1ー2 思い出した前世。ここは乙女ゲームの世界①~rewriting~
私は、うっすらと意識が戻りつつある中で、断片的に残る、最後の記憶を手繰り寄せてみた。
……あっ、そうだった。
今朝、出社する前にお母さんが用意してくれた、みそ汁と焼き魚。それを見なかったことにしたんだ。
「……お母さん、ごめんなさい」
寝坊した私が慌てて家を飛び出したせいで、突っ込んできた車にひかれ、伊東湊の体は宙を舞ったのだ。
……うぅ~、体中が痛い。
こんなことになるなら、始業時間の一時間前から働く無駄なことを諦めて、お母さんのごはんを食べるべきだった。
そんな気持ちから、自然と謝罪の言葉が口をついた。
だけど、……ここはどこだろう?
病院にしては、随分と立派なベッドね。
三十歳。勤める会社は、そこそこ大手と言っても、経理担当の係長でしかない私が病院の特別室に入院……?
そんなことって、ある?
これでもかというほど、フリルいっぱいの天蓋。
……いや、いや、いや。
特別室で、こんな乙女趣味のベッドは、さすがにおかしいでしょう。
……どういうこと?
全く腑に落ちない私は、周囲を見回す以前に違和感を覚える。
視界に映る、自分自身の髪色。
それが、あり得ない程に美しい金髪なんだもの。
真面目で従順。それを買われて同期の中で最初に係長へ昇進した。
生まれた時のまま、手を加えていない自然体の日本人。
その私が、こんなにお洒落な髪色のはずがない。
あまりの驚きで飛び起きれば、全身に衝撃が走る。
「痛ーっい!」
我慢できずに大きな叫び声を上げてしまう。
そもそも車にはねられたんだから、当然だった。
「アリアナお嬢様、無理に体を起こしてはいけません。お手伝いいたします」
「……はぇ?」
お嬢様って何?
私を真っ直ぐ見ているこの人へ「はい」と言うべきか、「え?」と言うべきか、返答に迷う。
それは、そもそも私に言っているのか?
もしかして、後ろに誰かいるのだろうか?
そう思って周囲を見渡すけれど、他に誰もいない。
この人物が声を掛けた対象は、やっぱり私で間違いないようだ。
「あ、あのう。鏡を見たいのですが、取っていただいてもいいですか?」
「そう言うと思って、ちゃんと持っていました。でも、そんなに改まって、どうかしましたか? 夜会のことは、あまり思い詰めない方がよろしいですよ。お客様もいらしていますし、ふふふっ」
「……夜会」
全く意味が分かりません。
二十歳代くらいのメイド風の格好をした、見覚えのない女性。彼女が差し出した手鏡を覗き込んだ途端、私は悲鳴にも近い驚愕の声を上げる。
「悪役令嬢、アリアナ!」
絶世の美人が鏡に映り、思ったままの言葉を口にした。
「ど、どうしたんですか? ご自分を悪役だなんて。お優しいお嬢様には似合いませんよ。派手に階段から落ちたけど、幸い顔に傷はなくて良かったですね」
混乱の最中に、言葉なんて出せそうもない……。
バクバクする心臓の鼓動を感じる私は、とりあえず、こくんと頷いておく。
明るい黄緑色。まるで美しい宝石、ペリドットのような瞳。
それに何と言っても、手入れを怠っていない、艶々と輝く長い金髪。
私が、お金をつぎ込みプレイしていた乙女ゲーム、『甘いマスクの覇者』に登場する、悪役令嬢アリアナで間違いない。
……と言うことは、日本で暮らしていた湊は車にひかれて死んだのか……。
一人きりになった母は、娘を失って泣いていただろうに。
そんな前世を知らないまま、このゲームの世界で新たな生を受け、暮らしていたようだ。
……ごめんねお母さん。
少しずつ記憶が繋がった私は、こちらの世界の記憶も思い出してきた。
私は十八歳の侯爵家の長女『アリアナ・バーンズ』で間違いない。
この国の貴族階級は上から順に、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵。その下は割愛するとして。
私は上位貴族と呼ばれる、この国で代々続く名家のご令嬢だ。
これまでのアリアナの人生。何不自由ないどころか、贅沢三昧で生きてきた。
将来を約束された、婚約者もちゃんといて。
いいえ。「いた」という過去形が正しいか。
彼は既に、私の親友で、彼にとっても幼馴染の一人。シャロン・ハエック男爵令嬢と婚約していた、ってわけだし。
アメジストのような紫色の瞳のシャロン。
彼女は、くるくるのシルバーの髪が何とも可愛らしい「甘いマスクの覇者」のヒロインだ。
これで、三年ほど前から悩まされた映像の謎が、やっと解消された。
前世の記憶を取り戻した今となっては、思い出せる全ての出来事に心当たりがある。
あれは、茶髪に淡い青色の瞳、ルーカス・ゲルマン侯爵令息の好感度を上げるための、乙女ゲームのイベントだわ。
……信じられないことに、悪役令嬢の私が、シャロンを守るために未然に危機を防いできたんだもの。
そのせいで、シャロンの好感度を上げるイベント、その全てが発生していない。
どうして分かったのかと感心するが、そっちにも心当たりがある。
それもこれも、悪役令嬢として備わった「人並外れた観察力」が理由だ。
ゲームの中で、ことごとく目ざとい動きを見せる悪役令嬢アリアナ。
それは、私のことだけど……。
私がシャロンを虐めるために備わった、悪役スキルが「観察力」なんだから。
内心、自分の観察力の高さを鼻高々と語っていたのよね。
それが、悪役スキルと分かった今となれば、残念な話だ。
その癖、「ルーカス様は最高に素敵♡フィルター」のせいで、なーんにも分かっていなかったんだから。
もう信じられない。私のことは「とっくの昔から冷めていた」って、どういう事よ⁉
待ってよ!
ってことは、良かれと思って二人のために動き回っていた私は、これまで相当、悪役スキルを無駄に使っていたってことっ!
あぁ~あ。
私って、今まで何をやっていたんだろう。とんだ間抜けな悪役じゃない。
シャロンのイベントを防いだのに、アリアナの「ざまぁイベント」はちゃんと食らっているんだもん。馬鹿みたい。
昨日、シャロンが誇らし気に話した、ルーカス様とシャロンが二人で海へ行く計画。
それは、ルーカス様の体が怪我のせいで不自由になっても、シャロンは献身的に彼を支え続けるのだ。
そんな彼女へ、ルーカス様が愛を深める最後のイベントだろう。
んー、だけど、ちょっと待ってよ。
私の頭の中に流れた階段落下の映像……。
あれは確か、えーと……、そうだ。
あっちの映像は、ルーカス様のイベントではないわね。
湊も、プレイ中に表示されず仕舞いで、予告映像しか知らない『ブライアン・クロフォード公爵』との出会いイベントだ。
金髪に、サファイアのような深い青色の瞳。二十五歳の若き公爵様。
彼は公爵としての立場のほかに、王城騎士団長も務めている文句なしの存在だ。
あの乙女ゲームでは、王太子を攻略しても、常に後継者争いに巻き込まれ気鬱の日々が待っている。
けれど、ブライアン・クロフォード公爵様だけが、順風満帆な人生を送れる攻略対象なんだもの。
何より。彼と結ばれることで、ゲームの世界で起きる危機を解決できる。
国の動乱を招く悪者。
シャロンがそれを見つけて掴まえる、乙女ゲーム。
まあねぇ。
クロフォード公爵様以外の攻略者五人は、災難に見舞われて動けないから、当たり前だけどね。
結局、クロフォード公爵様を攻略しなければ、トゥルーエンドが迎えられないゲームだった。
だからあのゲームで選ぶべき対象は、初めから一人だけ。
だけど、その攻略が桁違いに難しくて、たとえ出会っても、生半可な娘にはなびかない、クロフォード公爵様ルートなんだもの。
隠しキャラを出すには、ルーカス様ルートで、彼との好感度を少しも上げずに婚約者になる。
そんな裏技的なことは、どう考えてもあり得ない。
ルーカス様と恋に堕ちることなく、どうやって婚約者になれるというのだろう。
彼のルートを熟知するほどに、やり込んだけれど、……結局最後まで出てこなかった。
そもそも彼が隠しキャラのせいで、階段落下のイベントさえ表示されない。
湊だった私は、そこに辿り着きたい一心で、ルーカス・ゲルマンへプレゼントを贈るために、お金をつぎ込んでいたのだから。
この世界のアリアナも、ルーカス様の気を惹くために色々やっていたけどね。
私って、何をやっていたんだか。
今に思えば、彼から全然相手にされていなかったのに。
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