1ー45不協和音
荷馬車での移動。荷台に乗る従者の誰かが積み込んだ、くたびれた座布団。
そのおかげで、前世の満員電車よりも、よっぽど乗り心地よく感じる。
こんな感覚であれば、急にお嬢様をやめたって、十分に暮らしていけるでしょう。うん、きっとそうだと思える。
それに私だけじゃない。
前にいる二人が領地から王都へ帰る際に、この荷馬車を使って、刈り取った小麦を王都まで運べる。
私が領地の屋敷に残ると言い出しても、御者と護衛を兼ねた従者二人は、先に王都へ戻ってくれるだろう。
私が姿を消すに当たり、全てが丸く収まる完璧なまでの計画。
だけど領地の事情を何も知らないお嬢様が、数日で片を付けられるのか? その不安は拭えない。でもやるしかない。
屋敷を出た時間が午後であるため、領地までの行程で二泊は必要になる。
我が家の定宿に辿り着いた時点で、今日の移動を終えた。
領地との往来時。
バーンズ侯爵家が使う宿は決まっている。使う予定がなくても、通年二部屋ずつ借りているのだ。
湊の感覚から言わせると、「贅沢」だと思うけど、余裕のある貴族は、これくらいの出費を気にしないのだろう。
今日一日で、色んなことがあり過ぎた。
人生を掛けてもいいと思える熱い恋をして、失恋した。
ブライアン様に嫌われたのが、埋めようのない虚しさを感じている。自分で嫌われようとしたくせに、胸を焦がすなんてとんでもないと思う。彼の方が、余程興ざめしているだろう。
こんな気持ちになるなら、やっぱり彼のことを好きになるんじゃなかったと思う。
宿のベッドに体を預け、眠っているのか起きているのか分からない、浅い眠りを繰り返している。
**
「ねぇ、湊。甘いマスクの覇者、どのキャラが一番好き?」
「う~ん、私はセドリック・バーンズかな。知的な感じがよくない?」
「えー、あんな真面目君のどこがいいの。でもまあ、真面目な湊らしいわね。あたしはアルバートだなぁ。あの強引な感じがいいじゃない。でもなぁ。結局、ブライアンしか残らないから、そこ一択だけどね」
「えっ! 香澄はブライアンルートが出てきたの?」
「ふっふっ、当然よぉ。もう何十回もブライアンを攻略しているし。でもね、どういうわけか、最後に助けてくれないのよ。だから、毎回死んじゃうんだよね。このゲーム、わたしが作るなら、第二王子を追放して聖女の実を手に入れた後に、二人で駆け落ちする道を隠しておくのに。絶対それが一番幸せだわ~」
「何? その聖女の実って……」
「最強、無敵の実のことよ。それさえあれば、どこでも悠々自適に暮らせるもの」
「ふ~ん、そもそも私には、ブライアンのイベントが出てこないんだけど」
「マジで! まだ出てこないんだ。ブライアンは、いい子ちゃんには出てこないからね。コツを教えてあげようか!」
「いやー、ダメダメダメ。言わないで。何とか自分で隠れキャラルートを開きたいのよ」
「あ~ぁあ。湊が係長で、どうして、あたしが平社員なのか納得できないのよね。あたしよりもどんくさいくせに」
「それは……。人の話を聞かないで、仕事の締め切りを守らないからでしょう」
**
「んンぅ……っ」
と、うなされるように、眠っていた私の目が覚めた。
え? 今のは唯の夢……。聖女の実って、何。
途中まで仲の良かった口八丁手八丁の同期。いつも自分に自信のある彼女とは、急に距離ができたんだ。
きっかけは、私が先に係長になったからという唯の僻み。
正確には、私が直属の上司になってから、香澄の態度が変わった。
懐かしいのか、複雑な夢だな……。
**
「高梨さん。何をコソコソ人の机を漁っているの?」
香澄が課長のデスクを物色しているのを静観できず、声を掛けた。
すると、香澄が口をパクパクさせて何かを訴える。
「オ・オ・キ・ナ・コ・エ・デ・イ・ワ・ナ・イ・デ」
「無理よ。何の失敗をして、勝手に課長の判を押そうとしているの!」
「もう、真面目ちゃんはこれだから……」
「仕事中は、伊東係長と呼んでください」
「この仕事。締め切りが過ぎていたから、なかったことにしようかなと思って。だって」
「だってじゃなくて、今日、残って全部処理するわよ。取りあえず、私は課長に報告してくるから」
「あたし、今日は用事があるから残業できないし」
「えっ⁉ 何を言っているの。自分のミスでしょう」
「外せない約束だし、キャンセル出来ないのよ」
厳しくなり切れなかった私は、結局、彼女を説得できず仕事を引き受けた。
そんなときばかり、私を「係長」呼びして、逃げ出すんだから。
あのときは気付いていなかった。
それが、湊人生最後の仕事になるとは。
香澄の我が儘さを忘れるほど夢中になって仕事を片付け。家に帰ったときには、空が明るくなり始めていた。
パッと目を開けた瞬間。取る物も取りあえず会社へ向かった。
家を出て直ぐの信号。横断歩道を渡り切る手前。急げと点滅しているのを見て、ダッシュで渡り切ろうとした。
そう、慌てていたけど、私……信号を見落としたわけじゃない。
そこへ、シルバーの見慣れた車が、突っ込んできた。
危ないッ! ぶつかる!
そう思い、車の中の運転手を見て、目が合った。
**
恐怖でガバッと跳ね起きる。
「はぁッ、はぁッ、はあッ――……」
と、いつまでも呼吸が乱れ、冷や汗で全身がぐっしょりと濡れる。
鮮明な映像の余韻が残り、心臓の拍動が煩いくらい耳に届く。
……今のって……。
夢だけど夢じゃない。これは湊の記憶だ。
【第一幕完】
アリアナとして転生した乙女ゲームの世界。
ゲームの画面に流れた、『ゲームの世界で起きる危機を解決』。『国の動乱を招く悪者を見つけて捕まえる』
その二つのキャッチコピーを知っていたにもかかわらず、余計なお世話を繰り広げたアリアナ。
彼女はまだ、第二幕で必要なできごとを自らの手で失いかけていることを知らない。
よかれと思い我が道を突き進んだ結果。その全てのイベントが起きない事象を作り出した。
そんなアリアナは、ブライアンとトゥルーエンドを迎えることができるのか。互いを想い合う二人の奇跡のルートへ突入。
隠しキャラ編、完結。
聖女の実編へ続く。
◆第一幕:隠しキャラ編の完結記念◆
【花の祭典~どこの誰か分からない女の小話~】
ルーカスの誕生日。昼には品切れになる人気のミートパイを手にして、細い小路に入ろうとした。その時だ。
正面からドンッと誰かと強くぶつかる衝撃を受け、反動のついたあたしは、ガンッと大きな音を立て頭を強く地面に打ち付けた。
横たわるあたしは目の前に空が見え、無数の星がくるくると回る感覚に襲われる。
要領はいいと自負するあたしは、直ぐに、乙女ゲーム「甘いマスクの覇者」のヒロインへ転生していると理解した。
目の前の光景を見ると、既にあたしに魅了されているジェイデン・マッキンリー王太子が手を差し出す。
だが、瞬時に打算が働く。
今からこの男を落としても時すでに遅し。
聖女の力を独占したい、こいつの弟が動き出す頃合いだろう。もっと早くに意識を取り戻せば、違ったのに。
……最後のイベントとなっては、この王太子もモブに過ぎない。
ゲームのことは何も知らないのに、上手く動き回ってくれたシャロンのおかげで、ブライアンルートは開いている。シャロンとはこれからも馬が合う。
今から狙うのはブライアン一択。
あたしが来ることを、彼は待っているんだもの。
直近に起きるイベントといえば、花の祭典の弓馬会場の近く。
それなら好都合だわ。聖女の花であふれる会場は、彼を簡単に落とせるものね。
……それなのに今。
あたしは土下座をして「お許しください」と、ブライアンとアリアナに繰り返し許しを請う。
何故か分からないが、悪役令嬢がブライアンを落としている。その姿に虫唾が走る。
あたしが、早く前世の記憶を取り戻していたら、全て上手くいっていたのに。
あたしは、誰からもチヤホヤされる、ヒロインなのよ。
どうして悪役令嬢が、幸せそうな顔をしているのか、納得がいかない。
次第に。巻き上がる砂埃が口に入り、じゃりじゃりしてきた。
やるせない。こんなはずじゃない。何かがおかしい。
そう思っていると、あたしより先に昇進した忌々しい女の口癖である「人の話をちゃんと聞かないからよ」と聞こえてきた。そういうことか。あの愚図も死んだのか。
あんただと分かれば、あたしの怒りのメーターは振り切れた。
「悪役令嬢に湊は転生したのか。お似合いね。いつもいつも偉そうな態度であたしにものを言うあんたが、少し調子に乗っているようだけど。ここは会社じゃないのよ。この世界。あたしがヒロインで、所詮あんたは悪役令嬢だと分からせてあげるわ」
あたしが土下座するせいで、大勢の人だかりができた。
本来ならここは、ブライアンのイベントに関係する男二人が使う場所。イベントの原因となる相手。その男に用事がある第二王子。彼にとっては、あたしがここに居座ると邪魔になる。
やつは事態の収拾にくると踏む。
……ほらね。案の定、変装した彼がやってきた。
「あたし、聖女の実の鍵が開けるの。その辺で売っている赤い花をくれたら、証拠を見せてあげる。だから、あなたに全面協力するわよ。……でも、そのためには悪役令嬢が邪魔だわ。殺して」
お読みいただきありがとうございます。
次回から、二幕に入ります。






