2-12攻略対象その五②
「はは、情けない。先ほど、誰かに突き落とされた」
頬を引きつらせ苦笑いを浮かべるルーカス様。そう発した彼は、落とされた地点を見上げるように、顔を上げる。私を見ても立ち上がることはなく、脚を伸ばして地面に座ったまま。
……なるほどね。立てないのか。
私へ向ける視線がズレたタイミングで、彼の様子をまじまじと見れば、足先の向きがおかしいことに気付く。膝の上に両手を乗せているが、つま先は地面と平行だ。
脚はトラウザーに隠れて直接分からないものの、膝から足首の間で曲がっているのだろう。
なんだか、しつこい彼らしい。「つくづく足を負傷する縁のある人だ」と、さめざめと思う。
だが、放っておけない性なのか、やめればいいのに余計なことを口走る。
「足を怪我しているの?」
「ああ、ここから這い上がろうかと試したが、無理だった」
平静を装う彼が穏やかに話すが、どうやら嘘ではなさそうだ。
彼の顔も、上着も泥だらけである。確かに、その足でこの急斜面を登るのは無理。それは試すまでもなく、容易に想像できる。
私が危惧した橋にかかる網。それがないところをみると、この季節にこの場所を通る人は、いないのかもしれない。
だけど……彼を助けるべきか判断が付かない。
「どうして、あなたがバーンズ侯爵領にいるのよ」
「ゲルマン領へ戻る前にアリアナと過ごした場所を見たくて立ち寄ったんだけど、城を見上げる妙な男がいて。以前も夜会で見かけた気がしてね。奴から変な気配を感じたから声を掛けたんだが、途端にやられてしまった」
「なによそれ。同情を買っても助けは呼ばないわ。そんな義理はないもの」
ルーカス様が油断していたなら兎も角。警戒しながら近づいて、一撃でやられた。
それも、決して軟ではないルーカス様が、抵抗もできずに。
今、ルーカス様が警戒する素振りがないのは、その人物の気配が近くにないのだろう。
背後を振り返り、ゆっくりと一通り見渡すが、悪役令嬢の観察力に引っかかる異変はない。ひとまずここは大丈夫そう。
でも……まずい。相当ヤバいのが動き出した。
黒幕にロックオンされたばかりだと思っていたけど、敵は、私の想像より遥かに行動が早いみたいだ。
「……分かっている。それでいい。僕が、アリアナに何かしてあげた覚えがないのに、してもらってばかりでは、申し訳ないからね」
「本気で言っているの?」
「ああ。……まあ、そのうち自分一人で何とかするさ。僕のことより、アリアナが領地へ来るなんて珍しいね」
「お兄様が、『直ぐに小麦を刈れ』って言っていたから、伝えにきたのよ。あと六日で天候が荒れるみたいよ」
やせ我慢に見える彼の言葉に、居ても立っても居られない私は、チュニックに付いている大きなポケットを探る。
――あった。
握りしめた小さな缶から、一つ花を取り出し、無言で彼に突き出す。
この人のために、我が家の従者へ頼んで、彼を助ける義理はない。
彼は、嘘までついて、私を社交界から消すことを考えていたんだから。それは許せない。
だけど……。
「これは?」
半ば強引な私から、彼の泥だらけの掌に乗せられた小さなカモミール。彼はそれを不思議そうな顔で凝視する。
「お腹がすっごく痛くなる花よ。今度会ったときに、こっそりあなたの飲み物に入れて、夜会で恥をかかされた仕返しをしようと思っていたのよ」
「ははっ。そんな子どもみたいな悪戯をしようとしていたのか?」
目をパチクリさせた彼は、声を上げて笑うが、相当に顔色が悪くて心配だ。
「悪かったわね、子どもでっ」
「笑って悪かった。アリアナの仕返しが出来なくて申し訳ないな。僕はもう、社交界に顔を出すことはないだろう。ゲルマン侯爵家を継ぐのは、弟になったからね」
「え? どうして急に?」
彼の弟は六歳になったかどうかの年頃だ。私とルーカス様が婚約した後に生まれたのだから。
彼の父は結婚も遅く、既に五十歳を超えていたはず。私とルーカス様が結婚したあとに、家督を直ぐに譲る気でいた。
それなのに?
「そんなに不思議かい? あれだよ。あの屋上のことで、クロフォード公爵様が、我が家に抗議文を送ってきたからね。それで父の逆鱗に触れてしまったさ。ただでさえ、アリアナと婚約破棄をしたことで怒っていたのに。まあ、それでも家を追い出されなかったのは、まだましだった。父から農家の手伝いを命じられたけど、これじゃあ無理そうだ。はは」
「えっ? ブライアン様が手紙を送ったの!」
「ああ、祭りの当日、直ぐに届いた。僕の視線も気にせず『愛してる』と言わせるアリアナに、とんでもないことをしたと、あの場で気付いていたけどね」
「……ぁ」
なんて返そうかと、言葉に詰まる。
「でも、二人が恋人同士だとは、目の前で幸せそうなアリアナを見るまで、本当に嘘だと思っていたよ」
「そう……」
「どうして、アリアナと婚約を解消したのか。あの夜からずっと後悔してる。アリアナを信じていれば良かったのに」
「今更、勝手な話ね。私……婚約破棄されるまで、あなたに嘘をついたことは、一度も……なかったのに」
後ろめたい私は、言い淀む。
何故なら――。今、渡したカモミールは完全に嘘だ。
でも、本当のことを教えるほど、優しくなれない。それに、二人きりのこの場で彼が猿のように豹変されても困る。
「ああ。僕にかけてくれた美しい声が耳に残り、少しも離れない。あなたと婚約を解消して、初めて自分の過ちに気付いた。取り戻せないほど遅くなったが、誰よりもアリアナが好きだと」
「残念だったわね。こちらはあなたがいなくて幸せですから。とっくにお呼びじゃなわよ」
言い捨てるように告げると、彼からは「分かっているさ」と返ってきて、その場を離れた。
夜の闇が差し迫るこの時間。
私が渡したカモミール。エリーは目障りだと言うが、花に罪はない。護衛のゲビンのために常に持っていた。
腹下しだと信じるルーカス様は口にしないだろう。
……それでも。
彼が動けずにいるのを知った以上、何かをしておかないと後味が悪い。
このまま見殺しにしては、執念深い彼が枕元に立って、祟ってくる気がして怖いもの。
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