2-10攻略対象その四、帝国の皇子②
いいえ、まさかよ。帝国の彼に聖女の花の意味が分かる訳もない。それならまだ、しらばっくれる方法が残る。
「中に詰まった赤豆は、花の祭典の赤い花。それにちなんだものでございます。ですから、より雰囲気が出るように花びらも入れただけですわ。深い意味はございません」
「いいや、誤魔化さなくてもいい。このドーナツには、身体強化の魔法が付与されているだろう」
「まさか。……気のせいかと存じますわ。ほほほ」
「間違いない。今、アリアナを引き上げるときに、あり得ないくらいに軽かったからな」
「おほほほっ。そうですわ。私は雲のように軽いと定評がありますからね。だからですッ!」
アルが、ぷっと噴き出すと盛大に笑う。
「あははっ――。もっとうまく誤魔化せないのか? それでは認めているのと同じだろう」
腹を抱えて喜んでいるが、彼を笑わせるつもりは微塵もなかった。こちらは至って真面目に面倒事を隠したいだけだ。いくら嘘が下手でも、そんな楽しそうに笑わなくてもいいのにと、しょんぼりしながら事実を告げる。
「そんなに笑わないでくださいまし。誰にも気づかれないと思っておりましたから、少々混乱しただけですの。花びらは、食しても害にはなりませんし、次第にこの魔法も切れます。小麦を刈る作業がはかどるようにと、領民たちのために考えただけでございますから」
この半日以上、庶民へ食べさせても、誰も気が付かなかった。それで、しめたものだと快くしていたのである。
それなのに。全くもってお呼びではない彼が食して、花びらに気付くなんて。……そのうえ、魔法の効果まで実感されているとなれば、大事に発展しかねない。
こめかみから冷や汗が噴き出す。どうも王族は、無駄に感度がよろしいから、いけ好かない。
兄から、呪文のことは口止めされているのに、花びらの存在に気付かれるとは大失敗だ。兄からよく「思慮が浅い」と言われるが、的外れな指摘ではないことを、身をもって知る。
「細工された花びらに気付く者は、日頃から口に入れるものに敏感になっている俺くらいだろう。平民であれば、甘味も食したことがないだろう。始めて食べたもので、元気が湧いたくらいにしか思わない、見事な発想だ」
気落ちする私の様子を汲んでくれたのだろうか。先ほどまでの大笑いをピタリと止めれば、人を簡単に褒める立場ではない彼が、私への感服を、うむうむと大袈裟に頷く。
だけど……その反応。こちらとしては、ちっとも嬉しくない。
「お褒めいただきありがたく存じます。ですが、この件はどうかご内密に」
「承知した。なぁ、アリアナは帝国に来る予定はないのか? 俺は間もなく帝国に帰る。アリアナのことは、いつでも部屋を用意して歓迎する」
「ありがたいお言葉ですが、そのような予定は一生ございません。もうお会いしないでしょう」
「ほう。それならこのまま一緒にロードナイトの王都へ行かないか? 今回の視察の予定は変更する」
……本気でやばいな。既に連行されかけている私は、ざまぁ一直線じゃないか⁉
「大変恐縮ですが、領地ですべき予定が立て込んでいます故、お断りいたします」
「そうか……」
「私の従者がこちらを見ております。そろそろ行かなくては」
「少しだけ待て。こちらも内緒で聞きたいことがある。この花は何を意味するのか教えて欲しい。アリアナなら知っているだろう」
そう言って渡された、小さな銀色の缶。外見では、何が入っているのかさっぱり分からず。首を傾げる。
そうなればごく自然にきつく閉まった蓋を開け、中にあるのは……バーベナ?
一瞬だけ迷ったものの、ラメのような輝きがあるそれは、れっきとしたジェムガーデンの花である。聖女の日記で知ってはいたが、これが実在したのは驚きしかない。
「……バーベナ。これがどうかされたんでしょうか?」
「怪しい者と繋がりのある人物が、常に持ち歩いているから気になってな。これも、聖女の魔法がかかっているのだろうか?」
私にそれを告げると、何かを感じたようについと横を見る。
するとそこには一人の男の姿がある。光の加減で、いまいち顔が見えない。だが徐々にこちらへ近づいてくる。
やっとはっきりと顔が分かってきた。柔らかな笑顔を見せながら、こちらへ駆け寄るのは……。
ダークブロンドの髪を揺らす、若い青年。
えぇぇっ!
この国の第二王子じゃない。
「アル。こんな所にいたのか。探したよ」
「ああ、今戻るところだった。ご令嬢と馬が合って、身分まで明かしてしまった」
「そうだったの、そんな珍しいこともあるんだね。だけど、僕を仲間外れにするなんて釣れないなぁ。君はバーンズ侯爵家のアリアナ嬢だったかな」
目を細めて話す第二王子は、私の手元にある小さな缶をちらりと窺う。そのバーベナを見た直後、頬を引きつらせるものの、すぐさま表情を繕う。
彼のその反応に、得も言われぬ恐怖を感じ、慌てて缶の蓋を閉め、侯爵令嬢の顔に徹する。
「サミュエル殿下、お初にお目にかかります。私の名前を存じていただいており、大変光栄ですわ」
「アルと馬が合うって、何を話していたの?」
挨拶もそこそこに、王子様スマイルでにっこりと笑うサミュエル殿下は、私の返答を待っている。
参ったな。何だかどれも答えにくい。アルとは中身のある話は、まだ何もしていない。どう考えても、互いに牽制し合っただけだし。
「私が好きな、お茶の話を少々……」
それに合わせるように「そうだ」とアルが同調する。
「へぇー、もしかして今持っているのは、ハーブティーか何か?」
「ええ、そうでございます」
「僕もお茶にはこだわりがあるけど、セドリックの妹君であれば、詳しいのだろう。それは何に効果があるのか教えてくれる?」
兄のうんちくを聞かせろと言いたいのか? それを語るとなれば、一日あっても足りないぞ。
目をしばたかせる私を見て焦ったのだろう。アルがすかさず、話の主導権を奪う。
「サミュエル。俺たちは次の予定もあるから早く行こう。忙しいと言っていたアリアナを強引に引き止めたんだ」
「あれ、そうだったの? そっかぁ、それならこの続きはどこかの夜会でするか」
「あぁ、そうしてくれ。さてと。次はゲルマン侯爵領だな」
「うん、このまま北上する。アリアナ嬢とは、またの機会に」
「はい、サミュエル殿下。それではお二人ともお気をつけて、ごきげんよう」
去り際の二人へ、上品な笑顔を向ける。
けれど二人からの返事はない。畑には少々不釣り合いな服装の二人は、彼らの馬車が停めてある、大きな通りへ立ち去っていく。
すると途中、一人だけ振り返った第二王子が、口をパクパクさせて何かを訴える。
「ジャ・マ・ス・ル・ナ」
かっ、香澄⁉
前世で、湊と一緒に「甘いマスクの覇者」をプレイしていた、同期で部下の彼女の癖とリンクした気がするけど。
まっ、まさかね。






