アナザーストーリー:柚子香る、夏の日、翻る。
長い、夢を見ているみたいだった。海の上を揺蕩い流れる中、私は、あの大陸での出来事を思い出して、そんなことを思っていた。
あの大陸で過ごしたのは、大体一年。それも、殆どは神領の中だったから、結局あの大陸のことを私は何も知らないと言って良い。
けど、それでも、私には皆に伝えなきゃならないことがあった。この大陸のことを、そして、日本、嫌、世界に迫っている脅威を。
「ここは」
だから、私が目を覚まして、周囲を見渡して、ここが日本だと理解して、私は心の底から安心した。良かった、これでなんとかなるかもしれない。
しかも、ここは一宮院市。その手の事情には詳しい人間が揃っている。私は立ち上がって、すぐに知人に連絡をしようと試みた。
が、長い間海の上で流されていたのに急に立ち上がったから、立ち眩みがして、私は倒れそうになった。
「おいおい、大丈夫か」
そんな私を支えてくれる人がいた。
「…母さん?なんでここに?」
それは、私の母だった。なんで、私の居場所が?
「例の情報局に調べて貰ってな。ひとまず風呂にでも入れよ、磯臭いぞ」
「あ、ありがと。って、そんな暇ないんだって、私には報告しないといけないことが―」
「大丈夫、分かってる。そういうのはある程度はハジメから聞いてる。柚子、まずは一旦休め」
母さんに促され、私は大人しくそうすることにした。
*
「…ごめん、もう一度言ってくれる?」
「何度でも言うさ」
近くのスーパー銭湯に入って、その間に到着した父さんと合流した私は、衝撃的な一言を聞かされた。
「お前が行方不明になってから、まだ一週間。大した時間は立っていない」
通りでおかしいと思った。一年も経っていたというのに、ここの漫画コーナーに置いてある漫画は、当時から一巻も増えていなかった。一週間しか経っていないなら、そりゃそうだろう。おまけに言えば、週刊誌の類も休刊で一冊も出ていない。
「ま、無事帰ってきて何よりだ。向こうもそんなに大変じゃなかったろう?」
「…いーえ、ずっと神領にいたもんで」
「…そうか。大変だっただろうな」
私が言うと、父さんは一転して同情するような瞳を向けてきた。母さんは首を傾げていた。母さんは多分、それなりに楽しめると思う。母さんが行けばよかったのに。
結局叔母さんとやらにも出会わずに帰ってきてしまった。確か、ずっとアイゼンさんと一緒に戦ってるとか言ってたっけ?相当なバトルマニアだ。
「それで?無事解決したんだって?」
「まあな。最終的にはやっぱりと言うべきか、管理局が協力して事に当たったよ。それで何とかなった」
殆ど総力戦だ。まあ、そのくらいの事態ではあったか。
私は思い出す。あの時出会った、竜の様な何か。突如として現れたあいつに、私は飛ばされた。あの大陸に。その後の経過は分からないけど、あんなのが一人だけじゃなかったら、とんでもないことになったはず。
「…ああ、とんでもないことになったぜ」
そんな推測に、父さんは苦笑しながら頷いた。
「神領にいたなら、スキアーって人、知ってんだろ?」
「…うん。やっぱり、そういうこと、なんだね」
「察しが早いな、流石は俺の娘だ」
私はそれだけで父さんの言いたいことが理解できた。だから、それ以上の言葉は要らなかった。
「その人、今から会える?」
「ああ。今はもう、落ち着いてるらしいからな。早速行くか」
私の問いに父さんは頷いて、私たちは銭湯を後にした。
*
タクシーに乗って到着したのは、一宮院市の名士の一族、七天院氏の屋敷だった。惚れ惚れするくらい大きな屋敷から出てきた青年に、父さんは声を掛けた。
「やあ、破魔矢くん。ちょっといいかい?」
「ランゲアさん。何かご用ですか」
その人は私もちょっとした顔見知りだ。先の戦争で、ちょっとだけ敵対した。
「ああ、柚子さん。戻ったんですね」
「どうも、お騒がせしました」
とは言え、戦争が終われば因縁があるわけじゃない。ちょっとした日常会話くらいはする。
「…ああ、タクトならさっき家に戻ってきたところですよ。例の計画もそろそろ佳境にあたる所です。話をするなら今の内かと」
「ありがとな。また今度、飯でも食おうや」
父さんは破魔矢に手を振ると、屋敷の戸が開き、若い使用人が現れた。
「それでは」
どうやら、彼が屋敷内に一報を送っていたらしく、そのまま彼は去っていき、私たちはその使用人に案内され、中へ入っていった。
「ちょっと、父さん。いつから七天院の子と仲良くなったの?」
「戦争が終わってから少しな。ちょっとした共通点があって、話が弾んだぜ」
あの人何歳か知らないけど、未成年だったらちょっとした犯罪だなとか下らないことを考えながら、使用人さんの後を追っていくと、途中で背が高い女性にすれ違った。
「こんにちは」
彼女は笑顔でそう言うと、そのまま去っていった。
「…柚子、向こうで紫龍って名前、聞いたことあるか?」
父さんは彼女が去った後、唐突にそう聞いた。私は少し考えてから、思い出す。死竜、確かそれはあっちで、ブロンズ君に聞いたような。特級のヤバい奴だっけ?
「さっきの子がそれだ」
「…え?」
なんでこんな所にいるんだ。
「母さんと殴り合いが成立するくらい強いぞ」
うーわ、化け物じゃん。くわばらくわばら。本当になんで日本にいるんだ。
「坊ちゃん、お客様です。よろしいですか?」
「…はーい、どうぞ」
そして、とある一室の前で、使用人さんは足を止めて、中にいる人に声を掛けた。どうやら、ここにいる人がそうらしい。許可を得られたので、私たちはその中に入った。
書斎、というべきだろうか。デスクの上に山積みになった本の隙間に、申し訳なさそうにノートpcがちょこんと座っている。そして、そのノートpcが閉じられ、この部屋の主が顔を現す。
「ああ、ランゲアさんに茨さんでしたか。先日はお世話になりました」
その主は、微笑を湛えながら、そう言って、私たちにデスクの前にある、ちょっとした応接スペース、ソファに座るように促す。
「私らはそんなに何もしてないよ」
母さんは謙遜して首を横に振った。腰を落ち着けると、ソファの柔らかさに思わず声が出そうになった。金持ちだなぁ、ってこんな所でも実感する。
「そうか、戻られたんですね」
「お陰様でね」
「それこそ本当に何もしてないですよ」
そのやり取りで私は理解する。そうか、この人が。
「七天院タクトです。どうぞよろしく」
「柚子です。一つ、質問しても?」
「どうぞ」
互いに名乗りつつ、私は一歩踏み込む。
「あなたは、これからどうするつもりですか?」
「…良い質問ですね。今の今まで、向こうにいたとは思えない。嫌、むしろ、向こうにいたから、かな」
彼は苦笑しながら言って、立ち上がった。それで、気づく。彼には、影がなかった。
「只今、【院】と管理局が共同で、向こうへ行くための船を作っています。製作は勿論、五基院に。そして、向こうへ行くための壁の中和は釈迦堂曼荼羅さんに」
「…それが、世界を壊すことになっても?」
意気揚々と語るタクトさんに、私は尋ねた。どうしたって、それだけは止めなくちゃならない。彼が彼らが、そうしようとするなら。
「壊す?逆ですよ、僕らは世界を救うために行くんだ」
だけど、彼の反応はそんな、予想外の物だった。私の壊すという発言にぽかんとしながらも、彼は臆面もなく言う。
「このままでは、結局また【征服者】が起動してしまう。それだけは避けなくてはいけない。世界終末の再来だけは」
征服者?紫城美月の件は解決したはずじゃ?私は何か、致命的な誤解をしている?私は何を知らない?
「ここで一度失ったものも、あっちで手に入れた物も、もう失いたくなんかない。だから、止めるんです」
そう言って、彼は私に手を差し出した。
「柚子さん、あなたも協力してくれませんか?今を知るあなたがいれば、心強い」
私はそんな彼の誘いに、頷けもせず、困惑する他なかった。




