1-22ズレた歯車④~additional~
よろしくお願いします。
目の前に立つルーカス様がこちらを伺うように、視線を向けている。
あの日、冷たく突き放されたルーカス様の記憶が蘇り、つい睨みたい気持ちが起きる。けど、それは当然しない。
私だって、馬鹿じゃない。
王都の街を一人で歩くのに、身の危険が迫る貴族のお嬢様の格好ではない。
今は、小間使いに見えるように、メイドのお仕着せを着ているし、手にしたばかりの遣いの品も抱えている。
その上、目覚めた湊が驚愕するほどの、艶々の金髪は頭巾に隠してある。
それでシャロンは、私が奉公に出たと勘違いしたのだから。変装は完璧なはず。
半信半疑で声を掛けてきたこの男のことは、むしろ逃げずに、横を静かに素通りすれば関わらずに済む。
何を思って私に声を掛けてきたのかは知った事か。
どうして、シャロンと海に行ったはずなのに、歩けるのか?
そんな疑問と不安が胸を渦巻いたけど、この件には触れない。この選択が一番だ。
悪役令嬢の私が、余計なことに首を突っ込む気はない。
いぶかし気な顔を向けてくるルーカス様。
少し前に絡まれたシャロンと、待ち合わせでもしているのだろうか。
どっからどう見ても、貴族の御令息といった正装姿で目の前に立ち尽くしている。
私が歩く姿を、彼は、じっと目で追ってくる。
怖いくらいぶれない視線。身の危険を感じた私は、「私はアリアナではありません」と涼しい顔で、聞こえなかった振りをする。
そうして順調に、まっすぐ前だけを向いてルーカス様の横を通り過ぎようとしたときだ。
「アリアナ。あなたを探していたんだが、こんなに直ぐに見つかるとは思ってもいなかった。今日はアリアナ専用の馬車がなかったから、外にいると思ったんだ」
嬉しそうな調子で言い終えると、私の手首を掴んできた。
……どうしてだろう。
一瞬でも、不快な感情が顔に出ていたんだろうか。そんなはずは、ないと思うけど。
「人違いです」
一か八か、声色を変えて発する。
「いや、誤魔化しても無駄だよ。昔から好きだったスズランの香りが、僅かに残っているから」
「気のせいでは?」
「よく覚えているアリアナの香りだ。易々と使えない高級な香水だと、シャロンが言っていただろう。それを召使が使えるはずがない」
あー、そういうことか。
今朝、エリーから、いつものように香水を首元にかけられたものね。
部屋を出るときに、メイドが纏う香りにはそぐわないと、拭き取ってきたものの、完全には消えていなかったわけか。
自分の香りに慣れ過ぎて、気が付かなかった。
どうりで私をアリアナだと疑わないわけだ。
……となれば。何故か私を付け狙う、こいつとの関係を今日で断ち切るしかない。
「手を離してくださいませ。関わるなとおっしゃったのは、そちらですよね」
「あれは、傷つけて申し訳なかったと、深く反省している」
「別にどうでもいいことです。でも、どうして……シャロンと海へ行ったのでは?」
一体、何が起きているのか?
この人とは、もう二度と会わないだろうと思いノートにバツ印を付けた。何故、普通に過ごしているのか納得できない。
「アリアナが階段から落ちた翌日に、シャロンと悠長に出掛ける気分になれなかった。シャロンとの婚約は解消する意向を男爵へ伝えているんだけど、中々首を縦に振ってくれなくて、参っている。直ぐにその問題は何とかするから、安心して」
「……いいじゃないですか。シャロンとお幸せに、私には関係ありませんから。では」
余計な事に首を突っ込めば、また何かおかしな事態に発展する。
ここは、深掘りしないのが鉄則。
あなたには全く興味がないと伝えるために、彼から視線を外した。
「アリアナ。お願いだから聞いて欲しい。婚約破棄は、なかったことにしよう。今から一緒にあなたの父へそれを伝えに行こう。あれは、『ただの喧嘩だった』と伝えれば、バーンズ侯爵も分かってくれるから」
悪びれる様子もなく、真面目な顔で言い切った。
はえ? 何それ。
その言葉に、耳を疑うしかない。
シャロンと腕を組み、私へ婚約破棄を告げ、冷めていたと言い放った人物。その口から出てきた、意味不明な復縁。
あれが、ただの喧嘩だというのか?
幻聴が聞こえたのかと、自分の正常さを疑ったが、他には何も聞こえてこない。
異常なのは、この男だ。
脅威とも思える掌返しに、背筋が凍り、身震いが起きる。
「いいえ。あなたとの関係はもう終わったのに、今更どうしてそんなことを考えるのか、意味が分からない」
……今の状況は、どうなっているの?
私が悪役ルートの何かに突入したのか?
それとも、シャロンサイドで何かあったんだろうか。
分からない。
ゲームの中のルーカス・ゲルマンは、ベッドの上にいる存在だし、こんなストーリーはない。
だけど、一つだけ分かった朗報。上手くやれば、お兄様の不幸も回避できることは証明された。
「申し訳ない。あの日のことは、言い過ぎたと謝るから」
「もう過ぎたことまで気にしていられないの。忙しいから構わないで」
「意地を張るのはやめよう。僕と花の祭典に行くのを楽しみにしていただろう。一緒に行こう」
「意地も張ってないし、あなたとは行きません」
「アリアナも僕のことを愛してるわけだし、二人でいつものように過ごせば、あの日のことは忘れて元通りだから。ねっ」
「全部嘘だったんでしょう。元に戻る関係なんて、始めからなかったんです。あなたに向ける恋情があると思っている方が可笑しいわ。とっくに嫌いです。私に関わるのはやめてください」
「嫌い? ごめんごめん、思っていた以上に怒っているみたいだね。びっくりしたよ。心臓に悪い冗談を言うのは止めよう」
「冗談なわけないでしょう。大っ嫌いよ。鬱陶しい」
「全く強情だね。でも、僕が全部悪かったからね。何を言われても気にしないさ。そう……僕たちは関係がないか……。立ち話では分かってもらえないようだし、アリアナの父と会う前に僕の屋敷へ行こう」
「嫌だってば」
「僕には嫌って言葉も、好きの裏返しだと分かっているから。アリアナが素直に甘えられないなら、僕が甘やかせるしかないからね。結婚目前の僕たちには何の問題もない。おいで」
……やばい。言葉選びを間違った気がする。
はっきりと顔色を変えたルーカス様。私の手首を握る力が増し、彼の爪が手首に刺さり痛い。
「痛い。行かないから。やめて、引っ張らないで!」
無理矢理腕を取られ、脇に抱えられなくなった戦利品が地面に落ちる。紙袋がどんと落ちた衝撃で、できた穴から勢いよく小豆が飛び散った。
「おや。その声はアリアナじゃないかな。君は元婚約者だろう。何をしているんだ」
男性の低い声。感情のこもらない棒読みの台詞が、私の背後から聞こえた。
あー、なんなのよ!
どこまでいってもアリアナは、間が悪過ぎる。
昨日、「残念でした」と宣言した人物に、こんな情けないところを見られるなんて。
私の背中側に立つ彼は、私が道の往来で元婚約者に絡まれるのを見て、嘲笑っているのかしら。
お読みいただきありがとうございます。
次話⑤となります。
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