2-2聖女の予言① ※ブライアン視点
時系列的には、全話の一日前になります。
昨日の夜から、むくむくと不安が膨れ上がる。「小麦を刈れ」と言うアリアナの願いが、頭を離れない。
というのも、元婚約者が階段から落ちるのをいち早く察知したことや、弓の使い方だけで同一人物だと見破る勘の良さ。
あれを侮っていいものか。時間が経つにつれ、生じた迷いが大きくなる。
領地の管理に口を出され、一時的に昂った私の感情が静まれば、あれが冗談に思えなくなってきた。
今では、ざわざわと得も言われぬ胸騒ぎに変わった。
それに……。
消え入りそうな彼女の背中が、頭から離れない。
どんな窮地に陥っていても、常に堂々と胸を張る彼女なのに、見たことがないほど小さかった。
せっかく「次はいつ会えるか」と、初めて彼女から誘われたにもかかわらず、明日からしばらく多忙を極める私は、曖昧に答えたままだ。
アリアナを喜ばす上手い言葉も、贈り物も見つからないが、ただ彼女に会いたい。
そう思いつつも例年どおり、花の祭典翌日は多忙を極め、あっという間に昼を超える。ひっきりなしに続く報告で、慌ただしく時間が過ぎ去った。
机に向かったままだった体を伸ばそうと、ぐうぅッと腕を真っ直ぐ上げる。やっと時間の目途が付く。
「もう一時か……彼女は会ってくれるだろうか」
適当に誤魔化し私から逃げる気もするが、どうしても顔を見たい。気づけば自然と厩舎へ足が向かう。
騎士団が管理する八棟の厩舎。それぞれに約三十頭の馬が過ごす。
そのうちの一棟に、弓馬会場で見かけた白髪交じりの大きな男がおり、懐かしさを感じる。
去年の冬、現役を退き田舎に帰った元大佐。
昨日の祭り。弓馬の優勝者が、厩舎の前に立つカールディンである。
「久しいな、カールディン。今日はアニーを受け取りに来たのか?」
「はい。団長におかれましても、ご健勝のことと存じます。すっかりご無沙汰しております。とは言っても実は、昨日も会場でお見かけして、クロフォード団長が弓馬に参加なさらないか、最後まで冷や冷やしておりました」
「まあな、じゃじゃ馬には弱いからね。カールディンが私の姿に気付き青くなるのが見えて、こちらの方が冷や冷やさせられた」
そう言って、厩舎の柵から外へ顔を出すアニーの首を撫でる。大きく鼻を鳴らすが満更でもないのか、もっと撫でろと首が伸びてくる。
カールディンの顔を見ると、つい昨日の出来事。それが思い浮かぶ。
弓馬の話をしていたときに、アリアナが口を尖らせ怒っていたんだった。全く不思議な令嬢だ。
彼女くらいだろう、私に譲らずものを言う令嬢は。
……あの話。
台風のことは、やはりもっと深く聞くべきだった。
私がアリアナのことで気が逸れていると、カールディンが銀色の懐中時計を胸から取り出す。
「誰かと待ち合わせか?」
「王太子殿下の確認が取れないから『待つように』と言われまして。かれこれ二時間は経ちます」
不満の色が見えるカールディンへ、「私がジェイデンの様子を見てくるか?」と問えば、「他の者が行っている」と、遠慮気味に返ってきた。
その会話を終え、二人同時に王城を見やる。ジェイデンがごねているのか。
内情に精通しているカールディンが感じていることは、おそらく私と同じだろう。
すると、血相を変えた中佐が、私とカールディンの双方を交互に見ながら駆けてくる。
彼は、迷うことなくカールディンの正面に立つ。その横にいる私への挨拶を二の次にしてだ。……これは何かある。
「カールディン元大佐、今日はアニーの受け取りは難しいために、お引き取り願います」
耳が痛くなるほど大きな声で一方的な用件を告げる。
だが、裏事情を知るカールディンは、それで直ぐに納得するわけもなく「理由を言え」と言い募るため、私が事態の収拾に走る。
「まあ落ち着けカールディン。取りあえず準備ができれば、責任をもって騎士団が届ける。今日のところは引いてくれ」
「団長の前で大変失礼致しました。団長がそのように仰るのであれば……いささか不満はありますが承知しました」
アニーに乗って帰るのを期待していたであろうカールディンは、あからさまなほど気落ちして立ち去っていく。
だが、こちらもカールディンの事情に目を向けている場合ではないことは、気付いている。カールディンへ曖昧な説明で終えた中佐の表情は引きつり、不穏な気配が漂う。
そして、私の視界からカールディンが消え、私と中佐の二人きり。周囲に、私たちの話を聞く者は誰もいない。
厩舎の中の馬が干し草をはむ擦れる音と、「ブルルッ」と小さく声を発する日常が辺りに響く。
「外部の者はいなくなった。報告していいぞ」
「はい。王太子殿下の目が覚めないと公務に支障がでております。病気なのか、眠っているのか、今は何とも分からないと、王城の侍医も首を傾げておりまして」
「眠っている……。この時間まで?」
普通の話ではない。ジェイデンは仕事を怠けるような人間ではない。
かといって、医師でも診断がつかないのは、他に異変がないのか。
「昨日私と会ったとき、中佐は殿下の傍にいただろう。何か異常はなかったのか?」
「特に、何もありませんでした」
何もないということは、頭を打ったわけでもない。であれば病気か。
眠りから覚めないとは、一体何が……。
そうだ……アリアナ。
確か彼女は、「拗ねて部屋から出てこない」と言っていた。そして、花びらの話を。
「昨日、殿下と接触した人物を挙げろ」
「具体的に申し上げるのは難しいところです。昨日は祭り会場で、団長のような短い会話をされた方なども含めて、しきりに対応なさっておりましたから」
ただ眠り続ける類の毒なんてあるのか……。分からない。
アリアナから何も聞かされていなければ、ここまで疑うことはない。
医術の心得のない私は、このまま侍医の診断を見届けるだろう。
だが、不思議な話をしたアリアナが、何か知っている気がしてならない。
「王太子のため」と言っていた花びら。それは騎士服の胸ポケットに忍ばせてはいる。服の上から手を当てると、硬い瓶が存在を主張する。これは何の花なんだ。
つべこべ言わずに試してみるか。
いや、駄目だ。「確信のないもの」を、私がジェイデンに使うことは出来ない。
バーンズ侯爵家へ行って、確かめるのが先か。
「馬を一頭借りる」
「どちらまで。私もお供いたします」
「いや……。やはり、止めた」
厩舎の横の入り口を見やる。
すると厩舎の脇にある、ジェムガーデンまで続く道。そこを歩く人物を見かけたのだ。
アリアナの兄の、セドリック・バーンズ。彼なら花びらについて、何か知っているだろう。
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