日、報酬となる魔力を看守から受け取った後、気味悪そうに言った。
「さっさと外界に帰したほうがいいですよ。あの子、生まれながらの悪党だわ」
そう言われるだけの凄みが、鉄道爆破事件の犯人にはあった。
独房でうずくまり、ろくに食事も水分も摂らない。まるで衰弱した野生生物のように周囲を警戒し排泄も最小限。まだ15歳くらいの少女なのにその瞳は昏い。罅割れた唇からは血が滲み、まるで紅を差したかのような色気があった。
少女の名前は朔望月ミカ。三か月前、新人を満載した電車を爆破し、大量虐殺を働いた極悪人。爆破事件で死亡した新入生の四割は早くもこの街からの退去を希望している。既に何人かには“安楽死”を施し魔力を没収し始めている。
この街において、魔法使いに死はない。それぞれ持つ魔力が、勝手に体を修復してくれるからだ。
魔力が枯渇すれば再生は止まるが、そのときはこの街に住む魔神が再生分の魔力を負担して回復させてくれる。
魔力を完全に失った魔法使いは普通の人間に戻る。そして“脱落者”と呼ばれこの街を去ることになる。この街は魔法使い以外を拒絶する。
魔法使いが普通の人間に戻ることは悲劇ではない。むしろ本懐だ。そもそもこの街は、魔法使いたちを普通の人間に戻すための巨大な箱庭だった。
南区にある巨大な館に魔神が棲む。魔神は常時魔法使いの少女たちから魔力を吸い上げている。そして魔力を枯渇させ少女たちを普通の人間に戻してしまう。これは魔力が欲しい魔神と、普通の人間に戻りたい少女たちの思惑が合致したことで生まれた仕組みであった。
ただし魔法の力は多岐に渡る。人によっては、魔法の力で遊びたかったり、自分の能力を証明したかったりする。
普通の人間に戻りたくない少女たちは、何らかの方法で魔力を調達し、魔力が枯渇しないようにしている。
実力がなければ、この街では生きていけない。魔力を一切調達しなければ、半年くらいでこの街を去ることになる。
朔望月ミカは異質の新人だった。かつて入居したその日に百人もの人間を殺した者はいなかった。
治療が済み次第、重大犯罪の容疑者として裁判が行われることになった。
裁判官は一人。弁護士も検察官もいない。
それで十分。なぜなら、魔法で真実が分かるから。
「ほら、外に出て。裁判所に行くよ。妙な気は起こさないでね」
そう言って独房の扉を開けたのは、看守長の国定だった。看守っぽいという理由で灰色に染めた学ランを着込み、軍帽を斜めにかぶっている。白い手袋をはめた細い指で、朔望月の全身をチェックした。拘束具がしっかり締まっていることを確認する。この拘束具は両腕の自由を奪い、歩幅を制限する。
「うん、良し。オールオッケー。今日も指差し快調。規則だと四人体制で裁判所まで移送することになっているけれど、今回は住民の注目度も高いし、我々もちょうど暇なので、八人体制で移送します」
独房から出る。朔望月からすれば三か月振りのまともな歩行だった。前後左右を魔法使いに固められ、まっすぐ歩くことさえ難しい。
少しでも遅れると後ろから小突かれた。それが何度か続き、なんとも痛いので、抗議するように振り向くと、平手が飛んできた。朔望月は拘束具の影響もあり無様に倒れた。
「勝手な動きをするんじゃない!」
平手を繰り出してきたのは朔望月と同じくらいの年齢の少女だった。赤みがかった短髪。鋭い目つきは狩りをするときの狼のよう。ゆったりとした白のパーカー。朔望月をぶった手の平は震えている。
「ち、ちょっと、灯ちゃん! 落ち着いて」
看守長の国定が必死になだめる。朔望月を暴行した少女は一明灯。頬が紅潮し、朔望月を殴る口実をずっと探していたことは明らかだった。
一明灯はまだ殴り足りないとばかりに拳を固めた。
「国定さん、この女に優し過ぎませんか? 無差別殺人事件の犯人ですよ」
「容疑者、ね。とにかく理由のない暴力はやめて」
「理由ならあります。でしょ?」
一明灯が周囲の人間に尋ねると、彼女らは曖昧に頷いた。
殺人事件の犯人に向けられた侮蔑の視線。というだけではない気がした朔望月はまじまじと一明灯を眺めた。
ここであることに気づく。
「もしかして……、一明さん。あの日電車に乗っていました?」
凶悪犯から出た、思いがけず細い声に、一同は一瞬息を呑んだ。
一明はしばらく肯定も否定もせず朔望月を見下ろしていた。朔望月の張られたほうの頬が赤く腫れ始めている。
「……それが?」
「車内で見た記憶があります。新入生を引率されていましたよね」
「それで?」
朔望月は一明灯の中で膨らみ続ける怒りの感情に気づきつつも、
「災難でしたね。事故に巻き込まれて……。他の新人たちも今頃回復しているのでしょうか」
「事故? お前がやったことだろうが!」
一明が足を持ち上げ、朔望月の顔を踏みつけようとした。
さすがにそれは止められた。三人がかりで全身をホールドされた一明はしばらく呻きながらもがいていた。
国定は苦笑しながら朔望月を起こす。
「こーんな灯ちゃんを見るのは初めて。朔望月さんは人を怒らせる天才だね~、ははは……」
「でも……。私は本当に何もやっていないんです。犯人は私じゃありません」
朔望月は言う。しかし白々しい嘘のようにしか感じられなかった。それがその言葉を聞いていた少女たちの共通見解だった。見え透いた嘘を吐く彼女のことが、ますます嫌いになっていく。
「……行くよ」
穏和な性格の国定ですら、朔望月と話すのはストレスがあった。牢獄から出て、用意されていた車に乗り込む。
暴れる可能性のあった一明灯はさすがにメンバーから外された。
車の運転は国定が行った。と言っても、普通の車ではなく魔法で動く籠みたいなものだった。車体と内装は高級車に寄せているがエンジンは積んでいない。収納が多くて便利。
車は快速を飛ばす。朔望月からすれば初めて見る街並みだった。ゴミ一つない広い道路を車が滑るように進む。
様々な趣向のデザインのビル。カラフルなガラス。巨大なテント看板。綺麗に舗装されたアスファルト道路。色とりどりの花が咲く中央分離帯。石畳の歩道。電柱や電線はなく、空が広い。
「綺麗な街ですね」
朔望月が言うと、誰も返事をしなかったので、仕方なく国定が答える。
「街は常に清掃係が綺麗にしてる。建築係も、景観を気にしてたまに建て替えてくれているみたい」
「建て替え……。魔法で、ですよね」
「もちろん。大きなビルでも三日で終わるよ。撤去に一日、建築で一日、内装で一日」
「私は何係になるんでしょうか」
朔望月の言葉に国定は動揺した。鉄道爆破事件の犯人が街に馴染もうとしていることに唖然とする者もいた。
「え? あー、街の仕事は私たちの組織内の人間に振り分けられるんだよ。もちろんそうじゃない人もいる。戦技亭ルルア率いる“遊興派”は海で遊んでばかりだし、空死真冬率いる“魔神誅殺派”は街をぶっ壊してばかりいる」
「あなたたちは……」
国定は何も知らない凶悪犯に辛抱強くレクチャーする。
「本当はこの街にやってきて最初の一週間でレクチャーする内容なんだけどね。私たちは“魔神礼賛派”だよ。魔神が作り出したこの秩序を守る組織。この街の仕組みを支持し、魔神の行いを支援し、魔神に抵抗する連中をぶちのめす。警察プラス公務員みたいなもん。あ、警察も公務員か」
「その派閥というのは自由に選べるのでしょうか? だとするなら、私は魔神礼賛派がいいのですが……」
しばらく誰も声を発さなかった。
そもそも殺人自体はこの街においてはさほど重大な犯罪ではない。派閥間での殺しは日常的にあるわけだし、殺されても時間をかければ再生するというのが大きい。病院に行けばもっと早く回復する。
問題は新入生を無差別に殺した点だ。この街ではどんな悪党も新人を殺さない。街の人口が減ることがマイナスにしかならないことを知っているからだ。新人たちが街を去ることを選ぶようなことはどんな派閥であれ禁じられている。
禁忌を冒した朔望月が礼賛派に加入することはない。遊興派もお断りのはずだ。可能性があるとすれば誅殺派だが、彼女らは実力者しか勧誘しない。街に来て数か月の朔望月には、現時点では見向きもしないだろう。
「……裁判の結果次第だね。もしきみが本当に無実なら、喜んで礼賛派に入れよう。歓迎しちゃうよ」
「本当ですか。ありがとうございます」
白々しい。車の同乗者たちは朔望月のクロを確信していた。国定もそうだった。状況証拠もあるし、こうして話していても彼女が犯人であると勘付いてしまう。
しかし……。国定は不思議な気分だった。朔望月は犯人に間違いない。しかし不思議と彼女が嘘をついているという感じがあまりしなかった。
言葉のほとんどが嘘に決まっている。それは分かっているのだが、何度か彼女を可哀想だと思う感情が現れた。
すぐにそれは消える。国定は自分の感情に戸惑っていた。彼女と話していてストレスを感じる理由が、今分かった。
車が裁判所前に着いた。建築係が裁判官に敬意を表し、気合いを入れて建てたガラス張りの巨大な箱で、本物の裁判所を模して天秤だの剣だの女神だのの装飾があちらこちらにある。この巨大な建築物で働いている人間はたった一人なので本当に形だけ立派にしているという有様だ。
構内駐車場に乗り入れて停車した。軽く100台は止められそうな綺麗な駐車場だったが他に車はなかった。貧弱な青白い照明。コンクリートを巻いた巨大な柱。どこか陰鬱な場所だった。
「下りて」
拘束具を付けられたまま朔望月は下車した。もたもたすると蹴られると思ってきびきび動いたが、そんなことはなかった。
しばらく周囲を固められたまま駐車場の中を歩いた。カツンカツンというそれぞれの足音が鳴り響く。
裁判所内へ続く扉の前で一人の女が待っていた。黒淵メガネを取り外してレンズを拭いている。黒コート、黒いブーツに赤ベルト。礼賛派きっての問題児、大禍時に違いなかった。
「大禍時っ……、さん」
国定が彼女の名前を呼んだきり絶句する。朔望月を移送してきた礼賛派の女性たちは、大禍時を見るなり硬直し緊張していた。
大禍時はメガネをかけると、何度か瞬きをし、目の前の少女たちをようやく認識した。彼女はへらへら笑いながら一同に歩み寄る。彼女の足音は誰よりも高らかで、粗雑だった。
「おほっ、国定ぁ。相変わらずそそる顔してるな。今日の下着の色は黒! どう、当たってる?」
「え?」
国定は怪訝そうにし、こっそり自分の服の中を覗き込んだ。そして一歩後退する。
「どうして分かるんですか。きもちわる……」
「どうしてだろうなあ。心が通じ合っているのかもなあ。この先、朔望月ミカの移送はこの大禍時聖が請け負う。お前らは私と握手したのち、帰宅して良し」
そう言った大禍時は有無を言わさず移送に参加した看守たちと握手を交わす。ねっとりとした手つきに悲鳴が上がった。
「いや、そんな話聞いてませんよ。裁判官のところまで私たちが連れていきます」
「国定、お前だけ握手じゃなくて接吻な」
一人の女性看守と握手ついでに手の甲にキスをしながら大禍時は言った。ひときわ大きな悲鳴が上がる。
「はあ? いやだから……」
「これ以上ごねると接吻からもう一段階上に行くぞ。私はそれでもいいけどどうする。ちなみに私はどちらかというと受けなんだけどちゃんと的確に責めてくれるんだろうな?」
本気で怯えた看守たちは国定を引きずるようにして車のほうへ戻っていった。国定は納得いっていない顔だったが大禍時の眼を見て本気だと悟ったようだった。そして最終的には朔望月を同情するような目で見て、車に乗り込んだ。
車は滑るように走り駐車場を出て行く。それを眺めている間、朔望月と大禍時はその場に突っ立っていた。
大禍時は朔望月の拘束具を外した。朔望月はぎょっとする。
「え? いいんですか?」
「何が」
「拘束具……、外していいんですか? 暴れるかもしれないのに」
大禍時は拘束具を足元に捨て、蹴飛ばして遠くへやってしまった。
「暴れないだろ。あのとき、お前、私に大人しく斬られやがった。身構える素振りさえ見せなかった」
「抵抗する気は、確かにありませんでしたが……」
「それに、暴れたときは私が容赦なく斬る。そんで魔力を使い切ってこの街からオサラバだ。そっちのほうがシンプルでいいかもなあ」
大禍時は朔望月の肩に腕を回して、背中に触れた。先ほどのようなねっとりとした手つきではなく、凶悪犯に隙を見せまいとする警官のそれだった。裁判所の中へと導く。
裁判所内は塵一つなく清潔な印象だった。表面がつるつるした石材で通路が形成され、壁には写実的な絵画が等間隔で架けられている。大きな窓からは裁判所前の広い道路が見え、のろのろと走り去る国定たちの車が見えた。
「……あの、これから裁判なんですよね。私にも弁護士はつくんですか」
「弁護士? そんな頭良さそうな職業が務まる女は、この街にはいねえよ。いるとしたら、これから会う麗しき裁判官の柴扉真古刀くらいだ」
キヒヒと大禍時は三下みたいな笑い方をする。意図的に自分を下品に見せようという意思が感じられた。朔望月は彼女のことが少し怖かった。斬殺されたのとは別に、違う種類の危険を感じる。
「弁護士がいない? 検察はいるんですよね」
「いない。裁判官だけだ」
「それでは裁判にはならないような気が……」
大禍時はにたりと笑う。朔望月の反応にちょっとした愉悦を感じたようだった。
「確かに、普通の裁判はできねえかも。でもな、真古刀には全ての真実が分かる。奴の固有魔法は真実魔法っていってな、知りたいと思ったことは何でも知れるんだ」
固有魔法。そういうものがあるのは聞いていたが、朔望月はまだその全容を把握していなかった。
「真実魔法……」
「私たち魔法使いには、それぞれ固有の魔法が与えられてるだろ? 当たりはずれはあるが、真実魔法は当たり中の当たりだ。そいつがどんな罪を犯したのか、見ただけで分かる。小難しい尋問条件とかはなし。罪に限らない。誰と付き合ってるのか、とか、好きな人は誰、とか、私のことはどれくらい好きなのか、とか、色々分かるスバラシイ魔法だ」
「なんか全体的にピンクな質問ですが、凄いですね……」
ここでへらへらしていた大禍時はすっと目つきを鋭くし、朔望月の心臓の位置に指をすっと置いた。そしてつんと突く。
「目の前の人間を殺したいんだが弱点は何? こんなことも分かる。だから基本的に無敵だ。これまで柴扉真古刀を戦闘で凌駕した魔法使いは二組しかいない。礼賛派のトップ夜綱雷虎と、遊興派の戦技亭チームだ。だから裁判官を殺そうとしても無駄だぞ。私も真古刀の護衛につくし」
脅されていると気づいたが、意味がなかった。朔望月はできるだけ大人しく生きていたいと願っている。
「そんな……。暴れませんよ」
「そうか。まあそうだろうなあ。とはいえ、真古刀はこの街にとって代えがたい人材だ。護衛は必須。もし彼女が負傷して何日か入院でもしてみろ。私もお前もどうなるか分からねえぞ。反省文じゃあ済まない」
「……では、どうして国定さんたちを帰らせたんです?」
大禍時たった一人で護衛するより、国定たち看守で周りを固めたほうが良いに決まっている。
大禍時は朔望月の頬をつんつんしながら、
「真古刀は仰々しいのは嫌いだからな。頼まれたんだよ。ウワサの朔望月ミカとは、できるだけ人の目がないところでじっくり話をしたいって」
「そうですか……。でも、大禍時さんは柴扉さんによほど信頼されているんですね。そんなことを頼まれるなんて」
「いんや、全然。むしろ逆。真古刀から人間と思われてねえんだよ私。獣。獣の眼してるの」
にこにこしながら大禍時が顔を近づけてきて、朔望月は苦笑いしながら体を仰け反らせた。
大禍時の過剰なスキンシップを避けるために朔望月は動き回らなければならなかった。数分歩いただけなのにどっと疲れる。
二人は裁判官柴扉真古刀が待つ部屋の前に着いた。大禍時が恭しく礼をしながら扉を開ける。
「どうぞ、お嬢さん」
「……失礼します」
扉が開く。真っ先に感じたのはコーヒーの匂いだった。
部屋の中は天井まで届く巨大な本棚が所狭しと詰められていた。本棚は半分くらい埋まっていて、大半はマジメそうな本だったが、フィギュアが置いてあったり、ゲームのパッケージが並べられていたり、衣服が強引に詰められていたりした。
巨大な机と椅子が正面に置かれていて、そこで柴扉真古刀がコーヒーカップを口元に運びながら本を読んで待っていた。朔望月と大禍時が部屋に入ると、真古刀は本を閉じてコーヒーカップを卓上に置いた。
「待っていたよ。朔望月ミカさん」
柴扉真古刀はボーイッシュな女性だった。短い黒髪。切れ長の瞳。目元のほくろと、引き締まった顔の輪郭に色気があった。天秤を模したピアスを右耳から下げ、ラフな黒いシャツにハーフパンツを着用している。
組んでいた長い脚をほどいて立ち上がる。そして朔望月の目の前に立った。背丈は朔望月とほぼ同じくらいだった。
「大禍時聖ちゃんのことは? 待ってた?」
大禍時が言うと、真古刀はしっしっと手を振った。そして指を鳴らすと、一瞬で裁判官っぽい法服に着替えた。
「そこで適当に漫画でも読んで待っててくれ、ケダモノさん。多少は自重しないと、きみ、この街に居場所がなくなるよ?」
「真古刀が私の恋人になってくれたら、もう他のオンナには手を出さないんだけどな」
「……本気で言ってるのが私には分かる。だから厄介なんだ」
真古刀は苦笑し、朔望月に椅子を勧めた。朔望月はおずおずと腰かける。あまりにふかふかで、質素な独房暮らしが続いていた朔望月にはむしろ体に毒だった。正しい姿勢が分からず、結局極めて浅く腰かける。
そんな彼女を見た裁判官は微笑み、ポットからホットコーヒーを注いで勧めた。哀れな容疑者は少し躊躇したのち、一口だけ飲んだ。苦くて舌が痺れる感覚がした。
「……美味しいです」
「ありがとう。世辞でも嬉しいよ」
真実魔法で見抜かれたのか、それとも観察眼か。
「あ……、ちょっと苦いですね」
「ははは、いいよいいよ。で? きみが電車を爆破して新入生100人を虐殺したのかな」
いきなり本題に入った。朔望月は思わず返答に窮した。まずい。答えないと疑われる。そう思ってなんとか喉を開いたときにはもう、真古刀は真実を手に入れていた。
「へえ。きみはどうして爆破を受けても無事だったのかな」
次の質問。朔望月はもう正直に答えるしかないと腹をくくった。
「分かりません」
「きみの固有魔法は?」
「分かりません」
「ふむ。きみは正直者だね。わざわざ声に出して答えなくとも、私は真実を見抜けるわけだが、嘘をつかない子だ」
いいこいいこ。と真古刀は朔望月の頭を撫でた。朔望月は思わず自分から頭を差し出していた。
大禍時が漫画を十冊ほど本棚からピックアップして朔望月の隣に腰かけた。
「それで? 真古刀、この女、見た目に反してとんでもない大悪党だったろう?」
ちっちっち、と真古刀は指を振った。
「それがね、聞いてくれよ大禍時。本当に驚くぞ、彼女は――」
そのとき、全く突然に、真古刀は何かを吐いた。
最初それは黒く見えた。飲んでいたコーヒーを吐き出したのだと思った。
しかし違った。それは血だった。白いテーブルクロスをあまりに鮮やかに赤く染める。
「うっ!?」
朔望月は思わず身を引いた。真古刀は意識を失いテーブルに突っ伏した。大禍時は漫画を放り出し彼女を支える。頬を叩いて意識を取り戻させようとするが彼女はぴくりともしない。
「おい!? どうした真古刀? ああ!?」
真古刀は更に血を吐いた。その量はあまりに多く、周囲に激しく飛び散った。大禍時の黒いコートに濃い染みを作る。真古刀は既に瞼を閉じ意識を失っていた。
朔望月は呆然としていたが、自分にも何かできることがないかと立ち上がったとき、大禍時が叫んだ。
「立つな! 動くな! またぶち殺すぞ!」
「わ、わ、私は何も……」
「黙れ! お前以外に誰がいる?」
大禍時はここで胸ポケットに入っていた無線機のスイッチを入れた。
「こちら大禍時。応援頼む。柴扉真古刀が負傷した。裁判所だ。朔望月ミカがまたやりやがった! 正直真古刀がやられるなんて想像もしていなかった……。朔望月ミカは危険な女だ。裁判結果は出ていないがこの場での死刑執行許可を要請する。そうだ、今すぐにだ! 私も殺されるかもしれねえ」
朔望月は震えあがっていた。自分がこれから殺されるかもしれないというのもそうだが、目の前の優しい女性が突然吐血して意識を失ったことがショックだった。
いったい何が起こっているのか、朔望月には分からなかった。ただ一つ言えるのは、自分は何もしていないということだけ。朔望月は震える自らの体を抱きしめ、必死に震えを止めようとした。




