2-16兄の登場
はしたないと思いつつも、もっと長く触れていて欲しい。そう思ったのだが、近づいた彼の顔は、直ぐに離れてしまった。
すると感慨深げに頷き、「セドリック殿が間違っていた」とポツリと呟く。はて? 彼は何かの確認をしていたのだろうか?
どうしたのだ一体? 今のは何? 兄がどうかした?
何かの作戦かもしれないと困惑しきりの私とは裏腹に、彼の機嫌は随分とよい。
彼の幸せが溢れる表情を見ていると、次第に気分が伝播し、ほんのりと胸が熱い。
まあ、焦ることはない。二人の甘い時間は、このあと存分にある。
私が余計なことをしでかし、窮地に陥った今。最大級の内緒話をしたい。相当に込み入ったやつを。
となれば、我が家のサロンよりも、ここでの立ち話の方が余程、都合がいい。
我が家に戻れば、私が連れ込んだ殿方を一目見ようと、ミーハー気分で覗きに来る従者がいるかもしれない。
そう思い、今一度、誰もいないことを確認すべく周囲を見回せば、誰かいる。馬に乗る人影が遠くに見える。少しずつ大きくなる姿は、こちらに向かっているみたいだ。
目を凝らせばなんとか様相が識別できる。キャラメルブロンドの髪に太陽の光が反射し、キラキラと輝く男性。どこかで見た姿だ。げッ! あれは。
「おっ、お兄様っ!」
「随分と遅かったようだね」
「お兄様も連れていらしたんですか⁉」
「来るなと、何度も止めたんだけど、全く聞き入れてくれなくて。あまりに強情で、こちらが根負けしてしまったよ……。私と一緒に動けば『危険はない』と、譲らなくて。アリアナが危惧していた彼を放ってもおけず、行動を共にしていたんだよね……」
ブライアン様と二人。遠い目をして、こちらに向かう兄を見守る。
「兄は一度言い出すと面倒な性格ですから。兄の疑問が解消されない限り、説得は無理です。……ですが、何をしに来たのでしょうか」
「……私の邪魔だな。ある意味、一番質が悪い」
「邪魔? ブライアン様は王都で何をなさっていたんですか?」
「い、いや。少々狡いことを考えてバーンズ侯爵の元を訪ねたのだが……。情けないことに、セドリック殿に私の思惑が見破られていた……。侯爵邸で旅の支度を済ませた彼が待ち構えていたわけで……。彼に阻まれ、アリアナの気持ちを確認するまでは当主に会わせて貰えなかった。だが、今のアリアナの反応を見れば、問題はないのが分かったから、余計なものを拾ってきてしまった」
どうしたというのだ。随分と歯切れの悪い物言い。ブライアン様は、やはり何かの極秘作戦を立てていたのか。
既に、第二王子への戦略が動いていたわけか。流石解決を担う攻略キャラだ。彼独自の情報があったのかもしれない。これなら話が早い。
「ブライアン様は、どんな計画を立てていたのですか?」
「そっ、それは……。今は聞かないで欲しい。折りを見て正式に申し込むから」
「なるほど。父への協力依頼ですね」
「そうではないが……。まあ、そういうことにしておく」
あやふやな返答。意味が分からず聞き返そうとしたのだが、その前に、兄が颯爽とはかけ離れた姿で馬を降りてきた。
いいや。おそらくこの直前。走る馬から飛び降りるブライアン様を見なければ、兄の姿だって、それなりに見られたもんだ。
とりあえず一つ言えるのは、ブライアン様は相当厄介なのを一緒に連れてきたって話だ。
シスコンの兄は、自分が納得するまで主張を曲げないから、私の小手先の誤魔化しなど、通用するはずもない。
前世の話を伏せるとなれば、アンドーナツの話でさえ追及されると面倒だ。
以前の私は、お茶さえ真面に淹れられない。それを、兄は身をもって知っている。
……はぁ~と、ため息がもれる。
なんだか先が思いやられる。
私を真っ直ぐ見ながら近づいてきた兄は、私の両頬に温かい手をそっと当てると、瞳の奥を覗き込む。
「アリアナ。一人で領地へ向かったと聞いて、心配していたんだよ」
兄の優しい凪いだ口調が心に沁みる。目の下にうっすらと隈のある兄を初めて見た。どれだけ心配をかけたのだろう。こんなに兄が私を気にするとは考えてもいなかった。
「心配をかけてごめんなさい……お兄様」
「いいや。むしろ私のことを気にしてくれてありがとう」
「分かっているのにどうして。『来ないで』とお願いしたのに」
「侍女から頼まれた、忘れ物を届けに来たんだよ。クロフォード公爵様と共に動けば、私に危険が迫るわけないからね。むしろ、こんな危険な人物が、嫁入り前の妹の近くにいるのを放っておけないから」
エリー……。あの侍女は、何故に兄を巻き込んだ? いつだって余計なことしかしないな。内心腹立たしいが、こうなれば、兄は領地に残って台風対策でも講じてくれ。ザカリーの狙いは私だとはっきりした。兄に危険はない。
「危ないって……。ブライアン様は騎士団長様ですよ。どこに問題があるのでしょうか」
「あのねぇ……。相手が誰であろうと関係はないでしょう。結婚前の令嬢が、男と二人で周遊するなんて、とんでもない。私は怒っているからね」
「あっ、周遊の話は……そもそもありません」
「うん、まあ公爵様から聞いて分かっているけど、クロフォード公爵様がアリアナを迎えに行くと譲らないからね。卑怯な手まで使って自分のものにしようとして、何をするか信用できない」
「それは、強敵を落とすブライアン様の秘策です」
「秘策であろうと、婚約前のアリアナを、よその男と二人きりにすれば、我が家の淑女教育を疑われ兼ねないでしょう。危なく我が家の汚名が社交界で広がり、後ろ指を指されるところだった」
「そんなこと、考えてもいなかったです。そもそもお兄様は気にしないでしょう」
「違うよ。こういうのは一番気にするさ。アリアナが悪く言われるのは許せないからね」
「もう、過保護すぎるでしょう」
「アリアナは少々軽率だから、過保護になるさ。本当に会えて良かった……。公爵様との約束がアリアナの嘘だと分かり、もう会えないかと思った」
「ご、ごめんなさい。ブライアン様の名前を使って」
「それはいい」と、ブライアン様は即座に反応する。だが、私が父を騙したことに相当なご立腹なのか、兄の機嫌が悪い。
「クロフォード公爵様がアリアナに触れていたのは、容認できませんね。見えていましたよ」
兄はギロリとブライアン様を睨む。
「……だけど、兄が一緒であれば、アリアナに変な噂も勘違いも起きないからね」
「はぁ……」
今日は一段、うんざりするくらい鬱陶しい。どういうことだと思い、ブライアン様に顔を向けると、「ほらね、邪魔しに来たでしょう」と困った顔で頬を掻く。
すると、私の頭を撫でる兄の空気が変わる。
「さて。クロフォード公爵様が突然走り出した理由と、私とすれ違った赤い瞳の男の話を聞かせてくれるかな。自分の部屋に仕掛けをした私の妹は、何をしようとしていたのだろうか?」
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