驚異、襲来 一
「やるな。言っていただけのことはある」
「ま、このくらいはね…」
スキアーさんの下に戻った俺たちは報告を終え、夕食を共にしていた。
「でも、良いの?奢りなんて」
「気にすんなよ。それでもありがたいと思ってくれるんなら、次の新入りにでも返してやってくれ」
俺も今のように生活が安定するようになるまで、特にアイゼンさんやマリアたちには幾度も世話になった。その恩を次の誰かに返しておくのも、悪くはない。多少なりとも下心が含まれてることも否定はできないし、する気もないが。
「それより、家とかはどうしてるんだ?」
「叔母の家があるから、そこで世話になってるよ」
叔母、ね。吸血鬼の生き残りってのは思っていたより多いのか?
「ま、その叔母はしばらく留守みたいだけどね」
「留守?一人か?」
「うん、一度も顔合わせてない。大市と叔母の家には、なんて言えばいいかな、知り合いに案内されてね」
知り合い?【外】から来た彼女に、その叔母とも会ったことない彼女に、ここに知り合いが?
疑問に思ったが、その問いを口に出す前に、マリアが俺の耳元で囁いた。
(大市の外での一人暮らしは危ない、って伝えて)
(お前な…)
そういうのはお前が言ってやれよ、とは思うが、それを柚子の眼前で言うほど鈍感じゃない。
「あー、あれだな。神領での一人暮らしってのは中々、危険じゃないか?」
「大丈夫、私にはこれがあるから」
そう言って彼女が取り出したのは、種。その意味は、彼女が土属性のエキスパートということを知ってさえいれば、そして魔法に対する知識を備えていれば、余程察しが悪くなければ気づく。
「その種に魔力を込めて、家を守る植物を生み出してるわけか」
「ご明察」
柚子は簡単には言ったが、決して彼女が行っていることは簡単なことではない。その命令を実行させるためには繊細な魔力の扱いが必要となるし、仮に家を守るために必要十分な植物を用意するには相当量の魔力量が必要となる。そして、それらを継続させるためにも毎日それなりの魔力を与えてやらなければいけない。
それを簡単に言ってのける彼女は、その若さには不釣り合いなほどな技術を所有していると言って良いだろう。ミクトの、あの人好みの人材だ。
「だから、心配いらない―」
「…それでも、駄目だ」
「え?」
おお、マリアが口を開いた。実にたどたどしく。久々に見たな、慣れない相手に出てくるつっけんどんモード。
「認める、貴方の、その、技術は。多分、大市近くの魔獣を撃退するには充分すぎるということも、わかる。でも、それでも、想定外は、いかなる時も起きる可能性がある」
初めは途切れながら、それでも何とか言葉を結び、彼女は続けた。
「【狼王】、【豪炎の剣鬼】、【笛吹き】、【死竜】。くたばり損ないの、生き残りの竜共。それに最近見るようになった、羽の生えた人型。特に、先に言った四体は、最早いくら準備したとて敵う事はできない。可能性もない」
一息に語ったマリアだが、実のところその発言の半分ははったりだ。【狼王】や【剣鬼】は常に神領北部で戦闘に明け暮れていると聞くし、【死竜】は【外】に出て久しいと師匠が言っていたことを覚えている。そもそも、【死竜】は危害を加える類ではない。
だが、それでも神領において危険は付き物だ。先に挙げた3つの名を除いたとしても、【笛吹き】は神出鬼没であり、竜たちがいなくとも、竜の血族の末端共はここではそう珍しい存在ではない。【天使】を名乗る有翼人たちは、神領に住む者たちに無差別に襲いかかってくる。徒党を組むに、越したことはないのだ。
「それなら、ここも変わらないんじゃないの?そいつらが私の家を襲ったら、近いここも狙われるよね」
「それはない」
柚子の問いに、マリアが首を振る。個人的には、的を射た質問のように思えたが、何かあるのか?
「大市が共同体として継続できているのは、一重にスキアーのおかげだ。何故かは知らない。けれど彼を、生き残りの竜共は恐れ、七英雄たちは尊敬と親愛を覚え、狂神の類さえも敬意を払う。彼がここの首領である限り、危機に晒されることはありえない」
マリアの言葉に、俺は耳を疑った。失礼な話だが、スキアーさんがそこまでの大物とは思っていなかった。無論、軽視をしていたつもりはないが、大市を存続できているのは、あくまでアイゼンさんたちの助力が大きいと思っていた。マリアの口ぶりからすればそれも要素の一つではあるのだろうが、それ以上に他の2つが大きすぎた。
「…すまない、初対面の癖に、踏み込みすぎた」
「いや、先輩の助言は聞き入れるよ。自惚れているつもりはなかったけど、そうだね、この地に対する理解が欠けていたかもしれない」
柚子は素直にマリアの助言を受け入れた。上から目線な物言いにはなるが、それだけ柔軟に物事を考えられる質なのだろう。
「とは言え、すぐには難しいかな。先立つものもないし」
「なら、うちに来ると良い」
「…はぁ?」
俺は思わず、素っ頓狂な声を上げてしまった。言うに事欠いて、何言ってんだこいつは。
*
「限界だ」
その竜は、暗い、暗い闇の中で、絞り出すように言葉を吐いた。それと同時に、唾液のような何かを。その何かが垂れた岩は、焼けたように白いガスを放ち、溶けるように腐敗し、自壊した。
「こんなに不安なのはもう、うんざりだ」
「貴様だけだ。【死竜】が消えて千年以上がたった今もなお、不安に悩まされている竜など」
ぼろぼろと涙を溢し思いの丈を叫ぶそれを、冷ややかにもう一匹の竜は見つめる。
「…だからあんたを呼んだ。恐れを知らぬあんたを、奴が消えた今、【死竜】と呼ぶに相応しいデスペラード君をな」
「前置きはもう良い。何が望みだ?」
デスペラードと呼ばれた彼は、まるで初めから泣いてなどいなかったようににやつく竜に首を振り、本題を急かす。
「欲しいものは何でもくれてやる。あの【偉大】なる影の絞り粕を殺せ」
憎々しげに、それでもどこか敬意を払った物言いで、竜は彼に命じた。
「一つ、問おう。何故、今なのだ?」
「簡単なことさ。あの、雷の化け物が死んだ。魔王信奉者に殺された。ようやくだ、【七英雄】が欠けた」
問いに答えた竜に向けて、デスペラードは困惑したような表情を見せる。
「…余の記憶では、奴らは友人であったと記憶しているが」
「理由は知らんよ。重要なのはとにかく、あの魔王殺し共が二人欠けた。その上、【始まりの剣聖】はいない。【屍体男】は動かない。それだけだ、それだけで俺たちはこの計画を実行できる」
「愛染明王も、狂い大神も、不死鳥も、狼王も、剣鬼も、影の取り巻き共は全部、俺が止める。あんたの邪魔はさせない」
途轍も無い熱量で早口でまくし立てた竜に、デスペラードは観念したようにため息をついた。
「了承した。必ず、【影】を殺してやろう。何より」
そこまで言ってから彼は、竜の背後に目を向けた。
「その人形のようにはなりたくはないからな」
竜の背後にいたのは、もう一匹の竜。特徴的な、何又にも分かたれた尾を持つそれは、朦朧とした瞳で、何も見えていないように虚空を覗いていた。
「…ふん、忘れたお前らには分からないだろうよ。あの【名無し】を、あろうことか忘れてしまったお前らに、俺の不安がな」
言い残して去った、デスペラードを目で追ってから、その竜は、【毒竜】ルドロペインは表情を変え、ただただつまらなそうに吐き捨てた。
「かは、許せんよなあ。許せんよなあ、ハルクツァ。忘れてしまったお前らも、忘れさせた狂人も、抜け殻としか言えないあの影も、一人追った紫龍も、笑うだけのルゥ=ガルーも、何もかもに腹が立つ」
「あ…あ…」
言葉の割に嬉しそうな物言いで、彼の毒に蝕まれた竜をなぶり、彼は語る。
「いつの日か、戻ってくるかもしれない。なんて不安に俺はもう、うんざりしてるんだよ。叶うわけのない夢には、もううんざりなんだよ」
そこまで言った彼は、寝床に戻りうずくまる。開いたままのその瞳は、ただ、何かに灼かれているかのようで。