1ー5 本当の来客②
「アリアナお嬢様、早く着替えますよ。あの男爵令嬢に負けないくらい、着飾りましょう」
押しかけたシャロンのせいで、相当に気が立っているようだ。
エリーはシャロンと、無駄な張り合いを始める。
「何を言っているのよ。そんな必要はないでしょう。体も痛いし、ドレスは無理よ。どこへ行くわけでもないから、適当な部屋着で過ごすわ」
「あっ、そうですよね忘れていました、では、このチュニックで良いですね」
私を妙に急かす侍女の手を借り、まるで身重の妊婦が着るような、くびれのない、くつろぎモード全開の服装へ身支度を終えた。
そして、寝室から居室へ移り、ソファーに腰掛けた私は、やっと一息ついた。
「ご当主様から伺いました。ゲルマン侯爵令息様とは、婚約を解消なさったと……。さっきの感じの悪い男爵令嬢様と、いつも三人で仲が良かったのに、何て言っていいか……」
「いいのよ、婚約の解消なんてよくあることよ、気にしないで」
「ですが……」
「……何を考えているのか分からない煌びやかな世界は、もう懲り懲りだわ。そうだ! こうなったら、町で食堂でも開こうかしら」
「ふふっ。お嬢様が何を作れると言うんですか」
エリーは、くすくすと笑って馬鹿にするが、私は至って真面目だ。
他の社交場ならともかく、昨夜は、ロードナイト王国で一番盛大な夜会である。
王族へ忠義を示すため、ほとんどの貴族が参加している建国祝いの場での大失態。
大勢の目にさらされたのは明らかだもの。
悪評付きの十八歳の身。今更新しい婚約者など、到底見つかるわけがない。
だから一人で暮らすと決めたんだし。
それに、アリアナの人生だけなら、何も出来ないただのお嬢様。だけど今の私は違う。
それよりも、一番の問題……。
嫌だ、嫌だ。あれを考えただけで鳥肌が立つ。
ゲームの中のアリアナは、隣国の好色おやじと結婚させられる末路にあるんだ。
傲慢な女の鼻をへし折るのが趣味の、変態成金。
その変態から、豪奢なドレスを身に纏う私は、どこかの夜会で興味を持たれてしまうのだから。
プライドの高いお母様が、私のために仕立てたドレスは、どれもこれも豪華過ぎる。
のんきに夜会へ参加しては、鴨がネギを背負って行くも同然のこと。
口に出すのもおぞましい、好色おやじとのエンディング映像。それが、現実のものに成るのだけは、御免だ。
今にして思えば。そんな歩くのもやっとなドレスを着て、階段から落ちそうなルーカス様を引っ張るのは、無理があり過ぎた。
無鉄砲な自分が滑稽に思え、エリーの笑い声に釣られるように、私は笑い声を上げた。
「ふふっ。何だかおかしいわね」
「元気になってきたようなので、もう大丈夫ですね。お嬢様の目が覚める前から来客がお見えになっています」
「えっ、いつから?」
「男性なので、お嬢様の用意が整い次第お会いする約束で、かれこれ一時間近くサロンでお待ちいただいております。あまりお待たせするのは失礼なので、そろそろご案内しますね」
……男性。
どうせルーカス様が、婚約指輪でも返せと言ってきたのだろう。
よくもまあ、一時間も待てるものだと感心する。
「分かったわ。案内してもいいけど、その前に、そこの机の上にある婚約指輪を取ってくれる」
「指輪は要らないと思いますけど……」
「いや、きっとそうだもの」
倹約家のルーカス様から貰った指輪は、小さな石が付いただけの簡素なもの。
それでも彼なら、シャロンと海へ行く前に、私へ贈った唯一の品を回収したいはずだ。
ご機嫌なエリーは、私から遠く離れたテーブルの端に指輪を置いた。
「では、目障りでしょうから、余り見えない、ここに置いておきますね。それでは、クロフォード公爵様をご案内して参ります」
「えっ! ルーカス様ではないの? ま、ま、待って。私、クロフォード公爵様とは面識もないのよ。それなのに、どうして⁉」
「あーそうでした。お嬢様は意識がなかったから、ご存じないのですね」
「ちょっと、何を!」
「昨日、お嬢様を屋敷へ送り届けてくれたのが、クロフォード公爵様です。うちの貧弱な家令を見て、ご自分で部屋まで運ぶ方が早いとおっしゃって、連れてきてくださったんです」
「そっ、そうなの!」
「あ~、あの姿を思い出すと興奮してしまうわ。横抱きにしているアリアナお嬢様を、それはそれは、慈しむように運ばれて、……しばらく滞在されていたんですよ」
突然目を輝かせ、活き活きと語り出すエリー。
この侍女は、直前に何を言い出すのかと、苦々しく見つめたものの、予想だにしない事実を知らされ、激しく動揺した私の頭の中は、真っ白になった。
「それでは、何かお礼をしなくては。……どうしましょう、そんな準備もないじゃない。それどころか心の準備も出来ていないわ」
「公爵様は、余計な気遣いは要らないから、目が覚めたお嬢様の顔を見たいとおっしゃっています。ご主人様も昨日のご恩があるので、部屋への入室を許可されていますので、お気になさらず。では~」
にこっと笑いながら、手を振って出ていったエリー。
いやいやいや。「お気になさらず」じゃないわ。
「……待ってよエリー」
だって昨日の私って、シャロンの話では、とんでもない醜態を晒していたのよ。
それを知った上で、クロフォード公爵様と、どんな顔で会えばいいの!