プロローグ~additional~
[プロローグ]
五百年前。
この国を救った聖女が残した、聖女の木。
『この国に再び危機が訪れたとき、再び聖女が誕生するでしょう。そのときは、この木に聖なる実がなり教えてくれるわ。私の力は全て、この庭に残したことだし、元の世界に帰ります』
そう言い残した聖女は光に包まれ、近くにいる者は、その眩しさに目を瞑る。
再び目を開けたときには、既に聖女の姿はなかった。
これが、国民に伝わる聖女伝説。
だが実際には、強大な聖女の力を恐れる王族が隠蔽した、黒歴史が存在する。
そして今。聖女の木に七色に輝く実が一つ、存在を主張するようになっているのである。
それを知っている者は、王室の限られた人間と、たった一人でその庭を管理する侯爵令息のみ。
国王としては、早急に適切な人材にその実を授けたいところ。
だが、誰に授けるか?
それが全く見当もつかず、いたずらに時間だけが過ぎていた。
聖女の力を授けたくても、今に残る呪文を誰も読めず、その実が一週間ほど輝き続けていたときだ。
庭を管理する侯爵令息の目の前で、呪文を読み上げた侯爵令嬢アリアナ。
その張本人であるアリアナの頭の中は、夜会の日からお祭り騒ぎが続き、事の重大さに全く気付いていない……。
悪役令嬢だと思い込むアリアナは、無自覚に人々を救い、乙女ゲームのシナリオを全て塗り替え、溺愛ルートに突入する。
****
軽快な音色が響く王城の大広間。
今は、年に一度の建国記念の夜会、その真っ最中である。
会場を歩いていると、私の横にいる侯爵令息を見た令嬢たちが、顔を赤らめ振り返る。
令嬢の視線を浴びる彼は、私の婚約者のルーカス様だ。
彼は、今日が特別な夜会とあって、一段とキマッている。
見慣れた私が思わず「ほうっ」とため息が出るほど素敵なんだもの、この辺の使い分けは、流石と言える。
でも……さっきからなんだろう。私の背中に感じる妙な気配。
ずっと、誰かから見られている気がする。そう、私を付け狙うように。
かくいう私だって、この国で有名な家柄の侯爵令嬢。懸念を放置するのは、よろしくない。些細なことが、淑女生命を脅やかす、汚名に繋がることもある。
そう思い、念のため視線の先を探そうと、周囲をキョロキョロと見渡す。
すると、不安気な顔のルーカス様が即座に反応した。
「アリアナ? どうかしたのかい?」
「なんか、妙な視線を感じた気がしたのよね」
「アリアナが綺麗で目立つから、じゃないのかい」
冷たい口調で告げたルーカス様。どうやら嫉妬しているようだ。
ふふっ。そんなことで露骨にやきもちを焼くなんて、かわいく思える。
彼が発した、アリアナ。それが私の名前である。
私が八歳のとき。
初めてルーカス様と会った瞬間、彼に恋をした。
今では恥ずかしい話だけど、あの当時から完成度の高い、色男ぶりに瞬時に魅了されてしまった。
要するに、始めは完全に、見た目にただ惹かれたわけで。我ながら、思慮が浅くて情けない話だと思っている。
それでも。
私が恋をしたからと言って、何かをしたわけではない。特別なことは一切していない。
ルーカス様も私も、互いに侯爵家の令息令嬢であるために、私の片思いは、政略結婚と言う名の元で、いともあっさり叶うことになった。
そんな八年来の婚約者を持つ私は、既に十八歳。結婚適齢期の域に入る。
あとは結婚に向けて動くのみ。
……なんだけど、私のお兄様がこの結婚に関して、いつも煩くて敵わない。
ことある度に難癖を付けてくるんだもの。彼は私には「相応しくない」って話を。
今しがた視線を感じて、ぐるりと会場を見渡したとき。私の頭を悩ます、お兄様の姿は見当たらなかった。
この会場にいないということは、おそらく、聖女様の庭であるジェムガーデンにいるのだろう。きっとそうだ。
お兄様は、ジェムガーデンの伝説に、寝食を忘れて没頭するほど、捕えられているからね。
ジェムガーデン。
その庭の草花は、遥か昔に実在した聖女様の奇跡の力を宿しているのは、子どもだって普通に知っている。
このロードナイト王国では、親から嫌ってほど聞かされる、常識だし。
……けれど、魔法を発動させる呪文を誰も解読できないのも、それと並ぶ事実ってわけだ。残念ながら。
以前の私は、お兄様の気を引こうと思い、暇さえあれば王城の図書館で禁書を見て、試行錯誤を試みた。
私が何百回と、数えきれないほどに、その本と睨めっこを続けた。
そして出た結論。
あれは、絶対に読めない。
自信をもって、はっきりと言い切れる。
だってあの文字は、一筆書きから、馬鹿みたいに細かいものまで、全くもって統一感を持ち合わせていないんだもの。どう考えても、誰かに読ませる気がないわよ。
それをお兄様が、躍起になって解読を試みているけど、一生敵わない夢物語と言えよう。
まあ、夢を追うのは自由だから、私がとやかく言うことでもないけどね。
今となっては、魔法を発動する呪文を唱える者がいないロードナイト王国。
王室公認として町で売られる聖女様の花は、その事情と桁違いのお値段から、大切な人へ『愛を伝える象徴』に使われるだけだ。
そうだ!
名案が思いついたわ。お兄様を説得できる気がする。
この際、ルーカス様の愛の深さを、お兄様に見せつけてあげればいいんだ。それで納得するでしょう。
そう思い、向かい合わせの婚約者へ話しかける。
「ルーカス様。私、花の祭典で髪にたくさん赤い花を着けて貰っている恋人同士が素敵だと思うんです。私たちも、今年はやってみませんか!」
「いや。あんな、直ぐに枯れる花に大金を出すのは勿体ないだろう」
彼は考える余地もなく、しかめっ面をする。
まあ、そうでしょう。分かっていましたよ。
ルーカス様は、ジェムガーデンの花と普通の花に違いはないのに、何故こだわるのかと、嫌悪する側の人間だもの。
……が、あの庭の花は一目見れば直ぐに分かる。だって輝きが違う。
どうして男の人は、その違いが分からないのかと、不思議で仕方ないんだけどな。
花の祭典で売られる赤い花。
一度断られたからと言って、私だって、ここは折れたくない。
喧嘩中のお兄様に、ルーカス様の誠実さを示すには、これが一番手っ取り早い。それは確かだもの。
「そうですが、私、花が大好きなので、どうしてもやりたくて。花売りが売っている王家の花は、押し花にして大切にとっておきますから、ねっ」
「アリアナが勝手に着ける分には構わないが……」
うーん。違うんだな。
私がお金を使った事なんて、お兄様には直ぐにバレてしまうもの。それだと意味がない。彼から贈って欲しいんだから。
「いいえ、そうではなくてルーカス様に着けて貰いたいんです。だって、赤い花は未婚の特権なんですよ。私も十八歳ですし、もう機会はないと思うから。それに、前にもお伝えしたかと存じますが、幼い頃からの憧れだったんです」
「そんないっときのものは、無駄でしかない」
態度から見て取れるほど、この件に拒絶の色を濃くし、語気が強まった。
……残念。
あー、やっぱり駄目だったか。
しょうがない。ルーカス様は自分たちの贅沢を嫌う、とても真面目で誠実な人だから仕方ない。
そんな彼が素敵に見えるんだもの、これ以上、何も言うことはないわね。
よし、いいわ。
煩いお兄様は、この先も放っておくに限る。
「そうですね。ルーカス様と一緒に行けるだけで、私は楽しいから、赤い花のことは忘れてください。そうでした! 実はね、その日着ていくのは、水色のワンピースって決めてあるんです」
……祭りのイベント。それを想像して、自然と笑みがこぼれる。
ふふっ、私の好きな祭りで、ルーカス様と一緒に過ごすだけで幸せだし。
「まだ二週間も先の話なのに、気が早いだろう」
「貴族として祭りを盛り上げるのも大事だって、お父様が言っていましたよ。なーんて言うのは建前で、ただ、花の祭典が好きで、一緒に行くのが楽しみで仕方ないんです」
私がおどけて話せば、ルーカス様は、うなずく仕草を見せ、にこにこと笑い掛けてくる。
うん、うん楽しみだわ。
……会場の音色が少しずつ小さくなって、止んだ。
楽しくおしゃべりをしていれば、あっと言う間に一曲踊り終わってしまった。早いわね。
「外で休憩しよう」
そう言ったルーカス様が、私の腕を引く。
「もう? まだ早いでしょう」
「いや、今日は少し疲れていて」
「そうだったの、気が付かずにごめんなさい」
疲れていると彼は言うが、まだ夜会に着いたばかり。
私はいつものように、続けてもう一曲踊る気でいたのだが、表情が強張るルーカス様からは、少々疲れの色が見える。
そっかぁ。
確か、今日は朝から忙しかったと言っていたんだ。
なんだか自分だけ浮かれてしまい申し訳ない。
疲れているルーカス様を気にする私は、彼に促されるまま、テラスのあるフロアへ到着した。
そう。たった今、会場内にある階段を登り切ったばかりだ。
すると私はルーカス様から、これまで見たこともない凍てついた眼差しを向けられた。
はて、一体何が起きたというのか?
この度、本作品が電子書籍として発売されることとなりました。
これもひとえに読者様の応援のおかげです。
本当にありがとうございます。
これからもよろしくお願いいたします。