1-1 突然の婚約破棄。隠れキャラルートの出現
「バーンズ侯爵令嬢のアリアナ。君との婚約を破棄する。金輪際、僕とシャロンに関らないでくれ」
ルーカス様が突然そう切り出してきた。
固まったまま理解できずにいる私が、迷わずやれる事と言えば、それまで彼に送っていた笑顔を消すくらいしか思いつかない。
……もしかして何かの冗談かしら。
ここは笑うところ?
だってねぇ、一緒に花の祭典へ行く話をしていたわよね。
私が少し口を開きかけて、「揶揄わないで」と、言おうと思ったときだ。
……そこへ、まるで待ち合わせのように居合わせたのが、私の幼馴染かつ親友のシャロン・ハエック男爵令嬢である。
シャロンはいつも、無難なデザインの青か緑のドレス。その二着を着回していた。
私のドレスを見てはいつも、「そのドレスを貸して欲しい」と、せがんでくる。
でも、私を着飾って楽しんでいる我が家のお母様に、万が一そんなことが見つかれば、疑う余地もなく、怒られるのはシャロンだから。
彼女を思えばできるわけもなく、直ぐに断っていた。
けれど、そんな彼女が今日に限っては、私が初めて見る豪奢なピンクのドレスを着ている。
そのかわいらしい色合いが、シャロンの愛くるしさを更に引き立て、いつも以上に庇護を求める存在に見えてしまう。
彼女が、これ見よがしに着けている大きなアクアマリンのネックレス。
その色合いはまるで、私の婚約者、ルーカス様の瞳と同じだ。
ふたりを交互に見て、……私は、「そういうことか」とやっと理解した。
血の気が失せた私の横から、ルーカス様は迷うことなくシャロンの横に立つ。
するとシャロンが、さも当然のように彼の腕に、自分の腕を回した。
……シャロンのドレスも、見たことのないネックレスも、ルーカス様が彼女に贈ったのだろう。
このロードナイト王国の建国を祝う夜会では、婚約者からドレスを贈られるのが慣例。
それが私に届かないのは、倹約家のルーカス様らしいと思っていたんだもの。
……だって、今までルーカス様が私に贈ってくれたのは、私の誕生日に花束だけ。
三年前、ドレスのことを聞いた私に、「いっときを着飾るものより、領民たちのためにお金を使いたい」そう言ったルーカス様。
私はその言葉に心打たれ、この人と一生添い遂げたいと思う気持ちに、全く迷う感情はなかったから。
十歳の私は、ルーカス様と婚約を結んだことが嬉しくて、誇らし気に親友のシャロンに話していた。
当時の子どものような恋も、今ではすっかり深い愛情に変わり、彼を大切にしたいと願い続け、尽くしてきた。
急に婚約を解消されても、……私はまだ、お慕いしていたルーカス様に向ける気持ちを失うわけがない。
「どうして……。突然、婚約の解消を……」
「お前の傍若無人な態度に、うんざりだ。また、シャロンを虐めていたのだろう」
「虐めてなんていないわ。私はシャロンを守っただけよ。何度も言っているでしょう」
「意味の分からない嘘を吐くなと、僕は、何度も言っているだろう」
「ですから、嘘ではありません。それは二人を守るためと、いつになったら分かってくれるのですか」
「そんな虚言を信じる方が可笑しいだろう。お前は、シャロンを平然と突き飛ばしていただろう。僕が何度注意しても止めないその行動。お前への気持ちは、もう何年も昔に冷めていた。いい加減気付いたらどうだ」
「冷めていた……。さっき二人で祭りへ行こうと話したのも、始めから行く気はなかったの? 全部……嘘なの……」
「当然だ」
「うふふっ。ルーカスは明日、あたしと海に行くのよ。ね~、ルーカス」
――ジッジジ――。ジッジジジジ――。
その瞬間、私の中に映像が飛び込んできた。
……またこれだ。
ルーカス様とシャロンが向かうのは、「古城を見渡せると有名な海岸で、その帰り道、……盗賊に襲われる。そして、シャロンを必死に守った彼が、大怪我をする」。そんな生々しい鮮明な映像が、私の頭の中を埋め尽くした。
ルーカス様の苦痛に満ちた表情が、あまりにもリアリティがある。そのせいで、映像を見る私の背筋が、ゾクリと冷えた。
「駄目よ。海には絶対に行ってはいけないわ。止めて、お願い、考え直して」
「もう、お前から何も言われる筋合いはない。この夜会に来る前、バーンズ侯爵の当主へ、お前との婚約破棄の申し出を済ませた。僕たちの関係は、既に終わったんだ!」
「そうですか。……でも、シャロンと海へ行くのはやめて」
「お前には関係のない話だ。僕はシャロンと婚約した。君の性悪な行いに、これ以上耐えられない、二度と僕たちにまとわりつくな! とんだ嘘つきめ」
「違う……何故、信じてくれないの……」
――ジッジジ――。ジッジジジジ――。
疑問を問いただそうと思った瞬間。まただ……。
今度は違う映像が流れてくる。
ルーカス様が王城内の階段を、大きな音と共に真っ逆さまに転げ落ちる映像。
それは、いつの話だ? そんなことを考える余地もない。
間違いなく、この直後に起きる出来事と断言できる。
今、私たち三人は、フロアが分かれている王城の大ホールの上階、階段付近にいるのだから。
固唾をのんで、注意深くルーカス様を見守ると、……それは、思いのほか直ぐに起き、ルーカス様の足が、一歩後退したのだ。
「……危ないっ!」
私は、あなたを階段から落とすまいと、必死に彼の腕をぐいっと引っ張った。
今までも、こんな映像が頭を過り、ルーカス様とシャロンに危機が迫ったときは、必ずそうしてきたから。
でも今回ばかりは、警告直後の出来事。脳内で解決イメージが十分に出来ていない段階だ。
まずいな……。
どうやら、私自身まで守れそうにないや。
勢い余った私の体は、体勢を戻せないまま、床の縁を踏んでしまった。
……その瞬間、ガクンと私の体が傾く。
「良かった、ルーカス様が落ちなくて……」
そう言って、彼に笑顔を向けた直後。
私は、夜会の会場中にドドドッと響く大きな音を立てながら、階段の下まで速度を増しながら、落ちていった。
階段から落ちる直前。
ルーカス様は、目を丸くして驚いた顔を見せた。
これまでも、私は二人に嘘は言っていない。
けれど、……結局、信じてもらえないまま、愛していたルーカス様に婚約破棄を告げられ、私の初恋は、予期せぬ形で儚く散ってしまった。
元婚約者と親友のことを考えながら私は転げ落ち、最後にドンッと、一際大きな音が鳴った。
頭を強く打った私の記憶は、そこで途切れた――……。
※※※
アリアナが階段から落ちたのと同じ時間。とある国の引き出しの奥。持ち主を失い電源の切れたスマホのアプリに一つの通知が届いた。
それは、乙女ゲーム『甘いマスクの覇者』の第二幕の開始を告げる、オープニング映像である。
使い込まれたスマホの画面に映るのは、舞い散る真っ赤なバラの花びらを背景に、愛おしむように笑う、美青年の騎士の姿。
誰も読む者がいないにもかかわらず、ゲームのシナリオ文が、一文ずつゆっくりと浮かび上がる。
――――嬢。隠れキャラルートへの突入おめでとう。さあ、これからがゲームの本番だ。
五百年の月日を経て、王家秘宝『聖女の実』が王城の中に誕生した。手にすれば、国の未来までも左右する人外の魔法を行使できる、力と権力の象徴である。
だが、その魅力に取りつかれた人物がいる。
強大な聖女の力に惑わされた愚か者が、第一幕の攻略キャラたちを次々と手にかけ、その実をわが物にする悪事を進行させている。
その悪しき者を、隠れキャラと共に捕らえ、聖女を目指せ。
既にその道は開かれた。彼との真実の愛と深い絆があれば、最後の試練も乗り越えられる。
波瀾に満ちたいばらの道の先にある、二人の幸運を祈る……。
――【TO START THE SECOND ACT】――
……ゲームアプリの中で、永遠に押されることのない第二幕のスタートボタンが、チカチカと点滅を続ける。