2-27消える悪事② ※ブライアン視点
なるほどな。治ったのではなく、体の時間が戻り始めたのかもしれない。
ワインの底。澱のように見えるが、やけにはっきりとした形のものが混じっている。さっきの瓶には間違いなくなかった。
一本目は、ワインの銘柄が気になる振りまでして、手に取って確認したのだから。
飲むか飲まないか分からない二本目より、一本目のワインは相当に警戒した。
予見を訴えるアリアナと、毒を見せられたと言うザカリー。その二人から危険を忠告されたのだ。それにもかかわらず、ここまでの旅が、気持ち悪いくらい順調だったからな。
禁断の花……。聖女の魔法で時限装置がない花の一つで、止まることのない若返り。
このままいけば体は子どもへと変わり、さらには赤子へ戻る。最後はこの世から消失する。
この魔法は、すぐに気付くこともない。そのまま証拠を飲み干せば、どこでこの魔法が仕掛けられたか、一生探せずに終わるだろう……。
そういうことかと状況を理解したせいで、自嘲気味な笑いが起き、片方の口角のみが上がる。
暗殺者の襲来がないからおかしいと思っていたが、戦法を変えたのか。
私の部下まで完全に言いくるめるとは……サミュエル殿下にしては、巧妙さが増している。
アルバート殿下が私から遅れること数分。問題のワインが注がれたワイングラスを持つ。
その彼も、食事に盛られる毒を警戒していたのだろう。どれもこれも私が口にするのを見てから、さりげなく間を置き口にしていたからな。
……こうなれば、ワインを飲んだのが、私が先で良かった。
「殿下。……今、開けたワインには口を付けないでください。ブショネで、酷い味だ」
「ブショネ……。天然のコルクを使えば、たまに生じる欠陥品は理解しているつもりだ。実は、これまで遭遇したことはないんだ。どんなものか試してみるか」
「いいえ。本当にお止めください。これを殿下の口に入れたとなれば、この国の恥ですから」
「公爵が強く止める程に劣化した粗悪品が、なぜこのグラスに注がれた?」
「恐縮の限りです。先ほどコルクの香りを確認した私の部下は、僅かな香りの違いに気付かなかったのでしょう。こちらから言って聞かせますのでご容赦ください」
「本当に、コルク臭が付いたブショネか? 毒を仕込まれたとなれば、有耶無耶にはできない」
「毒ではありません。おすすめできない味のワインを注いでしまっただけです。私は口を付けてしまいましたが、明朝、変わらない姿で殿下をお見送り致します。それで、この件に納得いただけないでしょうか」
「……ああ、まあ、クロフォード公爵がそのように言うのであれば」
顔の筋肉を固くしたままの殿下。不承不承なのは否めないが、それ以上の追及はなく、最後の一品まで辿り着いた。一先ず帝国を巻き込む事態になるのは避けられ、ホッとする。
だが、疑念を抱く殿下は、それ以降、新しいワインに口を付けることはない。
それもそうだろう。奇妙な話を男爵令嬢から聞かされたとなれば、当然だ。
**
アルバート殿下と別れ、食堂から繋がる廊下の鏡の前に立つ。そうすれば、ホワイトブロンドの髪の、見慣れた自分の姿形が映る。
今のところ、見た目は全く変わらない。
……だが。二十五歳の私にどれだけ動ける時間が残されているのだろうか?
二十歳を過ぎてから、見た目に大きな変化はない。特にこの三年は、ピタリと時が止まったかのように、少しの変化もなかった。私自身が鏡で見ても、どれだけ月日が戻っているのか、すぐには見分けがつかないな……。
だが、体質的に髪の色が一時的に変化した、二十二歳の頃。今より茶色味がかった記憶がある。
……一つの目安はそこか。
立ち止まる私を不審に思ったのか、中佐から声がかかる。
「団長? どうかなさいましたか?」
「今日のワインについて、なぜ私へ虚偽の報告をした。私は人から受け取った品はないかと事前に何度も確認したはずだ。その手に持つ二本目のワインは、誰から受け取った!」
「申し訳ございませんでした。このワインは、サミュエル殿下が直々にお持ちになった差し入れでございます。アルバート殿下を最後まで見送れないから贈りたいとのことでして。サミュエル殿下に対し、無礼になりますから、唯一毒見をしていないものになりますが、ブショネのことまで、想定をしておりませんでした」
「なぜ殿下から受け取ったと報告をしなかった……。せめてグラスに注いだ時に伝えるべきだろう」
「団長とアルバート殿下がワインにお詳しいのを存じておりますので、ご自分でお選びになった物を『気に入らない』と言われるのを案じておりました。贈り主をお伝えするのは、『お二人がワインを飲み干してからにして欲しい』と、殿下直々のご要望でしたので、団長への報告は控えておりました」
「殿下の指示を遵守するために、中佐は私の質問に『誰からも何も受け取っていない』と言い続けていたのか……。受け取ったのは一本だけだろうな」
「はい。『王国を離れるアルバート殿下へ、最後の時間のために』、とのことで一本だけでした。そのため敢えて、お二人が一本目を空にしてからお出し致しましたから」
「随分と入念な見送りだな」と、皮肉が漏れる。
そして、恐縮しきりの中佐が手に持つワインの瓶を、素知らぬ顔で回収して部屋に戻る。
……アリアナに会いに行くと伝えたが、勘の良い彼女と顔を合わせて大丈夫だろうか? 彼女であれば、微妙な変化にも気付かれる気がしてならない。
彼女の性格だ。第二王子が禁断の花に手を出したと知れば、無茶なことに走る予感がする。それは何としても避けたいところ。
気味の悪い動きをする男爵令嬢と第二王子。私でさえ預かり知らぬところで話が進んでいる。となれば、陛下が一枚噛んでいるのだろう。ジェイデンも聞かされていない何かが。
……まったく。
ジェイデンの女性を見る目は、少しもあてにならないな。あの令嬢のどこが慈悲深いのか、私には一つも理解できないぞ。
アリアナと別れてから三日。セドリック殿の知恵を拝借し、各方面から分析してもらったが、あの胡散臭い令嬢に辿り着かないのであれば、答えが出るわけがなかった。既にこの件は手遅れだろう。
見えない所でここまで話が進んでいるのなら、正攻法で今の流れを覆すのは無理だ。アリアナを危険に巻き込みたくはない。彼女は手を引かせる。
陛下は男爵令嬢を、隕石を破壊する捨て駒にする気だろうが、帝国の皇子につけ入るような人物となれば、この国が危険なのは間違いない。
あの男爵令嬢が帝国の皇子へ仄めかした言葉。アルバート殿下が若返りに気付いた時に、聖女である自分を頼れという意味だろう。
もう私に先がないのなら怖いものはない。私だけで聖女の実をなんとかすべきか。
お読みいただきありがとうございます。
次話から、視線はアリアナのみで突っ走ります。
ブショネとは、天然コルクで栓をすると、それに付着したカビなどで、数パーセント前後の割合で生じてしまう、ゼロにできない品質の劣化です。その劣化は開栓まで分からず、レストラン等で新しいボトルを開けてもらう際、さりげなく、コルクの匂いを確認していたり、していなかったりします。気付かず飲めるものから、酷いものまで程度には差があります。
ここのシーンの回避法が、どうやってもブショネの言葉しか思いつかず、そのまま使いました。






