1-6 まさかの公爵様ルート突入。拒絶すればするほど裏目に。①~rewriting~
エリーに着せられたチュニック。毛玉のお陰で、一番肌馴染が良いと気に入っている。
だからエリーはこれを選んだ気もするけど、こんなもの、人様に見せていい格好ではないのだ。
出来ればもう一度着替えたかったのに、どうしてこんなことになったのかと、茫然自失に立ち尽くすしかない……。
「お嬢様、ご案内して参りました。入りますよ」
本当に来たっ!
気が動転して青ざめる私を余所に、エリーは軽やかな声を出してクロフォード公爵様の入室を促す。
その瞬間、清潔感のある爽やかな香りが、ほんのりと部屋に広がる。
彼が使っている香水だろうが、それは、まるで彼が放つオーラのように部屋の空気を変えた。
明るい金髪。引き込まれそうな深い青色の瞳。
見目麗しい彼の全てが、あまりにも尊く、眩しい。
湊がお金をつぎ込んでまで攻略したかった、憧れの存在だ。
……そのせいで、湊の感情が大興奮を起こす。
自分の心臓が限界を超え、立ち眩みで倒れる寸前。それをなんとか、必死に堪えた。
ルーカス様から、こっぴどく騙されたくせに、今度の私は危うく「クロフォード公爵様♡素敵フィルター」が掛かるところだった。ちょろ過ぎるだろう、湊って。
放心状態の私は、本来すべき礼も、すっ飛ばし、ただただクロフォード公爵様の姿に見惚れてしまったのだから。
そんな私のことを気に留める様子もなく、クロフォード公爵様は穏やかな表情で、目の前に立っている。
昨日、私を運んだ彼は、これまでの功績を示す章飾が付いた騎士服を纏う姿。王城の騎士団長のクロフォード公爵様にとって正装であることに間違いない。
……それなのに、恩を受けた私の方は、とんでもなく地味な色の毛玉付きの部屋着姿。重ね重ね、自分が情けない。
直前まで、クロフォード公爵様だと教えてくれなかったエリーに、「やってくれたな」と、皮肉たっぷりの視線を送る。
すると何を勘違いしたのか、にこりと笑い、私とクロフォード公爵様を二人きりにして立ち去った。
侍女の余計な気遣いが、私の羞恥心に拍車をかけ、頬に熱を感じ始める。
「良かった……。昨日、何度も声を掛けたけど、意識が戻らなかったから心配していたんだ。アリアナ嬢の目が覚めて安心したよ」
「クロフォード公爵様、ご挨拶が遅れて申し訳ございません。バーンズ侯爵家のアリアナでございます。ご無礼をお許しください」
気を取り直しカーテシーをしてみたが、痛む体のせいで、なんとも微妙なのが自分でも分かってしまう。
ますます自分の姿が恥ずかしくなり、彼の目を直視できずにいる。
「気にすることはないから。今日は私が謝罪に来ただけだ。昨日、君たち三人が、階段の傍で言い争うのに気付いていながら、騎士である私は、アリアナ嬢が階段から落ちるのを防げなかった。むしろ、それに責任を感じている。申し訳なかった」
身もふたもない、お仕事モード大全開のクロフォード公爵様の態度。
なんだ、そっかぁ。
私が階段から落ちたことで、ヒロインのシャロンを差し置いて、私が彼のルートに突入したかと思ったが、そんなに甘くないのが現実である。
前世の私の記憶と、驚くほどぴったりと重なり、ゲームのイベントが起きるこの世界。
そもそもこの私が、悪役から脱する、はずはない。
今日だって実際は、警備責任者でもあるクロフォード公爵様が、仕事の一端として私の容態を確認に来ただけだった。
「私が階段から落ちたのは、責任の全てが私にありますから、クロフォード公爵様は何も感じる必要はございません。それに、私のことをここまで運んでいただいたと伺いましたから感謝しかありません」
湊のミーハーな感情は、とにかく捨て去り、貴族令嬢として、つつましく礼を口にする。
やはりクロフォード公爵様も、無駄な雑談をする気はないようだ。
笑顔から一変、これが本題と言いたげに、真面目な表情に変わった。
「申し訳ない話だが、アリアナ嬢が次の夜会に出席する際、私が警護役として付きたい。昨夜、倒れた君の脚が僅かに見えただけで浮かれ立つ男や、質の悪い輩の姿もあった。次回、事件に巻き込まれるのは困るから」
クロフォード公爵様からの、心底不要な申し出にざわっと身震いが起きた。
私は誰からも嫌われる悪役令嬢なんだもの、そんなことをされては、今度は他の令嬢から何を言われるか分からない。
各方面から袋叩きにされる新たな面倒事は、ご遠慮させて頂きます。
「そんな気遣いは不要です。それなら、社交界に顔を出す気は私にはありません。母から出席を命じられても、ドタキャンで逃げとおしますから、お気になさらず」
焦る私は、即行で断りを入れた。
「……ドタキャン?」
クロフォード公爵様が呟くと、怪訝な表情を浮かべた。
……やってしまった。
目を逸らした私は、必死に言い訳を考える。
日本で普通に使っていた、「土壇場でキャンセル」の略語なんて、この国で通じるわけもない言葉をさらりと出してしまった。
湊の記憶が戻ったせいで、これまで培った令嬢としての言葉遣いが、破綻しつつあるのだ。
泡食う私を置き去りに、クロフォード公爵様が大きな笑い声を上げた。
「くくっ、公爵である私の申し出を、全力で拒む令嬢がいるとは思わなかった。……面白い。それでは、アリアナ嬢の警護ではなく、正式なパートナーとして名乗りを上げればよいのだろうか?」
はい? そっちはそっちで違うから!
どうせ、私は結果的に嫌われる悪役令嬢アリアナなんだもの、最後は自分が傷つくと分かっていながら関わる気なんて、微塵もない。
前世の湊は、お金の計算も、料理も得意だった。
そうよ。
今の私は、平穏な食堂計画を練る矢先だ。甚だ不要な彼からの申し出。
こうなれば四の五の言う場合じゃない。
「クロフォード公爵様。私は昨日、お慕いし続けた元婚約者から婚約破棄を受けた身です。直ぐに他の殿方と並ぶ自分が想像できません。それに、階段から落ちて醜態を晒した私をパートナーに据えては、クロフォード公爵様にご迷惑が掛かります。本当に私のことは気にしないでください。……昨日のことで貴族の社交場が怖いので、むしろ迷惑ですから」
少し考え込むようなクロフォード公爵様が、おもむろに口を開く。
「信じられない、……迷惑。ここまではっきり言われたのは初めてだ。だとしたら、アリアナ嬢を気に入った私は、当主へ正式に婚約の申し出をすればいいのだな」
「はぁい? 突然そんなことを言われても困ります。何をおかしなことを言い出すんですか!」
動揺した私は、思わず声が裏返った。
違うでしょう。
どうして、そうなるのよ!