1-21ズレた歯車③~additional~
よろしくお願いします。
町歩きをするのは、しばらくぶりな気がする。
花の祭典のときには、王都の大通りを歩くことはあるけど、人が多すぎて町並みを見る余裕はなかったし、それ以外、目的もなくぶらつくことはまずないし。
興味津々で周囲を見ながら歩くと、パンを焼いているのだろうか、薪が焼けた匂いと共に食欲をそそる香りが広がっている。
その香りに釣られるように店舗の中を覗けば、……うーん、思ったほど心が躍らないパンのバリエーション。
棚にびっしりと、こんがり焼けたバゲットだけが並んでいる。それはそれで良いけど、魅力がいまいちに思える。
大きなパン屋なのに、乙女の大好きな、メロンパンもクリームパンも、そして、罪の意識を最大限にくすぐる、アンドーナツもないんだもの。
これを見て「どうりでね」と思う。
アリアナの記憶では、シンプルなパンしか食べたことがないわけだ。
パン屋ね……。
悪くないかもしれない。
そう思い再び歩き始めると、伸びたひさしの下に、大きな瓶がいくつも並んでいるのが見えた。
何かのお店かと思い近づくと、よく見慣れたあれだ。
……小豆と疑う気はないが、絶対に呼び方が違う気がする。だって、日本では小さい豆って書いてアズキなのよ。
「おじさん、これって小豆ですか?」
「アズキ? いや、それはアカマメだけど。買っていくかい」
赤い豆から由来した名前であれば、負けず劣らず分かり易い。
「じゃあ、私でも持てる量だけ頂戴」
「そんな頼み方をするお客さんは珍しいな。まあいい。今、用意するからちょっと待っててな」
まあね。どうやって頼めばいいか分からないんだもの、そうなるわよ。
少しだけ待っていると、「はい、お嬢さん毎度あり」と、小脇に抱えられそうな紙袋を渡された。湊の記憶でいうところの小豆。それを詰めたものをね。
なるほど。前世の湊が肉屋で買い物していたのと、大してかわらないようだ。
ずしりと感じる重みに、思わずにんまりする。
これならいけるわ。
私は小豆を見たときから、「食堂計画を、ドーナツ屋計画」へ軌道修正したのだ。
お母さんが大好きで、一緒に食べていたのよ。
そうしたら、すっかりハマった湊の大好物でもあるアンドーナツ。
お母さんが疲れているときは、近所のパン屋で買ってきてあげると、喜んでいたっけ。
あれを作れば、絶対に、この国でもウケる気がするのよ。
なんと言っても、この国は甘党ばかり。
小麦であれば、我が家にあるはずだし、早速アンドーナツを食べられる。
懐かしい味を想像してわくわくする私が、今日の戦利品を持って、振り返ったときだ。
「やっぱり、アリアナね。声が聞こえた時に、そうじゃないかと思って、こっちを向くのをずっと待っていたのよ」
「……。シャロン」
「キャハッ。なんて格好しているのよ。あー、あぁ―、あぁぁ―。なるほどね~そういうこと」
「何が……」
上から下まで私の姿を、じろじろと見回すシャロンが、にやりとした。
すると人を食ったような態度で、楽しげに発する。
「嫁の貰い手がないから、小間使いに出されたのね。本当、いい気味だわ。今日の予定が、ルーカスの誕生日のお祝いじゃなかったら、あたしもコキ使ってあげたのに。ざ~んねん。キャハッ」
げらげらと笑うシャロンの性格。
あり得ない。この子は……普通じゃない。
あなたの婚約者は、今ごろ、ベッドの上で悲嘆しているはず。そんな彼の誕生日。
よくもまあ、それを嬉しそうに話せるものだと、嫌悪感のみ。
アリアナにとっては最低な元婚約者だけど、それでも、シャロンのためには、彼は体を張って守ってくれたでしょう。それなのに。
「この先のお店に、ルーカスの好きなミートパイがあるのよ」
私はそんな話、一度も聞いたこともない。まあ、別にどうでもいいけど。
「……そう」
「キャハッ。その顔、笑えるわね。やっぱり知らないと思ったわ」
「シャロンの図太い神経に関心するわ。後は二人で好きにして」
「そんなことを言っておきながら、随分と悔しそうな顔してるじゃない。そうよね、ルーカスはアリアナなんて、少しも好きじゃなかったんだもの。彼の好きなものを知る訳ないか」
「別に分かっているし、どうでもいいわよ」
「怒ってるの? かわいそう。そういう台詞を、負け惜しみって言うんじゃないのかしら」
横目でじろじろ見てくるシャロンの口元が、にたりと笑う。
「シャロン、あなたいい加減になさい。これ以上言うなら、父へ相談するわ」
「はっ。奉公に出されたのに、まだご令嬢気取り⁉ 腹立つわね」
「だから違うって……」
「あぁ―、もう時間がないんだった。アリアナを見掛けて、つい寄り道をしちゃったじゃない。あなたのせいよ。あたしは急いでいるから、頑張って働くのよ小間使いさん」
気持ち良さげに話終えたシャロンは、くるりと向きを変えてどこかへ去って行った。
なんだったのあの子は。
いつも見せていた儚げな仮面を取れば、悪役令嬢さえ度肝を抜くヒロインだけど、このゲームは大丈夫なの?
……でも、そうだったのか。彼の好きな店が近くにある。
婚約者は私だったのにね。
今にして思えば、彼のことを何も知らなかった。
そういえば、今日が彼の誕生日だったのか。
彼から別れを告げられるまでは、彼の誕生日を、二人で一緒に過ごす気でいたんだ。
夜会当日、あの日の昼間。
彼の誕生日プレゼントに、ジェムガーデンのカモミールを買ったのを、そういえばすっかり忘れていたわね。
一緒に飲もうと思っていたけど、どこに置いたっけ。
……まあいいわ。
私には、ドーナツ屋計画の方が重要だもの。
まずは試作から始めるかと、ドーナツのレシピを思い出しながら、我が家の馬車へ向かっていた。
「アリアナ? いや、似てるだけか」
真正面から、私を呼ぶルーカス様が真顔で立っていた。
「ぇ……」
……何故、ここにルーカス様がいるのと、全身に衝撃が走る。
私が階段から落ちた翌日に、シャロンと海へ行ったのならば、ベッドの上にいるはずなのに……。
彼が五体満足な姿で目の前にいる。
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次話④です。
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